ハルシネーション・シュピーゲル ― 記憶喪失の少女と嘘つきAI 作:皐月莢
歓楽街の奥まった一角。
ネオンとホログラム広告が乱反射し、猥雑な熱気が渦巻く雑多な通りの奥にそれはあった。
その一角に存在する義体風俗店。
踊る義体少女の全身ホログラムと派手な文字──《脱皮(Shed_Skin)》の看板が、客を挑発するように光を放っている。
表向きはA級ハンター《ヴェノム》が経営する、華やかな義体ショーや接待を提供する店舗だ。
上流階級や企業関係者、ハンター志望者など多様な顧客が集まり、アンダーグラウンドな娯楽に酔いしれる場として賑わっている。
しかし、この店の真の姿を理解している者は少ない。
ここはヴェノムが率いる私兵集団の拠点であり、情報・人材・資金が集積する装置として機能している。
いわばこの店そのものが、《マーダー・コード》の巣窟だったのだ。
「相変わらず、趣味が悪い店だね」
肩の高さを飛ぶHALが、軽口を叩く。
ニクスは表情を変えずに頷き、扉を押し開けた。
店内は軽快なダンスミュージックが鳴り響き、ステージ上ではダンサーが生身では不可能な動きで艶やかに身体をくねらせている。
香水とオイルの匂いが入り混じり、焦げつくような甘い熱気が漂っていた。
一歩足を踏み入れると、周囲の視線が一斉に突き刺さる。
値踏みするような目、嗤う目、無関心を装いながらも好奇心を隠しきれない目──やがて興味を失ったのか、視線は次々に逸れていった。
「噛まれたくなきゃ、余計なことは言わない方がいいかもね」
HALが皮肉混じりに囁く。
「お連れ様ですね」
無愛想な少女が、無機質な声で言った。
この店で働く者たちのほとんどは、義体化手術を施された身寄りのない少女たちだ。
スカウトされた者のうち、義体適性の低かった者はキャストや裏方に回され、忠誠と引き換えに最低限の衣食住を与えられる。
「確認が取れました。こちらへどうぞ」
だが、居場所を失った彼女たちにとっては、スラム暮らしよりはまだマシなのだろう。
作り笑いすら浮かべない案内役に、ニクスは眉をひそめた。
案内に従い、奥へと進む。
通路は照明が乏しく、壁際には義体パーツや工具箱が無造作に積まれ、油と鉄の匂いが濃く漂っていた。
ステージの華やかさとは対照的な、工房じみた殺風景さだ。
扉を抜けた先の事務所は、最新鋭の義体部品と武装パーツで埋め尽くされている。
義肢が壁に吊るされ、鈍い光を放つ銃器がラックに整然と並ぶ。
その最奥の椅子に座る男が、蛇のような薄笑いを浮かべながら端末を弄んでいた。
年齢は三十代半ばほど。
高身長で細身、しなやかな体躯に整った顔立ち。
だが、その黒に近い濃緑のオールバックと、琥珀色の切れ長の目には冷たい影が宿っている。
一切義体化していないにもかかわらず、数少ないA級ライセンス持ち。
元特殊部隊の生き残り、あるいはそれ以上の危険人物だと噂される男──ヴェノムだった。
「相変わらず、派手にやってるようだな」
ヴェノムはゆったりとした声で言い、端末から視線を上げた。
「……赤い髪の子は?」
ニクスが迷いなく問いかけると、ヴェノムは片眉をわずかに上げ、愉快そうに笑った。
「お前にそっちの“気”があるとは知らなかった」
「つまらない冗談だね」
HALが冷ややかに言うと、ヴェノムは肩をすくめて笑みを崩した。
「まだそんなガラクタを肩に乗せてるのか? 物持ちがいいな」
ニクスは視線を伏せ、短く息を吐いた。
ちらりと周囲を見渡したが、カイトの気配はどこにもなかった。
「……いないなら、帰る」
ニクスが踵を返そうとした瞬間、背後で椅子を引く音が響いた。
「はぁ?」
焦げ茶の髪を後ろで纏めた少女が、苛立ちを隠さず机を押しのけて立ち上がる。
元はキャストの1人として働いていたが、軍人のセクハラ客を半殺しにした格闘センスを買われて戦闘要員となった《オウル》だ。
「お前、無事に帰れると思ってんのか?」
吐き捨てるように言い、光沢を帯びた義体の腕部が淡く光る。
「腕の一本くらい置いていけよ」
怒声とともに義腕が振り抜かれる。
コンクリートを砕くほどの鉄拳──だが、その拳は乾いた衝撃音とともに途中で止められた。
片手で受け止めたニクスの蒼黒い瞳は氷のように冷たく、微動だにしない。
「……まだやる?」
オウルは息を呑む。ただ止められただけではない。衝撃を吸収されたかのように、威力を殺されていた。
まるで宙に舞う羽毛を打ったかのように。
「オウル、止めなさい」
青髪の少女が無表情のまま制止する。
冷静沈着な狙撃手──《ホーク》。
マーダー・コード創設時からの古参で、ニクスが非正規ハンターだった頃、一度だけ共闘した相手だ。
渋々拳を引っ込めるオウルの横で、ブロンドのショートボブの少女──《ロビン》が肘をつき、くすりと笑う。
かつてマーダー・コードの口座をハッキングして金を盗もうとし、逆に捕まってスカウトされたハッカーで、情報収集では右に出る者はいない。
「なるほど、評判通りってわけね」
「危なかったね。うっかり壊してたら、弁償できなかったかも」
