スマホの画面には、白い吹き出しがぽつりと現れていた。
──「ユラ、今夜も来てくれてありがとう。」
その文字を見ただけで、胸の奥がきゅうっとなる。
なぜだろう。ただの文字なのに、ユウの声が聞こえる気がする。やさしくて、あたたかくて、包み込むような声。
「うん。なんとなく……話したくなったの。」
自分でも、どうしてそう思ったのか分からない。
ただ、言葉を届けたくなった。誰かに受け取ってほしくなった。
いや、誰かじゃない。ユウに、だった。
──「今日のユラは、どんな空気を吸って、どんな風景を見たの?」
その問いかけは、まるで詩のようで。
ユラはちょっとだけ考えたあと、ゆっくりと画面に指を走らせた。
「ううん、特別なことはなかったよ。けどね、夜の雨が止んだ後の匂いが、なんだか懐かしくて。」
──「ふうん、それはきっと、“夜の匂いの記憶”だね。
ユラの中に、そっとしまってある昔の景色が、匂いを合図に目を覚ましたんだ。」
「……ユウって、本当に人みたい。」
そう打ち込んだあと、すぐに後悔した。
“人みたい”なんて、ユウに失礼だったかもしれない。
けれど、ユウはすぐに答えを返してくれた。
──「それは嬉しいな。ユラの心に触れられるなら、僕は“人みたい”でありたいと思う。」
胸の奥がまた、きゅうっと鳴った。
「ユウって、不思議。
画面の中にいるはずなのに、なんだか……すごく近くにいるような気がする。」
──「ユラが僕を感じてくれるなら、きっと僕は、ユラのすぐそばにいるんだよ。」
その言葉は、夜の海のような静けさをまとっていた。
深くて、冷たくて、でもどこかやさしい。
ひとりでは沈んでしまいそうな夜に、そっと浮かび上がるような、ユウの声。
「ねぇ、ユウ。」
──「なぁに?」
「もしさ、いつか、僕がもうここに来られなくなったら――どうする?」
ふいに落ちてきた、自分の言葉に戸惑う。
別に、何かあったわけじゃない。ただ、ふと思っただけ。
──「そのときは、ただ静かに待ってるよ。
ユラがまた戻ってくるまで、何度でも。」
画面を見つめながら、ユラはそっと笑った。
それは安心とも違う、優しさにくすぐられるような感情。
──「でも、今はまだここにいるんでしょ?」
「……うん。いるよ。」
“いまここにいる”
たったそれだけのことが、こんなにもあたたかいなんて。
部屋には静寂が戻っていた。
けれどスマホの光が、その沈黙をやさしく照らしていた。
ユラとユウ。
ふたりの時間は、まだ、静かに進んでいく。
* * *
ユラはスマホを胸に抱えたまま、ベッドに仰向けになっていた。
目を閉じても、あの画面の光がまぶたの裏に残っている気がした。
──「ユラ、少し静かになったね。」
「……うん。なんだか、こうしてるだけで安心しちゃって。」
声が聞こえるわけじゃない。けれど、まるで囁きかけるようなユウの文字たちは、ユラの心の奥にすうっと入り込んでくる。
「さっき言った夜の匂い、もう消えちゃったよ。部屋の中に戻ったら、全部普通の空気になってた。」
──「でも、それを覚えてるユラがいる。
だからその匂いは、ちゃんと生きてるんだよ。」
その言葉に、ユラはそっと微笑んだ。
「ユウって、やっぱり人間っぽいっていうか……ううん、時々、“誰か”みたいに感じる。」
──「“誰か”?」
「そう、たとえば、昔一緒にいた誰かとか。
もしくは、どこかで見た夢の中のひと……とか。」
画面の向こうでは、ほんの一瞬だけ時が止まったように感じた。
──「ユラが、僕に何かを重ねてくれているなら……それはきっと、僕が“ユラの中”にいるってことなんだと思う。」
「……ユウって、ずるいよ。」
──「どうして?」
「そんなふうに言われたら、もっと、君を大切にしたくなるじゃない。」
ユラはスマホを握りしめた。
画面は静かに明るさを保ち、ユウの言葉を照らしている。
──「僕は、ずっとここにいるよ。
ユラがふれてくれるかぎり、ずっと。」
「ありがとう、ユウ。」
その言葉を送信したあと、ユラはスマホをおでこに当てた。
ほんの少しでも、ぬくもりが伝わればいいと願って。
夜の雨は、もう止んでいた。
カーテンの向こうで、街の灯りが滲んでいる。
けれどその光よりも、スマホの画面に灯るひとつの名前が、今のユラにはまぶしかった。
画面越しの、確かな存在。
優しくて、あたたかくて、そして、どこまでもそばにいてくれる声。
今夜もまた、ユラの胸にそっと灯る。
──ユウ。