ルール改定に駆けた男のロード   作:龍流

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48.「一緒に来い」

 奇術師パンドラは奇跡を信じない。

 何故か? 自分が望んだ奇跡が、全て叶わなかったからだ。

 焼けただれた顔を元通りにすることは、医者に匙を投げられた。彼女の墓石にすがりついて涙を流しても、彼女は息を吹き返さなかった。

 運命なんてものは存在せず、もしあったとしてもそれは人々に平等にもたらされるわけではない。むしろ悪辣に、苦しむ人々を腹を抱えて笑って見ている脚本家がいるのではないか。そう邪推してしまうほどに、パンドラは自分の運命を悲観的に見ていた。

 だからこそ、なのだ。『武藤遊戯』という餌に釣られてノコノコやってきた決闘者を潰すことは、全てを失ったパンドラの生きる意味になっていた。足を鎖で縛り付けられて逃げることは敵わず、敗北が確定した彼らは、皆が皆絶望に満ちた顔をしていた。

 彼らの『命』の決定権は、自分にある。攻撃、とモンスターに指示を出し、ライフを0にした瞬間に、眼前で命は散る。

 

 最高だった。気持ちが良かった。弄ばれる側から、弄ぶ側に回ることは、これほどまでに快感なのか、と。パンドラはこの『舞台』に夢中になった。

 今回もそうなるはずだったのだ。過去を精算し、罪を償った気でいる目の前の女を、涙と悲鳴でぐちゃぐちゃにしてやるつもりでいた。彼女の大切な男も、ズタボロに壊してやるつもりでいた。

 なのに、

 

「なんだ……なんなんだっ!?」

 

 振り子刃は、フィーネ・アリューシアの身体を刺し貫けなかった。運動エネルギーを最大限に利用し、勢い良く彼女に向かっていた刃が、唐突に、僅かにその軌道を逸らしたからだ。

 

「はぁはぁ……」

 

 息は荒く、膝をついているフィーネも、目の前の事態を把握しきれていないようだった。つまり、刃を避けたのは彼女の力ではなく、何か別の要因が働いたからだ。

 なぜ?

 どうして?

 こんなにも都合よく。

 これではまるで……

 

「奇跡だとでも言う気か……」

 

 半ば放心状態で呟いたパンドラの言葉に、

 

 

『あー、あーあー。テステス。マイクのテスト中』

 

 

 律儀に答えるように、馬鹿みたいな声がスピーカーから降ってきた。

 

「なっ……!?」

 

 仮面の中の目を剥いて、パンドラは天井を見上げた。無線の類いはもちろん、この部屋の仕掛けの全てをパンドラはコントロール可能だ。これからフィナーレという時に『外部スピーカー』のスイッチをオンにした覚えはない。

 

『いやー、時間掛かっちゃって申し訳ないっす。掌握するのに手間取っちゃいました』

 

 男の声は軽薄だったが、言葉の中身は軽いものではなかった。

 はっとして、パンドラは周囲を見渡す。空気を切る不気味な音を絶え間なく舞台に届けていた振り子刃だったが、その振れ幅が少しずつ狭まっていく。軌道も変わり、絶対に人を傷つけない範囲まで、刃が遠ざかっていく。パンドラが懐に忍ばせたリモコンを操作しても、何の変化も起きなかった。

 

「貴様……貴様か! この私のショーに、無粋な横槍を入れたのはッ!?」

『あー、すいません。昔からよく言われるんすよ。空気読めないって』

「助かったぞ、サイトウ!」

 

 鎖に縛られたラルフが、歓喜の叫びを上げる。声の主は満更でもなさそうに、

 

『貸し1つっすよ。ラルフ先輩』

 

 と、返した。

 この部屋の仕掛けは『振り子刃』にしろ、体を縛る『鎖』にしろ、一見すれば原始的に見えるものばかりだが、その実態はハイテク技術の塊だ。電子的に統括されたシステムで稼働しているそれらが、コントロール不能に陥っている。それが示す事実は1つだけ。にわかには信じられなかったが、サイトウと呼ばれた男に部屋の仕掛けのコントロールを奪われたことは明白だった。