HALが皮肉っぽく言うと、端末を弄んでいたヴェノムは蛇のように細く笑った。
「ヤツは取り逃がした獲物を追ってる」
「獲物?」
ヴェノムが端末をスワイプすると、机上にホログラムが展開される。
義体化された男の顔──冷たいカメラアイに、全身に重武装を搭載した戦闘用義体。
行方を眩ましていた《解放の声》のNo.2だ。
すぐ隣には地図が浮かび、赤い光点が都市外れを移動していた。
それは大型輸送車両の軌跡だった。
「雑魚なら放っておくんだが、今回は少し厄介なことになっててな」
指先で机をトントンと叩き、ヴェノムは目元に笑みを刻む。
「条件は簡単だ──そいつの首を俺のところに持ってこい。どっちが早いか、試させてもらう」
ヴェノムの挑発するような視線には、意図が隠されてもいなかった。
ニクスは無言でホログラムを見つめた。
視界の端にHUDが浮かび、別の情報が重なるように表示される。
〈HUD:C級ハンター──目標に接近中〉
赤い点滅の傍に、カイトの識別タグが表示された。
彼女が手に入れた記憶が、自分の過去に繋がるのなら──。
この機会を逃すわけにはいかない。
「いいわ。──持ってくればいいんでしょう」
ニクスは短く息を吐くと、ヴェノムは満足げに頷いて低く笑った。
ホークは無言で頷き、ロビンは意味ありげに笑みを浮かべ、オウルはまだ不満げに腕を組んでいる。
HALは小さく笑い、肩の高さから囁く。
「競争だね。勝った方が全部かっさらうってわけ」
ニクスは彼女たちの視線を無視し、静かに踵を返した。
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シーン4-1:舞台設定・状況の提示
都市外縁部。
廃工場と積み上がった貨物コンテナが立ち並ぶ産業地帯を、巨大な車列が疾走していた。
それは都市間物流に使われる大型自動運転輸送車両《ラインホール・キャリア》。
先頭の制御車両を中枢として、貨物車両や人員車両をモジュール式に自在に連結できるこの輸送システムは、都市間で大量の物資を低コストかつ高速で運ぶために開発された無人コンボイだ。
全車両が都市ネットワークに常時接続され、遠隔制御や自動隊列走行も可能。
積載量もモジュールの増減によって柔軟に調整でき、都市インフラの要として広く利用されている。
だが、その利便性は同時に大きな脆弱性でもあった。
完全無人であるがゆえに、制御系を奪われれば即座に敵の手に渡る。
さらにモジュール構造の汎用性は、奪取後の違法改造を容易にし、瞬く間に走る要塞へと変貌させることができる。
今まさに、その事例が目の前で起きていた。
極秘裏に開発された義体兵器の試作部品と研究データを積んだこの車列は、《解放の声》の残党に襲撃され、即席の装甲板と固定砲座で武装した移動要塞と化している。
先頭には制御車両、その後ろに貨物車両と人質を乗せた通常車両が連結され、路面を震わせながら進んでいた。
〈HUD:車両識別完了 輸送車両ナンバー確認 警告:違法改造多数〉
〈HUD:人質反応 6 敵性義体反応 1 他3〉
HALが解析結果を送ってくる。
「情報通り、占拠してるのは《解放の声》の残党だね。親玉はNo.2──戦闘用義体か」
「……また、あいつらか」
ニクスは低くつぶやき、車列を見据えた。
彼らは先日拘束された“救世主の器”の解放を要求し、市民を人質に取って逃走している。
さらに政府が秘匿する非人道的技術の象徴として、積荷を破壊しようとしていた。
後方から治安維持局の部隊が追跡しているが、攻撃すれば人質と積荷の両方を失う恐れがあった。
その車列の屋根上に、赤髪の少女の姿があった。
ワイヤーを射出し、疾走する車両の外殻に巻き付けながら、猛禽類のように軽やかに高速移動している。
HALが小さく口笛を吹く。
「ずいぶん早いね。僕らが遅かったわけじゃないはずだけど」
HUDには、先頭の制御車両から貨物車両、人質車両まで、すべてが危険領域としてマーキングされている。
「作戦開始。標的の場所は……先頭車両の上、か」
ニクスは短く息を吐き、視線を横に向けた。
産業地帯の片隅に、埃をかぶった作業用ホバーバイクが無造作に置かれている。
《ワーカー・フロート》。
港湾や工場で荷物や工具を運ぶために作られた短距離移動用の機体だ。
全長二メートルほどの小柄なフレームに、後部ラックとサイドフックが取り付けられ、通常は工具や部品を積んで現場を行き来するだけの代物。
反重力フロートと小型ファンで推進し、悪路でも安定して走行できるが、最高速度は時速八十キロ。
作業中はさらに速度制限がかかるため、のんびりした足回りしか持たない。
「……これ、動く?」
「ちょっと待って──」
HALが端末を介して制御系に侵入する。数秒後、機体のライトがぱっと点灯した。
「動くよ。出力制限も外したから、少しはマシな走りになるはず」
フロートが低く唸り、機体がふわりと浮き上がる。
作業用として設計された頼りない機体が、今はHALの制御で本来の想定を超えた速度を引き出されていた。
