夏油を乗せたニャンコ先生は、空を駆け上がり田んぼ畑がよく見える古びた神社へと降り立った。ニャンコ先生の背中から降りて周囲を見渡す。
「ニャンコ先生、此処は?」
「此処は私が封印される前から川の氾濫が絶えぬ場所でな、そう言った所で崇められる呪霊は、期待出来る」
「なるほど」
夕暮れに差し掛かろうとする境内、静かな神社に流れる空気の悪さ。
己が領域を犯す愚者の排除の為、のそりと顔を覗かせる。此処の主は夏油達を歓迎する気は欠片もない。
「はてさて、斯様な時間に客人が
「ふっ、夏油。最初から当たりを引けるとは、持っているな」
「先生と同じ、知性のある呪霊!」
境内に姿を現したのは、蛇の様な白く長い胴体、赤い
悠々と空中を泳ぐのは、紛れも無く龍なのだが、本当に、どうしようも無い程、顔が魚。
「ですが昼間に出会った猿より弱そうですね」
話せる事には驚いたが、あの化け猿よりも圧を感じない。先生の話してくれた基準で言えば3級〜2級程度の呪力量しか無さそうだ。
「バカ者、惑わされるんじゃない。アレは確かに一級呪霊に相当する力を持っている。高度な呪力操作で実力を隠していると言った所か」
「!、先生の言っていた、強い呪霊は隠れ方も上手いってやつですか」
「はっはっは、儂は其方が評価して下さる程の存在ではなくての。こうやって田舎で信仰をされるのが関の山でしてな」
いやいや、先生を前にしてそんな余裕で居られる方がよっぽど凄い。本来の姿である先生を見て対処可能だから出て来た?。
そう考えるのが自然。油断してはならない。
「そうか、それなら、此方の軍門に下って貰おうか?。翁よ」
「困りましたな、今言った様に儂は田舎で神様モドキをやるので手一杯。どうか諦めて帰って下されば儂も其方も戦わずに済む」
「それで此方が引き下がると?」
「ま、そうですなぁ。でしたら儂より良さげな
逃げる素振りどころか、提案をしてくる始末。ニャンコ先生の実力が分かっていない?。
それなら先生も早々に勝負を付ける筈、今出来るのは先生の様子を見つつ援護に動く事だけ。
「くっふふ、その案を受けるより貴様を配下に加えて喋らせれば一石二鳥ではないか」
「そうですかな?。二兎追う者一兎をも得ず、とも言いましょう」
「打ち倒せる自信があると?」
「まさか。其れが無理な事は、貴方様を観れば誰でも分かりましょうぞ。ですが、逃げ切る事とは別」
呪力量だけで言えば儂と
「ふむ、余計に欲しくなった」
住処を捨てる判断力、夏油の呪霊操術で配下にすれば、かなりの収穫だ。コイツに他の呪霊の指揮をさせれば、取れる手段や連携も増えよう。今は数より質、何としても得る。
「では、致し方ありません。少年そこ揺れますぞ」
気怠そうに告げると夏油の身体に異変が起きた。内臓がひっくり返そうになる振動が体内で巻き起こり、崩れ落ちる。手足の震えが止まらず、力が入らない。
「(何をされた!?、突然肉体の内側を揺らされた??)」
「夏油!」
油断なんてしなかった。正面からは戦えずとも、後ろからサポートする位出来ると思っていた。
ニャンコ先生は夏油を護る様に前へ出る。チャンスと見た社の主は畳み掛ける。
「貴方方が立つ所は振動する」
地面を揺らされる、夏油は足を引っ張ているのを自覚し、何とか立ち上がろうとする。対してニャンコ先生は夏油に
「夏油、落ち着け問題無い」
「
ニャンコ先生が術式を発動する。額から青白い光が放たれた瞬間、揺れは忽然と消え、生気の無かった夏油の顔に血が通う。
社の主は驚愕する。無理もない、何故ならニャンコ先生や己といった負の感情の権化である呪いがそんな力を使える訳が無いのだから。
「結界術の応用だ、誰でも入れる様にする代わりに術式の威力を上げているのだろう」
「はい!、すいません。」
「驚いた。井の中の蛙である自覚はあったが、まさかこの様な呪いがあろうとは!」
「どうだ、下る気になったか?」
「正の呪力を操る呪霊。発想すらして居なかった」
ニャンコ先生の術式は正の呪力の生成と操作。負の呪力を中和し、更には肉体の回復等、その力は多岐に渡る。
ありえん、とするのは簡単。しかし、アレは間違いなく奴の呪力から発生したもの、最早手傷を負わせる事すら叶わない!。
「勝ち目が無いのは分かったろう?」
「ハッハ、ですな。ただ申し訳無いが儂は自由気ままに泳ぎたい、厄介事が目に見える其方に付く気は毛頭ない。」
とは言ったものの此れでは逃げ出す事も無理難題。どうしたものか………
ん?