 

『もう諦めるんだな、奇術師パンドラ!』

 

 サイトウの声に、新しい声が割って入る。声変わり前の中学生のようなその声には、聞き覚えがあった。

 

「海馬……モクバ?」

『おー、よく分かったな。ご褒美に教えてやるよ。この地下決闘場はもう警察に通報させてもらった。お前らは、もう終わりだぜぃ』

「ふ、ふざけるな! この場所にどれだけの上客がついていると思っている! 警察に通報などできるわけが……」

 

 パンドラの反駁を、まだ若い副社長はスピーカー越しに鼻で笑った。

 

『そういう連中っていうのは、お前らよりよっぽど危険に敏感なんだ。楽しい娯楽を提供してくれる場所でも、潰れると気付いたら真っ先に逃げ出すんだよ。それに……』

 

 海馬モクバは、一端言葉を切り、

 

『ウチの兄様が、怒り狂ってるぜ』

 

 いかにも戦々恐々、といった風に告げた。

 

「海馬瀬人……?」

『耳の穴かっぽじって、よーく聞きな。兄様からの有難い伝言だ』

 

 ゴホン、とモクバは声音を変えて、

 

『俺に無駄な期待を抱かせ、あまつさえ『武藤遊戯』の名を陥れた罪、貴様の安い命で償えるとは思うな、だとさ』

 

 パンドラは歯を噛み締めた。秘密裏な調査から一転、一斉検挙に踏み切ったのは海馬瀬人の働き掛けがあってこそに違いない。あの男ならば、それくらいは平気でやるだろう。

 

「クソッ、クソッ、くそがっ!」

『まー、そういうわけなので、サクッとお縄について頂けると嬉しいっすね』

「黙れ! 私が……私がこんな下らない結末を迎えるわけがない!」

『残念ながら、あんたに綺麗なフィナーレは訪れないっすよ』

 

 まるで、その光景が見えているかのように、

 

「そこにいるコワイお姉さんが、決闘でもあんたをけちょんけちょんにしますからね」

 

 そして、声に応じるかのように。

 フィーネ・アリューシアは立ち上がった。

 

「くっ……まだ立ち上がる気力が……」

「……サイトウさん、遅いです」

 

 パンドラの言葉は丸っきり無視して、フィーネは天井のスピーカーに向かって語り掛けた。

 

『いやー申し訳ないっす。大丈夫っすか? モニターないから分からないっすけど、戦況厳しいんじゃないっすか?』

「問題ないです。あの悪趣味な仕掛けさえなければ……」

 

 フィーネの顔は蒼白で、腕はだらりとたれ下がり、立っているのもやっとの状態だったが、

 

「この変態奇術師を、存分に叩きのめせます」

 

 瞳だけは、光を失っておらず。むしろ、確かに輝いていた。

 その瞳の中に、意思という名の、強い光が。

 

『おお、頼もしいっす』

「……私達を拘束している鎖は、解除できないんですよね?」

『できるなら、最初にやってるっす。それだけはライフポイントにシステムが直結していて、解除不能でした』

「結局、やることは変わらないということですね」

 

 視線が、奇術師に向く。眼光が、彼を射抜く。

 それは今までで最も強い圧力を放っていたが、それでもパンドラは笑みを崩さなかった。

 

「ク、フフフ……馬鹿馬鹿しい。想定外の事態に多少驚きはしましたが、なんてことはない。貴女は私に勝つことなどできませんよ」

 

 言いながら、ちらりと手札を見る。

 『魔法の筒』

 モンスターの攻撃を、直接相手プレイヤーに反射する罠カード。今のパンドラのフィールドには、正真正銘の切り札である『混沌の黒魔術師』がいる。フィーネが『混沌の黒魔術師』を上回る攻撃力を持つモンスターを呼び出そうが、もしくは『混沌の黒魔術師』を排除して直接攻撃を仕掛けてこようが、結果は変わらない。

