夜が明けようとしていた。太陽が上り、新たな1日の訪れを告げる。暗かった海面はキラキラと輝き出した。
「……きれい」
皮肉でもなんでもなく、フィーネは純粋にそう思った。
潮風が首元を吹きぬけていく。色の薄いブロンドの髪は、風に揺られながら、太陽の光で透けていた。
「フィーネ様、ボートの用意ができました」
「はい。今行きます」
部下に呼ばれ、桟橋に繋がれたボートに向かう。
ラルフを倒した後、ヴォルフから出された命令は、素っ気ないものだった。
童実野町からの撤収。
これは客観的に見ても判断としては正しい。グールズはバトルシティの大会期間中から、その夜まで、街中で暴れ回っていた。マリクの配下の決闘者は、ビルの爆破や誘拐事件まで起こしているのだ。犯罪組織にしては、些か派手に動き過ぎた。警察が手掛かりを掴み、潜伏場所を突き止めるのも時間の問題だろう。
フィーネはヴォルフの指示で、この童実野埠頭に移動し、仲間と合流。そのまま海に出て『アジト』に帰還する手筈になっている。
「出します」
「はい。お願いします」
フィーネが乗り込んだことを確認し、ボートは夜が明けたばかりの海へと滑り出た。
離れていく童実野町を見ながら、フィーネは未だにヴォルフの命令に疑問を抱いていた。
今回の計画には、想定以上の邪魔が入った。マリク達を囮に利用し、警察の目がそちらに集まっている間に決闘者を襲撃して『魔力(ヘカ)』を奪う。警察にはマリク派のメンバーだけに捕まってもらい、ヴォルフ派であるフィーネ達は童実野町から悠々と逃げ帰る。
そういう計画だったのにも関わらず、結果としてはヴォルフの部下の大部分は捕まってしまった。彼の右腕であるセレスでさえ敗北し、現状では救出も困難だ。
計画が予定通りに進まなかったことによる、メンバーの損失。だがそれよりもフィーネが気になっているのは……
奪った『魔力(ヘカ)』が足りない、ということだ。
『魔力』は現在、フィーネの身体を通して全身の機械に貯蔵されているので、その量が分かる。まるで、爆発物を抱え込んでいるかのような緊張感をもたらすほどの『魔力』だ。
しかし、まだ足りない。
この量でも、残りの2体の完全覚醒には至らない。襲撃した決闘者の人数を把握しているヴォルフも、それをよく分かっている筈だ。『三幻魔』の覚醒は、この計画の要。途中で放り出すことなど、考えられない。自分達のボスには何か考えがあるのではないかと、フィーネは勘繰っていた。
「……フィーネ様」
「……はい?」
物思いにふけっていた所を、部下の一声で現実に引き戻される。ボートを操舵している彼は、遠慮がちにフィーネの方に視線を泳がせながら、再び口を開いた。
「……ヴォルフ様は貴方が決闘で勝利したにも関わらず、とどめを刺さなかったことにお怒りです。何か『罰』があるかもしれません。アジトに戻る前に、謝罪をした方がよろしいと思います」
「その件については、既に報告を終えています。殺す前に警察が来たのです。退くしかないでしょう?」
嘘だ。あの時、周囲に警察はいなかった。薄々それに感づいているのか、部下の男は追求をやめない。
「ですが……フィーネ様のお力なら、モンスターの実体化も容易い。警官達ごと始末することも……」
「しつこいですね。そんなに私を人殺しにしたいんですか?」
随分とトゲのある声で言ったせいか、部下の男も流石に押し黙る。これ以上ここにいるのは、空気が重くて耐えられない。フィーネは席から立ち上がった。
「うしろの船室で休ませてもらいます」
「……どうぞ。狭いですが……?」
「構いません」
今乗っているボートには小型だが、簡素な船室がある。もっとも、船室と言うより、倉庫と言った方がいいレベルものだ。
フィーネは扉を開けた。少し埃が舞い、臭いが鼻につく。社会の不適合者ばかり集まっているグールズでは、自主的に掃除をする者などいないのだろう。
