THE CHERRY BLOSSOM AND THE RAIN   作:さーもんありなん

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第十四話 The concerned

 

 

 あまりにも印象的なその少女との出会いは、まだ記憶に新しい。

 

 春の陽射しにきらきらと輝く白い髪と、宝石のような赤の瞳。すらりと長い手足に、「よろしく」と言う鈴の声。

 どこを取っても透き通るように綺麗な、春に咲く花と同じ名前をした彼女を、織姫はまるで天使のようだと思った。

 

 彼女──桜は口数はそう多くなく、あまり笑わない人だったが、決して冷たくはなかった。

 帰国子女で一人暮らしをしているという彼女が、あまり人付き合いに慣れていないらしいと気づいてから、織姫は積極的に話しかけるようにしていた。

 

 他愛のない話題を振ると、澄んだ声が返ってくる。それが嬉しかった。

 けれど時折、彼女との間に距離を感じることがあったのは否定し難い。

 

 桜は友達だ。

 けれど彼女が織姫を友達と思ってくれているかは分からない。そう感じるのは、当たり障りのないやり取りをする一方で、桜がどこか決定的な一線を引いていることに気づいていたからだ。

 それ自体は仕方のない事だと思う。誰にだって自分の領域というものがあって、そこに他人を立ち入らせたくないと思うのは当たり前の事。

 けれど、それをもどかしくも感じていたのも事実。

 

 ……なぜこんなにも彼女の事が気になるのか、自分でも不思議なほどだった。理由は分からない。ただ、窓際の席から教室をぼうっと眺めている桜の横顔を見ていると、ひどく心がざわついた。

 

 だからあの収録の日、石田といるのを見た時は驚いた。教室でたまに話しているのは知っていたが、一緒に出かけるほどだとは思っていなかったから。

 桜もそうだが、石田も教室や部活の時とは随分様子が違った。二人のやり取りは親密そうで、竜貴が邪推するのも少し分かる気がした。

 

 ──そして訪れた、あの運命の日。

 白い仮面の怪物に襲われて、がむしゃらにそれを退けた。気がつけば浦原という人に助けられていて、聞かされたのはあまりに現実離れした、けれど否定できない現実の話だった。

 魂魄、虚、死神、滅却師、尸魂界。

 色々な事をほとんど一方的に話して、最終的には自分の目で見て決めてくださいと浦原は言った。

 

 言われるがままに、その光景を遠くから眺めた。

 黒くて大きな怪物と対峙する四人の人影──一護とルキア、桜と石田の姿を。

 非日常に接する彼らの姿は、これまで忘れたふりをしていた不思議な出来事のすべてを裏付けていた。

 

 それから数日も経たないうちに、ルキアは忽然と姿を消した。存在が丸ごと削り取られて、初めからそんな人などいなかったかのように、誰も彼女の事を覚えていなかった。

 一護達は、そんな空白となってしまったルキアを助けに行くのだという。

 

 ……逡巡は既に終えていた。

 目覚めた力が何のためのものなのか、織姫は半ば本能で悟っていた。

 

 そして今、織姫は夜一の案内の下、茶渡と共に山道を歩いている。桜と石田が山奥で二人で修行をしているらしいと聞き、二人も修行に誘おうと織姫が提案したからだ。

 夜一は「滅却師は戦闘民族として修練の方法も確立しているからあまり意味はないと思うがの」と言っていたが、織姫の気持ちを汲んで案内を申し出てくれた。

 

「二人ともこんなところで修行してるんだな。というか勝手に入って大丈夫なのか? この山」

「ここは石田の父親が所有しておる土地じゃ、問題あるまい。正確には先祖代々受け継いだ土地らしいがの」

「何でそんな事知ってるんだ夜一さん……」

 

 背後の夜一と茶渡の会話を聞きながら、織姫はごつごつした岩場の道を手足を引っかけるようにして登っていく。

 

 力を使いこなせるようになって、同じ視界を共有できるようになったら。

 

(もっと仲良くなれるかな、あたし達)

 

 白髪に黒いワンピース、黒髪に白いシャツの対照的な色彩の二人は、驚いた顔で織姫達を出迎えた。

 

 

     ◇

 

 

「そうか……君達の霊力が高まっていた事には気づいていたけど、そんな話になっていたとは……」

 

 木陰の岩に腰かける石田は、織姫と茶渡が尸魂界に同行するという話をすると、難しい顔でそう言った。

 

「それがあなた達が選択したことなら、わたしが口を差し挟む余地はないわ」

「うむ。戦場に赴くのに最も重要なのは戦う覚悟じゃ。戦う術はこれから鍛えればよい」

 

 桜の言葉に夜一が尻尾を揺らしながら同意する。

 

「まあ君達がそう決めたのなら、僕が何か言うのはおかしな話だし……──ん?」

 

 そこまで言って、石田はきょろきょろと辺りを見回した。

 

