吹き抜ける風には、春から夏への移り変わりを感じさせる香り。見上げれば雲ひとつない青空が広がっていた。
そんな開放的な空模様とは真逆な、無機質なビルに男は足を踏み入れる。
「失礼、本日2時から面会を希望していた者です」
外観と同じく、近代的なデザインで整えられた受付カウンター。そこに座る受付嬢は軽く頷くと、慣れた様子で手元のPCを操作し始めた。
「お名前を伺ってもよろしいですか?」
「リッヒ・シュタイナー。これを見て頂ければ分かると思いますが……」
男は黒いアタッシュケースを広げ、受付嬢に中身を見せた。
「決闘者です」
――――――――――――――――――――
「お待たせした」
リッヒの雇い主である老人は、品のいい調度品と釣り合いが取れた、見ただけでいいものだと分かるスーツを身に付けていた。気品に満ちた独特な雰囲気は、人生経験の深さを感じさせる。
真っ白だが手入れの行き届いた髭を撫でながら、老人はリッヒを視線で値踏みしてきた。どうやら、審査は既に始まっているらしい。
「まず、君がここにいるということは儂の依頼を受けるつもりでいる、ということになるが、よろしいかな?」
「もちろんです。影丸殿」
「仰仰しい呼び方だな。痒くなる」
その老人、影丸はちらりと笑顔を見せた。無論、親しみなど微塵も感じられない事務的な笑みであったが。
「では、応接室ではなく儂の執務室に君を通したことから、依頼内容を察することはできるかね?」
「あまり表沙汰にしたくない依頼だと、思っております。だからこそ、私のような人間が呼ばれたのでは?」
「その通りだ」
上辺だけ取り繕ったような会話に、リッヒは苛立ちを覚えた。すぐに本題に入ればいいものを、いつまで焦らす気なのか。
「老人の与太話と思うかもしれんがね。儂は人を判断するには見た目よりも何よりも、話してみるのが1番良いと考えている。が、話をすると言っても、その内容が難しい。単純な世間話では人の本質は見抜けんからな」
影丸はそこまで話すと、テーブルの上のグラスを指で弾いた。クリスタル独特の、余韻を感じる音が室内に響く。
「そこで君に質問なんだが……君は『グールズ』という組織をどう思うかね? 本音を聞かせて欲しい」
投げられた質問に、リッヒは眉を潜めた。
「グールズというと……『バトルシティ』を騒がせた、あの『グールズ』のことでしょうか?」
「他に何がある?」
空だったグラスに明らかに匂うアルコールを注ぎながら、影丸は馬鹿にしたように笑った。先ほどからこの老獪は、不快な笑みしか見せていない。
「……絶対に許せない存在、だと思います」
「ほう、理由は?」
「私のような賞金稼ぎの『決闘者』がこんなことを言うのは烏滸がましいかもしれません。ですが、奴らは『デュエルモンスターズ』というゲームを冒涜している」
慎重に言葉を選びながら、リッヒは言葉を紡ぐ。
「偽造カードの製造。その偽造カード制作の為のレアカード強奪。奴らには『決闘者』としての誇りは微塵もない」
徐々に語気は強く、荒々しくなっていく。
「誇りだけではありません。偽りのカードを使う彼らには、カードに対する『敬意』も圧倒的に欠けている。私は、彼らのような集団を軽蔑します」
言い切ったリッヒは水差しを取り、グラスに注いで一気に飲み干した。
「……なるほど。素晴らしい」
感服した様子で、影丸は手を叩いた。
「申し訳ありません。つい、熱くなってしまいました」
「構わんよ。しかし、儂は最初に言った筈だがな……」
手を叩く音が止まる。室内に沈黙という停滞が訪れる。皺が刻まれた顔の奥の双眸は、リッヒを真っ直ぐに射抜いていた。
「本音が聞きたい、と」
低く、心に揺さぶりを掛ける声。常人ならば重圧で冷や汗が吹き出そうだ。だが、年季の入ったその声に対しても、リッヒは揺らぐことなく答えた。
「質問に対する私の意見は、先ほど述べた通りです。少々聞き苦しかったかもしれませんが、影丸殿も素晴らしいと仰って下さったではありませんか?」
「ああ。確かに素晴らしいよ」
素直に称賛し、素直に感心している口調で、影丸は言った。
「その、本心とは真逆な人間の演技はな」
――馬鹿な。
リッヒは固まり、驚愕を隠しきれない顔で影丸を見た。
影丸は再び手を叩き、子供のようにくつくつと笑った。
ようやく、2人の男の本質が垣間見えた瞬間だった。
「ふふふふ……そうだな。まずは隠している『顔』も『名前』も晒し、改めてお互いに腹臓なく話し合おうじゃないか」
「……何を仰っているのか、意味が分かりません」
「だから、演技はもういいとさっきから言っておるだろうに。君も無理をするのは辛かろう?」
