THE CHERRY BLOSSOM AND THE RAIN 作:さーもんありなん
「おー、桜。おはよ」
「おはよう、有沢さん」
教室に入ると、いつもと同じ挨拶で迎えられる。
声をかけてきた竜貴はいつものように、織姫の席の近くにある空いた椅子に腰かけていた。
いつもと変わらない光景。
違うものといえば、織姫から送られてくるこちらを窺うような視線だろう。
「井上さんもおはよう」
「うん。おはよう、桜ちゃん」
どことなく控え目な笑みは、桜を探っているのか、見極めているのか。
織姫だけでなく、少し離れた所にいる茶渡からも同様の視線が向けられているのを感じる。
(いえ、これは流石に穿ちすぎね)
井上と茶渡は昨日の騒動の最中に異能力に目覚めた。その後浦原に保護されてからの動向は不明だが、おそらくどこかから桜達の戦いを見ていたのだろう。
ならばこの眼差しは、知らない一面を隠していたクラスメイトに向ける観察の目か。少なくとも、毒気は感じられない。
「織姫、どうしたのさ。桜のことじっと見て。あの子の顔に何かついてた?」
「ううん、何でもない! えーっと、桜ちゃん、髪長いのに下ろしてて暑くないのかなって」
「ああ、確かにあの子髪長いけど、見るからに涼しそうだし。ていうか髪ならあんただって長いでしょ」
二人の会話を背中で聞きながら鞄の中身を机に移していると、
「桜、ちょっといいか」
一護が声をかけてきた。隣にはルキアの姿もある。
予想していた事なので、さして驚きはない。桜は彼らの後を追って教室を出た。
◇
始業前の屋上に人気はなかった。昼休みならともかく、こんな時間にわざわざ来ようという物好きはいないらしい。
柵越しに見下ろす校庭には、校舎に吸い込まれていく大勢の生徒の姿がある。
開口一番、一護が言った。
「石田は?」
「さあ。昨日傷の手当てをして、それきり。多少遅れても来るでしょ」
基本的には真面目な男なので、よほどの事でもない限りは学校を休むということはないはずだ。今朝霊圧の様子を探ったが、特に異常は見受けられなかった。
傷、と言ったところで一護の眉がぴくりと動く。
「傷って、大丈夫なのかよ」
似たような台詞を昨日も聞いた気がするな、と思った。
「平気よ。ただの裂傷だから、少ししたら治るわ」
「あん時お前、石田の怪我治してたよな。治さなかったのか?」
「本人がいらないって言ったんだから仕方ないじゃない」
一護の眉間のしわがますます深くなる。
その仕草に付随する意図が分からず、桜は内心疑問を浮かべた。
なぜ一護は石田の怪我を気にするのだろう。確かに石田の腕の怪我については一護の霊力の暴走を止めた際に負ったものだが、それ以前に石田が一護に突っかかっていった結果なのだから、彼が気にかける道理はないはずだ。
「奴の自業自得だ。貴様のせいではない、そう気に病むな」
ルキアがきっぱりと言った。
一護は「べっ、別にあんなの心配するほどのモンじゃねーよ」ともごもご反論するが、彼女は心配するなとは言っていないので、語るに落ちている。
その様子を見て、桜はようやくその事に思い当たった。
「まさか、怒ってないの? 一護くん。あんな事されたのに?」
一護はきょとんとした顔で桜を見た。思いもよらない事を言われた、と表情が物語っている。
「あー、まあ……。喧嘩ふっかけてきたのはムカついたけど、事情があったのはわかったし……」
だから、とか、えーっと、とか色々言っているが、要するに怒っていないということだ。
怒りを収めたのは共闘のための一時的なものに留まらず、彼は既にこの件を手打ちにしたのだろう。
「──そう。人が
「まったくだ。簡単に矛を収めおって」
ため息交じりの桜の言葉に、ルキアが不機嫌そうに同意した。
言われた本人は「何でこんなに言われんだよ」という顔で、そっぽを向いている。
彼の姿勢は人が好いを通り越して甘いとも思うが、悪い事ではない。
「ま、そう思ってくれるならわたしも助かるわ。あの子も結構悪いと思ってるみたいだし」
石田の事を思うなら、一護がそういうスタンスなのは幸いだった。互いを知ってしまったからには、彼らは今後以前のような知人以下のクラスメイトには戻れないだろう。ずっと険悪でいられてもやりにくいので、どうしようかと思っていたところだ。
