ルール改定に駆けた男のロード   作:龍流

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49.「じゃあな」

 殺風景な部屋だった。白い壁はあちこちが汚れていて、黒い染みのようにこびりついている。床はコンクリートの打ちっぱなしで、雰囲気自体が寒々しい。家具は1つもなく、中央に椅子だけが置かれていた。

 ぐるりと部屋の中を見渡して、鬼柳瑞葉はため息を吐いた。悪党の『隠れ家』は寂れているのがお約束だが、これでは余りにもセンスがない。少なくとも綺麗に掃除はして、家具くらいは置きたいものだ。

 かといって自分から掃除をするような殊勝な心掛けを瑞葉が持っているはずもなく、彼女は興味深そうに、目の前のそれを眺めていた。椅子の上でがんじがらめに縛られているのは、正確に言えば人間である。ただ、ピクリとも動かないせいでまるで人形のように見えてしまうのだ。

 一般論に照らし合わせて言えば、これは『監禁』や『誘拐』というヤツだろう。

 

「…………むぅ」

 

 黒の長髪を片手で弄りながら、瑞葉は人形のような『彼女』の顔を覗き込んだ。ショートカットで切り揃えられた髪は赤く染められていて、自分とは正反対のようだ。瑞葉は自分の容姿が整っていることを自覚しているが、彼女も美人に入る部類だった。

 

「そろそろ起きる頃合いだと思ったが、まだ目が覚めないか」

「あ、セレスさん」

 

 扉を開けて入って来たのはセレス・ゴドウィン。その後ろには、今回の仕事で新たな仲間になった人物がいる。

 

「パンドラさんも来たんだ! 私、暇だったんだー。また手品見せてよ!」

「……ええ、構いませんよ」

 

 黒のタキシードに身を包んだパンドラは、指を鳴らす。ぽん、と次の瞬間には彼の手に一束の花が咲いていた。

 

「うんうん、いつ見てもすごいね! 後ろの仏頂面さんも、こういう芸を覚えた方がいいんじゃない?」

「私は奇術師志望ではない」

 

 セレスは表情をぴくりとも変えず、瑞葉を無視して拘束されている女を観察している。眉間には皺が寄っていた。

 

「でも良かったね、セレスさん」

「何がだ?」

「パンドラさんもこの人も、セレスさんの仲間だったんでしょ? 昔の仲間との再会……感動的だよね! ねぇ、パンドラさん?」

「ええ……まぁ」

 

 瑞葉は拳を握り締めて力説するが、パンドラは曖昧な笑みでそれを流した。どうにも反応が悪い。瑞葉としては不服だが……パンドラとしてはセレス・ゴドウィンが、こんな少女と『仕事』を共にしているのが、未だに信じられないのだ。少なくとも彼が『グールズ』にいた時は、手品をせがんでくるような少女は組織の中にいなかった。

 

「貴方も変わりましたね、セレス」

「口を慎め、パンドラ。私は雇い主にコイツのお守りを押し付けられているだけだ」

「お守りって言うなー!」

 

 うがー、と両手を振り上げる瑞葉の頭を押さえつけ、セレスは天井を仰いだ。

 

「ん……」

 

 瑞葉の騒がしさにセレスは苛立っていたが、どうやら悪いことばかりではないらしい。目の前の喧騒に晒されて眠りを妨げられたのか、椅子の上の彼女はゆっくりと瞼を持ち上げた。

 

「ん……んん!?」

 

 意識が覚醒しきっていないのか、瞳があちらこちらにキョロキョロと動く。周囲に何もないことを確認して、ようやく自分が知らない場所にいることを理解したらしい。

 黒の革バンドで完全に自由を封じられ、椅子の上で縛り上げられている自分の状態を。

 

「え……なにこれ」

 

 信じられない、といった風に彼女は呟いた。

 当然の反応だよね、と瑞葉は思う。目が覚めたら知らない場所で、体の自由まで奪われているのだ。誰だって驚くのは当たり前。これが安っぽい映画なら、次は「あんた達は何者?」とか「は、離して!」とか、そういった台詞が続くだろう。

 

 

「なんなのこれ……なんてセンスのない縛り方なの!?」

 

