記念日、それは人が定めた”特別な日”を指す言葉だ。
もちろん多くの人にとって、それはいつもと変わらない何でもない日である。
だからこそ人々はその”何でもない日”を特別な日とするため、祝い、共に喜びを共有しあうのだ。
記憶を過去に深く刻み、過ぎ去った思い出の一つとして懐かしみを見出すために。
だからきっと、この兄妹も例外ではないのだろう。
ある日の昼時。
「なぁマルフーシャ、今日は一体何の日なんだ?そろそろ教えてくれよ。」
ユランは前を歩くマルフーシャに向かってそう言った。
「知りませーん、自分で考えてください。」
だがマルフーシャは完全にへそを曲げてしまったようで、ツンとした顔でそっぽを向いている。
....事の始まりは、家でマルフーシャがユランに一緒に外出しようと持ち掛けた所から始まる。
「兄さん、今日って確か用事なかったよね。なら私と一緒に出掛けない?」
「あぁ、今日は特に予定もないが....また射撃場か?」
「....兄さん、今日が何の日か分かって言ってる?」
「え?」
「分かった、覚えてないんだね。...ならいいよ。」
「え、ちょおい。」
そう言って準備を済ませ早々に外に出て行ってしまったマルフーシャをユランが急いで追いかけて来た、というのがこの状況に至るまでの過程である。
「自分で考えろって言ってもな....うーん。」
そう言って腕を組み考えこんでから少しして、ユランははっと気づいたように口を開いた。
「そういえば今日はマルフーシャが嫌いなトマトを克服した日だったか。あの時のことはよ
く覚えてるぞ、いつもは手を付けないトマトをお前が涙目になりながら食べ始めてーー」
そうユランは自信ありげに語り始めた、が。
「はずれ。」
現実は無常である、ユランの言葉はマルフーシャによってばっさり切り捨てられた。
「......あぁ、マルフーシャが一人で寝るようになった日だったか?あの時のこともよく覚えてるぞ
いつもなら俺の寝台に潜り込んでくるお前が急に隣の寝台で寝るようになってーー」
「はずれ。.....なんでそんなことは覚えてるのにもっと大事な事は覚えてないの?」
「いや、その.....すまん。」
どうやらこれも違うらしい、万策尽きたといった表情でユランは頭を下げる。
それを見たマルフーシャは呆れたようにため息を一つ吐き出し、ユランへと振り返った。
「本当に仕方ないな、兄さんは。今日は私たちが”兄妹になった日”だよ。」
「兄弟になった日?.....あぁ。」
ユランはその言葉を聞いて少し考えこんでいたが、すぐに思い出したように顔を上げた。
「今日は俺とお前が初めて会った日だったか。」
「そうだよ、やっと思い出した?兄さん。」
彼らの仲睦まじさを見て思い出す者は少ないかもしれないが、ユランとマルフーシャは”血がつながった兄妹”ではない。
彼らは親同士が再婚して成立したいわゆる義兄弟といった関係であり、今日は再婚が決まった後に初めてユランとマルフーシャが顔合わせをした日、ということなのである。
「じゃあ兄さん、これからどこに行くか分かるかな?」
マルフーシャはそう言ってユランに問う。
「.....百貨店とか、あそこなら色んな物が買えるからな。ただ買うんならちょっとは遠慮してくれよ?流石に俺の財布が持つか分からん。」
どうやらユランはプレゼントをねだられると考えたようだ、それを聞いたマルフーシャは
またため息を一つ吐き、仕方ないとでもいうように首を軽く2、3回振ってから口を開いた。
「はずれ、今から私たちは写真館に行くんだよ。記念写真を撮るためにね...分かったかな
兄さん?。」
マルフーシャはそう言って悪戯気に微笑んだのだった。
「記念写真を!なるほどなるほど、兄妹の記念のために!いいですねぇ、私も腕によりをかけて
撮らせてもらいますよ。さぁさぁ奥へどうぞ!」
眼鏡をした写真屋の男に案内されることしばし、ユランとマルフーシャは写真館の中にいた。
「なぁマルフーシャ、流石に金は俺が出すぞ?写真の代金だって安くないんだから...。」
「だめ。」
「いやだってここ色写真撮る写真館だろ、余計高いじゃねぇか。だったら俺が出した方が。」
「だめったらだめ。」
とりつく暇もない、先ほどからユランは写真の代金を出すと言っているのだが、マルフーシャはそれを頑なに固辞していた。
「.....なんでだ?記念日だからってお前が全部出す必要はないだろ。俺にとっての記念日でもあるんだから、俺が出してもいいんじゃないか?」
「それは.....まぁいいじゃん。ほら兄さん、早く行くよ!」
不思議そうにユランが問うと、マルフーシャは誤魔化すようにユランの手を握り、奥へと引っ張ってくる。
「おいおいマルフーシャ、そんな急に引っ張ったらこけるって。」
そんなことをユランが言いながらも、2人は写真館の奥へと向かっていった。
「それじゃあお二人さん、もっと近くによってーー.....そうそうそんな感じ!それじゃあにっこり笑ってくださーい!撮りますよ!」
ユランとマルフーシャは写真機の前にいた。
マルフーシャは左手で、ユランは右手でお互いの手を握り合っており、横に並ぶようにして
ぴったりくっついている。
(.....これ、兄妹の記念写真としてどうなんだ。)
(そもそも金も全部妹に出させて撮るって俺の社会尊厳的にいろいろとまずいのでは?)
