ラルフ・アトラスの朝は一杯のコーヒーから始まる。
「……これは前の豆の方がいいか」
一口飲み、思わず顔をしかめた。ラルフにとってコーヒーは生きる糧であり、原動力だ。酒もそこそこイケる口ではあったが、コーヒーの方が断然好きで、こだわっている。だが、今朝の豆はどうやら外れだったらしい。
時刻は午前5時半。ラルフは椅子から立ち上がり、大きく伸びをすると、棚からスティックシュガーを取り出し、味も風味もあまり期待できなくなったコーヒーにぶちこんだ。疲労回復の為、甘くなったコーヒーをまた一口すする。
「流石に疲れているな……」
思わず口からそんな呟きが洩れる。ちなみにラルフが今いるのは自宅ではない。彼が今いるのは、インダストリアル・イリュージョン社。要するに泊まり込みである。
「……モンスターの特殊能力のテキスト化、魔法、罠カードのアイコンの表示…問題提起した箇所の解決案を出した書類は、全て仕上がったか…」
再び椅子に腰かけ、パソコンを操作し、書類をチェックする。これらの書類は全て、今までの決闘データを参考に作成されている。特に参考にしたのは昨日ラルフが激怒していた原因の一つである、決闘王国の決闘データ。もちろん彼の同僚達もデータをほとんど閲覧しており、様々な感想を述べていた。
「レベルの高い決闘だったな」
「あぁ、しかしまさか、ペガサス会長を破る決闘者が現れるとは……」
「武藤遊戯か。独創的な発想でピンチを切り抜ける力は本物だな」
「ペガサス会長を破った決闘のデータもぜひ観たいが……無理だろうな」
「会長も自分が負けた決闘はみせたくないだろう」
「ペガサス会長との決闘を観なくても、彼の凄さは充分に伝わるさ。彼は日本チャンプである、インセクター羽蛾を初戦で撃破している。あの決闘から学ぶことは多いな。事前に説明を受けていないにも関わらず、フィールドパワーソースのシステムを理解してみせたんだ。本物だよ」
「おいおい、あの決闘の一番の見所は『グレートモス』の撃破だろう?究極完全体に至る前に『進化の繭』の危険性を察知し、破壊に挑んだ。出てきた『グレートモス』の毒鱗粉は『魔霧雨』のカードで弱め『デーモンの召喚』の電撃攻撃へつなぐ。こっちまで痺れそうになったね!」
「それを言うなら……」
決闘内容について激論を交わす同僚達を見て、ラルフは思った。
お前達は楽観的すぎる、と。
武藤遊戯が使用した『デーモンの召喚』と『魔霧雨』のコンボ。なるほど、認めざるを得ない。実に見事な発想だ。だが、デーモンの雷撃を雨に濡らすことで強める、などという面倒な効果処理、つまりそうしたカードによるモンスターの状態の変化、それによるステータスの変動の結果は一体何が処理しているのだろうか?
言うまでもなく、コンピューターである。
決闘王国ではデュエルリングと呼ばれる、巨大なソリッドヴィジョン投影装置がその役目を担っていた。コンピューターがカード効果の処理を行うなら何の問題もない、と感じるだろう。だが、そもそも、デュエルモンスターズとは何か?