「……へ?」

 

 が、目の前の女は普通の役者ではないらしい。彼女の二言目は、完全に爆弾だった。斜め上を穿ったような台詞に、瑞葉は目が点になる。

 

「最悪だわ……私をこんなみっともない縛り方で拘束して、誘拐するなんて。全然センスがない。少なくとも、もっと雰囲気出す為に口枷とか拘束服とか目隠しとかあるでしょう!? やるならやるで、徹底的に、もっとそそる拘束をしなさいよ!」

 

 赤髪の彼女は一気にまくし立てるが、瑞葉には言っている意味が全く理解できない。一方の彼女は、ようやく自分の周りにいる人間が誰なのか分かったようだ。

 

「あ! セレスくんだったのね……私をこんなにしたのは!」

「セ、セレスくん……?」

「相変わらずだな、博士」

 

 セレスは頭痛でもするのか、頭に手を当てながら心底嫌そうに彼女を見た。

 当の本人は彼の反応を気にもせず、今度はぐるりとパンドラの方へ顔を向けた。

 

「ちょっとパンドラくん! どうなってんの? なんでセレスくんがここにいて、あなたはその隣にいるの?」

「……貴女は彼に誘拐されたんですよ。私は彼と手を組むことになったのです」

「えぇ? 私とあなたで運営してきた『地下決闘場』はどうなるのよ?」

「もう壊滅しましたよ。警察に踏み込まれましたから。セレスが連れ出してくれなければ、貴女も私も捕まっていたかもしれませんね」

「ま、マジか……あんなにイイ研究施設、滅多になかったのに……」

 

 ガタガタと身体を揺らしながら、彼女の舌からはするすると言葉が紡がれる。なんというか、見た目はクールだというのに、言動に品性が欠けていた。

 

「セレスさん……この人、なに?」

「言っただろう? 元『グールズ』のメンバーで、我々が使用していた設備や装備を開発していた女だ。非人道的な研究に関してはヴォルフ様も一目置いておられた」

「もうお分かりだと思いますが、あの『地下決闘場』を運営し、私を雇っていたのも彼女です。もっとも、彼女は自分の研究に適した環境があれば良かっただけのようですが……」

 

 複雑そうな表情、というのは本当は仮面のせいでよく分からないのだが、とにかく仮面の上からでも分かるくらいにパンドラの表情は歪んでいた。2人の言葉も、どこか刺々しい。

 

「あらあら、そんなに私を誉めても、何もでないわよ?」

「これが誉め言葉に聞こえるのか。昔と変わらず話が通じない女だ」

 

 さて、とセレスは瑞葉の方に向き直った。

 

「改めて紹介しよう。ミヨ・イザヨイ。天才であることには間違いないが、筋金入りの変態科学者だ」

「よろしくね? カワイイお嬢ちゃん」

 

 赤髪の女――十六夜美夜はウィンクすると、瑞葉をじっと見詰めてきた。彼女は動けないはずなのに、まるで全身をまさぐられているような、そんな感覚に陥る。

 

「あら……あらあらあら!」

 

 ゾクリ、と。瑞葉の背筋を冷たいモノが突き抜けた。

 

「ねぇ?」

「な……なに?」

「お名前は何て言うの?」

「き、鬼柳瑞葉……」

「瑞葉ちゃんね! 素敵なお名前。セレスくんもこんなに若いピチピチの女の子を侍らせるなんて、3年の間に少しは頭が柔らかくなったのね!」

「……死ね」

 

 低い声で呟いて、セレスは美夜の座っている椅子を蹴り倒した。凄まじい音と共に、美夜の身体も横倒しになる。

 

「ああもうっ! 我慢がきかないんだから! そうやってすぐ乱暴するのも変わらないのね!」

 

 椅子に縛りつけられている為、彼女も身体を床に強く打ちつけた筈だ。にも関わらず、頬は赤く染まっていて、口元も三角に歪んでいる。

 何故か、嬉しそうに。

 

「……うん。なんだか、すっごく個性的な人なのは、よく分かったよ」

「貴女がそう言うと如何に彼女が特殊なのか、こちらも再認識しますよ」

 