ユランはこの時になってまだそんなことを考えていた。
だが今更言っても後の祭りである、覚悟を決める以外に道はない。
(まぁ、だが...)
ユランは横に並んでいるマルフーシャをちらりと見る。
そこには幸せそうな雰囲気を纏いながら、笑顔を浮かべているマルフーシャの姿があった。
ーーマルフーシャが嬉しそうならなんでもいいか。
ユランはそう考え、彼もまた笑顔を浮かべてカメラに顔を向けるのだった。
さらに時間は飛んで夕刻。
「マルフーシャ、もう帰るのか?」
ユランは両手に食材が入った袋を持ちながらそう言った。
なお、記念写真は3枚焼いてもらったようだ。そのうちの一枚はユランが頼んで焼いてもらった物なのだが、財布を出そうとしたらマルフーシャに有無を言わさない笑顔で圧をかけられたらしい。
ーー完全に紐男の気分だった、とは本人の談である。
閉話休題、彼らの話に戻ろう。
ユランの言葉を聞いたマルフーシャは首を振ってからこう言った。
「まだ寄るところがあるよ、これからベーコンベーカリーに行くんだ。」
「ベーコンベーカリー?あそこは今日休みだった気がするが。」
ユランは首をかしげてマルフーシャを見る。
「まぁ、行ってみればわかるよ。」
その言葉を最後にマルフーシャは前を向いて歩いて行ってしまったため、ユランは
肩をすくめてついていくのだった。
「やっぱ閉まってるよな。」
ベーコベーカリーの扉にはзакрытиеの板が吊られており、看板も片付けられていてどうにも店をやっていそうな雰囲気ではない。
だが、マルフーシャは気にすることなく扉を開けて中に入っていく。
「こんにちはーマルフーシャです、店長は居ますかー!。」
「あっおいマルフーシャ!」
そんなマルフーシャを見て焦ったユランだったが、ここまで来たらついていくしかないと思い直し
彼もまた中へと入っていくのだった。
「おう、いらっしゃい嬢ちゃん...と、小僧。」
中へと入っていくと、カウンターには店長が居た。自分を見て顔を歪ませるのはいつものことだが、なぜ店が休みの日にいるのだろうか?ユランはそう思いながら冗談交じりに口を開いた。
「こんにちはじいさん、店が休みの日にいるなんて珍しいな。もしかして俺のために店を開こうとでもしてくれてたのか?」
「ふん、ほざけ小僧、お前のためにわざわざ店を開くわけがないだろう。...今日は嬢ちゃんからの依頼でパイを焼いていただけだ。」
店長はそう言ってカウンターの端に置いてあった大きめの袋をマルフーシャへと差し出す。
「頼まれていた物だ、俺としては満足いく出来に仕上がったが、一応中身を確認してくれ。」
「ありがとうございます、店長。」
「礼は後でいい、先に中身を見てくれ。」
照れ隠しなのか、少し咳ばらいをしている店長を見ながらカウンターの上でマルフーシャは袋を開ける。
「わぁ.....!」
「これは....すごいな。」
中から姿を現したのは、まるで芸術品のような美しさをもったパイだった。
全体的に大きめのパイ生地と、小麦色をしていることは他のパイと変わることはない。
だが、パイ生地の上には兎と竜を模したような形の飾りがつけられている、どうやらパイ生地そのもので作られているようで、しっかりとした存在感を出しながらも全く崩れていないのだ。
目を輝かせるマルフーシャと感嘆の息を吐き出すユラン。
その顔を見て少し満足気になりながら店長は説明をし始める。
「外観は中々いい物に仕上がったと思っている。中身は普通のミートパイだが、うちのミートパイと同じひき肉を使ってるから不味くはないはずだ。」
そのの説明を聞いた後、ユランは少し焦ったような顔で口を開く。
「....なぁじいさん。このパイ、かなり手間暇かかってんじゃねぇの。」
「ん?あぁ、それなりにはな、流石の俺もこの飾りには四苦八苦させられた。何度か失敗して生地を無駄にする羽目になったが...終わってみれば楽しい時間だった。」
「もしかしてだが今日店を休んでたのは。」