同意を求めて、老人は首を傾げる。
「そうだろう? 『リッヒ・シュタイナー』ではなく、『グールズ』の『セレス』くん?」
瞬間、リッヒは立ち上がるという手順を省略して、ソファーから飛び上がった。腕は影丸の痩せ細った首にまで伸び、掴んだ。
そのまま力を込めるなり、横に折るなりすれば、影丸の人としての生涯は終わりを迎えるだろう。
「で、どうするね?」
だが、目の前の老人は。
自分が生きるか死ぬか、という状況に立たされているにも関わらず、影丸は至って落ち着いた声で首を絞めている相手に問う。
「人払いはしてあるが、さすがに儂が死ねば無能な警備員がわんさか来るぞ。『リッヒ・シュタイナー』という隠れ簑の身分まで、警察に追われるお尋ね者になってしまう。それは君も困るだろう?」
「……いつから気付いていた?」
――ようやく剥がれたか。
影丸はリッヒを――いや、リッヒと名乗っていた『セレス』に向かって微笑みかけた。
「最初からだ。『決闘盤』を使わずに自力の『魔力(ヘカ)』だけで変装をしているのには、恐れ入ったよ」
「貴様のようなボケ老人が『魔力』に精通しているとはな。計算外だった」
影丸の首から手を離し、懐から1枚のカードを取り出すと、『リッヒ・シュタイナー』だった男の姿は歪み、変化した。
茶髪だった髪は白の長髪に。中肉中背だった背格好は、長身痩駆に。人の良さそうな顔は、ほほの痩けた面長の相貌に。
「おお、これはすごいな。大したものだ。まるで変身じゃないか」
「……見破った貴様が言うか」
セレスは不快気にソファーに腰を下ろすと『光学迷彩アーマー』のカードを机に放り投げた。
「そう投げ槍にならんでほしいな。若者はすぐに結論を急ぎ過ぎていかん」
「なら、はやく要件を言え。事と次第によっては、私は貴様を殺して逃亡する」
「儂は仕事を頼みたいだけだ。3年前、一網打尽にされた『グールズ』という組織の幹部の中で、唯一逃げ延びた君を高く評価している」
評価していると言った割には、やけに強調された『逃げ延びた』という言葉に、セレスは表情をより険しくした。
「童実野病院から逃げ出し、そのまま警察の封鎖線を突破して逃げられる男など、そういるものではない」
影丸の言葉は正しい。最も警戒が緩かった病院から逃げ出し、国外に逃亡した後、セレスは『リッヒ・シュタイナー』という別人として3年間を過ごした。そのお陰で、警察の追跡から逃れることができていたのだ。
無念を、屈辱を、復讐心を飲み込んで。
「だから儂は君を探した」
足を組み直し、影丸はセレスに投げ掛けた。
「『リッヒ・シュタイナー』ではない。『セレス・ゴドウィン』を探していた」
特大の、爆弾を。
ありえない。再び体が固まる。全身から汗が吹き出る。
それを知るのは、セレスが敬愛する1人の男だけだった筈なのに。
「……どこで、どうやって私の素性を調査した?」
「老人には色々とパイプがあるんだ。年の功でな」
久方ぶりによく喋った喉を琥珀色の液体で潤して、影丸は一息ついた。
虚を突かれ、隠していた『名』まで暴かれたセレスは、せめて会話の主導権を握ろうと自分から口を開いた。
「本気で……私を雇う気か?」
「……ああ。本気だとも。儂は嘘は吐かんよ。正直に言えば、興味があるんだ」
「何に?」
「君が敬う、『ヴォルフ・グラント』という男が創造した『三幻魔』に、だ」
2つ目の爆弾とも言えるワードを聞き、セレスの顔はひきつった。
ただの老人でも、引退したお飾りの会長でもない。言い知れぬ不気味さが、目の前の男にはあった。
「アレは今でもあの島に封じられている。封印を解くのは至難の技だ。しかも海馬社長はあの島に『学校』まで建設しようとしている。相変わらず馬鹿馬鹿しい発想を現実にしてくれるよ、あの坊主は」
「……それで、具体的に貴様は私に何をさせる気だ」
影丸は立ち上がり、自分の机から書類一式を取り出すと、セレスの前に置いた。
「これは儂の目的を成就する為の、極めて長期的な計画だ」
書類に記されているのは、多数の人物の名前。そして、多数のカードの名前。
カード名の1番上にリストアップされているのは、セレスもよく知る『三幻魔』
人物名の1番上にリストアップされているのは『アムナエル』という知らない名前だった。
「力あるカードと、力ある人物を集めて欲しい」
一見、単純な目的に思える。だが、影丸は肝心なことを話していなかった。
「何の為に?」
「儂の駒となり、儂の為に動く集団を作りたい」
「それだけか?」
「最終的な目的は……」
トン、と白く骨ばった指で、影丸は書類を突いた。
「『三幻魔』の入手だ」
本気か、この男は?
