「朝だよ、兄さん。」
マルフーシャは寝台に寝ている兄にそう呼びかける。
だが、随分と朝に弱いのか、一度の呼びかけで起きることはなかった。
「兄さん起きて。学校に遅刻するよ?」
彼女は彼の体を揺らし、どうにか起こそうと試みるが結果は芳しくない。
何やら寝言のようなものを口から出しながら、さらに毛布の中に潜っていってしまった。
「お・き・ろ!」
とうとう豪を煮やした彼女は、彼が被っていた毛布を引っぺがし、強制的に覚醒させる。
ようやく彼も起きる気になったのか、閉じていた瞼を開け、寝台から身を起こす。
「...おはよう、マルフーシャ。」
「おはよう、兄さん。」
寝ぼけ眼で朝の挨拶をする兄に対して、呆れた顔で返事をするマルフーシャ。
これが、彼ら兄妹の朝の日常だった。
「兄さん、忘れ物ない?」
「ないよ。」
「お弁当と水筒は持った?」
「持ってる。....そんな言わなくても大丈夫だって、母さんじゃないんだから。」
「...そんなこと言って、前にどっちも忘れたよね。」
「私兄さんに届けに行ったせいで遅刻する寸前だったんだけど?」
「あっはい、その節は誠に申し訳ありませんでした。」
彼はマルフーシャに頭が上がらなかった。
言い返された直後に即謝罪するあたり、この兄妹の力関係が伺える。
彼はげふげふと咳払いをして誤魔化しながらドアノブに手をかける。
「兄さん、今日は何時に終わるの?」
「あー....何もなければ多分7時くらい。夕飯には帰るよ。」
「ふーん.....じゃあご飯作って待ってるから、寄り道せずに帰ってきてね。」
「......。」
「返事は。」
「....ハイ。」
不承不承といった風に返事をした兄を見て、マルフーシャは目が全く笑っていな
い笑顔を浮かべる。
「兄さん?」
「分かった分かった。寄り道せずにちゃんと帰るよ。」
その笑顔の圧を浴びた彼は冷や汗を流しながらそう言った。
「よろしい。」
その返事に満足したのか、マルフーシャも表情を解く。
「今日も暑いからちゃんと水分摂るんだよ。じゃあ、いってらっしゃい。」
「うい、いってきます。」
そう言いながら胸の内で小さく手を振るマルフーシャを背に、彼は仕事へ出かけるのだった。
この銀髪の男の名はユラン、電熱工として東部カゾルミアで働く5級等国民である。
電熱線とは軍事国家カゾルミアの発展の基盤であり、あらゆるエネルギー資源を
賄うことのできるクリーンなエネルギーとされている。
ただし扱いが非常に難しく、破損してしまった場合修理するのは専門的な知識がなければ困難なため、電熱工と呼ばれる彼らが必要とされるのだ。
町中に張り巡らされる電熱線によって上がった温度に辟易としながら、ユランは職場へと到着した。途中ですれ違う仕事仲間に挨拶をしながら自分の机へと向かう。
「よおユラン、今日も辛気臭い顔してんなぁお前は。」
「ほっとけ、この顔は生まれつきなんだよ。」
そう言いながら金髪の男がユランの肩に手を回していた。
彼の名前はドルーク、この職場でのユランの同期であり、気の置ける友人とも言える男である。
「今日も大好きな妹ちゃんに見送られて出社かよ、いいよなぁ~お前にはかわいい妹がいて。」
ただし、ドルークはたまに非常にうざい。ただ勘違いしないでほしいのが、彼のこの言葉はからかっているとかではなく、本当に羨ましいと思ってるからこその言葉だった。
....むしろたちが悪いとも言えるが。
ユランもドルークとの付き合いも長いため、そこまで気にしてはいなかった。
ただー
「ドルーク、”大好きな”じゃない”最愛の”だ、二度と間違えるな。」
ユランは重度のシスコンであった。
「まじかよ。それってなんか変わるのか?」
「馬鹿野郎お前言葉の重みが違うだろ。最愛ってのは最も愛するの略だぞ、大好きな、なんて言葉より重いに決まってるだろうが、もちろんマルフーシャの事は大好きだけど。」
そしてとても面倒くさかった。先ほどドルークのことをこき下ろしたが、彼も大概である。
「おーけーおーけー。分かった、次からは気を付けるよ。」
ドルークは処置なしとばかりに首を振る。
だが、そんな馬鹿みたいな話をしている彼らにも、始業の時間が迫ってきたようだった。
「おっと、そろそろ時間か。んじゃ、今日も今日とて仕事といきましょうかね~。」
そう言いながら手をひらひら振って自分の机へと踵を返した彼に手を振り返し
ユランも自分の机へと向かうのだった。
電熱工の仕事は基本的にはデスクワークではなく、外周りが中心になる。
一応、破損した電熱線を使った家電などの修理も請け負ってはいるのだが。
ユランの職場では、街に流れている電熱線のメンテナンスと修繕を主な業務としているため
必然的に外回りが多くなっていた。
だが、カゾルミアの町の中は暑い、電熱線はクリーンなエネルギーとは言われているが、運ぶにあたってかなりの熱量を発生させるため、町全体に張り巡らせていると気温すら上昇させてしまうのだ。
そうして、暑さに頭を悩まされながらも今日も電熱工たちは仕事を終えるーー
「やっと終わった...。」
もうすぐ終業、と思っていた矢先に電熱線破損の連絡が入り、強制的に残業をすることになった
ユランは疲れ果てていた。
しかも仕事が終わったすぐ後にドルークが一緒に飲もうぜ、と誘ってきたため、それを断るのにもさらに体力が削られることになった。
ー約束してなければ、飲んでもよかったんだがなぁ。
酒はそこまで好きと言うほどでもないが、ドルークと飲むのは嫌いではないため、彼もよく飲み
に誘っていた。
ただユランは朝、マルフーシャに釘を刺されたばかりなので、名残惜しいながらも断ったのだ。
なにより、怒ったマルフーシャは怖いのである。兄は妹に勝てなかった。
ーーそれに、早く帰るのも悪いことばかりではないしな。
そう思いながら、彼は鍵を開け、ドアノブを回してドアを開ける。
「おかえりなさい。兄さん。」
「あぁ、ただいま。」