カードゲームである。
ラルフは恐れていた。トランプにはじまり、発展を続けてきたカードゲームの一つであるデュエルモンスターズが、コンピューターによる処理に頼らなければ、ろくにプレイもできないゲームになってしまうことに。
現状でも、デュエルモンスターズのルールと効果処理は、紙に纏めれば軽く辞書一冊分ほどの厚さになる。インダストリアル・イリュージョン社ではルールブックの更新を定期的に行っていたが、増え続けていくカードには対処しきれないだろう。そんな問題を一気に解消できるのが、携帯可能でどこででもデュエルを楽しめる決闘盤(デュエルディスク)なのだが……決闘盤を採用しても問題は解決しない、とラルフは結論づけていた。
そもそも決闘盤は、海馬コーポレーションに設置されているデュエルリングサーバーと呼ばれる装置と通信し、モンスターデータを呼び出す。その上でソリッドヴィジョンシステムがモンスターを実体化させ決闘を進行していく。
増え続けていくカードと現状の複雑怪奇な効果処理にいつかサーバーがもたない時が必ずくる。
やはり根本的解決方法は、ルールの整備しかないのだ。
「……今日の会議で他の案と一緒にこの提案もねじ込むべきだな」
長い思考から抜け出し、パソコンの画面を見つめる。マウスを操作し、ファイルを開いた。会社の上層部はもちろん、まだ開発チームの誰にも見せていない書類のデータだ。これを見せれば、ラルフの提案を承認するだけで終わるはずだった会議は荒れに荒れるだろう。だが、やるしかない。
「フッ……もっと忙しくなりそうだ」
そう呟き、来るべき戦いに向けて少しでも英気を養うべく、ラルフは仮眠室に向かった。
◇◆◇◆
「スペルスピードに関する説明は以上で終了です。何か質問は?」
インダストリアル・イリュージョン社ほどの企業になれば、会議室も広い。ざっと見て50人はいるであろう社員達、専務などの重役達、そして会長であるペガサスの前で、ラルフは新たなルールの解説をしていた。
「大体は理解したよ。ところで先ほどカードデザイン部門に提案した魔法、罠カードへのアイコンの追加もこれに関係してくるのかね?」
重役の一人の質問を受け、モニターを操作する。
「仰る通りです。『装備』『儀式』『フィールド』『永続』などのアイコンはあまり関係しませんが『速攻』『カウンター』などのアイコンは重要です。それぞれスペルスピード2、スペルスピード3に該当します」
ラルフがこの会議で提案した改善案は以下のようなものだ。
モンスターカードへの効果テキストの追加。それに伴うモンスターのテキスト外の特殊効果の廃止。
魔法、罠カードへの識別アイコンの追加。
スペルスピードとチェーンの概念の追加。
初期ライフを2000ポイントから4000ポイントとし、モンスターによるプレイヤーへの直接攻撃を有効とする。
全てこれからの決闘を変える、革新的なアイディアだったが、ラルフの分かりやすい説明とよくまとめられた資料のお蔭か、概ね好意的に受け入れられていた。
少なくとも、この時点では。
「素晴らしいプレゼンテーションでシタ。これらのアイディアは採用の方向で話を進めるとしまショウ。これで今日の会議は終了しマース」
会長であるペガサスが締めくくり、会議を終わろうとした時、
「お待ちください」
ラルフの声が会議室に響いた。
「どうしたのデース? 何か補則事項があるのデスカ?」
「申し訳ありません、ペガサス会長。まだ新ルールに関する提案は終わっていないのです。今から新しい書類を配布するので、眼を通して頂きたい」
ラルフの合図で会議室に参加していた全員に行き渡るように、書類が配られる。そして社員達は内容を読み始めたが……
「なんだこれは……」
「確かに新しいが……」
「今やる必要はないのではないか……?」
「とりあえず先程決めた新ルールを採用して……様子をみてからでも……」
にわかにざわつき始める会議室の人間。彼らを一瞥すると、ラルフは再びモニターの電源をオンにした。
「……私が新たに提案するルールは『生け贄召喚』です」
デュエルモンスターズのモンスターは基本的に攻撃力や守備力などのステータスに合わせて『レベル』が設定されている。ラルフは前々から強力なモンスターを扱うためには『コスト』が必要だと考えていた。このルールはレベルの高い強力なモンスターを召喚する際に『生け贄』を求める。レベル5から6ならばモンスター1体。7から8以上は2体だ。
「今のデュエルモンスターズのシステムでは攻撃力の高いモンスター、つまりレアカードをデッキにより多く投入した方が有利になる。ある程度は魔法、罠カードやカード同士のコンボで対応可能とはいえ、強力な力に代償がないのはやはりおかしい。この『生け贄召喚』というルールは必ず採用するべきだと考えます。」
チームリーダーであるラルフの突然の提案に開発チームの面々も最初は戸惑った顔をしていたが、説明を受けている内に納得したようだ。他の開発チームやカードデザイナー達も賛成の様で、拍手が鳴る。
