ルール改定に駆けた男のロード   作:龍流

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61.「もしかして」

 童実野町の隣街にあるその焼肉屋は、率直に言って寂れていた。表通りから裏通りに入り、さらに路地裏の道を通り抜け、ほぼ雑居ビルが押し込まれたような一角。店内は肉を焼いた煙で煤け、薄汚れており、それだけなら風情のある焼肉屋だが、残念ながら肝心の客がなんとも少ない。夕食時のこの時間帯で、テーブルに空きが目立つのは、経営方針と立地に問題があるとしか思えなった。

 だが、そのおかげと言うべきか。外国人が3人に、白髪の日本人が1人という少々悪目立ちする構成の客がテーブルを囲っていても、そもそも彼らに注目する他の客はいなかった。

 

「マリク様、肉が焼けました」

 

 肉がのった皿をつき出されて、マリク・イシュタールは我に返る。

 

「ああ、すまない、リシド」

「いえ」

 

 見た目は普通の肉だ。リシドが細心の注意を払って火を通したせいか、実にいい焼き色に仕上がっている。マリクはタレを着けて、1枚目を口に運んだ。

 

「……うまいな」

「そうでしょーそうでしょー? ドンドン食べてください」

「食べてください、じゃないだろう。お前は自分の肉しか焼いていないじゃないか」

 

 ウィンナーソーセージを鉄板の上に放り込みながら、ラフェールは言う。

 

「焼肉を舐めないでください。僕は自分の分を自分のスペースで焼いて、きちんて自分のペースで食べます。その長い棒状のものを僕のスペースに侵食させないでください」

 

 はみ出してきたソーセージを箸で押し戻しつつ、貘良は言う。

 

「心が狭いにも程がある。私にも肉を焼く権利があるハズだ」

「別に焼くことは止めませんよ。存分に焼いてください。でも焼肉屋に来てまで、ソーセージってなんですか? 子供ですか?」

「……私がソーセージを食べて何が悪い?」

「別に悪くはないですよ」

 

 焼いた肉を白米の上に乗せてタレを回し掛け、貘良は素知らぬ顔でそれをかきこんだ。実はこのメンバーの中で、最も大食いなのが彼なのだ。

 

「リシド、これは何だ?」

「焼肉のタレです。マリク様」

「バクラはライスの上にかけているが、タレというからには肉につけるものではないのか?」

「米にかけるのも、美味と聞き及んだことがあります」

 

 マリクはなんだかドロリとした濃い色の液体が入ったビンを、しげしげと眺めた。ビンには白地のシールが貼られ、マジックペンで大きく『特製ダレ』と書かれている。

 

「……リシド。この『タレ』と『ダレ』とは何がどう違う? 濁音が付いていることで何か変わるのか?」

 

 マリクは別の『辛口タレ』を手に取りながら、首を傾げた。

 

「申し訳ありません、マリク様。私には分かりかねます」

「店員に聞いてみるか……」

「いや、そんな大層な理由はないですよ」

 

 一杯目のご飯を食べ終わりつつ、次の肉も同時に焼くという高度な箸捌きをしていた貘良が、2人の会話に割って入った。

 

「例えるなら『魔法カード』を『まほう』と言うか『マジック』と言うかみたいな。エンド宣言を『ターンエンド』と言うか『ターン終了』と言うか、みたいなものです。気にするだけ無駄な類いの差ですよ」

「そういうものか」

「そういうものです」

 

 日本語は難しい、と妙に納得したような納得できないような、複雑な表情を浮かべて、マリクは浮かせかけた腰を椅子に戻した。すかさずリシドが、皿に追加の肉を入れる。

 

「リーダーのご飯も頼みましょうか?」

「そうだな。頂こうか」

「すいませーん! ライス2つお願いしまーす」

 

 貘良が手を上げて店員を呼ぶ。その隣でラフェールは、黙々とソーセージを焼いていた。

 

「焼き過ぎじゃないですか?」

「私は焦げる直前のパリパリが好きなんだ。構うな」

 