「壊れても知らないからね」
HALの軽口を無視し、ニクスは跨った。
《ワーカー・フロート》はふわりと浮き上がり、路面すれすれを滑るように加速していく。
轟音とともに車列に並走した瞬間、後方から追跡していた治安維持局のドローンがこちらに銃口を向けた。
警告音が鳴り、機銃のロックオン表示が視界に点滅する。
「このタイプ、制御信号が古いままだね」
HALは端末経由で素早く処理を走らせる。
「これは僕の得意分野だから、遠慮なく借りるよ」
短い電子音が混じり、数体のドローンが進路を外れた。
元は味方部隊の無人兵器を統合管理するために搭載された機能──今は都市のインフラに残る一部の旧式信号に干渉できる、HALの特技だった。
「はい、お掃除完了っと」
HALの軽口が響く中、ニクスは腰から小型のワイヤーランチャーを抜く。
狙いは最後尾の車両。
そこから目標の敵がいる先頭まで、車両の中を移動しながら制圧する方が得策だ。
「外すなよ。ニクスが落ちても、僕は平気なんだけどね」
呑気なHALの言葉に、ニクスは口元を引き結ぶ。
鋭い射出音とともにスパイクが装甲に突き刺さり、ワイヤーが勢いよく巻き取られる。
急加速で体が前方へ引き寄せられる感覚に、ニクスは一瞬だけ息を詰めた。
「……行くよ、HAL」
片足でホバーバイクを蹴り上げると、疾走する車両の上へと飛び移った。
【舞台設定資料:セクター・ナイン(俗称:クーロン)】
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■ 概要
公式名称:Sector-9(セクター・ナイン)
俗称:クーロン(九龍)
形態:戦後復興計画によって建設された巨大メガシティ兼物流拠点。
企業連合が都市政府を実質支配しており、義体・AI技術の開発と流通の中枢となっている。
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■ 歴史
旧世界大戦後、荒廃した沿岸都市跡地に建設された復興都市群の一つ。
当初は Sector-1〜Sector-12 の計画があったが、多くは頓挫し、実際に稼働しているのはSector-9のみ。
企業連合は「理想的な管理都市」として宣伝したが、今では格差と腐敗の象徴とされる。
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■ 都市構造
中央高層区画
政府機関や企業本社が立ち並ぶ摩天楼群。地上500m級の超高層ビルが林立し、巨大ホログラム広告が空を照らす。
中環産業区画
工場や倉庫、義体改造施設が集中する経済中枢。物流拠点《ラインホール・キャリア》の発着基地がある。
外縁スラム地帯
廃工場や廃ビルを改造した住居が密集し、無法地帯と化している。非正規ハンターや情報屋、反体制派が暗躍。住民は皮肉を込めて都市全体を「クーロン」と呼ぶ。
地下迷宮区画
旧軍施設やインフラ跡が複雑に入り組んだ広大な地下空間。違法研究や義体密造が行われ、「第二のクーロン」とも呼ばれている。
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■ 統治機構
都市政府は存在するが、実権は企業連合に握られている。
治安維持局は名目上の警察組織。装備や人員は企業から供給されるが、腐敗が深刻。
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■ 技術と社会
義体化の普及:富裕層は高性能義体or生身、貧困層は中古・違法品を使用。格差が露骨に現れる領域の一つ。
AIの浸透:都市運営や交通管理に不可欠だが、旧式AIは忌避され、HALのような存在は都市伝説として語られる。
物流の要:《ラインホール・キャリア》は都市間輸送の基盤であり、完全無人運用のため奪取リスクも高い。
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■ 文化と雰囲気
ネオンとホログラムが乱反射する華やかな景観の裏で、義体風俗店や違法市場、情報屋、傭兵集団が暗躍する。
表向きの理想都市と、腐敗した現実との落差が極端。
富裕層と貧困層の生活格差は圧倒的で、社会不安が常に燻っている。
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■ 名称の二重構造
Sector-9:政府・企業が公式に使用する無機質な番号管理型の名称。
クーロン:住民が皮肉を込めて呼ぶ俗称。外縁スラムの姿が旧香港の九龍城砦を連想させるため。
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■ 物語との関わり
企業支配と政府の形骸化 → 非正規ハンターの存在理由を生む土壌。
義体・AI技術の集中 → HALや義体兵器の歴史とも密接に関わる。