しかし、ラルフの意見に賛成する社員達を厳しい視線で見詰める一団がいた。
インダストリアル・イリュージョン社の重役達である。
重役の1人が苦々しげに口を開いた。
「……ラルフ君」
「なんでしょうか?」
「君は今がどんな時期か理解しているのかね?」
「もちろん理解しています。決闘盤の採用に向けて、海馬コーポレーションとの提携を図っている大切な時期です」
「そこまで理解しているのならば、なぜ今こんなシステムを採用しようとしているのだ!? 君とて『青眼の白龍』を誰が所持しているのか、知らないわけがないだろう!?」
『青眼の白龍』
デュエルモンスターズにおいて、融合などの特殊な手順を必要とするモンスターを除けば、3000という最も高い攻撃力を持つモンスター。現在世界に3枚しかないこのカードは今、1人の人物が全て所有していた。
海馬コーポレーション社長。『海馬瀬人』
『カードの貴公子』の異名をとる彼は『青眼の白龍』を深く愛していることで知られている。最強のモンスターが最強の決闘者に操られる様は、全世界の決闘者達の羨望の的だ。そして海馬も『青眼の白龍』を使うことにプライドをもっている。
「いいか!? 我が社は1度海馬コーポレーションと対立し、吸収合併を試みた。だが、結果は失敗。互いに不信感を拭えない状態ではあるが、それでもデュエルモンスターズの発展の為、ようやく歩み寄ろうとしているところなのだぞ? 君は海馬コーポレーションとの取引を反故にしたいのか!?」
「君の言う『生け贄召喚』のルールを採用すれば『青眼の白龍』の弱体化は避けられない……Mr.海馬は我が社のルール改定をどう捉えるか。嫌がらせと思われても仕方がないぞ?」
重役達の非難の言葉を浴びてもラルフは揺らがなかった。
「しかし、今のルール改定に入れなければ、『バトルシティ』にも間に合わない……あなた方は海馬社長のご機嫌取りの為にゲームのルールをねじ曲げるのか?」
ラルフが正規の手段で『生け贄召喚』のアイディアを上にあげなかった理由がここにある。このアイディアはペガサスや他の社員の耳に届く前に、海馬コーポレーションとの提携事業に執心する重役達に握り潰される可能性があった。
故にペガサスや開発チームをはじめとした社員達がいる会議の場で、『生け贄召喚』のアイディアを叩きつけたのだ。
社員達の賛同を得られれば、このルールを採用に持っていける可能性が上がる。我ながら危険な賭けだとラルフは思った。だが、今のところはうまくいっている。あとは如何に重役達を丸め込むかだ。
未だに否定的な意見を言い続ける重役達に向き直り、口を開く。
「あなた方は何だ?」
唐突な質問に会議室は静まり返る。
「インダストリアル・イリュージョン社の社員ではないのか?
世界中の人々が待ち望んでいる、デュエルモンスターズというゲームのクリエイターではないのか?」
時期が悪いのも認めよう。
会社の取引を潰しかねない提案なのも認めよう。
だが、自分達の使命は何か?
「我々クリエイターの使命は世界中のプレイヤー達の為に、より楽しめるゲームを作ることだ」
ゲームの問題点を直す。
新しいカードを届ける。
常にゲームの進化と発展を求め続ける。
ラルフの信じるクリエイターとして姿勢だ。
そして何より、
「楽しめるゲームを作る為にはルールを整備し続けていかなければならない。スポーツで言うならば、バスケットボールですらルールを変えている。あなた方は1人の選手の為にルールを変えるのか? 変えないだろう?」
押し黙る重役達。我ながら青臭いパフォーマンスだとは思うが、今の言葉は全てラルフの本心だ。
「我々は立ち止まってはならない。プレイヤー達の一歩先、二歩先、いや……三歩先を行くゲームを作るべきだ!」
喋り終えたラルフを待っていたのは万雷の拍手。重役達から視線を外せば、共に戦う社員達……いや、仲間達が立ち上がり、手を叩いている。
スタンディング・オベーション。
ペガサスもその内の1人であることに気付き、ラルフは『勝った』と思った。
凄まじい音と共に、突然会議室の扉が開け放たれるまでは。
「ふぅん……面白い話をしているな」
そこには、1人の男が立っていた。白のコートに左手にはジェラルミンケース。突然の来訪者に驚いた、社員達の100以上の瞳に見つめられても小揺るぎもしない。むしろこちらに向かって悠々と歩いてくる。
「平社員にしては中々いい演説だったぞ」
彼はラルフの横を通りすぎ、真っ直ぐにペガサスが座っているデスクに向かう。
「久し振りだな。ペガサス……」
「ええ……久し振りですね……」
自分を射抜く強い意思の宿った瞳を、ペガサスも正面から見返した。
「……海馬ボーイ」
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