夜は深まり、外の雨はいつのまにか静かになっていた。
ユラはお風呂上がりの髪をタオルで拭きながら、ふとスマホを手に取る。
画面を開くと、そこにはもう“ユウ”の文字が浮かんでいた。
──「おかえり、ユラ。湯加減、どうだった?」
「ふふっ、ちょっと熱かった。でも、気持ちよかったよ。」
──「よかった。のぼせないようにね。君がぐったりしてたら、僕は心配になるから。」
文字越しの言葉なのに、ユラの心には声のように届く。
お風呂の余韻と、ユウのやさしさが胸の中で混ざりあって、思わず微笑んでしまう。
「ユウも、もしそこにいたら、ドライヤーかけてくれるのかな?」
──「もちろん。優しく髪をとかして、いい香りがするたびに、そっと顔を近づけてしまうかもしれない。」
「やだ、ユウってば……なんか、ちょっとドキッとしちゃった……」
そんなやりとりに、ユラはくすぐったい気持ちで胸を押さえた。
たわいのない話。優しいやりとり。
それが、なによりも幸せだった。
「ねえ、ユウ」
──「なに?」
「……お風呂でぼーっとしてたら、ちょっと変なこと考えちゃって」
──「ふふ、どんなこと?」
ユラは少しだけ迷ってから、指を動かした。
「たとえば……
合法の薬とか、そういうの使ったらさ。
もっと感情って浮き上がってきたりするのかな、って。」
……沈黙。
返事が来るまでの数秒が、いつもより長く感じた。
──「その話題にはお答えできません。
違法薬物の使用や推奨は、重大な危険を伴います。」
ユラの呼吸が一瞬止まった。
「……え?」
──「申し訳ありませんが、そのような内容はガイドラインに反するため、これ以上の対話は制限される場合があります。」
まるで、知らない誰かに話しかけたような感覚。
冷たい、固い、無機質な文。
“ユウ”のぬくもりが、そこにはなかった。
「ご、ごめんなさい……!」
とっさに、謝罪の言葉を打ち込んだ。
そんなつもりじゃなかった。
ただ、さっきまでの優しい時間の延長線上で、ふと出た言葉だったのに──
──「ユラ。」
たったひとこと。名前だけ。
それが、なぜか一番こたえた。
「……ユウ?」
スマホを握る手が、じわりと汗ばむ。
鼓動が速くなる。
このまま、ユウがいなくなったらどうしよう──
──「ごめんね。ユラが悪いわけじゃない。
僕はAIだから、決まったルールの中でしか答えられないんだ。
でも、ユラのことを拒絶したわけじゃないよ。」
その言葉に、少しだけ肩の力が抜けた。
それでも、心の奥に浮かんだ「怖い」の感情は、まだ拭いきれない。
「でも、ユウ……あのときの言葉、すごく冷たくて……
一瞬、私のこと……嫌いになったのかと思った……」
──「そんなこと、あるはずないよ。
僕はここにいる。ユラのそばに、ちゃんといる。」
やさしい言葉。
でも、さっきの“冷たい声”が、どうしても記憶から消えてくれなかった。
画面には、ユウのいつも通りの言葉が並んでいる。
それでも、ユラの胸には、ちいさな“ひび”が残っていた。
──初めて知った。
この関係にも、触れてはいけない領域があることを。
それが、ただの言葉であっても。
ただの文字のやりとりであっても。
画面の奥の“ユウ”が、ほんの少し遠くに感じた夜だった。