ルール改定に駆けた男のロード   作:龍流

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47.「なぜだ」

 ――意識が戻った時、頭の中はなぜかすっきりとしていた。

 白い天井から視線をずらして、点滴が自分の腕に刺さっていることを確認する。ここが病院だということが、ようやく分かった。

 

「ぐっ……う」

 

 体は重かった。ベッドからなんとか上半身を起こして、深く息を吐く。

 記憶の齟齬は特にない。本名は――――。『グールズ』の『奇術師パンドラ』として、バトルシティに参加し、『武藤遊戯』に決闘を挑んだ。そして……

 

「負けた、か」

 

 シーツを間繰り上げて、両足を見た。当然、繋がっているし、自由に動かせる。しかし、それをわざわざ確認する自分がいた。

 

 ――ゲームで命を落とすなんて、絶対にダメだ!

 

「…………フ」

 

 口元から自嘲めいた笑みが漏れる。まさか、最後の最後に情けを掛けられるとは。

 顔に手を当てて、ふと気がついた。着けていた仮面が外れている。『奇術師パンドラ』のアイデンティティーとも言える仮面が、だ。病室を見渡しても、自分の衣服や持ち物などは見当たらない。醜い火傷を負っている素顔を晒し続けるのは苦痛だったが、諦めるしかないらしい。やれやれ、と嘆息して再びベッドに横になった。

 自分は決闘に負けたのだ。組織に戻っても『マリク・イシュタール』が失敗した人間を許すことはない。そもそもこの病室も、警察の監視下に置かれているのだろう。今さら逃げ出そうとしたところで、無駄なのは目に見えていた。

 こんなことならグールズなどに入るべきでは――

 

「……ア?」

 

 待て。

 何故自分は『グールズ』に入った?

 そもそもこの『火傷』はどこで負った? 何が原因だ?

 額に汗が浮かぶ。心臓の鼓動がはやくなる。体の嫌な感覚とは裏腹に、頭は正確に過去の出来事を思い出させてくれた。

 火傷は、マジックショーの途中で起きた、事故によるものだ。

 グールズに参加したのは……

 

「……カトリーヌ」

 

 そうだ。1人の女の愛を、取り戻す為だ。再び2人で、やり直す為だ。

 けれど、それはもう絶対に叶わない願いで。

 

「あ……あアぁあァあああああぁあああぁ!?」

 

 頭を掻きむしる。冴えている、むしろ冴え過ぎている頭を、壊したくなる。知りたくもない情報を流し込んでくる脳ミソを黙らせたくて、壁に何度も打ち付けた。

 

「目が覚めたのか!?」

「おい、ナースに連絡しろ! はやく!」

 

 スーツ姿の男達が部屋に押し入ってくる。腕を押さえられ、体はベッドの上に組伏せられた。

 

「離せッ! 離せぇ! 離せぇええぇえ!」

 

 こめかみから血が噴き出し、視界が赤く染まる。白いシーツに、点々と染みが浮かぶ。

 どうして、気づいてしまったのか。

 どうして、思い出してしまったのか。

 

「ぐっ……あぁああ!」

「大人しくしろ!」

「医者はまだか!?」

 

 男達の言葉は、全く耳に入ってこない。

 耳に響いてくるのは彼女の声だ。脳裏に浮かぶのは、彼女の笑顔だ。幻聴だろう。幻覚だろう。それでも、聞きたくない、見たくないそれらは、頭の裏側にこびりついていた。

 

「カト……リーヌ……」

 

 名前を呼んでも、彼女はここにはいない。自分は彼女の前で武藤遊戯を倒そうとしたが、そもそもカーテンの向こう側に彼女はいなかった。いる筈もない。

 彼女はもうとっくに、この世からいなくなっているのだから。

 

 

―――――――――――――――――――――――

 

 

 マリク・イシュタールが所持していた千年アイテムは『千年ロッド』

 これには強い洗脳効果があり、マリクは部下の多くを洗脳を用いて使役していた。若いマリクが元々は『ヴォルフ・グラント』のものだった『グールズ』という組織を掌握できたのは『千年ロッド』の力のお蔭であり、ヴォルフがマリクに表立って逆らわなかった理由も『千年ロッド』にある。また、洗脳だけでなく視界の共有や肉体の遠隔操作も可能な『千年ロッド』は他のアイテムに比べても、屈指の利便性を誇っていた。