 げんなりとした口調の瑞葉に、パンドラは地味に皮肉を込めた返答をした。瑞葉とセレスがイギリスを訪れた目的は十六夜美夜の確保で、パンドラはあくまで『オマケ』ということになるが、本命がここまでの変人だとは予想していなかった。

 

「……オマケの方がいい買い物だった気がするよ」

「どういう意味ですか?」

「なんでもないヨー」

 

 美夜にはじめて会った人間の反応は見飽きているのだろう。瑞葉とパンドラには構わず、セレスは床に這いつくばっている彼女を見下ろして、凍えるような声で告げた。

 

「……貴様には、私達に協力して貰う。研究設備などは、こちらで整えてやる。もう行く所もない筈だ。悪い話ではないだろう?」

「それはとっても魅力的ね。……てゆうか、このアングルが魅力的だわ。ちょっとそのまま見下ろしながら、踏みつけて貰っていいかしら?」

「……バトルシティから3年経ったが、まだ『魔力(ヘカ)』の研究は続けているんだろう?」

 

 美夜の要望は無視して、セレスは言葉を続けた。美夜は不服そうな顔で、セレスを見上げる。

 

「もう……だぁから、昔から言ってるでしょ? 私の研究を『魔力』なんて古臭い言い方しないでくれない?」

 

 彼女はいたずらっぽい笑みを浮かべて、唇を尖らせた。

 

「私の研究するエネルギーには、ちゃんと『デュエルエナジー』っていう名前があるんだから」

 

 

◇◆◇◆ 

 

 

「傷は大丈夫か?」

「はい。とりあえずもう痛みはありません」

 

 ベッドの上のフィーネは、微笑んで頷いた。

 イギリスの『地下決闘場』の強制捜査から、2日が経過していた。あの場所を運営していた人間は、やはり殆どが『グールズ』に関わっていた者達だった。結果を見れば彼らを一網打尽にすることには成功したが、あの場所の『客』だった人間の詳しい情報は入手できず、逮捕できたのも一部だけだという。

 決闘界の『闇』は、どうやらまだ根深いらしい。

 

「パンドラの行方は掴めたんですか?」

「いや、パンドラともう1人。『地下決闘場』のオーナーのような役割だった女性幹部の行方が分からない。警察もお手上げだそうだ」

「女性幹部?」

「本名は分からないがな。心当たりがあるのか?」

「いえ……多分違うと思います」

 

 一瞬、フィーネの顔に影がさしたような気がしたが、ラルフは追求しなかった。彼女の身体には、入院着の上からも見える位に包帯が巻かれている。身体的に辛い時に、精神的に辛いことを聞いても何にもならない。

 

「……本当に痛みはないのか?」

「もう、意外と心配性ですね」

 

 口ではそう言いながらも、フィーネの口元は弛んでいる。これ食べたいな、とねだるようにラルフが買ってきたリンゴが差し出された。

 

「全身を切られた……って言うと、とても危険な感じですけど、結局明日には退院できる位の傷ですよ」

 

 フィーネが入院している病院の治療費は、海馬コーポレーションが持ってくれている。モクバはフィーネが負傷したことを、頭を下げてラルフに謝り、危険手当まで出すと言っていた。辞退する筋合いもないので、有り難く頂くと返答してある。

 それにしても、ラルフはフィーネの物言いが気に入らなかった。

 

「この程度の傷、みたいな言い方をするな。……痕が残るような傷はないのか?」

 

 問いながら、果物ナイフを手に取る。料理は得意ではないが、手先が不器用なわけではない。

 

「縫ったところはそうですね。もしかしたら痕になっちゃうかもしれません。腕とか足とか」

「…………あのクソ奇術師め」

 

 苛立ちが手元に移ったのか、せっかく繋がっていた皮が途中で途切れた。

 

「……やっぱり痕があるのは嫌ですよね。女の人は結婚する前に傷を作るなって言うし、キズモ……むっ!?」

 

 フィーネが最後まで言い切る前に、ラルフは剥きかけのリンゴを適当な大きさに切って、彼女の口に突っ込んだ。目を丸くしたフィーネは、それを咀嚼しながら抗議の目でラルフを見る。モグモグと口を懸命に動かして、白い喉がごくりと鳴った。