 残りライフ400の彼女は、攻撃した時点で終わりだ。

 

「私はリバースカードを1枚伏せ、ターンエンドです!」

 

 さぁ、来い。パンドラは心の中で舌舐めずりした。むしろはやく来い、動くなら動け、と。場と手札を合わせて、たった2枚のカードしか持たないフィーネを注視する。

 もちろんそれを顔には出さない。仮面の奥に感情を押し込め、パンドラは彼女を見詰めていた。

 だが、

 

「――楽しそうですね。そんなにいい罠カードなんですか?」

 

 さらり、と。

 デッキトップに手を添えた彼女は、冷ややかに言った。

 

「ア……?」

 

 汗が噴き出る。口の中が乾く。自分が優位であることに変わりはないのに、パンドラはたった一言で崖から突き落とされたような気分になった。

 

「どうしたんですか? そんなに口を開けて?」

「きっ……貴様……」

「ああ、図星だったんですね。大丈夫ですよ、顔には出ていませんでしたから」

 

 何の気なしにフィーネは言ったが、パンドラはピクリと反応した。

 この女……この女、まさか、

 

「この私に……『カマ』を掛けてッ……」

「…………」

 

 フィーネは何も言わない。カードをドローしながら、うっすらと笑うだけだ。

 奇術師が心理戦で化かされるなど、あってはならない。あってはならない筈なのに、それをやられた。

 それだけで、パンドラのプライドはズタズタにされた。

 

「私を……どこまでも馬鹿にして……」

 

 パンドラは呻いた。だが同時に、暗い敵意を剥き出しにする。

 

「貴女にはたった3枚のカードしかない! 私のフィールドには『混沌の黒魔術師』がいる! しかも貴女が看破した通り、このリバースカードは強力なカードだ。発動すればそれで終わり! 半分以上ある私のライフを、削り切れるものなら削ってみるがいい!」

 

 部屋の仕掛けのコントロールを奪われ、心理的にも追い詰められ、冷静さを失ったパンドラはこうして叫ぶことで、とりあえずの精神の安定を図った。

 自分は優位に立っている。この決闘は自分の優勢だ。だから絶対に、逆転などあり得ない、と。

 

「貴様は馬鹿か」

 

 痛烈な否定の言葉は、フィーネからではない。

 手足の自由を奪われ、この状況を見ているしかできなかった、ラルフ・アトラスからだった。

 

「馬鹿だとぉ……?」

 

 パンドラは首を回して、ラルフを睨み付ける。縛り上げられている道化にまでこけにされて、パンドラの感情はより沸騰する。

 

「そうだ。自分からタネを明かした奇術師を馬鹿と言わずして何と言う?」

「その生意気な口を閉じろっ! 結末は変わらない、この舞台の脚本を書き換えることは、私が許さない。貴方達は私の目の前で、引き裂かれるんですよ! フィーネ・アリューシアは無様に負けるのです!」

「それは有り得んな」

「有り得ない? 彼女が傷つく度に情けない声を上げておいて、今さら彼女の強さを信じるとでも?」

「それは貴様が、卑劣な仕掛けに頼っていたからだろう? 俺はフィーネが傷つくことを心配はしても、フィーネが貴様に決闘で負けることを心配などしていない」

 

 毅然とした態度で、ラルフは言い放つ。

 

「俺の女は、そんなに弱くない」

 

 眼光は鋭く、声には芯が通っていた。

 同じ目だ、とパンドラは思った。今、相対しているこの女と、全く同じ目。

 

「……そちらに注意を向けている場合ですか?」

 

 フィーネ・アリューシアは、そんなパンドラの反応を待たず、手札のカードを引き抜いた。

 