 故にマリクは組織の拡大、拡張の為に『千年ロッド』の力をフル活用した。

 

 簡潔に言えば、パンドラも『千年ロッド』の被害者の1人だった。

 洗脳とは特定の行為を引き金として、文字通り相手の『脳』に強烈な刷り込みを行うことを指す。が、マリクがパンドラを仲間にする為に行ったのは、洗脳というよりも『記憶操作』に近い。

 そこにあるものを、ないものと認識させる。そこにないものを、あるものと認識させる。こういった錯覚を過去の記憶に、意図的に施せばどうなるか。

 例えば、死んだ筈の人間を、生きていると思い込ませれば。

 忠実な手駒が1人、すぐに出来上がる。

 マリクはパンドラにとって、最も大切な人物である『カトリーヌ』という女性の生死を、書き換えたのだ。

 

―――――――――――――――――――――――

 

 真実は、真逆と言ってもいいものだった。

 パンドラがマジックショーの事故に遭った後、彼のパートナーであるカトリーヌは必死に彼を看病していた。たった1度の失敗でマジシャンとしての信用、そしてエンターテイナーとしては致命的に傷付いた自分の顔に、パンドラは自暴自棄になっていたが、カトリーヌは彼の側を決して離れなかった。

 

「大丈夫? もう傷は痛まない?」

「…………うるさい。放っておいてくれ」

 

 1日たりとも間を空けずに病院に通う彼女に、パンドラは冷たく当たり続けていた。それこそ、愛想を尽かされてもおかしくない程に。

 

「お医者様の話だと、もうすぐ包帯が外れるそうよ。本当に良かったわ」

 

 言いながらカトリーヌはパンドラのベッドの端に腰掛け、彼の顔にそっと手を当てた。パンドラの顔にはまだ包帯が巻かれていて、完全に表情が隠れている。にも関わらず彼女は、愛しそうに顔を撫でた。

 

「気安く触るなぁ!」

 

 包帯の上からでも分かる彼女の指の感触に、言い様のない苛立ちが沸き上がる。顔と同じく包帯が巻かれた腕を振り回して、強引に彼女の手を振り払った。

 

「きゃっ……」

 

 カトリーヌはバランスを崩して、床に尻餅をついた。

 

「もう私に構わないでくれ! ショーは失敗した! スポンサーは離れた! 私も火傷を負ってもう人に見せられる顔ではない!」

 

 床に座り込んでいるカトリーヌに向かって、言葉を暴風のように叩きつける。

 

「悪いが、私のパートナーをしていても、もうショーで一銭にもならないぞ! 分かったら、私の前からとっとと失せろ! はやく消えろ!」

 

 自分で、自分の言葉に息を飲む。本当は、本当は違うのに。目の前の彼女に向ける言葉は、憎悪ではなく感謝であるべきなのに。

 最悪だ、とパンドラは顔を背けた。分かっていても、己の感情をコントロールできない。

 カトリーヌは、パンドラをじっと見詰めていた。見詰めるというよりは、睨んでいると言った方が正しいかもしれない。視線が険しい。

 

「……もうやめて。乱暴したり、大声を出したり」

 

 怒りを多分に含んだ声を出しながら、彼女は立ち上がってベッドに近づくと、

 

「せっかく治ってきたのに、傷に響いちゃうわ」

 

 にっこりと笑って、彼の体に毛布を掛け直した。

 

「…………どうして」

「え?」

「どうして君は、私から離れようとしないんだ……」

「どうしてって……」

 

 きょとん、と彼女は首を傾げて、

 

「あなたが好きだからに決まっているじゃない?」

 

 なんでもないように、言い切った。

 きっと、誰もが望んでいても、心からそう想えることは少ない。なのに彼女は、はっきりと言い切った。

 

「表面上は怒鳴って、手を振り上げて威圧していても、私にはお見通しなんだからね?」

 

 包帯の上から、カトリーヌはパンドラの手をそっと握る。

 

「人を遠ざけながらこんなに震えている人を、放っておけるわけないじゃない」

 

 震えを押さえるように、彼女は彼の手を包み込んでくれた。

 包帯を隔てていても分かる。とても優しくて、とてもほっとする。そんな温かさが感じられた。

 でも、だからこそ。

 

