THE CHERRY BLOSSOM AND THE RAIN   作:さーもんありなん

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第十三話 光と影

 

 

 薄明の空に浮かぶ雨雲は徐々に消えつつある。地面と空気を濡らすだけ濡らして、夜明け前に雨は止んだ。

 一度家に帰って服を着替えた桜は、新聞配達のバイクとすれ違いながら石田の家に向かった。

 迎えた家主も服を変えていて、「またシャツを駄目にした……」とぼやいている。浦原の治療は適切に機能したらしく、派手に出血した割には元気そうだった。

 

 石田が出してくれたコーヒーを飲みながら、桜は昨日の屋上でのルキアとの会話を石田に話した。

 彼はルキアが石田に怒っていたという部分ではバツが悪そうな顔をしていたが、その理由になると打って変わって微妙な顔をする。

 

「……それさ、朽木さんは純粋に黒崎のために怒ってたんじゃないの?」

「そうだと思う。本人は自分が死神だからって言ってたけど」

 

 ルキアは自分が一護のために怒るのは死神として不自然ではないと言ったが、桜には彼女が個人として怒っているように見えた。

 個人──つまり、一護の友人として。

 

 その事に本人が気づいていたかどうかは知れない。本当に気づいていなかったのか、知っていて見ないふりをしていたのか。

 ただ、他人()の事を「友のために武器を持てる人間」だと言えるくせに、自分が人間を友だと思っていることに気づいていないとは考えにくく、知った上で押し殺していたのだろうとは思う。

 どちらにせよ、それを指摘する前に彼女は現世を去ってしまったのだが。

 

(……友、ね……)

 

 桜は密かに石田に視線をやった。

 彼はこちらに気づくことなく、神妙な顔つきでコーヒーカップの中身を見つめている。

 

「……黒崎ならともかく、正規の死神でもそんな人っているんだね」

「そうね。わたしも意外だったわ」

 

 死神代行である一護の存在を除けば、石田の死神への認識は祖父を見殺しにした奴らから更新されていないはずなので、ルキアの話はそれなりに衝撃だっただろう。

 衝撃だというなら桜もそうだ。

 

 朽木ルキアはおかしな死神だった。

 人間のために怒り、悩み、滅却師を慮り、あまつさえ礼を言う。

 そんな死神がいるのかと、本気で驚いたものだ。

 

 死神の仕事は魂魄の循環を司り世界の均衡を保つ事だ。彼らの存在自体が世界のシステムを潤滑に回すための歯車であり、つまるところ死神にとっては人間を守ることすら絶対に必要な事ではない。尸魂界にある死神の学校では人間を守るべしと教えているらしいが、はっきり言ってそれは余分というものだろう。

 

 機械的で、冷血で、人でなし。それが死神へのイメージだった。

 ルキアはそれを覆していった。

 無論、他の死神も全員そうだなどと楽観的なことは考えていないが、そういう者もいるのだという事実が、妙に心に残った。

 

「自分の目で見るって大事ね」

「……そうだね」

 

 カップを両手で握って、ぽつりと呟く。

 独り言のつもりだったのだが、石田からは同意が返ってきた。ついでにそのまま尋ねる。

 

「石田くん、これからどうするの?」

「尸魂界に行く」

 

 即答だった。

 予想していた答えだったが、念のため訊いておく。

 

「訳を訊いてもいいかしら」

「そんなの決まってる。僕は死神に負けた自分が許せない。あの阿散井とかいう死神にリベンジするためだよ」

 

 くいっと眼鏡を上げて、石田は言う。

 桜は呆れた。

 

「その建前、わたしの前では必要ないんじゃない?」

「…………建前とかじゃないし……朽木さんを助けに行くとかそんなの考えてもないし……」

 

 

 

     /

 

 

 

 月の光に照らされた白い髪は星のような輝きを纏っていた。

 

「……呆れた。とんだ屁理屈ね。あなたってつくづく変わってる」

 

 柔らかく下がった柳眉の下、宝石のように鮮やかな瞳はゆるく弧を描いていて、口元は綻んでいた。

 

「ほんと、おかしな子」

 

 その笑みが、月光が霞むほどに眩く見えて。

 傷の痛みも冷たい地面の感触も忘れて、ただ目を奪われた。

 