 

「……ふぅ。何でいきなり口に突っ込むんですか!?」

「馬鹿なことを言おうとしたからだ。お前の身体に傷があろうがなかろうが、俺はそんなことは気にしない」

 

 フィーネが何か言う前に、またリンゴを口に突っ込んだ。顔は赤くなっていて、皮を剥く前のリンゴみたいだな、とラルフは呑気に思った。

 

「だが、それでも好きな女が傷つくのは嫌だ。そもそも、男なら誰だってそうだろう」

 

 だから傷が大したことないなんて、もう言うなよ、と。ラルフは言い聞かせるように呟いた。フィーネは口の中にモノがあるせいで何も言わなかったが、頭はこくりと下に動いた。

 

「……ラルフさん」

「なんだ?」

「もういっこ、食べさせてください」

 

 既に声音が、甘えるものに変わっていた。ラルフは笑って、次のリンゴを手に取った。

 

 

「あまぁああぁあああいぃいわぁぁあああ!」

 

 

 病室に、空気の読めない馬鹿が飛び込んで来た。

 

「甘い! シュガースティック5本ぶち込んだコーヒー並みに甘い! つうかシュガースティック5本もぶち込んだらそれコーヒーじゃねぇし! もはやカフェ・オレだし!」

「言いたいことは分かるけど、何言ってるかわかんねーぞ、サイトウ」

 

 やれやれと頭を掻きながら、海馬モクバは病室に足を踏み入れた。隣に付き従っている花澤は、大きな花束を携えている。

 

「見舞いに来たぜ」

「モクバ副社長! ありがとうございます!」

「しかし、これはかえってお邪魔でしたかな?」

「そんなことはありませんよ、花澤さん」

 

 フィーネはモクバに、ラルフは花澤に応対しながら、礼を言う。後ろのもう1人は放置だ。

 

「なんで俺は無視なんすか!? はっ……えーえー、そうでしょうよ! ラルフ先輩みたいなリア充にとっては、俺みたいな男はゴミクズ以下の存在でしょうよ! 大体、病院の看病イベントは、普通は彼女が男の方に食べさせてあげるものっす! その立場を逆転させてこんなアマアマ空間を作り出すとか……醸し出すとか……うわぁああああああああ!?」

 

 サイトウの叫びは、誰にも届かない。花澤は我関せずといった様子で、黙々と花を花瓶に生けているし、モクバは両手で耳を塞いでいた。

 話があるんだ、とサイトウの声に掻き消されないようにボリュームを上げて、モクバは告げた。

 

「話?」

「ああ、ラルフ。フィーネが退院したら、俺と一緒に日本まで来てくれるか?」

「日本へ?」

「私もですか?」

 

 ラルフとフィーネは揃って首を傾げる。モクバの背後では、サイトウがやけに体格のいいナースに腕を掴まれて「ちょ……まっ……」などと言い訳しながら病室の外に連れ出されていた。病室で騒いでいたのだから、当然の報いである。

 

「こっちの手違いで色々と危険な目に合わせちまったし……もちろんラルフとフィーネにやって貰いたい仕事はあるんだけど、合間にちょっとした観光くらいなら出来ると思うんだ。けっこうオイシイ話だろ?」

「アトラスさんもお忙しい身でしょう。お二人でどこかに出掛ける機会もなかった筈です。ここは副社長のご厚意に甘えてみては如何ですか?」

 

 花澤も後押しするように言葉を重ねてくる。ちらりとフィーネの方を見ると、目が輝いていた。思えば、彼女はバトルシティ以来、日本の土を踏んでいない。何から何まで世話になりっ放しだが、たまには海馬コーポレーションに甘えるだけ甘えるのもいいかもしれない。

 

「分かりました。ぜひ行かせてください」

 

 そういえば、とラルフは窓の外を見た。

 日本には既にアイツが向かっていた筈だが、今頃は何をやっているのだろう?