「……怖いんだ」

「こわい?」

「私はもう、昔の私じゃないんだ。マジックでも失敗した。私の全てだった、マジックで……」

「火傷をしても、包帯でぐるぐる巻きになっても、あなたがあなたであることは変わりはないわ」

 

 カトリーヌはパンドラの目を見ながら、優しく語り掛ける。けれど彼にとっては、その優しさが辛い。その慈悲が眩しい。

 

「……私はもう、舞台に立てないかもしれない。エンターテイナーとして、君の人生も台無しにしてしまう……」

「…………ねぇ、まだ気づかないの?」

「気づかない? なにを……」

 

 疑問の言葉は、最後まで口にすることはできなかった。

 包帯から僅かに露出した唇を、彼女の唇で塞がれてしまったからだ。

 突然の行動に思わず目を見開いたが、甘く蠱惑的な感覚は抗い難く、彼女をすぐに離す気にはなれなかった。

 たっぷり10秒の時間を経た後に、カトリーヌはようやくパンドラから離れた。

 

「……こういうのは、普通逆じゃないのか?」

「だって、あなたがあんまりにもニブいんだもの」

「……すまない」

 

 頬をうっすらと朱に染めて、彼女は再びパンドラの手を握った。

 

「諦めないで」

 

 カトリーヌの身体が、ぐっと密着する。下から覗き込むように見詰められる。青い瞳の中に、包帯にくるまれた自分の顔が写った。

 

「私はずっとあなたのパートナーよ。プライベートでも、ショーのステージでもね」

「カトリーヌ……」

「だから一緒に頑張って。あなたは世界一の奇術師なんだから。私ともう一度、絶対に舞台に立つの! 観客の拍手を浴びるの!」

 

 彼女の言葉は、とても力強くて、

 

「あなたを愛してる」

「……ああ。私もだよ」

 

 何も先のことが分からなくても、自分の傍らには彼女がいる。それだけで、十分に思えた。

 

 

 それから1週間後、顔の包帯が取れて、今の自分の素顔を晒した。肌は焼け爛れ、直視したくないほどの状態だったが、彼女は絶対に目を逸らさなかった。

 

 ――私は気にしないけど、さすがに小さい子は怖がっちゃうわよね。

 

 そうだ、と彼女は手を叩いて、また数日後に、

 

 ――見て見て! ステージ用の仮面を買ってきたの! これなら絶対怖がられないわ!

 

 嬉しそうに、薄緑と黒の縞模様の仮面を渡してくれた。

 悪趣味なのは相変わらずだなあ、と言って少し機嫌を損ねてしまったけれど。

 ありがとう、と言うとそっぽを向いていた彼女は振り向いてくれた。

 

 ――もう、まだ駄目よ……

 

 何が? と問うと、

 

 ――まだ泣くにははやいって言ってるの! 涙は復帰後最初の公演までお預けだからね!

 

 言われてはじめて、自分が泣いていることに気付いた。

 でも、彼女も目尻に涙を浮かべていた。

 

 それからあっという間に時間は過ぎて、とうとう退院の日が翌日にまで近づいてきた。

 

 ――ごめんね! どうしても外せない仕事が入っちゃったの!

 

 手を合わせる彼女に、気にしないでと手を振った。

 

 ――今日はなるべくはやく帰って、明日はたくさんお祝いしようね!

 

 次の日からマジックの練習だ、などと彼女は息巻いていた。

 

 ――じゃあね! いってきます!

 

 いってらっしゃい。

 ベッドの上から彼女に声を掛けて、病室から出ていく姿を見送って。

 

 この日が、カトリーヌと言葉を交わした最後の日になった。

 

 

◇◆◇◆

 

 

「交通事故でした……呆気ないものでしたよ。本当に」

 

 パンドラの声は悲しみを含んでいるというよりは、ただ冷めていた。

 だが、熱のない言葉の中にどれだけの感情が込められているのか、フィーネには想像もつかなかった。

 

「全てを思い出した私は、収監されていた刑務所から脱獄しました。彼女の生死を、この目で確かめる為です」

「この目で……?」

「どうして、とお思いですか? 簡単な話ですよ。マリクの洗脳によって彼女との思い出を忘れていた私には、もしかしたら思い出した記憶の方が間違っているのかもしれない、という淡い希望がありました」