セレスは改めて目の前の老人に懐疑の視線を向けた。影丸はペガサスをはじめとしたゲーム業界の重鎮達とも親交が深いという。そんな男が『グールズ』の元幹部である自分を抱き込もうとしているのだ。
自暴自棄か。それとも本当にボケているのか。
「目的があるのなら、儂は過程を無視する人間だ。今までも、そうやって成り上がってきた自負がある」
影丸は語る。今までで、最も情感の籠った言葉だった。
「儂にはまだやりたい事がたくさんある。しかし、この体はもう老い過ぎた。もはや儂に回ってくる仕事は、新設される学校のお飾りの理事長位のものだ」
体は細く。肌は艶を失い。髪は白く染まっていても。
影丸の瞳だけは、爛々と光っていた。
「そこいらで時間を浪費している若者。目的もなく生を無駄にしている彼らが、儂は羨ましくて仕方がない。可能ならば首筋に噛み付き、生き血を啜って精力を吸い取ってやりたい、と思うほどにな?」
「……吸血鬼にでもなりたいのか?」
「事実、その人物表には吸血鬼もリストアップされているぞ?」
「何を馬鹿な……」
セレスは日が差している窓に目を向けた。この老人に光を当てれば、本当に溶けるのではないだろうか?
「だから儂は『力』が欲しい。『老い』などという下らん時間の流れに負けない『力』が欲しいのだ」
さて、と。影丸はセレスの肩に手を掛けた。
「身柄の安全は保証しよう。儂に、協力してくれるかね?」
「断る」
手を振り払い、流れるような動作でセレスは『決闘盤』を装着した。プレートを展開し、影丸の喉元に突き付ける。
武士の居合いのような洗練された早業に、影丸は感嘆の笑みを浮かべた。
「……なぜ断る?」
「老害の若返り計画にわざわざ付き合ってやる義理はない。単純な理屈だろう?」
「そう頭ごなしに決めつけるな。儂に協力することで、君にも直接的なメリットがあるぞ?」
「そんな物があるなら言ってみろ」
骨と皮だけの首に『決闘盤』がより強く食い込んだ。
「そうだな……『ヴォルフ・グラント』を生き返らせることが出来るかもしれない、と言ったらどうする?」
「……なにを馬鹿なことを!?」
激昂するセレスの様子を眺め、影丸は鼻を鳴らした。
「ふん、儂の願いはロクでもないと切り捨てた割には、良い反応だな。さすがの忠犬ぶりと言ったところか」
「……私を馬鹿にするのはいい。だが、ヴォルフ様への愚弄は許さん」
声に含まれる怒気が増す。それでも老人は、笑みを崩さない。
「弁えろよ、小僧」
笑みを崩す価値すらないとでも言うように。
「儂はこれから君を飼おうと言っておるのだ。その間は儂が君の主人だ。が、別に目的が済んだら君を縛り付けて置く気はない。元の主人にまた仕えれば良い。こうして聞けば、悪い話ではなかろう」
「……死者を生き返らせるなどと……本当にそんな世迷事が可能だと思っているのか?」
そら、食い付いた。影丸は、書類を指差した。
「儂は知らん。だが、あのリストにある『アムナエル』という男。その男ならば、出来るかもしれん」
「所詮は仮定か……」
「だがな、物事というのは全て仮定から始まるのだぞ?」
「老人は本当に講釈を垂れるのが好きなようだな?」
「ならばここで打ち止めにしよう。選びたまえ。儂をこのまま殺すか、儂の元に来るか?」
カチ、カチ、カチ、と。針が時を刻む音だけが部屋に満ちる。その針が2周して、ようやくセレスは動いた。
『決闘盤』を下ろし、起動状態を切る。そのまま外して、机の上へと置いた。
それはある意味、自ら丸腰になったという意思の表明だ。
「……従おう。私はこれより、影丸殿に忠誠を誓う」
冷たい声に、ぴくりとも動かなくなった表情。そこから察せられる心情を予測することは容易だったが、影丸はそんなものを慮る気はなかった。