『――先日のロケット打ち上げで襲撃を受けた海馬コーポレーションに対する非難は、強まるばかりですね』

 

 煤けたブラウン菅のテレビから聞こえてきた声に、一同の箸が止まった。

 

『ええ。元々今回の打ち上げに利用された打ち上げ施設は、海馬コーポレーションにとっては軍需産業だった頃からの遺産なわけですから。その筋からの恨みを買って襲撃を受けた、と考えるのはなんら不思議ではありませんね』

『そもそも海馬コーポレーションを、現在のゲーム・アミューズメント産業に方向転換したのは、現社長の海馬瀬人氏です。世間では希代の天才、高校生社長などと言われていましたが、まさか彼も自分の発明で復讐をされるとは考えていなかったのでしょう』

 

 ゲストとして招かれているらしい経営の専門家の発言に、アナウンサーはそれらしく首を傾げてみせた。

 

『と、言いますと?』

『ソリッドヴィジョンシステムですよ。今回の事件で、あれを犯罪に利用できることが世間に証明されてしまったわけですから』

『それにくわえて、今回襲撃に加わっていたメンバーには、『グールズ』という偽造カード製造組織の元構成員が多数いたようです。軍需産業時代から恨みを買っていた海馬コーポレーションですが、デュエルモンスターズに関しても、犯罪の温床となっている部分がありますからね。近年希に見爆発的なヒットを飛ばした分、裏社会の賭博などにも利用されているとか……』

『そんなデュエルモンスターズを、そもそもロケットの打ち上げに企画として絡ませたのが問題だったのかもしれません。技術協力をしていた企業からも批判の声が出るのも当然でしょう』

『今後、爆発的な普及を続けてきたデュエルモンスターズにも陰りが見えてくるのでしょうか?』

 

 先ほどまでとは打って変わり、ムスッとした表情で貘良は肉を頬張った。

 

「なんか散々に言われてますね」

「仕方ないね。ボク達の責任でもある」

「我々はこんなところで呑気に飯を食っているが、社長は食事をする暇もないだろうな。メディアに警察、打ち上げに関係していた各社……対応が追いつかんだろう」

「ぼく達、こんなところで呑気にごはん食べてていいんでしょうか?」

「一番食べているキミが言っても説得力は皆無だな」

 

 それに、とマリクは箸を置いて、懐に手を入れた。

 

「今夜はただの食事会、というわけではないぞ。残念ながらな」

 

 言いつつ取り出されたのは、何枚かの写真と一通の手紙だ。

 

「なんですか、これ?」

「今回、ボクがしてやられた『モンスター』についての資料だ。姉さんに問い合わせてみた」

「さすが、リーダーはしぶといし、立ち直りもはやいですね。瓦礫の下って聞いた時はもうダメかと思いましたよ」

「生憎、ボクは悪運だけは強いのでね」

「……ところで、姉さんというのは?」

「マリク様の姉であるイシズ様は、エジプトの考古学界で、高い地位についておられるのだ」

 

 怪訝な顔のラフェールに対して、リシドが説明を付け加えた。ああ、と妙に納得した調子で、貘良が手を叩く。

 

「バトルシティの時も、決勝トーナメントまで残っていたんですよね」

「ほう、決闘の腕も立つのか」

「ああ、下手をすればボクでも勝てないよ。キミ達でも負けるかもしれないね」

 

 それ以上はさすがに話を逸らす気がないようで、マリクは手紙と写真のコピーを、全員が見れるように配った。貘良とリシドは眉を潜める。

 

「これは……?」

「これ、本当にリーダーが言っていた『白いカード』と関係あるんですか? めちゃくちゃ有名な場所じゃないですか」

 

 貘良は困惑したように、ヒラヒラと写真を振った。彼の言葉通り、そこに写っているのは、おそらく誰もが知っているであろう『世界遺産』だ。

 蜘蛛。蜥蜴。蜂鳥。動物や昆虫をモチーフしたものから、月人間と呼ばれる謎めいたデザインのものまで、様々な絵が地面に直接描かれている。

 地球上で最も巨大な絵画。

 『ナスカの地上絵』である。

 