 

     ◇

 

 

 強い陽射しが地面にくっきりと影を落としている。

 石田は首筋を汗が伝うのを感じながら、重たい門扉を押し開けた。

 

 数か月ぶりに訪れた実家は相変わらず閑散としていた。太陽に熱されているはずの空気は、敷地内の部分だけ冷たいように感じられる。

 これまた重い玄関扉を開けて、館に入る。無駄に広いホールを抜けて、真っ直ぐ自室に向かった。

 

 長い廊下を歩く。立ち並ぶドアの数だけ部屋があるが、使っている部屋は数えるほどしかない。

 今、この洋館には石田の父が一人で住んでいる。とはいえ総合病院の院長と執刀医を務める父は多忙で、帰ってこない日も少なくない。石田がここに住んでいた頃からそうだったので、今も変わっていないはずだ。

 

 家主がそんな状態なので、家の細々とした事は週に何日か来るハウスキーパーに任せている。家を出る前は石田もあちこち掃除をしたり手を入れたりしていたが、いかんせん広いので、手が回り切らないところも多い。

 庭などはまさにその例だ。廊下の窓から見下ろす庭には雑草が盛大に生い茂っていて、とても素人には太刀打ちできそうもない。当分はあのままだろうなと思いながら、自室の前に辿り着く。

 

 ドアの鍵を開けて中に入ると、むっとした埃っぽい空気に迎えられた。ここには誰の手も入っていない。ハウスキーパーにも、入らないよう頼んである。

 顔をしかめつつ、ひとまず窓を開けて換気をする。それから、クローゼットの奥に仕舞い込んでいたものを引っ張り出した。

 

「…………師匠(せんせい)

 

 薄く埃を被った白い箱を指先で撫でる。生前、祖父から渡されたものだ。

 

 これから、自分は尸魂界に行く。まず間違いなく、死神と戦うことになるだろう。

 ならばその前に修行でもしたほうがいいと言ったのは桜だ。彼女は念のため学校の様子を見てくると言ってあの後すぐに石田の家を出て行ったが、その直前、そんな提案をしてきたのだ。

 

「僕もそう思ってたところだよ。悔しいけど、今のままじゃ力不足だろうし」

「そうね。わたしもせめてあの男の骨を砕き返せるくらいには仕上げないと」

 

 真顔で物騒な事を言う。かなり、いやもの凄く根に持っているようだ。どうやら売られた喧嘩はきっちり買い上げるタイプらしい。

 暗に自分も尸魂界に行くと言う桜に、石田はもう驚かなかった。彼女はきっとルキアを放っておかないだろうと、そう思っていたから。

 

 ルキアの置かれた状況を思うと不謹慎かもしれないが、誰かと一緒に修行をするのは祖父に教えを受けていた頃以来で、少し楽しみでもあった。

 チェストから夏服を数着取り出して、持参したバッグに入れる。戸締まりをして部屋を出た石田は、廊下に立つ人影に気づいてぎょっとした。

 

「──なんでいるんだ、あんた」

「私が自宅にいることに何の不思議がある」

 

 父──石田竜弦が、窓から差し込む光の中に立っていた。相変わらずのしかめ面で、こちらを真っ直ぐ見つめてくる。

 浮き立っていた気持ちが途端にすぼんでいくのを感じながら、石田は言った。

 

「そうじゃない、仕事はどうしたんだ」

「野暮用があっただけだ、すぐに戻る。お前こそなぜいる」

「僕がここにいたらおかしいか。必要な物を取りに来ただけだ、すぐに帰るさ」

 

 顔を合わせるのは数か月ぶりだが、やはりこの男は気に食わない。

 嫌味ったらしく同じセリフを返して、足早に通り過ぎようとした、その時。

 

「──黒崎桜」

 

 足が止まる。すぐそばにある父の顔を見上げた。

 いっそ冷徹ですらある眼差しが、こちらを見下ろしていた。

 

「滅却師らしいな、お前の同級生は」

「……何で知ってる」

 

 桜の事は父には話していない。実家を出てから一度も連絡を取っていないのだから話すも何もない。

 

「気づかないとでも思ったか。霊圧で種族を判別する程度、造作もない。突然現れた見知らぬ霊圧を警戒しない理由もな」

「警戒……?」

 