「……私も人のことは言えないか」
誰に言った訳でもなく、壁に向かって呟きながら、簡易ベッドに倒れ込む。やはり臭かったが、気にしてはいられない。全身に溜め込んだ『魔力』が重かった。
「……んっ……」
寝返りをうつと、スーツの上から装着している全身の機具が、ごつごつと当たって気持ち悪い。これでは安眠などできそうにないが、今はまだ外すことも脱ぐこともできない。2時間程度のクルーズだ。我慢するしかないだろう。
目蓋を閉じると、浮かんで来たのはやはり、ラルフとの決闘の光景。『ホルスの黒炎竜LV8』という見たこともないモンスター。魔法と罠を封じられ、久方ぶりに余裕のない決闘をした。
負けていたかもしれない。
「………やだ」
今更になって、そんな恐怖がまた襲ってくる。こんな想像はしたくない。
揺れる船内でいち早く眠りに落ちる為に、フィーネは頭の中をからっぽにした。
なにも考えずに横になっていると、疲労が自然と眠りに誘ってくれた。
◇◆◇◆
最悪だ、と私は思った。
『夢』というのは、頭のどこかでこれは現実でないと理解している。眠っている脳が見せるものだから、見たり聞いたり、経験したものしか映さない。自分だけの映画みたいなものだ。
「フィーネ、ほら、これ欲しがっていたでしょう」
「うそ、いいの? ありがとうお母さん!」
自分だけの映画のくせに、夢はいつも私がみたくないものばかり映す。そして途中で眼が醒めることはない。だから嫌いだ。
「お母さんよく分からないけど、大切にしてね?」
「うん!もちろん!」
お母さんから、はじめてデュエルモンスターズのカードをもらった日。私の14歳の誕生日。嬉しくて嬉しくて、私は飛び上がってしまいそうだった。今思い返してみても、当時はデュエルモンスターズの黎明期だったとはいえ、強いカードは全く入ってなかった。
『ヘルバウンド』
『なぞの手』
『コピック』
『屋根裏のもののけ』
なんでだろう。もう6年も前のことなのに、デッキに入っていたモンスターはよく覚えている。
本当に低級の、レベル1~3のモンスターカードの固まり。それが私の最初のデッキだった。
「フィーネはどれが好きなの?」
「う~ん。私はこの子かな?」
「もりんふぃん……? かわいいかなぁ?」
「かわいいよ! しかもこの子ね、このデッキの中だと1番強いんだよ!」
「へぇえ…そうなんだ」
お母さんが感心したように頷いている。本当に馬鹿みたいだ。この頃私のデッキで1番強かったカードは『モリンフェン』だったんだ。
でも、この頃は楽しかった。ドローの1枚1枚に一喜一憂して、決闘を心の底から楽しんでいた。
貧しい母子家庭だった私の家で、お母さんが用意してくれた40枚のカードは、何物にも代えがたい宝物だったから。
だからデッキに、カードに、モンスターに信頼と愛着をもっていた。
それがいけなかった。
――その日、私の幸せは簡単に崩れた。
「おい! いるのは分かっているんだ!」
「いつになったら、金を返せるんですかね?」
「……もういい。入るぞ」
私が住んでいたのは、賭博と風俗で成り立っている、ゴミの掃き溜めみたいな街だった。お母さんは死んでしまったお父さんの残した借金を返しながら、必死に働いていたけれど、とても女手ひとつで返し切れる量ではなかった。ぶくぶくと利子だけが増えていって、お父さんが生きていれば返せるはずだったお金は、とんでもない額になっていた。少しずつ返してはいたけれど、法外な利子の分をかろうじて返しているだけ。
とうとう、タイムリミットが来てしまった。
安普請の木の扉は簡単に蹴破られて、体に刺青の入った男達が部屋に押し入ってくる。お母さんは私を部屋の隅で抱き締めて、震えていた。私も、震えていた。
「すいません……許して下さい。必ず用意しますから……」