「感謝するよ。『セレス・ゴドウィン』くん。君を得ることが出来て、心強い」
「ならば……影丸殿。味方に付くと表明したのだから、後ろに控えさせている部下の紹介くらいはしてくれても良いのではないか? それが筋だろう?」
ほう、と影丸は目を見開いた。
「気付いていたか。やはり君は優秀だな」
「『魔力』を使える部下がいなければ、私の変装が見破られる筈がない」
「それはそうだ。儂は何の力も持たない非力な老人だからな。君を見つけて依頼を送ったのも、君の変装を見破ったのも、全て彼女の力だ」
「……彼女?」
唐突に、締め切っていた扉が開く。
「お話は終わった? 影丸のじいちゃん」
艶やかな黒髪を後ろに流し、彼女は部屋に入ってきた。
今日はもうこれ以上、何も驚くことはないだろうと考えていたセレスにとって、彼女は最後の爆弾だった。
「……儂は勝手に入ってくるなと言った気がするが?」
「そんなこと言ってないよー。もうボケちゃったの?」
整った顔立ちに病的なまでに白い肌は、日本人形を連想させる。しかし、人形は老人を指差して表情豊かに笑うことはないだろう。
「……子供じゃないか」
「子供はひどいよ、お兄さん。これでも私は16歳のピチピチ女子高生なんだヨ?」
紺色のブレザーと、チェックのスカートを翻し。
ニコニコと笑う彼女は、セレスの目から見れば、どう考えても子供だった。
「……影丸殿の血縁か?」
「馬鹿を言うな。儂の孫ならば、もうちっと躾がなっている」
「ひっどいなぁ」
ぷく、と頬を膨らませて、彼女は抗議の意を示した。本当に数瞬で、表情がコロコロと入れ換わる。
「まぁ、いいや。これからは、私が協力させてもらうからよろしくね。『セレス・ゴドウィン』さん?」
「……お前は何者だ?」
信じられないことではあったが、セレスは彼女の身体から確かに『魔力』を感じ取っていた。それも、上質で莫大な量の『魔力』を。
探りを入れているにも関わらず、彼女はセレスにぐっと近づき、下から上目遣いで見上げてきた。
「きりゅうみずは」
「……なに?」
「私の名前。『鬼柳瑞葉』っていうの。よろしくネ!」
次の瞬間には、また花が咲くような笑顔。差し出された手はやはり白く、そして細かった。
棒きれのように非力な腕で、何ができるわけでもない。だが、セレスはその腕を取るのを躊躇った。
「どうしたの?」
心底不思議だと言いたげに、鬼柳瑞葉は首を傾げた。
「……味方にはなるが、私は馴れ合いをする気はない」
「むぅ……そんなワガママ言ったらダメだよ?」
セレスが本気で抵抗すれば、拒否することは出来た筈だ。だが、瑞葉が強引に手を掴む動きに、セレスは反応できなかった。
「うん。これで仲間だね!」
無理矢理繋がれた手は、想像よりも温かかった。なぜか、当たり前のことにほっとしている自分がいる。そんな些細なことすら気に入らなくて、セレスはすぐに手を振り払う。
素っ気ない態度に、瑞葉は再び頬を膨らませた。
「なーんか、お兄さんって気難しい人だね。友達少ないでしょ?」
「余計なお世話だ」
振り返ってみれば、影丸がセレスと瑞葉を目を細めて眺めている。からかいを多分に含んだ視線に、苛立ちが募った。
「挨拶は終わったか。ならば具体的な話に移ろう」
気に入らない主と、不気味な同僚だったが、早速不満を洩らすわけにもいかない。
全ては、敬愛する主の為に。
セレスの決意に揺らぎはなかった。死人を蘇らせる。そんな馬鹿げた奇跡に欠片ほどでも可能性があるのなら、自分は喜んで道化になろう。無様でも踊ってみせよう。
セレス・ゴドウィンという男の時間は3年前で止まっていた。だが、新たな主と新たな仲間を伴って。
時間は、再び動き出す。
間章は今回で終了。
マッスルじいちゃんと、新キャラに登場してもらって、準備も完了。
次回から、新章開始です。