 

◇◆◇◆

 

 

「で、これで今回は満足しろ、と。きみ達はそう言いたいのかね」

 

 薄暗い畳張りの部屋の中で、誰一人として面を上げる者はいなかった。皆が皆、その老人に対して頭を垂れていた。

 

「言い訳はありません」

 

 セレス・ゴドウィンは、頭を下げたまま落ち着いた声で返答する。

 

「今回、目的のカードの確保に失敗したのは、紛れもなく指揮を取っていた私の責任です。影丸殿からのご期待に添えなかったこの身の処分、如何なるものであろうと受け入れる所存です」

 

 上座にて、茶ををすすっていた影丸は、器を卓に置いた。器と木が触れ合う小さな音は、しかしこの沈黙の中で存在感を示すには充分に過ぎる。頭を下げていた一同は、セレスを除いて緊張に身を固めた。

 

「――では」

「まーまー、ちょっと待ちなよ、影丸のじいちゃん」

 

 割って入った、高い声。まだ無邪気さを残すその響きに、影丸は顔をしかめた。

 障子が開き、そこからひょっこりと、黒髪に縁取られた日本人形のような顔が覗く。

 

「確かにカードの確保には失敗しちゃったけどさ。なにもこんな朝っぱらから、そんなに目くじらたてることないじゃん」

「……身支度なら他の部屋でやれ」

「だってこの部屋、おっきい鏡あるんだもん」

 

 それに私も無関係じゃないし、と嘯いて、鬼柳瑞葉は部屋に踏み入った。今朝は珍しく、ブラウスの上に黒のカーディガンとスカートの制服姿。影丸の指摘通り、身支度をするつもりなのか、手には制服のブレザーや鞄を抱え込んでいる。壁に備えつけの木扉を開いて、瑞葉は鏡の前にぺたんと座り込んだ。

 そうして、鏡越しに影丸と視線を合わせる。

 

「結局、犯人として逮捕されちゃった人達は『グールズ』のメンバーか、軍事関係で海馬コーポレーションに恨みを持っていた人達なわけでしょ? 美夜さんのマッドな洗脳のおかげで、私達のことは全く覚えてないわけだし。なら、足がつく心配はないじゃない」

「確かにこちらに繋がる手掛かりは残していない。だが、それは必要最低限の絶対条件だ。今回の襲撃で得たものがなにひとつないのでは、全く話にならん」

「そのあたりは、今からセレスさんと美夜お姉ちゃんから説明あるでしょ」

 

 首もとのリボンを結びながら、瑞葉は美夜へちらりと目配せした。美夜は小さく頷き、パソコンを持って立ち上がる。

 

「おそれながら、影丸様。今回の襲撃で、以前申し上げた『新型決闘盤』の性能実験が行えました。こちらが、そのデータになります。ご説明しても?」

「……いいだろう。続けたまえ」

「ありがとうございます。それでは、まずこちらを」

 

 上座の影丸のもとまで美夜は進み、ノートパソコンを広げた。

 

「私が研究する『デュエルエナジー』については、以前申し上げた通りです。決闘者の『精神』を純粋な『エネルギー』に変換する。そのシステムを搭載した『決闘盤』を、襲撃の実行犯達には持たせました。結論から言えば、大成功でしたわ。今回得たデータと『デュエルエナジー』は、必ず影丸様の今後に役立つはずです」

「たとえば?」

「そうですね、たとえば……」

 

 美夜は身体を乗り出し、影丸の耳元まで唇を近づけて囁いた。

 

「『三幻魔』の復活、とか」

 

 鋭い眼光が、至近距離で美夜を射抜く。けれど彼女は、決して目を逸らさなかった。

 数秒間、2人は無言のまま見詰めあって、

 

「…………いいだろう。成果は分かった。あとで詳細な報告書を提出してくれ」

「畏まりました」

 

