THE CHERRY BLOSSOM AND THE RAIN 作:さーもんありなん
突き抜けるような高い青空に、蝉の鳴き声と真っ白な入道雲が映えている。白い絵の具をそのままキャンバスに乗せたような分厚くて立体的な雲は、まさしく夏の象徴だった。
夏真っ盛りの八月一日。浦原商店での勉強会を終え、尸魂界へ行く準備が整うまでの間、一護は短い夏休みを送ることになった。
「イッチゴーー!! おっっかえりィーーー!!」
「久しぶり一護」
「よお。焼けたな水色」
待ち合わせ場所に着くなり飛びついてきた啓吾を適当にあしらって、プーケット帰りでこんがり焼けた水色とだらだら喋っていると、腕を吊った竜貴と織姫、茶渡がやってきた。
インターハイで準優勝したという竜貴に慄いていると、その後ろから二つの人影が現れて、一護は目を丸くする。
「お、桜。お前も来たのか。……石田も」
桜は「こんにちは一護くん。なんだか久しぶりね」などと優雅な挨拶をするが、石田は相変わらずの仏頂面である。
その仏頂面は、一護を視界に収めるなり不機嫌そうに歪められた。
「悪かったね」
「別に悪いなんて言ってねーだろ」
「今僕が鏡を持っていないことが惜しまれるよ。それがあれば君にも理解できただろうに」
「このヤロ……」
顔に書いてあるくらい素直に言えないのか。ストレートに言われたところで癪に障るのは変わらないのだが。
澄ました顔で眼鏡のブリッジを押し上げる石田に額に青筋を立てかけた一護だが、それを啓吾の声が遮った。
「桜さんも来てくれたのー!? うっれしー!! ……んだけど、なぜに石田と……?」
「あたしが誘ったんだ! ね、桜ちゃん!」
「ええ。井上さんに誘ってもらった時、石田くんと一緒にいたから」
そうなのか? と目線だけで水を向けると、石田は肩をすくめた。
「別段興味があったわけじゃなかったけど、せっかく誘ってもらったしね。桜さんも乗り気だったし」
へえ、と一護は頷いた。
すっかり馴染んでいるので忘れかけていたが、そういえば桜は帰国子女なのだった。夏休みの花火大会なんて初めてに決まっている。興味があって当然だろう。
再び桜の方を見ると、水色を交えて竜貴の件で盛り上がっていた。
「インターハイで準優勝ってどのくらいすごいの?」
「日本で二番目に強い女子高生ってことだよ」
「え……すご……」
桜とはルキアの一件があった日に学校で顔を会わせて以来だが、元気そうである。一緒に尸魂界に行くと聞いた時は驚いたが、味方が増えるのは純粋に心強い。
……戦いに身を投じる前の、ほんの短い静けさの時間。彼女にとっての最初の夏休みが、忘れられないものになればいいのだが。
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小野瀬川沿いの堤防を風を浴びながらぶらぶら歩く。
集合したのは昼だが、今はすっかり陽が傾いて、空は燃えるような茜色に染まっている。強い西日が人数分の影を歩道に長く落としていた。
適当に喋りながら歩いているだけでも時間は潰せるものだ。同じクラスの同級生ともなれば共通の話題は腐るほどある。最初は石田がいることに不思議そうな顔をしていた啓吾や水色も、今や何でもないように話しかけてくるし、石田もそれに何も考えずに返事をする。不思議な気分だった。
「会場はここなの?」
「んーと……川向こうの市立グラウンドらしいけど……」
「じゃあもうこのへんでいいんじゃない? 見えるでしょ。あんま近いと出店とかで人多いしさ」
女子達の会話に、啓吾がくわっと目を見開いた。
「何を言うかーーー!! 花火大会ってのはお祭りだぞ! 花火と出店と浴衣の女子に大騒ぎするのが花火大会の真髄でしょーが!! 大体なんでみんな私服で来てんだよ!! 有沢はともかく井上さんと桜さんの浴衣は超見たかったー!!」
「お前だって浴衣着てねえじゃねえか」
「野郎の浴衣なんか誰が見たいんだよ!!!」
啓吾の悲愴な叫びは、どこからか聞こえてくるガラガラガラ……という下駄の音にかき消された。
音のする方を向くと、前から三つの人影がすごいスピードで迫ってくるのが見える。
「……あの人達は?」
「一護の親父さんと妹達だ」
近くにいた茶渡に訊いてみる。