 

 

◇◆◇◆

 

 

 ルース・フォックスターは絶句していた。絶句とは言葉を失うという意味であるが、文字通り驚愕で言葉が出てこない。目の前で湯気を立てている物体は、彼の想像を遥かに凌駕していた。

 そこには、一皿のカレーライスがあった。

 

 海馬からの命を受け、ラルフと同様の『アカデミア教員のスカウト』という仕事を請け負ったルースが訪れたのは日本、童実野町。海馬コーポレーションの本社があり、バトルシティの開催地にもなった、今や決闘者の聖地とも言える街だ。そんな街で今、ルースはカレーライスを食している。まるで仕事をしているようには見えないだろうが、サボっているわけでも、のんきに昼食を食べているわけでもない。

 

「なんだ……こりゃあ」

 

 ようやく。

 口から声を出したルースは、同時にほっと息をついた。スプーンを握る指先は、細かく震えている。

 

「……うめぇ」

 

 そう。このカレーライスは簡潔に言って美味だった。ルースはカレーライスが日本の国民食だということは知っていたし、サイトウが持ち込んでいたレトルト食品を食べたこともあった。しかし、それとは味の格が違う。否、

 

「レベルが違うと言うべきか……」

 

 再びそれを、口に運ぶ。

 熱々の白米に、熱々のカレールウ。口の中で合わせて頬張ると、得も言えぬ幸福感が身体を包む。

 米文化に縁遠いアメリカ人のルースでも、おいしいと感じる絶妙な炊き上がり。ルウの中のじゃがいもはホクホクで、かといってじゃがいもが煮崩れしているわけではなく、風味は少しも損ねていない。ルウの中にあるのは、スパイスの確かな香りだ。それに加えて炒められた玉葱の風味が、華を添えている。

 一口、もう一口と。食べる度に辛さで汗が噴き出る。水を飲んだ程度では、この深い辛さは収まりそうにない。だが、そんなルースの思いに応えるように、テーブルの上にそれは用意されていた。

 

 ――――福神漬けである。

 銀のトングを手に取り、茶色一色で彩りに関しては良いと言い難かったカレーの上に、赤い福神漬けを散りばめる。皿の上の風景は、まるで大地に深紅の花が芽吹いたようだ。

 次の一口を口に運ぶ。なんということだろう。ルースを迎えてくれたのは、シャキシャキとした新しい食感。同時に舌の上に広がるのは、辛さを和らげる甘酸っぱさだ。

 

「……俺の負けだ」

 

 一粒も残さずカレーライスを平らげ、ルースは静かに呻いた。世界に誇ると言われる、日本文化の深奥を垣間見た気がした。大衆向けの料理でこれだ。もっと格式の高い本格的な和食は、そのうち無形文化遺産にでも指定されるのではないだろうか。

 

「お、おいしかったですか?」

「ああ、うまかったぜ……じゃねぇ、おいしかったです」

 

 素の口調を慌てて直し、ルースは頷いた。気弱そうな声の主が今回のスカウト対象である。

 

「よ、よかったです……」

 

 ルースが座っているカウンター席。その奥の厨房で縮こまっている男は、名を樺山徹也という。外見から想像できないが、これでも童実野町で名の知れている決闘者らしい。調査報告書には『マスク』やら『カレー仮面』やら訳のわからない単語が並んでいたので、ルースは最後まで読んでいない。

 

「お腹も膨れたようですし……その、決闘をお願いできますか?」

 

 言いながら彼は厨房の棚から決闘盤とデッキを取り出した。なんだかカレーの匂いが染み付いていそうである。

 

「いや、決闘をする必要はありませんよ」

「な、なぜですか? 私などでは決闘をするのにも値しないと、デュエルアカデミアに勤めるのにはふさわしくないと、そう言いたいのですか!?」

「まさか。むしろ逆ですよ」

 

 ルースは紙ナプキンで口を拭きながら、席を立った。樺山を真正面から見詰める。

 

「このカレーを食べただけで分かりました。……マジで美味かった。ぜひ、デュエルアカデミアに来てください」

 

 握手を交わす為に、カウンターの向こう側へ手を伸ばす。樺山の目尻には、涙が浮かんでいた。

 

「あ、ありがとうございます!」

「こちらこそ。おいしいカレーをありがとうございました。これからも、よろしくお願いします」

 