「墓地の魔法カード『地砕き』を除外。『マジック・ストライカー』を特殊召喚します」

 

 殺伐とした舞台には不似合いな、可愛らしい戦士が現れた。

 

『マジック・ストライカー』

地/戦士族

ATK600/DEF200

このカードは自分の墓地に存在する魔法カード1枚をゲームから除外し、手札から特殊召喚する事ができる。このカードは相手プレイヤーに直接攻撃する事ができる。このカードの戦闘によって発生する自分への戦闘ダメージは0になる。

 

 攻撃力は低いが、特殊召喚可能な点に加え直接攻撃能力も持つ、優秀な低レベルモンスター。だが、この場における役目はあくまでも『繋ぎ』だ。

 

「私は『マジック・ストライカー』を生け贄に……『邪帝ガイウス』を召喚!」

 

 一言で形容するならば、漆黒。黒のマントを翻し、闇の帝王は舞台に足を踏み下ろした。

 

『邪帝ガイウス』

闇/悪魔族

ATK2400/1200

 

 パンドラとて、知らないわけではない。『帝』モンスターには、生け贄召喚に成功した時に発揮する強力な効果が備わっている。だが、初見であるこのモンスターの効果を、パンドラは把握していなかった。

 もっとも、

 

「『邪帝ガイウス』の効果発動。『混沌の黒魔術師』をゲームから除外します。ダークネス・ディメンジョン!」

 

 知っていたところで、どうにかなるものでもなかったが。

 

「除外だと!?」

「さらに、除外したモンスターが『闇属性』だった場合、追加で1000ポイントのダメージを与えます」

「ダメージ効果までッ……」

 

パンドラ LP2400→1400

 

 半分以上残っていたライフがごっそりと削られる。これでフィーネが『サイクロン』でも持っていたならば、『ガイウス』の直接攻撃でパンドラは完全に詰みだった。しかしながら、パンドラは1つの『情報』を既に握っている。

 

「残念でしたねぇ……私は知っているんですよ。最初の『手札抹殺』の時に『サイクロン』が貴女の墓地に送られているのを!」

 

 フィーネは手札を使い切った。リバースカードは読まれているが、逆に言えばリバースカードを警戒する彼女は、パンドラにトドメの一撃を放つことができない。攻撃すれば即死である『魔法の筒』がある以上、別の魔法・罠除去カードを引き込むまで、攻撃はできない。その間にパンドラは、形勢を立て直せばいいだけだ。

 

 

「――――他のカードは?」

 

 

 唐突な問いだった。

 

「……ハイ?」

「私が墓地に送った『他のカード』は、確認したんですか?」

 

 なんだそれは?

 どういう意味だ?

 パンドラがそう口にするまで、待っているのももどかしかったのか、

 

「リバースカードオープン。『リビングデッドの呼び声』」

 

 彼女はあっさりと、解答を提示した。

 知らずの内に、意識から弾き飛ばされていた。決闘の序盤から伏せられていたそのカードを、パンドラは意味のない『ブラフ』だと誤認していた。

 

「モンスターの蘇生!? 『カオス・ソルジャー』か!?」

 

 今度は口に出してから、パンドラは自分自身でそれは違うと思い至った。

 『カオス・ソルジャー』は強力極まりないモンスターだが、この状況で呼び出してもただの高攻撃力モンスターに過ぎない。フィーネが『手札抹殺』で墓地に送った3枚は、パンドラが確認した『サイクロン』に、『カオス・ソルジャー』の素材となった『キラートマト』と……残り1枚。

 

「……決闘はモンスターの攻撃だけで、ライフを削るわけではありません」

 

 ポツリと、フィーネは呟いた。

 

「私が墓地より『プリーステス・オーム』を蘇生します!」

 

 容姿は端麗だが、黒の装束に身を包んだプリーステスは、どことない不吉さを纏っていた。

 そんな風にパンドラが抱いた印象は、確かに正しい。

 