社の主が視線を向けた先に、夏油と変わらぬ年頃の少女が居た。鳥居の影から此方の様子を見て驚き腰を抜かしている。
刹那に過ぎる、策とも言えぬ賭け。しかしやらずとも未来は知れている。ならば
「機運は儂にあった様だ」
判断する材料としては心許ないが、つべこべ言ってられん!!。
「少女の居る場は振動する!」
ニャンコ先生よりも早く、夏油が少女の存在に気付き駆け出す。
危険なのは承知の上、父は業火の中であろうと人々を助け出したと聞く。なら自分もそう在りたい、焦がれた人に顔向け出来なくなるのは願い下げだ!。
「間に合えぇぇぇ!!!」
少女を抱き上げ、振動攻撃を回避した。避けたのは良いものの勢い余って
少女を傷つけず、守り抜いた。
「君!、此処は危険だ。早く逃げろ!!」
「で、でも」
「良いから早く!!」
夏油は少女に語気を強く話し掛けるが、肝心の少女は腰を抜かして動けなくなっている。
其れを察した夏油は、少女を安全地帯に連れ出そうと抱き抱えたまま立ち上がった。
「夏油!、何をしている!?」
「先生、すいません!。この子を安全な場所に連れて行きます!」
「戯けた事を!!、捨て置けそんな者」
「!?、巫山戯ているのはどっちですか!、先生だって僕を助けてくれたじゃないですか!」
「それとこれとは話が別だ。冷静になれ」
平行線を辿る二人の会話、僅かながら意識が己から外れていると確信を得た社の主は、2本の髭を身体の1.5倍程まで伸ばして術式を付与する。
予想とは違うが概ね問題無い
「
生得術式を発動。身体を回転させながら2本の髭を振動させ、螺旋状に纏い、ニャンコ先生と夏油目掛けて、不規則な軌道で突っ込んで行く。
「「!!」」
反応が遅れたものの、向かって来る以上対処する。相手向き直る両者。だがその変則的な動きに翻弄され最適な動作を瞬時に出来無かった。
社の主はニャンコ先生と夏油の合間を縫うように通り抜ける。通り過ぎるタイミングで地面と接触し砂埃を上げ、夏油の視界を奪う。
「一波!」
ニャンコ先生が放つ。正の呪力を飛ばす攻撃も、髭を盾として使い凌ぎ切る。そのまま速度を高めて夕陽の向こうへ飛んでいく。
「くっ、まだ間に合う。夏油早く私の背に乗れ」
「先生それよりも先にお聞きしたい」
「馬鹿が、そんな悠長な事を言ってられるか!」
ニャンコ先生は聞く耳を持たず、夏油を急かす。
先生の考えが分からない訳では無い。あの呪霊は相当な戦力になる。しかし、弱者を簡単に見捨てる今の言動には、見過ごせない。
「何故、先程捨て置けと仰ったのですか?」
「だから「此れは大事な話です!!」
ニャンコ先生の言葉を遮り、夏油は言い放つ。彼の信念上、弱い誰かを見捨てて自分だけ得をすると言うやり方は許容出来ない事案。
その目を見たニャンコ先生も追い掛けるのを諦め、夏油の方を向く。
「夏油よ、言ったであろう。戦いまで時間は無いのだと、そこな小娘一人の犠牲なぞ安いものだ」
「弱者を犠牲にして得る物なんて有りはしません」
夏油の理想論に辟易する様にニャンコ先生も反論を出す。
「そんな綺麗事に意味は無い。呪術を扱う以上、その在り方では何時かお前は、お前の理想に縊り殺されるぞ」
「その綺麗事が出来なくなった人間に何の意味があると言うんです!。誰かを助け守ろうとする行いは尊い、何も万人を救うと言っているんじゃありません。呪いと言う災害から人々を助ける、其れが今の僕の目的です。」
青い、童特有の理想論。切り捨てるのは容易い。しかし、此処で夏油との関係に亀裂を入れるのは今後の為にも避けたい。
であるなら問わねばなるまい。