 2人ががっちりと手を合わせると瞬間、店内に拍手が巻き起こった。

 ちなみに現在の時刻は12時半。ちょうどお昼の繁盛時だったりする。そんな中でこんな事をするのもどうかと思ったが……

 

「よかったなぁ、かばちゃん!」

「夢が叶ったじゃないか! 学校に勤めるっていう夢がよ!」

「かばちゃんはおとなしいからなぁ……生徒に忘れられないように気をつけろよ、なんてな! がはははは!」

 

 まぁ、店内の客は常連が多いらしいので大丈夫だろうと、ルースは勝手に納得した。

 採用決定の通知は、追って海馬コーポレーションから来ることを伝える。何度も頭を下げる樺山を尻目に、ルースはレジに向かった。愛想のいい店員に「650円です」と告げられ、財布の中から小銭を探る。うまいものも食えたし、スカウトも成功したし、実にいい仕事だった……とルースは幸福な気分で悦に浸っていた。

 

「のぁあああぁああ!? しまったぁあああ!?」

 

 唐突に、無遠慮に、店内に叫び声がこだまするまでは。

 

「あぁん?」

 

 思わず剣呑な声を出して振り返る。声の主は、ルースがさっきまでいた隣の席に座っていた。カレーが美味すぎたせいで、隣の席の人間など記憶にもない。

 

「じゅ……10円足りねぇ……」

 

 さっきとは正反対な弱々しい声と共に、男は机に突っ伏した。髪は金髪で、工事現場で働いているのか、作業服のようなツナギを上半身だけ脱いで腰の上で縛っている。シャツから伸びる腕は太く、いかにも肉体派といった感じの青年だった。

 

「ちくしょー! いつもの牛丼にせずに、たまにはカレーでもと色気を出したのが間違いだったぜ……」

 

 がっくりと項垂れて、彼はぼやいている。カレーを食べるのに色気を出すもクソもないだろ、とルースは思ったが、とにかく代金が足りないらしい。

 

「おい、兄ちゃん」

「お? おおぉ!? ア、アイキャンノットスピーク、イングリ……」

「バカ! 日本語で話し掛けてるだろ?」

 

 日本語が世界の標準語になりつつある最近の国際事情も忘れているのか、青年はやたらにあたふたしている。俺も日本だと『外人』なんだなぁ、と思いつつ、ルースは財布を開いた。

 

「ほらよ」

 

 パチン、と小気味よい音が響く。テーブルの上に置いたのは、1枚の10円玉だ。

 

「え?」

「金足りないんだろ? 使ってくれ」

「い、いいのか!? 助かったぜ!」

 

 青年は10円玉を掴むと、足早にレジに向かった。もしかしたら、昼の休憩がもうすぐ終わるのかもしれない。彼は会計を済ませると、ルースに向かってきっちりと頭を下げた。

 

「本当に助かった! この10円は必ず返すからよ!」

「いや、たかが10円だぜ? そんな……」

「わりぃ、今急いでるんだ! あんたはしばらく日本にいるのか?」

「あ、ああ。仕事で来ているからな」

「よっしゃ! これ、俺の連絡先だ! 来週の日曜か月曜に電話くれれば、10円返すついでにこの辺りを案内してやるよ」

「おい、ちょっとま……」

「じゃあな!」

 

 引き止める間もなく、青年は店から飛び出して行った。しばらく呆気に取られていたルースだったが、自分の分も支払いを済ませて店を出る。周囲を見回してみても、当然のように彼の姿はもう見えなかった。

 

「……なんかなぁ。どっかで見た顔だった気がするんだよなぁ……」

 

 首を傾げながら、汚い字で書かれたメモを手帳に挟む。彼と違って特に急ぐ理由もないルースは、ゆっくりと歩き出した。

 

 

 ――ちなみに。

 ルースが樺山の履歴をよく見ずに、彼を『教員』としてではなく『調理師』として雇ったせいで、後から色々と面倒くさいことが起きるのだが……

 それはまた、別の話である。

 




樺山って誰だよ? という方は、遊戯王デュエルモンスターズGX『TURN63 剣山VSカレーの魔人!』を見ましょう。ちなみに彼の実家がカレー家なのは、TURN179の広告で確認できます。スタッフも芸が細かいぜ……
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