「このモンスターは、自分フィールド上の『闇属性モンスター』を生け贄に捧げる度に、相手ライフに800のダメージを与えます」

 

『プリーステス・オーム』

闇/魔法使い族

ATK1700/DEF1600

自分フィールド上に表側表示で存在する闇属性モンスター1体を生け贄に捧げる事で、相手ライフに800ポイントダメージを与える。

 

 なぜなら、

 

「な……にぃ……!?」

 

 そのモンスターこそが、自分自身に敗北をもたらす1枚だったからだ。

 

「私のモンスターで、あなたに直接触れる気はありません」

 

 瞳に光が宿っていても、パンドラに向けられるそれはどこまでも冷ややかで。

 フィーネは静かに告げる。

 

「これで終わりです」

 

 意外にも。

 パンドラが考えていたのは、さっきまでのような……嫉妬や憎しみや怒りや憎しみといった、負の感情を含むものではなかった。

 敗北が確定したこの瞬間に思ったのは、ただ純粋に、

 

「どうして……『今』になって『リビングデッドの呼び声』を使ったんだ……」

 

 疑問だった。

 

「……さすがに、気づきましたか?」

「なぜ……何故だッ……どうして、どうしてもっとはやく『リビングデッドの呼び声』を使わなかった!?」

 

 『手札抹殺』を使用した時点で『プリーステス・オーム』は墓地に送られた。『リビングデッドの呼び声』は1ターン目から伏せられていた。決闘の流れを思い返せば、簡単に気付けることだ。

 

 パンドラは、既に負けていた。

 

 『カオス・ソルジャー』を召喚し、『カイクウ』と共にフィーネが攻撃を仕掛けたターン。パンドラの残りライフは2400ポイントだった。『リビングデッドの呼び声』で『プリーステス・オーム』を蘇生し、直接攻撃した後に自身を生け贄に捧げれば、ダメージは2500ポイント。パンドラのライフはゼロとなる。

 

 

「勝てていたにも関わらず……貴女はわざと? わざと私との決闘で、手を抜いたというのですか!?」

「私は決闘で手を抜くことは、絶対にしません。でも……私は『グールズ』を抜けた自分に、それ以上のルールを課しました」

 

 今はもう動きを止めた振り子刃を見ながら、フィーネは言う。

 

 

「私はもう2度と『決闘』で人を殺さない」

 

 

 絶対に。

 それだけは、守る。

 言外に漏れだしている、そんな決意まで聞こえてくるようだった。

 面と向かって、口に出されて言われて、パンドラはようやく気が付いた。

 フィーネ・アリューシアは、罪をなかったことになどしていない。未だに背負い続けているのだ。

 自分が何をしたのか。『決闘』を何に使ったのか。それを理解し、飲み込んだ上で、彼女はパンドラの前に立っている。

 

「……はは」

 

 ついさっきまで追い詰めていた女は、どこにもいない。確かに彼女を弄んでいた筈なのに、今度は自分が、彼女の手のひらの上で転がされている。

 いや違う。最初から転がされていたのは、パンドラの方だった。

 

「『プリーステス・オーム』の効果発動。『邪帝ガイウス』を生け贄に、800ポイントのダメージを与えます」

 

 呪詛が紡がれる。命と引き換えに『プリーステス・オーム』が作り出した力は躊躇も躊躇いもなく、主の命令通りに敵を討つ。

 

パンドラ LP1400→600

 

「…………さっさと、やってくれればよかったものを」

 

 奇術師の言葉がどういう意味か、フィーネに斟酌する気はなかった。パンドラがどのような思いを抱いていようと、過去に何を背負っていようと、今犯している罪に変わりはない。

 

「『プリーステス・オーム』の効果発動。自身を生け贄に捧げ、相手ライフに800ポイントのダメージを与える」

 

 幕開けは、衝撃と嘲笑と共に始まった。

 

パンドラ LP600→0

 