「悪いが、金の問題なのでな。もう待てない。」
白のジャケットを着た男は、私達を見下しながらそう言うと、他の男達に指示を出した。
「連れていけ」
お母さんが男達に腕を掴まれる。まだ幼かった私にも、その言葉がどういう意味なのかはよく分かった。
「待って!」
だから、私は声を上げずにはいられなかった。
「……なんだ。娘は見逃してやろうと思ったのに。そんなに働きたいのか?」
「やめてください! 娘は…娘だけはっ!」
「黙ってろ!」
「いやっ……」
お母さんが押し倒される。すごく悲しい顔をしていた。多分私も同じ顔をしていたはずだ。足も体も、恐怖で震えていて。
でも、この時の私は不安を必死で塗り潰して、リーダー格の男を睨んで言った。
「私と勝負して。デュエルモンスターズで」
「は…?」
男は呆気にとられていた。14歳の女の子に、勝負をふっかけられるなんて、思いもしなかったんだろう。
「と……賭博場にデュエルモンスターズのテーブルがあるでしょ? 私が勝ったら、お母さんを返して!」
「フィーネ!?」
「大丈夫。お母さんがくれたカードで、必ず助ける」
自信なんてなかった。私の決闘の相手は、同じ貧しい子供達。スラムに流れて来たカードを必死にかき集めて、強化したデッキ。
でも、やるしかないって思った。
「……ハッ……美しい親子愛だ。いいだろう。お前ら、この2人をうちの決闘テーブルに連れていけ」
「あッ……兄貴!? なにもこんな挑戦を受けることは……?」
「世間知らずのお嬢ちゃんに現実を教えてやるだけだ。いいからはやくしろ」
「はっ、はい!!」
この頃、ポーカーやスロットと一緒に私の街には賭け事として、デュエルモンスターズがあった。観客はどちらが勝つか賭けて、決闘を観戦する。決闘者もお互いに、チップやカードを賭けて戦う。罵詈雑言が飛び交う、最低で最悪な決闘だ。
本当に。
この時、やめておけばよかったのに。
ここから私の人生は、一気に狂い出す。
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「終わりだ。『メカ・ハンター』で『音女』を攻撃」
フィーネ LP500→0
逆転も、一進一退の攻防もなく、私はあっさりと負けた。ただ純粋に、カードパワーが足りなかった。強いカードに対して、弱いカードのコンボで挑むなんて無理だった。私には、満足にコンボを組めるカードすらなかったのだ。最初から、負けることは決まっていた。
「お前には賭けるものがない。その身体で払ってもらうしかないな」
観客達から嘲笑が沸く。誰も彼もが私に少しの同情と、そして侮蔑の視線を送っていた。助けてくれる人なんて、誰もいない。
信じたのに。デッキとカードを信じて戦ったのに。
モンスターは、信頼に応えてくれなかった。いや、最初からこんな非力なカード達に、私の信頼に応える力なんてなかったのかもしれない。
私に、奇跡はおこらなかった。
対戦相手の男が、下卑た笑みを浮かべながら、私に近寄ってくる。もう駄目だ。
ごめんなさい。お母さん。
「だめっ! 逃げてフィーネ!」
勝利に浮かれている男達から抜け出して、お母さんは私の対戦相手だった男に体当たりした。
―――いやだ。
観たくない。
もうこれ以上観たくない。
もうすぐあの『場面』だ。
「お母さんっ!」
「逃げなさい! あなただけでも!」
飛び交う怒号。面白がる観客達。私は、周囲より一段高い決闘テーブルから、混雑している観客達の中に紛れ込んで、必死に出口を目指した。
「逃げたぞ!?」
「はやくそいつを捕まえろ!」
「このクソ女! 引っ掻くんじゃねぇ!!」
走る。走る。走る。背が小さかった私は、足元を潜り抜けるようにして、ひたすら逃げる。
出口が見えた。もうすぐだ。お母さんが気になる。私は逃げ切ることができるかもしれない。でも、私が逃げたら……お母さんは?