「…………」
「なに? その顔」
一護が何とも言えない表情でこちらを見つめてくる。
「……お前、あいつとどういう関係なんだ?」
「どういうも何も、同じ滅却師のクラスメイトだけど」
「それだけにしてはなんかこう……距離が近いっつーか……」
一護の言葉はいまひとつ要領を得ないうえ、妙な身振り手振りを加えてくるので余計に分かりにくい。推察するに、特別な連帯感があったということだろうか。
「近くもなるでしょう。だって──」
「滅却師の生き残り同士だからか?」
ルキアが桜の言葉を遮った。
硬質な響きを帯びた彼女の声に一護が「おい、」と咎めるように口にするが、桜はあっさりと首肯した。紛れもない事実だからだ。同時に、彼らの目的も察する。石田の容態を尋ねるためだけに、わざわざこんなところに来る必要はない。
柵にもたれかかって、桜は二人に向き直った。
「聞きたい事があるなら受けつけるけど。まずあなた達はどこまで知ってるの?」
「死神が滅却師を滅ぼしたという事は、浦原から聞いた」
死神と滅却師の長きに渡る対立と、その結末。それをルキアは浦原から聞き、彼女を経由して一護も知ったという。二人が知っているのはそれのみだった。──どうやら浦原喜助は、それ以前の歴史については情報を伏せたらしい。
桜は自分が外国に逃れた滅却師の生き残りで、日本に生き残りがいると聞いて訪日した事を彼らに話して聞かせた。
「桜、貴様は死神をどう思っているのだ」
ルキアの問いに、桜は目を丸くした。
「何だ? 私は何か妙な事を訊いたか?」
「……いえ。前に石田くんに同じ事を訊かれたから」
あの時の石田ならともかく、随分つまらない事を気にするものだと思う。そんな事、正規の死神であるルキアには関係がないだろうに。
「どうとも思ってないわ。そもそもわたし、死神に興味がないの。興味のない相手に特別な感情なんて抱けないでしょう? だからあなた達にも思う事なんて何もない。わたし個人としてはね」
「個人としては、か。それは種族としては別という事か?」
「話が早いわね、朽木さん。その通りよ」
一護は難しい顔で黙り込んだまま、桜とルキアの会話を聞いている。
「滅却師と死神は対立している。それはわたし達が生きていくうえで絶対に無視できない世界の法則。個人の一存は、種族という大きな括りの前では力を失うわ」
気が遠くなるほどの遥か昔、死神の力は魂魄循環の調和を司るものとして定められたが、滅却師の力はそれを阻害する存在だと位置づけられた。それは法則というより摂理と言った方が正しい。
脱却する術はない。仮にあるとするなら、それは
理の下で世界は営まれ、長い歴史の中で二つの種族の関係は固定された。
同じ世界に存在している以上、決して相容れないもの。──ひとは、それを敵と呼ぶ。
「だから、滅却師としての立場から言わせてもらうと、あなた達は敵ってことになるわね」
「──なんだ、心配して損したぜ」
出し抜けに一護がわけのわからない事を言いだした。
桜はきょとんとして、目をしばたたく。
「心配? 何が?」
「こ奴はな、貴様が自分を恨んでいるのではないかとひやひやしておったのだ」
ルキアの言葉に、桜は一護をじっと凝視した。
彼は逃げるように顔を逸らす。
「うるせーな……実はクラスメイトに恨まれてましたとか、あんま気分良くねえだろ……」
言わんとする事は分かるが、その例にもろに当てはまる石田はどうなのだろう。
桜の疑問を察してか、一護は「いや、俺あいつの事認識したのこの間が初めてだったから……」となかなかに酷い事を言う。
というか、彼は人の話を聞いていたのだろうか。
「わたし、あなた達とは敵だって言ったんだけど」
「けどさっき自分で言ったじゃねーか。個人としては何とも思ってないって。なら何の問題もねえだろ」
一護が何を言っているのか解らなくて、一瞬思考が止まる。遅れて、その言葉の意味を理解した。
つまり彼は。
生まれついて得た種族という立場よりも、桜という個人が持つ意思を尊重すると、そう言っているのだ。
「大体、敵だったとしても戦う理由がねえんだから、構えることもねえだろ。今までだって普通に喋ってたんだし、少なくとも俺は態度変えたりしねえよ」
