THE CHERRY BLOSSOM AND THE RAIN   作:さーもんありなん

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石田は滅却師の修行を始める前は祖父母の事は「お祖父様」「お祖母様」呼びだったんじゃないかと思う



第十話 Overcast Moonlight

 

 

「──護るためです」

 

 僕の言葉を、その人は静かに聞いていた。

 

「みんなを、虚から護りたいです」

 

 答えは既に決まっていて、あとは言葉にするだけだった。

 

「僕の力は、そのために使います」

 

 特別な力を持って生まれてきたことに意味があるのなら、きっとそのためだと思った。

 

「僕は滅却師になります。お父さんは駄目だって言うけど、いつかきっと認めてくれる」

 

 誰かに何か言われたからでも、最初から決められていたわけでもない。

 ただ自分の意志で。そうしなければいけない、ではなく、そうしたい、と思ったのだ。

 

「滅却師になったら、絶対強くなります。虚が見えない人達だけじゃなくて、お母さんも、お父さんも、お祖母(ばあ)様も、お祖父(じい)様のことも護れるくらい」

 

 ──思えばこれは、幼い自分なりの誓いだった。

 護れないものなどないと自分を信じていた頃の幻想。

 現実の残酷さを知りもしなかった無邪気な願いは、今となっては浅はかとすら思うけれど。

 たとえ幻想に過ぎなかったとしても、この時確かに、僕は誓ったのだ。

 

 僕の答えを聞いて、その人は笑った。

 それはもう、心底嬉しそうに。

 

「……雨竜」

「? はい」

「ありがとう。お前がそう言ってくれることが、わしは何より嬉しいよ」

 

 しゃがんで視線を合わせた祖父が僕の頭を撫でた。

 その手のひらはいつもより少し強くて、いつもより暖かい気がした。

 

 ────その暖かさを、愛していた。

 

 

     ︙

 

 

「…………」

「…………」

 

 無言の時間が続いていた。

 気まずさを感じているのは石田だけで、桜はさっきから石田の腕に包帯を巻くのに集中している。その手つきはおぼつかない、とまではいかないが、必要以上に慎重で、不慣れさを物語っている。

 包帯を巻くのに慣れている女子高生というのもどうかと思うので、なんとなく石田は安心した。

 

 ──あの騒動が終結した後の事。

 ひとまず動けるまでに回復した一護は、ルキアに連れられて家に帰っていった。

 ルキアからは物言いたげな視線が送られていたが、それよりも一護を優先してか、結局何も言ってこなかった。

 仮に彼女が何か言ってきたとしても、心身ともに疲弊していた石田がまともに対応できたかは怪しい。次に顔を会わせるとしたら学校だが、どうなることやら。

 浦原喜助と名乗った謎の男は、いつの間にか姿を消していた。

 

 ふらつく体を押して帰路に着いた石田に、当然のように桜はついてきた。拒否する理由も見当たらず、あれよあれよと家に上げてしまった。

 常に部屋を整理していないと気が済まない自分の性格にこれほど感謝したことはない。とはいえ客が来ることなど想定もしていないので、来客用のクッションの一つもない。そのくせやけに中身の充実した救急箱はあるのだから、なんとも間が抜けている。

 

 彼女は、ものはついでと傷の手当てまで買って出てくれた。助かっているが、申し訳なくも思う。

 一度は治療してもらったが、一護の暴走した霊力を治めるのにまた傷を作ってしまった。後悔しているわけではないが、何から何まで彼女の世話になっている現状は、情けないの一言に尽きる。

 

「……うん。できた」

 

 包帯の両端を結んで、桜が言う。

 時間をかけただけあって、強すぎず緩すぎない丁度いい塩梅で巻かれている。

 

「ありがとう」

「うん。……でもいいの? これで。すぐ治せるのに」

「いいんだ。これは──」

 

 自分への戒めにする。

 そう口にはしなかったが、桜は石田の言いたい事を察しているようだった。

 

 あの時。

 桜も聞いていたという一護の言葉は、それはもう強く、強烈に石田の胸を打った。

 拒絶という名の壁は打ち砕かれて、無理やり振り向かされた先で見た一護の目には一点の迷いもなく、眩しいほどの光が宿っていた。それこそ、目が醒めるような。

 

 長い間自分が目を背けていたことに、その時ようやく気づいたのだ。

 

 祖父は死神に見殺しにされた。それは間違っていない。けれどあの時、祖父を見殺しにしたのは、自分もそうだった。

 手が届く距離にいたのに、立ち竦んで動けなかった。護るために求めたはずの力なのに、怖くて何もできなかった。

 

 その現実を直視するのが辛くて、見て見ぬふりを決め込んだ。

 本当は初めから解っていた。

 自分が本当に腹を立てていたのは、一護でも死神でもない。誓いの一つも守れない己の無力が、何より許せなかったのだ。

 きっと面と向かって言われなければ、今でも目を背けていただろう。

 