「……今、誰が喋ったんだ?」

「なんじゃ、わからんかったのか? 儂じゃ」

「うわあっ!!?」

 

 ひょこりと顔を出した夜一に石田は思わずといった様子で立ち上がって、じりじり後ずさった。

 

「なっ、ななな、何だこいつは──!!?」

「何って……猫でしょ」

「猫だよ」

「猫だ」

 

 桜、織姫、茶渡が順番に言うのに、石田は「見りゃわかるよそんなことは! 僕が言ってるのはどうして猫が喋ってるのかってことだよ!」とぷりぷり怒って夜一を指差す。

 夜一はそれにふんと鼻を鳴らした。

 

「順応性の低い小僧め。動物が人語を喋る程度、大したことではなかろう」

「石田、俺も驚いたから大丈夫だ。すぐに慣れる」

「だからそういうコトじゃないんだけど!?」

 

 フォローを入れる茶渡も、初めて夜一と会った時には大層驚いていたものだ。

 うーん、と織姫は首を傾げた。

 

「そんなにびっくりするような事かなぁ……? 桜ちゃんもそう思うよね?」

「ええ。仮面をつけた化け物が喋りながら襲いかかってくるのと猫が喋るのと、大して変わらないもの」

「虚と一緒にするでないわ!」

 

 織姫は夜一と遊んでいる(遊ばれている?)石田を見つめる桜の横顔をちらと見た。

 視線に気づいて、桜がこちらを向く。

 

「……どうかした? 井上さん」

「ううん。やっぱり桜ちゃんって石田くんと仲良かったんだなって」

 

 そうね、と桜は頷く。

 

「仲は……良いと思うわ」

「だよね! 石田くんって教室では怖い顔してたけど、今は楽しそうだし」

「楽しそう?」

 

 不思議そうな顔をして、桜は石田を見た。そのままこてんと首を傾げる。

 

「いつもと変わらないと思うけど……」

 

 織姫は頬を緩めた。それは多分、桜にしか解らない感覚だろう。

 

 一緒に修行をしないかという誘いは、案の定断られた。そもそも自分たちの能力を自在に行使できる桜と石田と、まず使い慣れるところから始める織姫と茶渡では、立っているラインが違うのだ。

 そういう意味でも、やはりこの二人は特別なのだと思う。

 

 楽しそうだと感じたのは、石田に対してだけではない。桜自身は、それに気づいているのだろうか。

 

 山を下りる直前、織姫は桜に声をかけた。

 

「桜ちゃん、八月一日に隣町で花火大会があるの知ってる?」

「ええ。ポスターが貼ってあったのを見たから」

「あたし、たつきちゃんと一緒に行く約束してるんだけど、良かったら一緒に行かない? もちろん石田くんも」

 

 

 

     /

 

 

 

 二人と一匹が山を下りていくのを、石田は静かに見送った。

 

「あの二人の霊力が目覚めたのは、まず間違いなく一護くんの影響でしょうね。彼の霊圧は垂れ流しだったから、それに影響されて元々あった素質が活性化したんでしょう」

 

 桜の言葉に石田は頷いた。

 メノスを両断した時といい、赤髪の死神と対峙した時といい、一護が秘める霊力が膨大な量である事は疑いようがない。それほどの力であれば、他者に影響を及ぼすという規格外な事象さえ起こり得るだろう。

 

「だから遅かれ早かれ、あの二人はああなっていたと思うわよ」

「──うん。わかってる」

 

 織姫と茶渡の霊力があの日を境に飛躍的に高まったことに気づいた時は、よもや巻き込んだのではないかとひやりとしたものだが。

 結果的に二人は無事で、戦う意志と力を得た。それ自体は悪い事ではないはずだ。ひとまずはそう考えておく。

 

「……そろそろ修行に入りましょう。そのために実家に帰ったんでしょ?」

「そうだね。多少時間がかかるかもしれないし」

 

 石田は持ってきた箱の封を解き、蓋を開けた。中には白い生地に青いラインの入った手袋のようなものが収まっている。金属の小さな留め具が陽光を受けてきらりと光った。

 桜は、それを見てはっと息を飲んだようだった。

 

「──これは……」

「“散霊手套”──師匠(せんせい)が僕に残してくれたものだ」

 

 祖父曰く、この手套には高い霊子拡散能力がある。その威力は装着すれば並みの滅却師では弓を作ることすらできなくなるほどだ。

 逆に言えば、これを装着した状態で弓を成すことができれば、それは己の能力を最大限引き出し、限りなく滅却師の高みへ近づくことができるという事。

 しかし一度着けた手套を外せば最後、絶大な力を手にするのと引き換えに、滅却師の力を全て失う。

 その力の名を──

 

「〝滅却師最終形態(クインシー・レツトシュティール)〟」

「! 知ってたのかい」

「話に聞いた程度だけどね。……もう誰も使う人はいないと聞いていたけど、まだ残っていたのね」

 