ああなるほど、と納得しているうちに、浮かれた浴衣姿の三人は一護を巻き込んで盛大に土手を転がり落ちていった。随分騒がしい家族のようである。
一護の父──一心が確保しているという特等席に誘われたが、このテンションに巻き込まれるのは流石に遠慮したい。ちらと桜の方を見ると、彼女も同じ気持ちのようで、目が合った。
「後から行きます。先に行っていてください」
「わたしも……」
「あたしと織姫も後で行くんで」
「うむッ! わかった! それじゃ行くぜヤロウ共ー!」
一心を先頭とした集団はハイテンションを保ったまま走り去っていく。
あっという間に小さくなる背中を眺めながら、桜と歩調を合わせてゆっくり歩き出した。間に挟まる肩幅一つ分の空白を、川沿いの風が吹き抜けていく。
「なんというか……すごい人ね、一護くんのお父さん」
「黒崎がああいう性格になったのも頷けるね」
ああいう性格とは、お人好しのツッコミ体質ということだ。面倒見がいいとも言う。以前桜が一護について言っていた「見た目で損してる」という印象は間違っていないのだろう。眉間に刻まれた皺と仏頂面は他者からの誤解を招くが、その実付き合いやすい男であることは、もう分かっていた。
「一護くんと仲良くなった?」
「え? ……別になってないけど。なる必要も感じないし」
つい素っ気ない声になるが、桜は気にした様子もなく、ふふ、と小さく笑った。
それを見て、まただ、と思う。先日のルキアを連れ戻しに来た死神達との一件があって以降、桜はこうして笑みを見せるようになった。小さな蕾が綻ぶように控え目で、けれど可憐な、そんな笑みを。
──あの日、月光の下で彼女が見せた微笑みが忘れられない。
危機的状況にそぐわない優しい声も、柔らかく細められた目もそうだが、何より、あの時言われた言葉が、なぜだか妙に嬉しそうに聞こえたから。
空を茜色に染め上げていた太陽は地平線にその姿を半分以上隠していて、夜に浸食されるような深い青が空を覆いつつあった。
ふいに、ヒュー……と甲高い音が響いた。はっと足を止めて顔を上げたちょうどその時、鮮やかな光が空に花開いた。わずかに遅れて届く、ドンッ、と地面に響くような轟音。残響が消えぬうちに、二度、三度と続けて光が炸裂した。それから、ぱらぱらと散る火花の音も。
「────」
こうして花火をゆっくり見るのなんて何年振りだろうか。感嘆しながら隣に目をやると、桜が空を見上げていた。食い入るように大きく開かれた瞳に、名残惜しそうにきらめきながら消えていく火花が映っている。
「……花火、見るの初めて?」
「──うん。初めて見た」
「そう。……綺麗だね」
端麗な横顔が言葉もないまま小さく上下した。打ち上げられた花火が赤や緑、青や金に色彩を変えるたび、彼女のまろやかな輪郭の頬も色を変えていく。
石田は目を細めた。
これが、桜にとっては最初の夏休みなのだ。
毎年花火大会があることは知っていたが、こうして見に来たことは片手の指で収まるほどしかない。それも小さい頃の事で、今年も織姫に声をかけられなければ、来ることもなかっただろう。
もしかしたら桜は、石田がいなくてもここにいたかもしれないが。だからこそ、彼女と一緒に来れて良かったと思う。
「そこの二人ー! 突っ立ってないで会場行くよ!」
「屋台で美味しいものいっぱい食べよう!」
後ろから走ってきた竜貴と織姫に背中を押され、石田と桜は結局、会場まで走っていくことになった。
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空座町と鳴木市の間を流れる小野瀬川は北上するにつれて徐々に規模を増していき、従って堤防や河川敷も広く大きくなる。その河川敷にある市立グラウンドに、今回の花火大会の観覧席が設けられていた。
ちょうど今は花火打ち上げの第一弾と第二弾の合間の休憩時間らしく、観覧席は移動する人でごった返していた。この夏祭りは近辺では一、二を争うほどの規模らしく、人も相応に多い。いつぞやの廃病院での除霊騒ぎの時も街中から大勢の人間が押しかけていたが、それとは比べ物にもならない。