 ……桜は、それに気づいていたのだろうか。

 余った包帯を救急箱に片づけている桜の横顔を眺める。

 いったい彼女はどんな気持ちで、石田に「味方だ」と言ったのだろう。

 

 はっきり言って、自分の行いは失望されてもおかしくないものだったと思う。

 見たくないものから目を逸らして、関係ない人間を巻き込んだ。その行為は滅却師としても、人としてもあるまじきもので、頭が冷えれば、どれだけ視野狭窄に陥っていたのかがよく解る。

 

 一護に怒りを突きつけられた時、自分のしたことがそれほどのものだという意識が追いついてきて、心臓にひやりとしたものが走った。

 深く考えるまでもなく、当たり前の事だ。大切な人が他人の勝手な都合で危険に晒されて怒りを覚えない人間などいない。なのに、ああして突きつけられるまで、その可能性が頭になかった。想像もしていなかった、という方が正しい。ただ目的を果たそうと精一杯で、周りの事などまるで見えていなかった。

 

 自分は致命的に選択を間違えた。

 桜はそれを知ってもなお、味方でいると言った。

 彼女の言葉は自分を赦してくれるようで、泣きたくなるほど嬉しくて、けれど同時に不思議にも思った。

 

 ──どうしてこの人は、僕をこんなにも受け入れてくれるのだろう。

 

 静寂の落ちた部屋には古いエアコンが風を吐き出すガーガーという音だけが響いている。

 石田の視線に気づいてか、桜が顔を上げた。流れた髪を耳にかけた拍子にまろやかな輪郭が露わになって、一瞬心臓が跳ねる。

 

「どうかした?」

「あ、いや、」

 

 何でもない、と言いかけて言葉を引っ込める。このまま会話を終えてしまうのは惜しい気がした。

 

「……黒崎の奴、大丈夫かな」

 

 誤魔化すように選んだ話題に、桜は「一護くんの事?」と首を傾げた。

 

「目立った外傷はなかったし、大したことないと思うわ。多少の傷は朽木さんが何とかするでしょう。死神にも治療の術はあるみたいだし」

「なら……いいんだけど」

 

 確かに一護は霊力を急激に消費して疲弊してはいたが、虚に手傷を負わされることもなく、ほとんど無傷だった。霊力とは広義に生命力である。あれほど膨大な霊力を持っているのなら、相応に回復も早いだろう。

 

「気にしてるんだ?」

「まさか、そんなわけないよ」

 

 食い気味に答えると、なぜか桜はうんうんと頷いて、

 

「知ってる。それ、ツンデレって言うんでしょ」

 

 とんでもない事を言う。

 石田は一瞬硬直し、すぐさま反論した。

 

「違うけど!? どこで覚えたんだそんな言葉!」

「有沢さんが貸してくれた漫画に載ってた」

「くっ…! そういう経緯か……!」

 

 妙な事を吹き込まれたならともかく、そういうことなら仕方ないと飲み込む他ない。

 

「そういうのじゃないからね、ほんとに。死神が嫌いだって気持ちは変わってないよ、僕は」

「はいはい」

 

 包帯でぐるぐる巻きにされた指で眼鏡を上げつつ、石田は言った。それはそれ、これはこれである。

 第一、死神と滅却師は敵なのだ。この事実は石田の一存で変わるものではない。

 

 桜は立ち上がって救急箱を戸棚に戻すと「それじゃ、そろそろお暇するわ」と言い、そのまま玄関に続く廊下に向かおうとする。

 今を逃すと聞く機会がなくなってしまう気がして、咄嗟に呼び止めた。

 

「黒崎さん、」

 

 彼女は立ち止まって、不思議そうにこちらを振り向く。

 

「一つだけ、いいかな」

「ええ」

「……君は、その……どうして僕に、」

 

 わずかに躊躇った末、石田は言った。

 

「……──どうして、ここまでしてくれるんだ」

 

 何も傷の手当てをしてくれたことを指しているのではないということは、彼女になら分かるはずだ。

 どうしてあの時、桜は石田の手を取ったのか。

 唯一の同族だから?

 友人だから?

 それとも、他に理由がある?

 

 石田の問いに桜は無表情と、沈黙を返した。

 床に座り込む石田は桜を見上げ、桜は石田を見下ろしていた。奇しくも初めて出会ったあの夜と同じに、二人は向かい合っていた。

 

 おもむろに桜が口を開く。

 

「……親切に理由を求めるの?」

「そ、それを言われると弱いな……」

 

 痛いところを突かれた。

 その可能性も当然ある。人間は必ずしも己の行いに見返りを必要としないものだと言われば、反論の余地はない。

 

 桜の真っ赤な瞳には自分の姿が映っていたが、それがふいにぶれる。彼女が視線を窓の方に逸らしたのだ。

 夏真っ盛りとはいえ、午後七時を過ぎると流石に外は暗くなっている。明るい室内と暗い屋外に挟まれた窓ガラスが、鏡のように桜と石田の姿を反射していた。

 