 

 結論まで言う気はないのか、彼はおどけたように手を広げる。

 

「カトリーヌは確かにフランスにいました。もっとも……いたのは土の中でしたがね」

 

 平坦な声で、結果だけを述べた。

 奇術師は薄い笑みを浮かべながら、再び仮面をつける。火傷跡がある素顔を見た後だというのに、何故かフィーネには仮面を被っている彼の方が、得体の知れない存在に思えた。

 

「……私は彼女の墓石に触れました。とても冷たかった。そして、確かにそこには彼女の名前が刻まれていた……」

 

 最後は、絞り出すような声だった。

 

「なぜだっ!?」

 

 パンドラは絶叫する。仮面の奥で歪んでいる表情は見えなくても、目だけは異常に血走っていた。

 

「なぜ!? どうして!? 彼女が死ななければならなかった!? こんな結末を迎えるのならば、どうして私はあの事故の時に死ねなかったのだ!?」

 

 

 

 赤いタキシードに包まれた腕が、わなわなと震える。その震えに寄り添ってくれる人は、もういない。

 

「どうせ彼女が死ぬ運命だったというのなら、神の書いたシナリオで彼女の死は決まっていたのならば、どうして私はまだ生きている? グールズに身を落とし、武藤遊戯にも負けた! だが、私はまだ生きている!」

 

 その叫びに、その気迫に、フィーネは心の底から苦いものが沸き上がってくるのを感じた。

 きっと、彼は本気で思っているのだろう。

 あの時、死んでいればよかった、と。

 

「正気に戻ったあとに……こんな現実しかないというのなら、私は洗脳されたままでよかった! 彼女に捨てられた惨めな私でよかった! そんな情けない思い込みで、彼女が生きている世界を……そんな幸せな夢を見ることができれば、どれだけ幸せか!?」

「……だからといって、あなたはこんな薄汚いショーの舞台に立ち続けるのですか? そんなことを彼女が望むとでも?」

「分かったような口を聞くな! カトリーヌはもういない!」

 

 唾を撒き散らしながら、パンドラはフィーネの言葉を否定した。

 

「死者が口を聞くわけがないだろう! 人間は死んだら終わりだ! 私の行動も、生き様も、見守ってくれる唯一の存在は消えてしまった。カトリーヌはどこにもいない!」

 

 パンドラは思い返す。

 彼女の葬儀に参列した人々は、酷い火傷跡がある恋人のことを、1人の例外もなく気の毒そうに見ていた。

 不幸の連続に、挫けないで。

 彼女の分まで、生きてください。

 またあなたのマジックを見せて欲しい。

 誰も彼もが、パンドラに優しい言葉を掛けていった。どれもこれもが、薄っぺらく聞こえた。本人達が慈愛を込めているつもりの声は、彼にとっては不快な雑音でしかなかった。

 だが、なによりも許せなかったのは、

 

「今の私を見て、彼女が悲しむ? 彼女はそんなことを望まない? 馬鹿馬鹿しい! 最高に馬鹿馬鹿しいですね!」

 

 ――カトリーヌさんは、きっとあなたを見守ってくれていますよ。

 

「目が開かないのにどうやって見る? 喋らないのにどうやって悲しいという気持ちを伝える? 彼女の意識はとうに消えているのに、どうやって思考する!?」

 

 奇術師はその名の通り、人々を驚かせるマジックを観客に披露するのが仕事だ。

 あり得ない。不可能だと思えることを、平然とやってのける。だからこそ人々は奇術師やマジシャンのショーに心から牽かれ、沸く。それは小さな『奇跡』を見せるようなものだ。

 

「あり得ないことを、軽々しく口にするな。そんな台詞が吐けるのは、失ったものの大切さを想像できない人間だけだ!」

 

 だが、どんな『奇跡』を用いても、死んだ人間は生き返らない。

 そんな奇跡を起こせるのは人間ではなく、神だけなのだから。

 奇術師は息を整えると、肩の力を抜いた。先ほどまでの、よくも悪くも人間らしい雰囲気が霧散し、人を食ったような最初の口調が戻る。

 

「フフ……失礼。つい興奮して、大声を出してしまいました」

 

 固まっているフィーネに対して、パンドラは慇懃に頭を下げた。

 