霊圧を辿って席を探すと、既に出来上がっている集団がいた。そこはかとなくアルコールの匂いがする瓶を妹達に勧められて困り果てている一護に、行き交う浴衣姿の女子を目で追いまくっている啓吾と一心、それを見ながら談笑している水色と茶渡と、場は混沌としている。
「あっ、茶渡くん! それあんず飴? どこにあったの? あたしも食べたい!」
「それならあっちの……のぼりが出ている事務所の方向だ」
「りょーかい! 桜ちゃんも行こ! お腹空いたよね」
「あ、うん」
茶渡が指差した方に向かう織姫に手を引かれ、人込みの中に入っていく。こういうところには慣れているのか、人込みを縫って歩く織姫の足取りには迷いがない。
「あたし甘いものより先に焼きそば食いたいなー。お腹減った」
「僕も。焼きおにぎりとかあるかな……」
雑踏の熱気は、呼吸が困難になるのではないかと思うほどに濃い。
露店から漂う芳ばしい匂いや、カラフルな提灯に灯る明かりが情報の奔流となってどっと押し寄せてくる。後ろからついてきている石田と竜貴の声は、ひっきりなしに飛び交う人々のざわめきに紛れて辛うじて聞き取れる程度。
賑やかで、華やかで、騒がしくて、暑苦しくて、鮮やかで、眩しい。
すべてが目新しく、驚くほどの色彩に満ちていた。
「桜ちゃん、どれがいい? あたし的にはこれとかこの、大きいやつがおすすめ!」
「そうなの? ……じゃあ、これで」
辺りの景色に気を取られているうちに屋台の前に着いていたらしい。織姫に言われるまま、氷でできたトレーに乗った飴を選んだ。
店員から差し出された飴を受け取って、まじまじと観察する。大ぶりの、見るからに瑞々しい果実が透明な水飴に包まれていて、屋台のオレンジっぽい光に照らされてつやつや光っていた。
「飴は齧ると歯にくっついちゃうから、舐めて食べるんだよ」
「なるほど」
織姫のアドバイスに頷いて、飴を口に運ぶ。途端、口の中に広がった冷たさに驚いて、桜は目をしばたたいた。寸前まで氷の上で冷やされていた水飴は硬いと柔らかいの中間の妙な食感で、これは確かに齧りにくそうだ。
目を輝かせている織姫はどうやら感想を待っているようで、桜は飴から唇を離す。
「冷たくて美味しいわね」
「でしょー! 良かったぁ。あたしこれ大好きなんだ。桜ちゃんにも食べてほしかったの」
微笑んで自分も飴を口にする織姫は妙に嬉しそうである。人懐っこい子だとは思っていたが、どうしてこんなに気に入られているのか、と内心不思議に思う。
道の端に寄って飴を舐める二人の元に、いつの間にか離れていた竜貴と石田が戻ってきた。竜貴は焼きそばとたこ焼き、焼きおにぎりのパックを手に持ち、石田はジュース瓶を腕にどっさり抱えている。
「ほら、あんた達の分のたこ焼き買ってきたげたから、席戻るよ」
「もうすぐ花火再開するってさ」
「おお、じゃあ急がないとね! せっかく黒崎くんのお父さんが良い席取ってくれたんだし!」
来た時と同じく、織姫に手を引かれて歩き出す。それでようやく、彼女が不慣れな桜がはぐれないように手を掴んでくれているのだと理解した。
◇
遠くから見る祭り会場には、まだいくつもの光が残っていた。華やかな空気は会場から遠ざかるにつれて薄れていく。
花火の打ち上げが終わってからもあらかた遊んだ後、集まった面々は会場の近くで解散することになった。
来た道を戻って帰路に着いた桜は、つい先ほどまで帰路を同じくする一護達や石田、織姫と一緒に歩いていたが、各々の家に続く交差点に差しかかったところで分かれた。
「…………」
街灯の光が夜の闇を円形にくり抜いている。その下に立ち、桜は注意深く周囲の様子を窺った。
辺りには誰の気配もない。夜遅い時間でもないが、こぞって祭りに行っているのか、住宅街の一画はしんとしていた。
足元に濃い影が伸びている。黒々としたそれは、ぽっかりと口を開けた洞穴の入口のようでもあった。
一瞬、その中に青白い光が灯った。水底から浮かび上がるように滲み出てきた光は、何かを語るように明滅を繰り返す。
桜はそれに目を向けない。ここではない、どこか遠くを見つめながら──
「了解」
と短く呟いた。
唇を舐める。
口の中に、あの冷たさがまだ残っているような気がした。
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