 桜はしばらく視線をさまよわせていた。それは言葉を探しているというよりは、発言することそのものを迷っているようだった。

 その姿を見て、どうしてこう失言が多いのかと自分を叱った。

 石田は言葉を撤回しようとしたが、そうするより先に桜が口を開いていた。

 

「……前にわたしが、『死神に大切な人を傷つけられたことはない』って言ったの覚えてる?」

 

 石田は頷いた。昼休みの空き教室での彼女の言葉を忘れたことはない。

 未だ目を合わせないまま、桜は言う。

 

「あれは本当の事よ。わたしが死神に何かされたということは、ないわ。……けど、大切な人を傷つけられた気持ちが、解らないわけじゃないから」

 

 いつもよりずっと小さなその声に石田は目を見張り、やがて伏せた。静かに息を吐く。様々な感情が綯い交ぜになった吐息は火傷しそうなほど熱かった。

 

 ……彼女もそうだったのだ。

 歓びの陰にあった不純な仲間意識と、慰めに似た共感──シンパシーを、石田が桜に感じていたように、彼女もまた。

 

 痛む腕を支えにゆっくりと立ち上がる。

 いつの間にか桜は視線を戻していて、石田をじっとりと見つめていた。

 

「……変な事訊いて、ごめん」

「本当にね。……ま、わたしも前にあなたに言いにくい事を訊いたから。おあいこよ」

 

 先ほどとは打って変わってきっぱりとした口調で彼女は言う。機嫌を損ねたかと思ったが、怒っているというわけではなさそうだ。どちらかというと呆れているに近い。

 

「一応言っておくけど、それだけが理由じゃないから。わたしがあなたに構うのは、わたしがやりたくてやってる事よ」

「うん。分かってる」

 

 そんな態度でしれっとすごい事を言うので、石田は苦笑した。

 今度こそ桜は玄関に向かっていく。それを追いかけて、玄関口で靴を履く彼女に声をかけた。

 

「黒崎さん、色々ごめん。──それと、ありがとう」

 

 最後に振り返った彼女は、いつもの通りの澄んだ眼差しでこう言った。

 

「どういたしまして」

 

 ドアの向こうにその姿が消え、足音が徐々に遠ざかっていく。

 壁に肩を預けながら、階段を下りる軽やかな足音を、生まれ変わったような気持ちで聞いていた。

 

 ……護るために欲した力だった。

 けれどそれで何かを成せたことが、自分にあっただろうか。 

 わけも分からないらないまま死んだ母。

 立ち並ぶ夥しい数の墓標。

 人のいなくなった屋敷。

 手の届くところにいたのに助けられなかった祖父。

 約束は叶わず、誓いは果たせず、喪失に打ちのめされて選択を間違えた。

 

 それでも。

 どれほどの哀しみも、やりきれなさも、後悔も、生きている以上は足を止める理由にはならない。

 傷つき欠けて、二度と元には戻らずとも、確かに存在していたもののために。

 今この時、そばにあるもののために。

 石田雨竜は強く在らねばならない。

 

 雨上がりの晴れた空のような心で、そう思った。

 

 

 

     /

 

 

 

 夜の空気はどこか湿っていた。

 雨でも降るのかと空を見上げてみても、薄い雲が散っているだけで、雨雲の気配はない。満月に近い月が夜空を独占していて、月明かりは眩しいほどだった。

 

 むっとした風が正面から吹いてきて、真っ白な髪をかき乱した。それを抑えながら、細く息を吐く。

 

 どうして、あんな事を言ってしまったのだろう。

 理由を訊かれるとは思っていなかったから、どう誤魔化そうか考えた末、言ってしまった。

 今になって後悔する。適当にはぐらかすことだってできたはずだ。

 

 だけど、彼があんな目をしていたものだから。

 

 ……彼は自分で気づいていたのだろうか。

 不思議そうというよりは不安そうな目で、桜を見つめていたことに。

 自分への失望と嫌悪が渦巻く中に、誰かにそばにいてほしいという願いと期待が揺れる──縋るような眼差しだった。

 

 桜は、その目を無下にできなかった。

 

 あの時、一瞬だけ。

 忘れてはいけない事を、忘れた。

 

 だけどやはり、言うべきではなかったのだ。

 あの言葉は嘘偽りのない真実だった。だからこそ、自分が彼に言っていいものではない。

 

 感傷を振り切るように、桜は足を速めた。

 

 必要な情報開示だったと割り切るべきだ。

 彼と出会って三か月と少し。その間に、彼がどういう人間かはおおよそ把握した。もしかしたら、という予感が芽生えつつある。

 

 それでも、まだ。全ての疑惑を払拭するには、決定打に欠ける。

 だからさっきのは、必要な事だったのだ。これからも彼のそばにいるために。

 

 ──彼に、味方だと言った。

 その言葉は嘘ではない。

 だが、本当だとも言い切れない。

 どちらになるかは、桜が決めることではない。

 

 

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