 息がかかりそうな距離から、美夜が顔を引く。だが、と今度は影丸が自分から口を開いた。

 

「捕まった駒に持たせていた『決闘盤』はどうした? 海馬コーポレーションの連中に回収されては、後々面倒になる」

「それに関して御心配いりませんわ。彼らは元々使い捨てだったので、決闘盤には爆薬を仕込んでおきました。改造部分以外、見た目は通常の決闘盤と大差はないので、こちらの技術はあちらに渡ることはありえません」

 

 いくつかのサンプルは瑞葉ちゃんに回収してもらいましたし、と美夜は付け加える。ちらり、と自分を見た影丸に向かって、髪をハーフアップに纏めていた瑞葉は得意気にVサインした。

 

「よく分かった。これからもよろしく頼むぞ、十六夜博士」

「御意に」

 

 美夜は一礼し、下座へと下がる。

 次に、セレスが口を開いた。

 

「失礼ながら、私からもご報告申し上げたいことが御座います」

「皆まで言うな。察しはついている。きみが個人的に回収した『3人』のことだろう?」

「ご存知でしたか?」

「当たり前だ。儂の息のかかった病院に入れた時点で、自然と報告はまわってくる」

「では……」

「ああ、かまわん」

 

 角張った指が、眉間の皺を解きほぐす。ぞんざいな調子で、影丸は言葉を続けた。

 

「きみの判断に委ねる。好きに使え」

「ありがとうございます」

「今回の一件で、例の『アカデミア』の計画も暗礁に乗り上げた。カードは入手し損ねたが、得たものはそれなりにあったようだ」

 

 それに、と影丸の口元が皮肉めいて釣り上がる。

 

「バカ娘が駄々を捏ねるからな。今回は、もういい。ご苦労だった。下がっていいぞ」

 

 影丸の一声で、張り詰めていた部屋の空気が弛緩した。セレスや美夜だけでなく、様々な形で今回の襲撃関わっていた影丸の部下は多数いる。彼らは心の底からほっとした様子で影丸に一礼し、部屋を退出して行った。

 

「うんうん、何事もなく終わってなによりだね」

 

 首もとにマフラーを巻き、仕度を整えた瑞葉はその場でくるりと回った。黒髪とチェックのスカートが、ふわりと舞い上がる。

 

「よしよしオッケー。今日の私もかわいいねっと。じゃ、影丸のじいちゃん。私、学校行くから」

「ああ、はやく行け。精々勉学に励んで来い」

「ツンデレだねー、じいちゃん」

 

 いってきまーす、と声を残して、瑞葉は部屋を出た。その後ろを、美夜もついて行く。

 そして。

 部屋には、セレスと影丸だけが残った。

 

「では、私も失礼します」

「待て」

 

 立ち上がりかけたセレスは、ぴたりと動きを止めた。

 

「なんでしょうか?」

「なあ、セレス。儂に――」

 

 影丸は、特に言葉を区切って声を発したわけではない。

 けれど、

 

「――なにか、隠していることがあるのではないか?」

 

 その言葉の響きだけは、明らかに今までとは異なる、なにかを咎めるような"棘"が含まれていた。

 影丸は、問いを投げ掛けたつもりはない。問いに対する答えを求めるよりも、問いに対する目の前の男の反応が見たかった。

 

「いえ、報告に漏れはありません」

「そうか」

 

 だからこそ。

 何の違和感もない自然な口調で、表情は小揺るぎもさせず、淡々と言葉を返してきた彼に、それ以上の追及はない。

 できないし、する気もなかった。

 

「失礼いたしました」

 

 おそらく影丸の部下の中で、最も流麗な動作で彼は一礼して、部屋を立ち去っていく。

 そんな背中に、

 

「……若造が」

 

 と、心底不快そうに、影丸は吐き捨てた。

 事実、不快だった。

 

 

◇◆◇◆

 

 

 不快だった。

 私の全身をぴったりと覆う黒のスーツは、まるで低俗な店で女が男に奉仕する為に着るようなものだ。身体のラインを際立たせて、女としての自分を否応なしに意識させる。もちろん、相手にも。

 

「ひっ……あ、あ……」

 

 最初の立場は逆だったはずだ。自分の相手が女だと分かると、対戦者達は大抵少し安堵した表情になる。そして、調子にのって勝てる気になる。

 こんな場所に連れて来られるような人間がクズばかりなのは理解できるが、それでもやはり、男という生き物は度し難いと思う。どうして見た目が『女』だから"弱い"と決めつけてしまうのだろう?