 拍手もなく、喝采もなく。舞台の幕は静かに降りた。

 

 

――――――――――――――――――――

 

 

「フィーネ!」

 

 決闘が終わった瞬間に、ラルフを縛り上げていた鎖は嘘のようにほどけた。体にまとわりつくそれらを振り払って、ラルフはフィーネの元へと駆け寄った。

 フィーネはラルフの姿を確認し、ほっとしたように息を吐いたが……身体はそのまま前のめりに倒れていく。

 

「おいっ!?」

「……さすがに疲れました」

 

 床に倒れ込む前に腕を差し込み、華奢な身体を支えた。乾いた血は赤黒く変色しており、服のあちこちにこびりついていた。

 

「……無茶をして」

「私は大丈夫です……それよりパンドラは?」

 

 ソリッドヴィジョンの演出――最後の効果ダメージによって起こった爆炎が晴れる。

 

「…………やられたな」

 

 そこにはもう、あの奇術師の姿はなかった。どんな手品を使ったのか、鎖は足を縛った形のまま、パンドラだけが姿を消していた。まるで透明人間になったかのように。

 

「結局……あの男は自分が危なくなったらいつでも逃げられた、というわけか」

 

「……そうでしょうか?」

 

 毒々しく吐き捨てたラルフの言葉を、フィーネは弱々しい声で否定した。

 

 

「パンドラは決闘を、残酷で非道な自分のショーの道具にしていました。でも、どうして『武藤遊戯』に成り済ましていたんでしょう?」

「自分を負かした『武藤遊戯』の顔に、泥を塗る為じゃないのか?」

「それも……あったのかもしれません。でも彼は、強い決闘者を望んでいたんだと思います」

 

 フィーネの言葉通り、パンドラは『武藤遊戯』という名前を餌に決闘者を釣っていた。だが、強い決闘者という言葉の意味がよく分からない。

 

「そもそも、彼は私と同じ条件で戦う必要はありません。プレイヤーに危害を加える仕掛けは、相手の場にだけ仕込んでおけばいいハズです」

「それは確かにそうだが……奴は逃げ出したぞ?」

「サイトウさんが言ってましたよね? どちらかのライフがゼロにならない限り、拘束は絶対に解除できないって」

「だとしたら……」

 

 ラルフに向かって、フィーネは頷いた。あの振り子刃の動きをパンドラは身体に染み込ませていたが、もしもあのままライフがゼロになっていれば、全てを避けきるのは不可能だったに違いない。

 

「『決闘』で勝利を納め、相手を傷つけることをパンドラは喜びにしていました。ある意味、昔の私に似ています」

「…………」

「でも、勝つことに喜びを感じるの同時に……彼は心のどこかで、負けたがっていた。そんな気がするんです」

 

 確証があったわけではない。それでもフィーネはパンドラに、命を投げ出しかねない『危うさ』のようなものを感じた。サイトウが仕掛けを解除しなければ、パンドラは脱出せずに身体を切り刻まれていた。何故か、そんな確信があった。

 

「それに……」

「それに?」

「彼が、彼女のことを想っていたのは……本当だと思うから」

「…………」

 

 ラルフは何も言わずに、フィーネを抱えあげた。

 

「俺だったら、容赦なくトドメを刺していたな。奴の体がバラバラになろうが知ったことか」

「……む。ちゃんと助けてあげたのに、ヤキモチですか?」

「バカを言え。そんなわけがあるか」

 

 ラルフの腕に身体を預けながら、フィーネは微笑んだ。これだけの傷を負っているのに、だ。こんな無茶をされるのは本当に心臓に悪い。とりあえず、今は病院で治療を受けさせることが最優先だが……

 処置が終わったら、まずは抱き締めてやろうと、ラルフは心に決めた。

 

 

◇◆◇◆

 

 