「その理想は私の知る限り、歴史に名を残した英傑達ですら難行。果たしてお前に成せるのか?、道半ばで惨たらしく死ぬかも知れんのだぞ?」
「構いません。理想を果たして死ぬのなら、今死んだって構わないです。」
これは
「分かった、今後はその様に動こう。しかし、何時も助けられるとは限らん、分かるな?」
「はい、分かっています。先生」
話は終わった。一先ず最初の一戦は敗北、この結果がどのような未来を齎すのか、其れはまだ誰にも分からない。
「あ、あの〜」
申し訳無そうに夏油に抱き抱えられた少女が言葉を掛ける。ハッと夏油も少女に意識を向けた。
「す、すまない。立てるかい?」
「はい、もう大丈夫です」
少女をゆっくり降ろして、夏油は髪に付いていた塵を払う。夕日の性か、少女の顔が赤くなって見える。
「あ、あの御免なさい。私の性で」
「良いんだ、僕の夢だし。何より君の綺麗な顔に傷がつかなくて良かったと思ってるから」
「あ、あの、えっと」
夏油は子供ながらに平然とクサいセリフ吐いた。命懸けで守ってくれた事実もあってか、少女の方も
ニャンコ先生は、此奴マジかと思いながら夏油を見る。
「あ〜、僕は傑。夏油傑です」
「わ私は、
深々と頭を下げる広野、夏油は顔を上げる様に促し、何故この場に居たのかを聞く。
「私、小さい時から変なものが見えて、それを両親に怖がられてしまって、でもお祖母ちゃんだけは受け入れてくれたんです。
最近お祖母ちゃんの居る此方に引っ越して来たんですけど、去年は見なかったアイツが神社に居て、どうしようって考えている時に強い気配を感じて此処に」
「なるほど、そう言う事情が、ですが感心しませんね。危険だと分かっていたんでしょう?」
「それは、、そう、ですね」
人は未知のものに恐怖を抱く。人間が現代まで繁栄する事の出来た重要な要素、しかしそれは違うを認めない事。自ら十人十色などの言葉を創っているにも関わらず、それを未だ克服する事が出来ずにいるのが現状だ。
この子は僕と同じ、見える側。近しい存在の両親に拒絶されても、お祖母ちゃんの為にあの呪霊に対抗しようとするのは、余程良き人なのだろう。
そう言えば、見える人は初めて会うっけ?
「でも尊敬します。誰かの為に立ち上がれる貴女は強い」
「いえ、そんな。結局、夏油君の足を引っ張ってしまいました」
「それは、ゆっくり覚えれば良い事です。僕も初めて出来た見える友達を失いたく有りませんし」
「へっ?」
「あ、嫌でしたか?」
夏油の問いに少女は力いっぱい首を振る。動揺しながらもハッキリと夏油に向かう。
「いいえ!、その、違くて、友達なんて初めて出来たから」
「そっか、じゃあ初めて記念にこの夏何処か遊びに行こう」
「ほんとう?」
「あぁ、さっきも言ったけれど僕も見える友達は初めてなんだ」
少年と少女は約束を交わし、別れる。広野の笑顔が夕日に映えて夏油も自然と笑みを返す。
「良いのか?、無茶な約束をして」
蚊帳の外に置かれて居たニャンコ先生は、少し不貞腐れて言葉を掛けて来る。
「楽しみがあった方が、人間頑張れるものですよ先生」
「そうか、叶うと良いな」
沈みゆく夕日の中で夏油とニャンコ先生の初日は終わる。これから訪れる艱難辛苦を想像し、覚悟を固める。約束を反故にしない為にも。
「さて、今日の所は戻るとするか夏油」
「えぇ、せんs…」
夏油は思い出す、祖父母の家を抜け出して来たことを、夏の日の出ている時間は長い、もう七時になろうとしている。
出てくる冷汗が止まらない、キレた爺ちゃんはマジに怖い。必死に言い訳を巡らせるも、打開策が浮かばずニャンコ先生に助けを求める。
「知るかアホ」
返ってきた答えは余りにも無情。これから味わう地獄に身悶えながら、帰路に着く。