「いい加減にしろよ! このクソ女がぁああ!」
一際大きな怒号が響いた。私は後ろを振り向こうとする。
―――だめ。
振り向いてはいけない。 振り向いたら、また、みてしまう。
「フィーネ……逃げ……て」
ナイフが刺さっていた。
お母さんの胸に。
赤い薔薇。血の花を咲かせていた。
鮮血も花弁のように飛び散って。
こちらを虚ろな眼で見ながら、手をこちらに伸ばしながら、倒れていく。
「……いや……お母さん」
私も前を見ずに走ったせいで、誰かにぶつかって倒れ込んだ。足が動かない。歯がガチガチ鳴って止まらない。涙が溢れ出る。
無理だ。もう走れない。
「馬鹿野郎! 商品に手を出すバカがいるかっ!」
「いいから、すぐに娘も捕まえろ!」
男達が、こちらに来る。もう駄目だ、と。私は全て諦めた。お母さんと一緒に死ねるなら、もうそれでいい。そう思っていた。
でも。
「あぁ……うっせぇな」
銃声が、響いた。
その音は、その場にいた全ての人間を一発で黙らせた。
この街では聞き慣れた音だったけれど、ものすごく近くから聞こえた銃声に、私も思わず身を固めてしまう。
「おい、ガキ……生きたいか?」
「え……?」
「あぁ……下らねぇ質問だったな。まだ生きてるんだ。死にたくないにきまってるよなぁ……」
固まったままでいると、いきなり誰かに抱えあげられた。体が宙に浮く。顔を上げると、鈍く光る銀髪が目の前にあった。
細身のまだ若い青年。全身黒づくめで、手には彼の髪の色と同じリボルバーの拳銃が握られている。
そこまで考えて、私はおかしなことに気がついた。
この人は右手に銃を持って、左手はポケットに突っ込んでいる。
じゃあ、私は『誰』に持ち上げられてるの?
「いい『素材』だ。コイツは貰ってくぜ」
銀髪の男がそう言った刹那、閃光が弾けた。
「くっ!」
「なっ……なんだ!?」
「何をしている! はやく追え!」
静寂から一転、再び怒号に包まれた賭博場から、転がるように外に出た。寂れた街並みが、猛スピードで背後に流れて行く。相変わらず、私の体は何かに掴まれて宙に浮いたままだった。
「まっ……待って!」
「あん?」
お母さんが。お母さんがまだ中にいる。この人に言えば、この人に頼めば、助けてくれるかもしれない。
「お母さんがまだ中にいるの! 引き返して助けて! お願いっ!」
「……なに勘違いしてやがる」
「え?」
彼は走りながら、私に向かってニヤリと笑いかけた。
「俺が欲しいのは、お前だけだ」
そこで、私の意識は途切れた。
この日。
私はお母さんと別れ、2度と会えなくなった。
そして私は、1人の男に助けられた。
その登場は、まるで正義のヒーロー。
だけど神様は、私に対してどこまでもイジワルで。
私の元にやって来たのは、正義のヒーローなんかじゃなくて。
実はどこまでも純粋な『悪人』だと気づかされるまでに、そんなに時間は掛からなかった。
この男は、いつも唐突に現れるんだ。
そして、自分勝手に、思い通りに、全部掻き乱していく。
◇◆◇◆
泥のような眠りから、意識が覚醒した。体が尋常じゃなく重い。頭も働かない。腕には点滴が刺され、消毒液の匂いがする。
「よう、起きたか」
「……ルース」
ラルフ・アトラスは、親友の顔を見て、ようやく状況を理解した。自分が病院にいることに。
自分が、負けたことに。
「ルース、俺は……」
「気にすんな。お前だけじゃない。ジョンもやられた。しかも……撃たれた」
「なっ……!?」
ルースの口から出た言葉は、あまりにも衝撃的なものだった。ラルフは弾かれたようにベッドから上体を起こし、ルースに詰め寄る。
「容態は!? 手術は!?」
「心配すんな。かなり危険な状態だったが、先生がいい腕だった。手術は成功したよ。ジョンの方には、サイトウがついてる」
「そう……か」