 黒い薄皮を剥いで、顔を隠すマスクを取ってみなければ、中身が何かは分からないというのに。

 

「くそがっ! このクソ野郎が! ば……バケモノめ!」

 

 そうだ。

 か弱い女のように見えても、私の中身は『バケモノ』なのだと。

 誰も彼も、気付くのが遅すぎる。

 

『フィーネちゃん、もういいわよ。今回のデータは取れたから、トドメ刺しちゃって』

 

 表情を隠すマスクと一体化されたインカムから、十六夜美夜の声が聞こえた。

 

「……このまま、終了では駄目なんですか?」

 

 否定されるのは分かっていても、私は問わずにはいられない。

 もう何回と、何十回と繰り返した質問。

 

『だーめ。ちゃんと最後までやってね』

 

 そしていつものように、問いは優しい声ではね除けられる。

 

『フィーネちゃんは優しいから、相手のことを気にする気持ちもよく分かるわ。でも大丈夫。私が作ったマスクは、フィーネちゃんの綺麗な顔を完璧に覆い尽くしているでしょう?』

 

 いたずらっぽい声で、彼女は囁く。

 

『だから、あなたは何も気にしなくていいのよ。あなたがマスクの中で泣いても、相手には見えない。あなたがマスクの中で喚いても、それらは全て無味乾燥な機械音声になる。むしろ、好きなだけ感情を吐露してくれて構わないわ。どうせ相手には届かないんだもの』

 

 彼女はいつもそうだった。

 

『フィーネちゃんの泣き叫ぶ声が聞けるなら、私はとっても嬉しいけど……』

 

 そもそも、と彼女はうんざりしたように言う。

 

『あの男は今まで人を何人も殺してるわ。言うなれば、クズみたいな血と肉の塊に皮を張って、人間のカタチにしたてあげているだけなの。だから、フィーネちゃんが心を痛める必要はないのよ?』

 

 私は結局、最後まで決闘を続けなければならない。

 

「いやだっ! くるなっ!? くるなぁあああぁ! やめてくれぇええ!」

「『攻撃』」

 

 私の『力』は、モンスターを実体化させる。

 その『力』を使ってライフをゼロにされた対戦相手は、大抵が血塗れになって倒れ伏す。

 

『お疲れ様、フィーネちゃん』

 

 彼らは決闘が終わったあと、どこかへ連れて行かれる。どこへ連れて行ったのか、と彼女に聞いてもなにも答えてくれない。ヴォルフさんに聞いても「お前が気にすることじゃない」とだけしか言われない。

 だから結局、そういうことなのだろう。

 

『フィーネちゃん、とりあえずお昼にしましょうか。シャワー浴びて、上にあがってきてちょうだい。ヴォルフくんも帰ってきているハズだから、一緒に食べましょ?』

「……はい」

 

 この身体を包み込んでいるものを全て脱げば、私は『フィーネ・アリューシア』に戻れる。

 最初の頃は、実験のあとに食事なんて、固形物はおろか飲料さえ喉を通らなかった。口の中にいれたものは全部吐いた。それが今では、平気な顔で食事がとれる。

 スーツを脱いで素肌を晒す。熱いお湯で、さっきまでの全てを洗い流す。

 十六夜美夜は、私の対戦相手を血肉の塊に皮を張りつけただけのハリボテだと言う。

 それは、私も同じだ。私も、彼と彼女の価値観に、感覚に、どんどん染め上げられていって。

 自分というものが、なくなっていく。ハリボテの人形になっていく。

 