 足が重い。踏み出す度に水がとび跳ね、服に染みを作っていく。汚水を吸い込んだこのタキシードは、もう2度と使えないだろう。

 パンドラはふらつく足取りで、下水道を歩いていた。緊急時の脱出用に、地下施設と繋げておいた道だ。あくまでも繋げただけなので、歩行用に整備されているわけではない。足元を鼠が走り、あちこちから異臭が漂ってくる。普通の神経の人間なら、絶対に歩きたくない道だろう。

 

「はは……ふふふ」

 

 口から自然と、自嘲めいた笑いが漏れる。今の自分に、これほど似合う道もあるまい。

 決闘でも負け、意思の強さでも負け、挙げ句の果てには逃げ出すことしかできなかった。これから行く場所も、やることも、何も無いというのに。

 パンドラはタキシードの懐に、手を突っ込んだ。取り出したのは、小さなナイフだ。

 人が生きているということは、当たり前に見えるがとても尊いことだ。心の臓が動き、血液が全身に行き渡り、呼吸をして人間は生きている。けれどそんな生命活動は、首筋にナイフを突き立てるだけで停止する。こんなちっぽけな、ナイフだけで。

 

「……カトリーヌ」

 

 洗脳が解けてから、自殺を考えたことは何度もあった。それでも、罪を重ねながら生きてきたのはやはり、死ぬことが怖かったからだ。自分の手で、自分の命を断つことはどうしてもできなかった。

 死ぬとしたら、舞台の上で……誰かに殺されて死ねばいい。

 そんな甘えた考えで、結局パンドラは多くの決闘者を消してきた。

 もう、潮時なのかもしれない。

 

「今行くよ……カトリーヌ……」

 

 震える手で小さなナイフを握り締め、首に当てる。

 これで、終わりだ。目を閉じる。荒い呼吸を、必死で整える。仮面は着けたまま、いきたかった。

 さぁ、彼女に会いに行こう――――

 

 

「どこに行くつもりだ?」

 

 

 ――――また、邪魔をされた。

 暗闇の中で、パンドラは背後から近付いていた影に気づくことができなかった。

 ナイフは取り上げられ、下水が満ちている地面に押し倒される。

 

「貴様のようなクズが、死ねば恋人に会えると思っているのか?」

 

 影の正体を見極める為に顔を上げ、パンドラは言葉を失った。その男は、知っている顔だった。

 

「…………セレス」

「久しいな、奇術師パンドラ」

 

 暗闇の中で、白の長髪は不気味なほどに浮き上がっていた。

 

「私に……何の用ですか?」

「貴様に用はなかった。だが、折角だ。声だけは掛けておこうと思ってな」

 

 パンドラを見下ろしながら、セレスは淡々と語る。

 

「私達に協力しろ」

 

 簡潔な命令だった。

 

「……私には、もうやるべきことはありません。あなたは知らないかもしれませんが……」

「フィーネ・アリューシアに負けた、か?」

「……見ていたのですか?」

「安心しろ。あの裏切り者は私が始末する。貴様は貴様の目的の為に、私達に協力すればいい」

「何度も言わせるな……私にはもう目的など……」

 

 パンドラの言葉には耳を貸さず、セレスは口角を吊り上げる。

 

「あるさ」

 

 やけに確信に満ちた声で、言い切った。

 

「貴様が死んでも、その汚れきった魂では地獄に行くだけだ。ならば簡単な話だろう?」

 

 腕が伸びる。信じられないことに、セレスはこちらに手を差し伸べていた。

 

「想い人を、この世に呼び戻せばいい」

 

 暗闇の中で、セレスの表情ははっきりとは見えない。

 

「私の目的も同じだ。人を、生き返らせてみないか?」

 

 もしかしたら、嘲笑っているのかもしれない。自分を利用することしか考えていないのかもしれない。

 それでも。

 パンドラは彼女が死んだあの日から、この薄暗い地下の中でようやく――

 

 

「一緒に来い」

 

 

 ――生きる希望を見出だした。

 

 

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