 意味を測りかね、眉をひそめた。

 仮にも滅却師の生き残りである父が桜を気にするのは不思議ではないが、だからといってどうして警戒などする必要があるのか。

 この男の表情が険しいのはいつもの事だ。だが、その目はいつにも増して冷え切っているように思える。相手を注意深く探るような、無機質で硬い視線だった。

 

 雨竜、と一言名前を呼んで、父は言った。

 

「これは忠告だ────」

 

 

     ◇

 

 

 待ち合わせ場所のバス停には既に桜の姿があった。ベンチに腰掛けて本のページを捲っていた彼女は石田に気づいて顔を上げたが、すぐに眉をひそめた。

 

「石田く──……どうしたの。何かあった?」

 

 その反応に、自分がどんな顔をしているのか嫌でも察した。

 ベンチから腰を浮かしかけた桜を手で制して、隣に座る。誤魔化すようにかぶりを振って、石田は尋ねた。

 

「何でもないよ。待たせてごめん。……黒崎には会った?」

「……ええ。怪我の割には元気そうだったわ。わたし達も行くって言ったら驚いてた」

 

 分かりやすく逸らした話題に、桜は物言いたげな顔をしながらも答えた。

 そう、と頷く。相当な重傷だったろうに、頑丈な男だ。彼は浦原に修行をつけてもらうらしい。

 

 ……道路に立つ陽炎をぼんやりと眺めていると、ため息がこぼれた。大したことはしていないはずなのに、ひどく体力を消耗した感覚がある。家からここまで走ってきたからとか、暑いからとか、そういう理由ではない。

 

 にわかに落ちた沈黙に、蝉の鳴き声がうるさい。

 市内から外れた住宅街には街路樹が多く植えられていて、その只中にあるバス停には蝉の声が間近に響く。

 

 ふいに桜が言った。

 

「石田くん。前から思ってた事があるんだけど」

「ん。──なんだい?」

「わたしの事名前で呼ばない?」

 

 石田はきょとんとして、目をしばたたかせた。

 

「……え?」

「一護くんがいるのに、どっちも黒崎じゃ紛らわしいでしょう」

「──それは……そうだけど……」

 

 口ごもる石田に、「それとも彼の方を名前で呼ぶ?」と桜は尋ねる。

 石田は一護を名前で呼ぶ自分を想像して──そのあまりの悍ましさに震え上がった。

 

「それだけは、絶対に、断固として、拒否する」

「そんなに……?」

 

 端的に言って気色悪い。柄じゃないにもほどがある。

 しかし、そうなると桜の提案を吞まざるを得ないことになる。別に、嫌というわけではないのだ。単に、彼女の名前を呼ぶのに勝手に気恥ずかしさを覚えるというだけで。

 だが桜の言う事には一理ある。紛らわしいのは確かだし、少なくともこれから先は一護と行動を共にすることになるのだから、分かりやすくさせておいた方がいい。

 散々迷った末に、石田は腹を括った。

 

「……さ──桜、さん」

 

 思い切って口にしてみれば、その音は殊の外、耳に馴染んだ。きっとその名前が、彼女によく似合っているからだと思う。

 桜は、わずかに表情を緩めた。

 

「──うん、やっぱりそっちの方が呼ばれ慣れてる。石田くんずっと苗字で呼ぶから変な感じだなって思ってたの」

「ああ、確かにお兄さんと暮らしてたなら、苗字を呼ばれる機会はまずないか……」

 

 もう少し早くそう呼んでいればよかったかなと、石田は少し反省した。

 

 ……彼女の静かな声を聞いているうちに、ささくれ立っていた心が平静を取り戻しているのを感じる。どうやら気を遣わせてしまったようだ。

 父のあんまりな言葉にカッとなって、ほとんど怒鳴るように反論して家を飛び出したが、やはりあの男の忠告とやらは一考にも値しない、くだらない杞憂に決まっている。

 

 ──その女にあまり気を許すなよ。

 

 冷たい声を頭から追い出して、目的のバスが来るまでの時間、彼女が話す他愛のない雑談に耳を傾けた。

 

 




13話目にしてようやくヒロインの名前を呼ぶ男、石田雨竜
お父さんはコミュニケーションの取り方を考え直した方がいい
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