そこは、不思議な空間だった。
まず、天井がない。この空間のそれを『空』と呼んでいいものか、疑問ではあるが人間が知る限り、目にする限りはどこまでも続く青く高い天井は『空』と呼ぶ他ないだろう。
次に、床がない。下を見れば、どこまでも際限なく空間が続いている。これを『穴』と呼ぶべきかも、また疑問である。穴の底は暗く、底が見えない闇は人の恐怖心を掻き立てるものだ。そういう意味ではこの空間の『穴』は真逆だった。どこまでも明るく、見通せるが、底が見えない。もしも落下すれば、永遠に落ち続けるのではないかと思うほどに。
「……これは、歴史に残る快挙だ」
そんな空間に、響く声。人が立つ場所もなく、床もない空間で、その男は悠然と寛いでいた。
この空間で唯一、人が腰を落ち着けられる場所がある。円形に配置された、三つの玉座。底が見えない『底』から延々と伸びた柱の先に、座席だけを辛うじてのせたような、常識では考えられない構造。中世の建築物を思わせるデザインが、より一層異様さを際立たせている。
「人類初の『シンクロ召喚』が成功した瞬間だよ。実に素晴らしいね」
男は平凡な顔立ちをしていた。印象に残らない、と言った方が良いかもしれない。白いスーツにブルーのネクタイを絞めた彼は、あくまでも淡々と言葉を紡ぐ。
「これも人間の進化のひとつだ。それをこうしてじっくり見ることが出来るのだから、まったくこの仕事はやめられない」
「なにが快挙だ。破滅のはじまりの間違いだろう」
返ってきたのは、別の声。三つの玉座の内の一つに、新たな人物が腰を下ろした。声音には怒気が含まれていたが、表情は伺えない。白と黒。相反する色で塗り潰された仮面が、彼の顔を覆い隠していた。
「これが全ての元凶。逆に言えば、これさえ潰せば全て終わるはずだ」
そう言って彼は、どこからか取り出した一振りの剣を玉座の中央の空間に突き付けた。そこには半透明の球体があり、1体のモンスターと1人の男の姿が写し出されている。
「きみの欠点はその短絡的思考だよ。改めた方が良い。『デュエルモンスターズ』そのものを消し去ろうとして失敗した以上、今の提案が有効な方法ではないことくらい分かるだろう? きみの方法を使えば、必ず『赤き竜』が邪魔に入る。あの『アストラル体』を敵にまわして、良いことなどひとつもないよ」
スーツの男の言葉は、決して強い語調ではなかった。けれども、仮面の男はそれ以上反論を述べることもなく、剣を納める。
彼の行動に満足気に頷いて、スーツの男は会話を再開した。
「それにしても『彼の一族』と私は、つくづく縁故に恵まれているようだね。この時代でも彼の先祖の行動を観察することになるとは、流石の私も予想外だった」
「……この『変化』はお前が予想していたものなのか?」
「それは少し違うな。少なくとも『変化』ではないさ。我々がこの時代に行った『改変』はまだたったの三つに過ぎないのだから」
スーツの先の指が三本、ピンと立てられる。仮面の男は、無言で先を促した。
「意外なもので、世界の『芯』というのはわりとしっかりしているんだ。イベントに多少の差が生じても、物語の大筋は変わらない。役者達は自らの役を演じ切って、それらしい結末でフィナーレを迎える。『世界』というのはそういうものだよ」
中央に浮かんでいた映像が切り替わる。写し出されたのは、吸い込まれそうなほどの漆黒。中には、僅かに光が瞬いている。
誰もが知っているだろうし、誰が見ても分かるだろう。だが、ほとんどの人々が、直接訪れたことのない場所。宇宙空間だ。
「そもそも『モーメント』がただの半永久エネルギー機関では終わらず、『力』を宿すようになってしまったのには、明確な理由がある」
「その原因が、これか」
「そう。大いなる宇宙の、大いなる意思。『破滅の光』と『優しき闇』だ」
せめぎ合う力は、宇宙規模での衝突を繰り返し、やがては地球に到達する。今、彼らが観測を続けているこの時代に。そうして新たな、戦いの火種となる。
彼らにとってそれは予想ではなく、既に確認した事実でもある。
「彼……彼女と言うべきなのかな? とにかくあの悪魔は、今回の事件を経て『破滅の光』を身に宿すことになった」
「ならば、ここであの悪魔を抹消してしまえば『破滅の光』という存在は断ち切ることができるのではないか?」
「だから、それはダメだ。彼と彼らが既に『シンクロモンスター』を所持している以上、その行為は何ら意味を持たない。原初の『シンクロモンスター』は『破滅の光』の断片だからね」
やれやれ、と彼は首を振って肩を竦めてみせた。
「『星の民』と『星竜王』が遺していったものは大きい。だが、逆に考えればいいんだ。排除できないのなら、排除するまで利用する舞台を整えてやればいい」
「だから、今はまだ待つと?」
「ああ、そうだよ」
さらに言うならば『破滅の光』を宿すカードは、あの『悪魔』だけではない。
もう1枚。血塗られた英雄は、白く染められる運命からは逃れられない。
「今はまだ、座して待とうじゃないか」
物事には、タイミングがある。
「いつまで待つ気だ?」
「決まっているだろう?」
充分過ぎるほどに、役者は揃っている。この舞台は、観覧していて飽きることはない。
「小さな蝶の羽ばたきが、嵐に変わる日までだよ」
待ち続けよう。
その時が来れば、彼らは動く。
『シンクロ』という概念を『デュエルモンスターズ』の『ルール』から、完全に消し去る為に。
一応タクシーさんがアストラル体なのは、公式設定だったりします。