ほっと息を吐き、胸を撫で下ろした。ルースは複雑そうな顔で、ラルフを見詰めている。
「その……聞きにくいんだけどよ」
「……ああ。なんだ?」
「……何があった?」
その問いに、すぐに答えることはできない。ラルフ自身、まだ起きたばかりで、気持ちの整理がついていない。
なぜ、負けたのか。
単純な強さか、想いの差か。頭の中では様々な言葉が渦巻いても、口に出して言うことは難しかった。
「……ジョンもそうだが、『ホルス』を受け取ったお前が負けるなんて、俺は考えてもいなかった。負けたことを責めてるわけじゃない。本当に信じられねぇ……」
「……分かった。最初から話す。俺が負けたのは、お前も会ったことがある人間だ」
「……なに?」
少しずつ、少しずつ。『彼女』に関する情報を、なるべく客観的に語れる様に整理しながら、ラルフは話を始めた。
「お前は、海馬ランドで会った女性を覚えているか?」
--------------------
「……なるほどな。惹かれた女はグールズで、しかも今回の襲撃に絡んでいた。そして、手を抜いたわけでもなく……」
「ああ。実力で負けた。俺の完敗だった……」
ラルフはフィーネのことを、出会いから再会まで、嘘偽りなく伝えた。
ふと顔を上げて時計を見てみれば、長針が一回りしている。全て話すのに、かなりの時間を割いてしまったようだ。
「……惚れてたのか?」
そこに関してだけは、直接的な言い回しを避けていたが、ルースにはすぐ分かったらしい。これも、今さら嘘をついてもしょうがないだろう。
「……ああ。そうだな。惚れていた」
素直に自分の気持ちを口に出す。だが、その言葉は昔と違って過去形だった。
ラルフにとってフィーネはもう、惚れて『いる』存在ではない。惚れて『いた』存在だ。そう割り切らなければならない。彼女は敵で、グールズだったのだ。そうやって割り切らなければ、やっていられない。
「……なにが惚れて『いた』だ。未練たらたらじゃねぇか」
「なっ……誰が!?」
「顔みりゃ分かるんだよ。捨てられた子犬みたいな顔しやがって」
ルースの人を小馬鹿にした物言いは、ラルフを激昂させるには充分だった。
「……なんだと……もう1度言ってみろ!!」
点滴がついていない方の手で、ルースの襟元を締め上げる。意外にも、ルースは無抵抗だった。
「おう。何度でも言ってやるぜ。捨てられた子犬ちゃん?」
「ッ……貴様ぁ!!」
「そんな顔をするヤツを、俺は知らねぇ」
振り上げた拳は、ルースの顔に届く前に止まった。
「惚れた女はグールズで、説得する為に決闘をしたら負けました。まったくもって情けない話だぜ。ルール開発部のチームリーダー失格だよ。けどな……」
頭上から、冷やかな視線が突き刺さる。いつぶりだろうか。こんな目でルースから見られたのは。
「そんな全てを諦めた顔の、今のお前は、ラルフ・アトラスですらねぇよ」
腕から力が抜ける。その言葉は、ラルフの心臓に楔を打ち込んだ。
ルースの腕が上げられ、首もとを掴んでいた手が払いのけられる。
「俺が知っているラルフ・アトラスは、1度負けて諦めるような男じゃない。負けても食らいついて、這いつくばっても前に進む。それがラルフ・アトラスだ」
「俺は……」
ラルフの胸の内で、再び自問自答が始まる。
助けられるだろうか。
勝てるだろうか。
もう1度、彼女と戦って。あれだけ勝利に執着した、フィーネ・アリューシアという女を、救うことができるだろうか。
今のラルフには、断言できない。
口を開かないラルフに対して、ルースは苛立った様子で頭をかいた。ラルフの腕を掴み、ベッドから立たせる。
「……ほら、もう立てるだろ。行くぞ」
「……どこにだ?」
「見舞いに行くんだよ。もっとも、どっちかつーと事情聴取だけどな」
--------------------