ぶっきらぼうな言い方だったが、それはいつもの事である。彼にとってその言葉は特別でもなんでもない、当たり前の事なのだ。
桜はそうと分からないように静かに息を吸って、努めて普段通りに言った。
「顔のわりに繊細なのね、一護くん。いえ、この場合は顔に似つかわしく、と言うべきかしら」
「……それ褒めてんのか?」
「もちろん」
一護の顔には褒められてる気がしない、と書いてある。分かりやすい男である。
その時、始業のチャイムが鳴った。古いスピーカーから鳴るぼやけた音が階下から響いてくる。
階段室に向かう一護に続こうとした桜は、ルキアに呼び止められて足を止めた。
「桜は残ってくれ。まだ訊きたい事がある」
「……構わないわよ」
頷いた桜に対して、一護は怪訝そうな目をルキアに向けた。
「んだよルキア、まだ何かあんのか」
「ああ、ある。だが貴様は邪魔だ。さっさと戻っていろ」
しっしっと手を払うルキアに一護は青筋を立てかけたが、そこへ桜が口を挟む。
「あなたよく授業サボってるんだから、出られるときは出ておかないと進級に障るわよ」
痛いところを突かれてか、一護は何とも言えない顔になる。
結局彼は渋々ながらも引き下がり、屋上を出ていく寸前、ルキアに言った。
「あんま桜いじめんなよ」
「いじめるか!」
/
オレンジの髪が階段室のドアの向こうに消える。
桜は閉じられたドアを無言で見つめていたが、一護の霊圧が完全に屋上から離れたのを確認して、ぽつりと言った。
「彼、優しい子ね」
「……そうだな」
一護は優しい。優しいを通り越して甘いまである。その在り方がルキアには好ましかった。
生ぬるい風が吹き、桜の長い髪がさらりと揺れる。彼女の髪は色素が抜け落ちたような白さで、しばらく顔を見ていない自隊の隊長を彷彿とさせた。
陽射しが強くなってきたので、日陰に移動する。
壁に背を預けて座り込むと、隣に座った桜が血のように赤い瞳をルキアに向けてきた。
「それで? わたし、これからあなたにいじめられるのかしら」
「だからいじめんと言っとるだろう……」
顔をしかめる。
昨日の事を思い返しながら、ルキアは尋ねた。
「昨日、
「え? ……ああ。そういえばそんな事もしたわね」
やはりそうだったのだ。
あれは滅却師の矢だった。石田でないのなら、やった人物は一人に限られる。
「あの時は危ないところだったから、助かった。礼を言う」
「…………いえ、別に…………」
妙な沈黙が挟まった上に尻すぼみな言葉。おかしな反応だと思えば、桜は信じられないものを見るような目でこちらを見ていた。
「な、なんだ?」
「いえ……。なんでもないわ。ごめんなさい。続けて」
「あ、ああ……」
真顔で桜が言うのに少々気圧される。咳払いをしてから、再び彼女に尋ねた。
「貴様は石田のあの計画を知っていたのか?」
「いいえ。石田くんはわたしを巻き込みたくなかったみたいだから、何も。口を挟んだのはわたしの独断よ」
そういえば、石田がそんなことを言っていた気がする。色々あったのですっかり忘れていたが。
桜本人が知らなかったのであればこれ以上を言うのは野暮かとルキアは口を開きかけたが、それより先に桜が言った。
「でも、仮に事前に言われていたとしても、止めなかったと思うわ。わたし、彼の味方をするって決めてるから」
その言葉にかちんときて、
「たわけ。味方というなら尚更止めぬか!」
思わず、強い口調で叱りつけていた。
「死者こそ出なかったが、怪我を負った者もいた。結果良ければ全て良しで済む話ではない。石田の事情は汲むが、それとこれとは話が別だ」
全て言い切った後で、ルキアははっと我に返った。
あまりに出過ぎた言い分だった。初対面でこそないが、碌に交流もなかったクラスメイトにかけていい言葉ではない。
桜は無表情で、ルキアを見つめている。
「す、すまん。今のは言い過ぎた……」
「いいの。正しい事だわ。──あなたが、石田くんが一護くんを巻き込んだことに怒ってるなら尚更ね」
「む……」
さらりと受け流したと思いきや、いきなり核心を突いてくる。否定しがたい指摘に、ルキアは口ごもった。