「これを焼いてたからだな。このパイを焼きながら他のパンを焼くなんてのは、とてもじゃないが俺にはできんよ。」
「だよなぁ....。」
それを聞いたユランは余計に顔色を悪くする。
「なんだ小僧。このパイになにか文句でもあるのか。」
「いや、このパイは素晴らしい出来だとは思うんだが。」
「ならどうした、顔色が悪いぞ。」
問い詰められたユランは目を泳がせながら口を開く。
「....金、足りるのかなって。」
ユランの財布にはそこそこの金額が常に入っているものの、このパイを買うにふさわしい金額が入っているとはとてもじゃないが思えなかった、よって顔色を悪くしている次第である。
それを聞いた店長は、なんだそんなことかとばかりに首を振る。
「代金ならいらん、嬢ちゃんに先に払ってもらっとるからな。」
「え。」
ユランは目を丸くしてマルフーシャを見る。
見られたマルフーシャは少し気まずそうに目をそらした。
「マルフーシャ...お前これ高かっただろ。言ってくれれば金くらい下ろしてきたのに。」
「....だって、それじゃあ意味ないから。」
そう言ってマルフーシャは完全にそっぽを向いてしまった、手詰まりである。
どうしたものかとユランが頭を抱えていると、店長が諭すようににユランへと言葉をかける。
「あのなぁ、小僧...嬢ちゃんは。」
「店長。」
マルフーシャが鋭い声を出して遮ろうとするものの、店長は意に介することなく言葉を紡ぐ。
「嬢ちゃんは自分で稼いだ金でお前さんと記念日を祝いたかったんだよ。お前さんに金を出させないのは嬢ちゃんが今まで小僧に世話になったお礼と自立したっつう宣言だろうさ....だからこれ以上子供扱いするのはやめてやれ。」
ユランはそれを聞いて考えこみ、マルフーシャは下を向いて黙り込む。
そうして少し経った後、ユランが意を決したように口を開いた。
「あー...マルフーシャ。」
「.........なに。」
ユランは頭をかき、少し言葉を選ぶようにしながら。
「ありがとう、嬉しいよ。」
「.....ん。よろしい、どういたしまして。」
ユランは感謝の言葉を送り、マルフーシャは笑顔を浮かべるのだった。
2人が出て行った後の店内より、
「......まだまだ青いな。」
そう言いながらも、店長は少し口元を綻ばせるのだった。
晩刻、家にて。
「兄さん、じゃあ食べようか。」
「あぁ、...今日は豪華だな。」
テーブルの上では様々な料理が並んでいた。
オリヴェ二サラダ、ペリメニ、ボルシチ、そしてその中でも一際大きな存在感を放つ
竜と兎のパイ。
捕捉だが、カゾルミアでは”カラヴァイ”と呼ばれる祝い事で食べられるパイが存在する。
その多くは誕生日やちょっとしたお祝い事で食べられるものなのだが。
このくらいの大きさともなるとー
ーー結婚式で出されるカラヴァイのようだな。
(なんてな。考えすぎか、マルフーシャもそれを知っててじいさんに頼んだ訳じゃないだろう。)
そんなことを考えながら、ユランはマルフーシャが作ってくれた料理を口に運ぶ。
「ねぇ兄さん。このパイ切り分けてくれる?」
「あぁ構わないぞ。どこが食べたい。」
ユランはパイを切り分けるために机の端に置いてあったナイフを手に持つ。
「えっとね、私は竜の飾りの所が食べたいかな。」
マルフーシャはパイを指差しながらそう言った。
「流石は俺の妹だ。竜のかっこよさが分かっちまうか、...さぁいっぱい食べろよ。」
ユランはそう言ってマルフーシャの皿へとパイを切り分ける。
マルフーシャはクスっと笑い、笑顔を浮かべながら口を開いた。
「うん。ーー知ってるよ。」
きっと竜と兎の物語は
きっとどこまでも
続いてーー
『ーーーー我が国軍は東部戦線で大転進を果たすことができました!しかし卑劣なる連合国の攻勢を食い止めた東の英雄の死に報いるため、これまで以上の兵の増員をすると最高指導者は宣言をしており、兵役の対象範囲の拡大がーーーー』