 興味深そうにしげしげと手套を眺め、桜は言った。

 

「最終手段だよ。そもそも使うつもりもない」

 

 最終形態(レツトシュティール)は文字通りの奥の手だ。代償が大きすぎる。その前段階の修行だけでも、充分な効果はあるはずだと石田は見込んでいる。

 仮に、その奥の手を使うことがあるとしたら。それは自分にとって本当に許せないものが目の前に立ちはだかった時だろう。

 

「……そうね。確かにあなたなら、そこまで至らなくても充分戦えるでしょうね」

 

 呟くように言って、桜は石田に目を向けた。

 

「──うん。なら、頑張りましょうか。わたしもやれる事はやるわ」

 

 二人の滅却師の修行は、そうして始まった。

 

 

 

     /

 

 

 

 山田花太郎は意識して表情を引き締めながら、六番隊隊舎の牢に続く道を歩いていた。

 口角が勝手に上がりそうになるのを、ぐっと唇を結んで押し殺す。罪人がいる牢の清掃係を命ぜられているのにその顔は何だと咎められてしまっては堪らないからだ。

 粛々と板張りの廊下を進み、隊舎牢に入る。中は薄暗い。窓の格子に遮られて細い筋となった光が床に模様を描いていた。

 

「こんにちは、ルキアさん」

「──ああ、花太郎。毎日苦労をかけるな」

 

 牢屋の中に声をかけると、ルキアが振り返ってわずかに微笑んだ。

 花太郎は「そんなことないですよ」と言いながら牢の扉を開け、中に入る。

 

 食器を下げ、大して汚れてもいない床を掃く間、花太郎はルキアに現世の話をねだった。現世に行ったのはまだ霊術院に通っていた頃、演習で行ったきりなので、ルキアの口から聞く現世の話は新鮮で楽しかった。

 

「うむ、そうだな。どこまで話したのだったか……」

「病院の跡地で変な霊媒師が虚退治をしたのは昨日聞きましたよ」

「おお、そうだったか。あ奴は妙な男だったが悪い奴ではなかった。奢ってもらった白玉あんみつは美味かったな……」

 

 日頃じっと椅子に腰掛けて窓の外をぼんやりと見上げているルキアだが、こうして話をしている間は表情と雰囲気が和らぐ。

 彼女と他愛ない話に興じるのはここ最近の楽しみだが、ルキアにとっても気晴らしになっているようで、嬉しく思う。

 

 ……けれど、じきにこんなこともできなくなる。

 

 ルキアに殛刑判決が下されて、数日が経つ。

 刑の執行まで十四日を切れば、彼女は懺罪宮(せんざいきゅう)に身柄を移される。そうなれば花太郎の仕事も終わりだ。二度と、こんなふうに言葉を交わす機会はやってこない。

 

 初めて会った時と比べると、ルキアは随分やつれた。食事も最低限しか口にしていないようで、日に日に元気がなくなっていくのが分かる。

 ……どうにかしてあげたいと思う。ここ数日で彼女の人となりはよく解った。罪人とはいえ、こんな優しい人が処刑されるのかと思うと、痛ましくてならない。

 けれど、何ができる? 隊長ですら逆らえない四十六室の判決に、ただの席官の自分が異を唱えて、それで何がどうなる?

 

 知らず手を止めていた花太郎に、ふいにルキアが尋ねた。

 

「……花太郎。間違ったことをした時に止めて諌めてくれる者と、過ちすら受け入れてそばにいてくれる者。どちらが本当の意味での“味方”だと思う?」

 

 突拍子のない質問だった。

 少し考えて、花太郎は答える。

 

「……比べられるものじゃ、ないと思います。過ちを止めることも、何があっても寄り添ってそばにいることも、その人を大切に思っていることには違いありませんから」

 

 花太郎はルキアがどんな罪を犯したのか詳しく知らない。詳細な罪状までは花太郎のところには下りてこなかった。ただ、ルキアとの会話から、どうやら現世で人間に霊力を譲渡した事と、その人間が黒崎一護という少年である事はうっすらと理解している。

 彼女の行いが法で定められた罪であることは確かだが、それが誰かのためにやったことなら、悪と断じられるべきではないと思う。どうあがいても判決が覆せないのなら、せめて自分だけは最後まで彼女の味方でありたい。

 

「……そうだな。私もそう思うよ」

 

 俯いて、ルキアは言う。震えてこそいなかったが、その声は深く沈んでいた。

 

「味方だと言ってくれる人がいる。それはとても幸せな事だ」

 

 噛み締めるような言葉に声をかけることは躊躇われた。

 

「…………いや。私が言えた事ではないな……」

 

 髪を一房、指先で弄びながらルキアはぽつりと呟く。その手が膝に落ちると同時に、声も消えてしまった。

 牢内を満たすのは竹箒が床を擦る乾いた音と、遠くで誰かが歩く足音だけだった。

 

 

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