一護は、ルキアが怒っているのは石田が無関係の一般人を巻き込んだことだと思っていたようだが、実際はそうではない。その思い違いには気づいていたが、当の本人があっさり怒りを引っ込めてしまったことに対してもルキアは苛立っていたので、訂正もせずにそのままにしていたのだ。
「え、ほんとにそうなの? もしかしたらとは思ってたけど……信じられない……」
「貴様カマをかけたな……! というかさっきから何なのだ、その反応は!」
「だって、死神ってもっとこう……血も涙もなくて、人間の事なんて何とも思ってない冷血だとばかり……」
「どんなイメージだ!?」
桜は本気でそう思っていたようで、驚きを通り越して困惑すらしている。眉を八の字に下げた表情は、普段大人びている彼女をぐっと幼く見せた。
「ううむ……まあ貴様の立場からすれば、そう思うのも無理からぬ事ではあるが……」
ルキアは腕を組んで唸った。
二百年前に死神側が下した滅却師殲滅の決定は世界の均衡を保つためにはやむを得ないことだったが、滅却師側からすれば、合理に寄って人情を度外視した冷血な判断に映るだろう。
滅却師の生き残りである桜が、死神にそんなイメージを抱くことは想像に容易かった。
「だが、死神は人間を守るものだ。『死神皆須らく、友と人間とを守り死すべし』──霊術院で、死神の見習いはそう学ぶ。だからまあ……私が一護のために怒るのは、死神としておかしな事ではない」
「……そう」
桜はまだ物言いたげだったが、ひとまず納得はしたのか、口を閉ざした。
わずかな沈黙。授業中の校舎は静まり返っていて、遠くから響いてくる蝉の鳴き声だけが妙に浮いていた。
「前から訊きたかったんだけど、一護くんってどうして死神になったの?」
「それは……いや、そうだな。話しておこう」
五月の半ばに一護と出会ってからの日々を、ルキアはぽつぽつと語った。
全てを話し終えると、黙って聞いていた桜は呟くように言う。
「なるほどね……。予想はしてたけど、ほとんど事故のようなものだったのね」
事故とは言い得て妙である。どちらの意思も介入しない予期せぬ出来事。それがルキアと一護の出逢いだった。
ルキアが一護に死神の力を譲渡したのは合意の下だったが、そうしなければ一護と一護の家族の命がないという状況だった。そうせざるを得なかったのだ。
そして一護は死神になった。
それが良い事だったのか悪い事だったのか、ルキアにはもう判断がつかない。
一護は初めこそルキアに恩を返すという名目で死神業務に励んでいたが、虚退治を繰り返すうちに成長していき、心構えも変わっていった。母親の命日には仇の虚と戦って、死神として周りの人間を守るという使命に目覚めた。
それはルキアにとっては都合が良かった。
だが、一護にとってはどうだったのだろう。
経緯はどうあれ、ただの人間でいれば一生知ることのなかったはずの世界に一護は足を踏み入れた。そのきっかけとなった──なってしまったのはルキアだ。
……昨日の大虚の出現に、尸魂界はまず間違いなく気づいているだろう。現場にいた自分も補足されたと見ていい。
尸魂界の霊法では、人間への死神能力の譲渡は重罪である。既に追っ手が差し向けられた可能性は高い。
もし、それで一護に累が及ぶ事があれば。
それは、考えることすら恐ろしい未来だった。
「引き留めてすまなかった。もう戻ろう」
ルキアは立ち上がった。
随分長く話し込んでいたようで、次いで桜が立ち上がった時、授業終わりのチャイムが鳴った。授業の合間の短い休憩時間に入り、息を吹き返したように校舎中がざわつきだす。
その喧噪に紛れるように、桜は言った。
「一護くんの事を心配してるなら、わたしの事は警戒しなくていいの? 一応わたし、彼の敵なんだけど」
「それは一護がもう結論を出したろう。異論はないぞ、私は」
敵とは言うが、桜からは微塵の敵意も感じ取れない。そもそもそんな忠告をしてくる時点で、人となりが窺えるというものだ。
それに──
「貴様はあの時石田を手助けするために出てきたのだろう。ならば貴様は、仲間のために武器を持てる人間だ。そういう奴は信用できる……と思う」
しばし桜はルキアをじっと見つめていたが、
「……わかった。きっとあなたが特別変わってるのね」
視線を切って、吐息交じりにそう言った。