その病室は、他の部屋とは明らかに様子が違っていた。扉の前には男が2人立ち、周囲に目を光らせている。私服だったが、雰囲気で警官だということが分かる。ルースとラルフが近づくと、軽く礼をしてくれた。
「じゃあ、悪いけど頼みます」
「直接の確保者があなただから、許可が下りました。それでも時間は1時間です。これは厳守でお願いします」
「はい。分かってますよ。」
軽く頷くルースに対して、まだ若い警官は眉をひそめた。
「……こちらの事情聴取で得た情報は、もちろんインダストリアル・イリュージョン社にも提示します。奴らのカード偽造や『決闘盤』の出所も、全力で捜査中です。今、直接彼に話を聞く必要があるのですか?」
「我々はクリエイターなので。ユーザーの声は聞く必要があるんですよ。それが悪人だとしてもね」
「……分かりました。許可下りている以上、止める権利は我々にはありません。入ってください」
警官達が扉を開いてくれた。迷いなく中に入るルースに、ラルフも続く。話の流れから察するに、この病室には確保したグールズの構成員がいるのだろう。だが、それを自分に会わせてどうするつもりなのか。ラルフには皆目検討もつかない。
「――ほう。これはこれは」
部屋にはベッドが1つだけ置いてあり、そこには白髪の男が寝ていた。寝ているといっても、ベッドは半分起こしてあり、深い青の瞳がこちらを捉えている。
「わざわざ見舞いとは、感心だな。ルース・フォックスター」
「そっちも元気そうでなによりだぜ。セレス」
「……しかし見舞いの品もなしか。やはりペガサスの犬は躾がなってないようだな」
「ああ、悪いな。コソドロのハイエナにお見舞いを持っていく習慣はねぇんだ。次からは気をつけるよ」
セレスと呼ばれた男と、ルースは一触即発。出会い頭に舌戦を繰り広げる。だが、セレスは自嘲気味に鼻を鳴らすと、視線をラルフに移した。
「貴様は?」
「……ラルフ・アトラス。お前達グールズの捕獲チームのリーダーだ」
「……貴様がリーダーか。しかし、無様なものだな。その様子では負けたのだろう?」
セレスは見下したように頭を傾けながら、無表情な顔で言う。白い長髪が肩から落ちて揺れた。
「俺に負けたお前がなに言ってやがる」
「全くもってその通りだな。ぐうの音も出んよ」
「無駄話をしに来たわけじゃない。俺はお前に話があって来たんだ」
「悪いが私は何も喋る気はない。他をあたってくれ」
そう言って布団を被ったセレスに向かって、ルースには1人の女の名前を口にした。
「……フィーネ・アリューシア」
「……なに?」
「知ってんだろ? 教えてくれよ。彼女のことについて」
「……成る程な。貴様らのリーダーはフィーネに負けたということか。納得した。私でも勝てるかどうか怪しい。だが、それを私に聞いてどうする?」
「うしろのコイツがフィーネちゃんにぞっこんでな。話を聞きたいそうだ」
ルースが親指をたてて、ラルフをさした。
「なっ……なにを言うルース!? 俺は……」
「いいからお前は黙ってろよ」
ルースの言葉にセレスは呆気にとられ、押し黙る。しかし珍しく無表情な顔を変化させると、声を洩らして笑った。
「ふ……くくっ……ラルフだったか? 貴様も女の趣味が悪いな。いや、ツイていないと言うべきか。よりによってあの女に好意を持つとはな」
「……どういう意味だ?」
「言葉通りの意味だ。私もあの女は嫌いでな…」
なんでもないように、セレスは口を動かす。フィーネの過去を洗いざらい語るのもいいが、セレスはまず単純に、一言で彼女のことを表現した。
「アレは、勝利に狂った人殺しだよ」
◇◆◇◆
フィーネが夢の中に囚われ、セレスがラルフ達に話を始めたのと同時刻。
アメリカ。インダストリアル・イリュージョン社、最上階会長室。