「…………いや」

 

 いやだ。

 私は彼と彼女のように、なりたくない。

 そんなものには、なりたくない。

 

 絶対に逆らえないと、分かっていても。

 

 

◇◆◇◆

 

 

 瞼をあげると、薄い光が右側から漏れていた。 

 フィーネ・アリューシアは、シートの背もたれからゆっくりと頭を上げた。そのまま、何回か頭を振る。今みた夢を忘れる為に。

 最近みなくなっていたものを、またみるようになっている。心が今の自分から離れているような、妙な浮遊感。そんな感覚に陥るのは、きっと空の上にいるからだろう、と。強引にでも、フィーネはそう思うことにした。

 現在の時刻は、世界標準時で夜の1時。場所は、雲の上。日本からアメリカへ向かう旅客機の、座席のうちのひとつ。

 

「……まだ起きていたんですか?」

 

 左側。席に備え付けられたモニターを眺めるラルフの面持ちは、疲れと怒りで不機嫌の極致にあった。

 

「……ラルフさん?」

 

 

 返事はない。ラルフからは、反応すら返ってこない。寝ているわけではないだろう。目は充血して血走っており、口元は固く引き結ばれて、視線がモニターに釘付けになっている。

 ぐいぐいと肩を揺すって、ようやくラルフはフィーネに視線を移した。

 

「……なんだ?」

「なんだ、じゃありません」

 

 暗闇の中でも映える白い指が、ラルフの左耳からイヤホンを絡め取る。フィーネは顔をラルフの頬に触れるほどに寄せて、イヤホンをつけた。

 

『――以上のことから、国外でもデュエルモンスターズがテロ行為に利用されたことが大変な問題になっており、今後も様々な批判の声が――』

 

「ひどいですね」

「ああ」

 

 あの襲撃事件以降、デュエルモンスターズというゲーム自体に世間の批判は集まっている。この気運がそのまま高まっていけば、決闘の専門学校の設立は夢物語だ。

 

「しばらくデュエルモンスターズのバッシング運動は続くんでしょうか?」

「分からん」

 

 あれだけニュース番組に見入っていたというのに。モニターをあっさり切って、ラルフはフィーネの耳からイヤホンを取り上げた。

 

「えっ……?」

「あの事件以来、ニュースは悪いものだらけ。隣では毎晩のようにうなされる恋人。まったくもって最悪の気分だ」

 

 やんわりと諭すように、ラルフは自分から顔を遠ざけた。フィーネには、返す言葉がない。それが、ラルフから受けたはじめての、拒絶の意思表示だったからだ。

 

「無理をするな。女に甘えられて気分が悪い男などいない。だが、直前までうなされていた女にすり寄られて鼻を伸ばせるほど、俺は厚かましい性分じゃない」

「…………」

 

 おずおずと、フィーネもラルフから離れた。

 

「……ごめんなさい」

「……いや、俺も言い過ぎた。すまん」

 

 ばつが悪そうに、ラルフは頬をかく。

 そのまま、2人の間に沈黙が満ちていたなら、ラルフもフィーネも互いに瞼を閉じて、寝る選択を取っただろう。

 しかし、

 

「…………まったく」 

 

 ぐぁー、がぁー、ぐぉー。

 

 2人の後ろから響いてくるのは、そんな擬音でしか表現できないような、獣の叫びもかくやというレベルの――『いびき』だ。

 

「……うるさいですね」

「ああ、うるさい」

 

 フィーネはある意味、気まずい雰囲気を気の抜けたものにしてくれたいびきの主に感謝していた。だが、深夜にこの音量は他の乗客にとっては迷惑以外の何物でもない。

 事実、2人の呟きを聞いていたのか、ラルフの隣に寝ていた男がアイマスクを上げた。

 

「ああ、駄目だ! 眠れるわけがねぇ!」

 

 跳ねるように飛び起きたルース・フォックスターの目の下には、誰が見ても分かる『くま』がありありと浮かんでいた。

 