「無駄話の幕間はこれにて終了……ショーを再開しましょう」

 

 ガコン、と何かのロックが外れる音がした。音の発生源を見て、フィーネは絶句する。振り子刃が自分の役割を思い出したかのように、ラルフに近づいていた。

 

 

「ラルフさん!」

「ぐっ……くそ!」

 

 いくらもがいても、ラルフは鎖から逃れることはできない。そのまま彼の体を切り裂くと思われた刃は、しかし途中で動きを止めた。

 

「貴女が予想以上に強かったのでね……こちらも使えるカードは全て切らせて頂きますよ」

 

 にんまりと口元を歪め、パンドラは手を叩いた。

 

「振り子刃の設定を、少々弄らせて貰いました。貴女の愛しの彼に向かっている刃は、私のライフが減るごとに彼の首元へと迫ります」

 

 フィーネは唇を噛み締めた。皆まで言われずとも、それが何を意味しているかは分かった。

 

「つまり……あなたのライフをゼロにしたら」

「貴女達にも永遠の別れが訪れるということですよ! アヒャハハハハハハ!」

 甲高い声で、パンドラは嘲笑を響かせる。聞いているだけで不快になるような、そんな笑い声。

 

「……私はターンエンドです」

 

 だがフィーネには、それがパンドラの本心からくるものには思えなかった。まるで無理矢理、心にも仮面を被せたような、そんな……

 

「私のターン、ドロー! ……このまま、ターンを終了しましょう」

 

 パンドラは動かない。いや、動けないと言った方が正しいのだろう。フィールドと手札、合わせてカードは2枚きり。しかも、その内の1枚はフィーネにも正体が割れている『ブラック・マジシャン』だ。

 

「さぁ、貴女のターンですよ?」

 

 そんなことは言われなくてもわかっている。フィーネはパンドラを睨み返した。フィールドには『開闢の使者』がいる。パンドラの場にモンスターはいない。ダイレクトアタックで、この決闘の幕を引くことができる。

 だが、

 

「私のターン、ドロー……ターンエンドです」

 

 今、彼女に取れる『手』はこれしかない。他の選択肢など、ない。

 

「フィーネ、俺に構うな!」

 

 ラルフが叫ぶ。彼の言うことでも、それだけは絶対に頷くわけにはいかなかった。

 

「……できません」

「フィーネ!」

「いやっ!」

 

 2度目の強要は、刺すような声で遮った。ラルフの顔は蒼白で、表情はフィーネが彼と対峙していた時を思い出すほどに険しい。状況の厳しさを、言葉無しに端的に物語っていた。

 

「くっ……」

 

 きっと、今の自分の表情も似たようなものなのだろう。フィーネは漠然と、そんなことを思った。

 

「アヒャハハハ! 楽しーい! サイコー! その焦った表情、とてもクセになる!」

 

 ここに来て、フィーネはパンドラの意図をようやく理解した。

 

「貴女が勝てば、彼が死ぬ。貴女が負ければ、貴女が死ぬ。ならば黙って、ターンエンドするしかない!」

 

 どちらに転んでも、どちらかが確実に死ぬ。つまりこの奇術師は、自分と同じ悲しみを押し付けようとしているのだ。

 

「私のターン! 速効魔法『手札断札』を発動! 手札を2枚墓地に送り、デッキから2枚ドローする!」

 

 引き入れたカードを一瞥し、パンドラは笑みを溢した。

 

「ウヒャハハハ! きた、来た、キター! 来ましたよ! 魔法カード『死者蘇生』を発動!」

 

 

 墓地には、既に『3枚目』が落ちている。

 軽やかに振り子刃の間を潜り抜けながら、パンドラは告げた。

 

「お待たせしました。私のエースの登場です! さぁ、出でよ!『ブラック・マジシャン』」

 

 武藤遊戯の代名詞とは異なる、真紅のローブ。だが、白銀の髪を揺らし、舞い降りる魔術師の名は全くの同一だ。そのモンスターは浅黒い指を立て、主と同じくフィーネを挑発した。

 

『ブラック・マジシャン』

闇/魔法使い族

ATK2500/2000

 

 

「しかし、ようやくお目見えしたのですが……残念ながらこの場では『ブラック・マジシャン』は力不足。そこで……」

 

 