「ひどいものデスね…」
ペガサス・J・クロフォードは、報告書を見て顔を歪めた。それを持って来たアーサー・ハイトマンも同意を示して頷く。
「ジョンは負傷。ラルフも敗北して、今は病院です」
「ユーには辛い思いをさせてしまいましたネ……ジョンの手術が成功してホッとしていマース」
「……会社では甥も関係ありません。血縁でジョンを特別扱いする事は、彼自身が最も嫌っていました。お気になさらないでください」
「……ありがとう。アーサー」
バトルシティの安全な運営を託し、送り出した部下達。彼らが無事に戻らないことは、なによりペガサスの胸を痛める。大会が終了した今、とりあえず山は越えたというところだろう。
「……それにしても、ルースの報告にあった『三幻魔』 ユーはどう思いますか?」
「そもそも、カードの『複製』と『製造』では、必要とする技術が異なります。グールズがその技術を持っているとは考えづらい」
オリジナルのカードは、作ればいいというものではない。海馬コーポレーションの『デュエルリングサーバー』に登録し、ソリッドヴィジョンデータを設定して、はじめて『決闘盤』で使用できるようになる。カードの個別データを解析し『複製』している組織がグールズだ。故に彼らはレアカードを狩り、複製できるカードの種類を増やそうとする。
オリジナルのカードの『製造』など、不可能なはずだった。しかし、ルースの報告によってその存在は確認されてしまった。
「やはり……『三幻魔』には何か『闇のゲーム』の力が働いているとしか思えませんな」
「ルースをメンバーにいれたのは正解でした……決闘の強さだけでは解決できない問題デース」
「……今は『千年眼』がないからはっきりとは分からないでしょう。漠然とした質問になりますが、このカードからは『三幻神』に似たものを感じますか?」
「送られてきたデータだけでは、なんとも言えまセーン。やはり、直接みてみなければ……」
ペガサスは再び険しい顔で、溜め息を吐いた。
この時、会長室にはペガサスとアーサーの2人しかいなかった。『闇のゲーム』などという眉唾物の話をしているのだ。人払いもしてあった。
「おぉ…じゃあ苦労して来たかいがあったぜ」
だから『3人目』の声が響くことなど、ありえないはずだった。
「ワッツ!?」
「誰だ!?」
唐突に響いた声。混乱するペガサスとアーサー。そんな彼らを次に襲ったのは、圧倒的な破砕音。
「会長、伏せてください!」
「ノーッ!?」
会長室の全面窓ガラスが粉々に砕け散った。アーサーは、椅子に座っていたペガサスを押し倒し、床に伏せる。
「こ……これは」
地上から数十階の高さにあるこの部屋に。
その男は、外から悠々と足を踏み入れた。
「あぁ……あぶねぇ。殺したら洒落になんねぇからな……ここまで『跳んで』きたのが無駄になっちまう」
パキン、パキンとガラスを踏み砕きながら、男はペガサスとアーサーに近づいてくる。
「ユーはいったい……」
「はじめまして。ペガサス・J・クロフォード」
銀色に染まった頭髪が風でなびいている。男は慇懃に礼をした。
「俺はグールズのヴォルフ・グラント。『三幻魔』を創った男だ」
「『三幻魔』を……創った?」
目を見開くペガサスに、ヴォルフは目を細めて笑いかけた。
「テメェの部下のせいで計画はめちゃくちゃになっちまった……仕方ねぇよなぁ……予定変更だ」
パチン、とヴォルフが指を鳴らした。途端に周囲から風が止み、部屋が闇で覆われる。
「これは……」
「まさか……闇のゲームを…」
「あぁ……そのまさかだ。『魔力』も足りねぇし、一番手っ取り早いのはこの方法だと思ってな。もう面倒だからよ」
ヴォルフの腕に装着された『闇決闘盤』が展開する。唸りを上げて可変するそれは、まるで血に飢えた獣のようだった。
「キングを取りに来たぜ」