「駄目だ。直接叩き起こして文句言ってくる」

「いや待て、ルース。そういうことはキャビンアテンダントに……」

「待ってられるか!」

 

 とはいえ、ラルフ以外の乗客達はルースの行動を咎めようともしない。どうやら、この周囲の人々の意見は「はやくいびきをとめてほしい」で一致しているようである。多分15人分ほどの思いを背負って、ルースはいびきの発生源となっている男の肩を揺すった。

 

 

「おい、アンタ……」

 

 そこでルースはようやく気がついた。いびきの発生源は1人だけではない。頭から毛布を被っている男の隣には、日本人と思わしき角刈り頭の連れがいた。この男のいびきも、またうるさい。

 

「どうだ、ルース?」

「ラルフ、どうやら犯人は2人いたようだぜ」

「なに?」

「まあいい。とにかく俺はこいつらを起こすだけだ」

 

 心配して見に来たラルフにそう言って、とりあえずルースは手前の男をさらに激しく揺さぶった。

 

「……起きんな」

「……起きねぇな」

 

 呆れたように、ラルフとルースは顔を見合わせた。というか、実際に呆れていた。

 

「ん……お?」

 

 と、手前の男ではなく、奥の角刈り頭の方が、先に目を覚ました。

 

「なんだ、あんたら?」

「なんだじゃねぇよ。隣を見て分からないのか?」

「……うわ」

 

 それだけで、彼は自分の連れが凄まじい騒音の元凶となっていることに気付いたらしい。ラルフ達には愛想笑いを浮かべて、

 

「すんません……おら、てめっ、はやく起きやがれ!」

 

 毛布の上からほとんど殴るようなかたちで揺するが、やはり起きない。ルースの非難の混じった視線に耐えきれなくなったのか。彼は遂に、

 

「いい加減に目ぇ覚ましやがれ! 城之内ッ!」

 

 怒声と共に、拳で頭と思わしき部位を思い切り殴りつけた。

 

「うおっ!? いってぇな……何すんだよ、本田ぁ!?」

「お前のいびきがうるさすぎて、知らない外国人から文句言われたんだよ!」

「なにぃ!?」

 

 途端にバツの悪そうな顔になった金髪の男は、ルースとラルフの方へとおそるおそる目を向けた。

 そして、ルースと彼は、

 

「「あー!?」」

 

 全くの同時に。

 お互いを指差し合って叫んだ。

 

「あ、あの時10円貸してくれた外国人!?」

「あの時10円貸してやった日本人!?」

 

 なんだ知り合いか、と本田と呼ばれた角刈りの男は、ほっと息を吐く。しかしながら、ラルフの方の反応は彼とは正反対だ。

 滅多に見せないような表情で、ラルフは声を漏らした。

 

「ジョウノウチ……」

「ん? どうしたラルフ?」

「この男、今『ジョウノウチ』と呼ばれなかったか?」

「だから、それがどうし」

 

 ラルフの言わんとしていることを理解して、今度はルースが固まった。

 

「おい……」

「あん? なんだよ。ちょっと待っててくれ。あんた、結局連絡くれなかったからな。けど安心しな。オレは受けた恩はきっちり返す男だぜ。特に金の恩はな!」

 

 とんちんかんなことを言いながら、彼は荷物をひっくり返して10円玉を探している。今のラルフとルースにとって、そんなことは死ぬほどどうでもいい。

 今、確認したい事柄はひとつだけだ。

 染められた金髪は脱色しかけているし、無精髭のせいで顔の印象は変わっている。だから、あの時会った時は気付けなかったのだ。

 

 

「もしかして……カツヤ・ジョウノウチか?」

「ん? もしかしなくても、いかにもオレは城之内克也だぜ?」

 

 この後、客席中に成人男性2人分の驚きの声が轟き、4人はまとめて客室乗務員から厳重な注意を受けた。

 




決闘がなくてすいません。次回はあります。そして、予告から大変長らくお待たせしました。
やっぱ城之内くんは本田くんとセットじゃないと。
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