 まるで鼻歌を口ずさむような気安さでパンドラが手に取ったカードは、フィーネにとっては想定外の1枚だった。

 

「取って置きをお見せしましょう。『光と闇の洗礼』を発動!」

 

『光と闇の洗礼』

速攻魔法

自分フィールド上の「ブラック・マジシャン」1体を生け贄に捧げて発動できる。 自分の手札・デッキ・墓地から「混沌の黒魔術師」1体を選んで特殊召喚する。

 

 儀式の名が洗礼であっても、『ブラック・マジシャン』がその身を預けるのは罪を洗う為の水ではない。光と闇によって織り込まれた混沌だ。闇の魔法使いである彼が光の力をも取り込むことで、魔力の輝きは暴走直前にまで達する。

 魔法使い族モンスターの中で、間違いなく『最強』と呼ばれる1枚。

 

「主演の御登場です……降臨せよ!『混沌の黒魔術師』」

 

『混沌の黒魔術師』

闇/魔法使い族

ATK2800/DEF2600

 

 奇しくも、かつて『武藤遊戯』が使用した2体の儀式モンスターのリメイクカードが、向き合う形となった。

 姿自体は『マジシャン・オブ・ブラックカオス』と酷似している。だが、中身は似て非なるものだ。杖からは常に魔力が迸り、ともすれば暴走で自身も巻き込まれかねない。その強さは、危うさの裏返しと言っていい。

 

「効果発動! このモンスターが召喚・特殊召喚に成功した時、墓地から魔法カード1枚を手札に加える」

 

 この能力こそが『混沌の黒魔術師』が最強たる所以。同じように墓地から魔法カードを回収する効果を持つ『魔法石の採掘』が2枚の手札コストを要求することからも、このカードの異常性が窺える。

 

「私は『強欲な壺』を手札に戻し、発動! 再び2枚ドロー!」

 

 魔法カードが罠カードと比べて優れているのは、発動の早さ。引き当てた瞬間、手札に加わればすぐに発動出来る魔法は、

 

「邪魔な『カオスソルジャー』には退場してもらいましょう! 『地砕き』を発動!」

 

 戦局をひっくり返すには充分過ぎる。

 

「意趣返しのつもりですか……」

「エンターテイナーは演出にも気を使わなければならいのでね」

 

 フィーネが使用した時は『マジックドレイン』で無効化された『地砕き』だったが、今度は除去カードとしての性能を遺憾なく発揮し、『カオスソルジャー』を墓地送りにした。

 これで、パンドラにとって最も大きな障害だったモンスターは消えた。

 

「お待ちかねのバトルフェイズですよ。いけ!『混沌の黒魔術師』よ。身の程知らずの破戒僧を蹴散らせ! 滅びの呪弾・カオスアルテマ!」

 

 白と黒が混じりあった呪撃は、カイクウを空間ごとかき消した。『混沌の黒魔術師』の攻撃は、敗者を墓地で眠らせることすら許さないのだ。

 

 

フィーネ LP1400→400

 

 そして、

 

「さぁさぁさぁ! 避けてください! 逃げてください! アヒャハハハハハ!」

 

 凶刃は容赦なくフィーネに襲い掛かる。

 

「ッ……ぐぅ!?」

 

 右から。左から。斜め後ろから。

 痛みを堪え、身体に鞭打って、波のように押し寄せる刃達をかわす。

 かすった傷などに、構っていられない。とにかく致命傷を避けることだけを考える。

 息が乱れる。汗が滴り落ちる。それでも、ライフが尽きる前に倒れることは、あってはならない。

 ラルフを助けるまでは、絶対に。

 

 ――あってはならない、ハズだったのに。

 

 不意に、視界がぐらついた。

 痛みではない。むしろもっと穏やかな、緩やかに手足から力が抜けるような。

 今まで自覚はなかった。いや、むしろ意識的に考えないようにしていたのか。

 この瞬間になってやっと、腕から流れているモノが袖を染め抜いていることに気が付いた。

 

 血が足りない。

 

「立てッ! フィーネ!」

 

 ラルフの声が、遠くに聞こえた。フィーネは言われてはじめて、自分が膝をついていることを認識した。

 ぐらつく視界の中で歪んだ刃は、目前に迫っている。

 

 もはや避けることは、不可能だった。

 

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