THE CHERRY BLOSSOM AND THE RAIN 作:さーもんありなん
きっちりと閉ざされた蔵の扉のわずかな隙間から漏れる光が徐々に強さを増していくのを、桜は見るともなく眺めていた。
短い夜をまんじりともせずに過ごした。こんなところで呑気に寝息を立てられるほど、肝は太くないつもりだ。
昨日は結局、一護達とは合流できなかった。霊圧を辿って近くまではいけたのだが、入れ違いになったらしかった。そこでまずルキアの情報を得ようと適当な死神を締め上げたところ、懺罪宮なる場所に拘束されている事が判明したので、続きは明日に持ち越して一晩は身を休めることにしたのだ。
十数分ほど前、どこかで悲鳴が上がった。絹を裂くような女の絶叫だったが、あまりにも遠かったため、発生源はわからない。神経を尖らせ、外の気配に耳をそばだてていた桜がようやく聞き取れる程度だったので、もしかすると気のせいかもしれない。
だが、今まさにこちらに向かってくる大勢の気配は気のせいではないはずだ。
人の身じろぐ気配がして、とっくに暗闇に慣れた目でそちらを見ると、茶渡が身を起こしたところだった。
「おはよう茶渡くん」
「ああ、おはよう。……もしかして夜通し起きてたのか」
「まさか。寝てたわよ。少し前に目が覚めたの」
ぐっと伸びをする茶渡はもう眠気を引きずってはいなさそうだ。どうやら寝起きがいい質らしい。
外からは忙しない足音と男の怒鳴り声、そして扉をこじ開けようと乱暴に叩く音が聞こえてきた。
茶渡の左腕が黒い装甲で覆われていく。
「よく寝たよ。……昔の夢を見てた」
そう言う彼はどことなく懐かしそうで、桜は軽く相槌を打つ。
「ふうん。老人みたいね」
「まったくだ」
扉が乱暴に破られ、光が闇を退ける。彼は薄く笑いながら、やや遅い目覚ましを迎え撃った。一瞬遅れて、轟音と人の悲鳴が響く。
茶渡に続いて暗い蔵の外に出ると、明暗の差に一瞬視界がくらむ。今日の尸魂界は気持ちの良いほどの快晴だった。
閃光が放たれ、人が塵芥の如く吹き飛んでいく。
自分の出る幕もないだろうと、桜は茶渡の戦いっぷりを静観していた。
並みいる敵をちぎっては投げ、道を塞ぐ壁を壊して進む彼のパワーは素晴らしい。夜一の指導が良かったのもあるだろうが、能力の種類や本質は持ち主の資質に大きく左右されるものである。自分がここまでの火力を継続的に出すとなると結構な労力を使うだろう。
感心しながら眺めていた桜はおもむろに、しかし勢いよく、その場で回転した。
「ぎゃうっ!」
靴の踵が肉にめり込む感覚。後ろも見ずに放った回し蹴りは、死神の男の顔面に命中していた。
おおかた茶渡には敵わないと悟って無防備な桜を狙ったのだろうが、浅薄極まりない。大人しく死んだふりでもしていれば鼻が潰れずに済んだものを。
「そういえば、みんなの様子はどうだ?」
最後の一人を地面に沈めた茶渡が尋ねるのに、首を横に振る。
石田と織姫はかなり慎重に動いているらしく、一度会敵してから戦闘には入っておらず、夜一は変わらず隠密行動中で補足できない。
今のところ一番派手に動いているのは一護だ。彼は昨日、現世でも対峙した死神──阿散井恋次と戦い、勝利した。戦いが終わった後の一護の霊圧から察するに、かなりの辛勝だったようだが。
とはいえ勝利は勝利である。隊長格の一人を欠く事態になったのだ、護廷側も本格的に動き出すだろう。
「あまり動きはないわね。けどそろそろ隊長が出てくるだろうし、事態が逼迫してくるとしたらこれからね」
「隊長か……」
茶渡が唸るように呟く。
正直、今の彼らでは相手にならないだろう。現世にいた頃よりは格段に強くなっているが、多少腕を上げた程度では覆せない絶対的な差というものがある。……それすらも踏み倒せる奥の手でもあれば話は別だが。
正面戦闘ではまず敵わない。ならばそもそも会敵しないように立ち回るのがベストだが、喧嘩を売ったのはこちらなのだから、向こうとて全力で叩き潰しに来るだろう。そして一度戦いになってしまったからには、逃走も難しい。それを許すほど甘い相手ではない。
もう悠長にはしていられない。
早ければ今日中にでも、隊長とやり合うことになるだろう。
「……まあ、言ったところでどうしようもないわ。先を急ぎましょう」
「そうだな。今はあいつらを信じるしかない」
走り出した茶渡の後を追う。
遠景に見える白い塔は瀞霊廷に侵入したばかりの頃に比べれば近づいているが、辿り着くにはもうしばらく時間がかかりそうだった。
/
──どこからか花びらが舞った。
八番隊の三席を倒した矢先、先へ続く通路の前に、その男は舞い降りるように現れた。
白い羽織の上から纏った派手な女物の着物に、黒い長髪。軽妙洒脱な出で立ちと、今まで出会った死神とは比べ物にならないほどの霊圧。
「八番隊隊長、京楽春水だよ。初めまして♡」
「──隊長……!」
息を呑んだ茶渡の後ろで、桜の纏う空気がぴんと張り詰めるのがわかった。
緊張感の漂う空気は一転、京楽が上から降ってきた大量の花びらに埋もれることで破られる。そばに控えている女は副隊長らしい。
「……悪いがコントに付き合ってる暇はないんだ……通してもらうぞ」
「なんだい、もうちょっとノッてくれてもいいじゃないの。どいつもこいつもつれねえなホント……」
むくりと起き上がる京楽からは敵意は感じられない。もしかしたら戦いを避けられるかもしれないと、淡い期待を抱く。
「わたし達先を急いでるの。そこ、退いてくれないかしら」
「参ったね、どうも。喧嘩は嫌はお互い様、だけどこっちは通られても困る。なんとか退いちゃくれないもんかね」
「それはできない」
仕方ないとひょいと肩をすくめた京楽は床に座り込み、おもむろに酒瓶を取り出した。
呆気に取られる茶渡に、京楽は少しの間止まってくれるだけでいいんだ、と言う。
「今、他の隊長さん達も動いてる。じきにこの戦いも終わるからさ」
「────」
目を見開く。表情が険しくなっているのが自分でもわかる。
やはり桜の言った事は正しかった。──仲間達に危機が迫っている。
「……参ったね。今のは失言だったかな」
纏う空気を一変させた茶渡に、京楽は少しも参っていないような口調で呟いた。
「そんなことはないわ。あなたの発言があってもなくても、わたし達のやる事は変わらないもの」
「京楽さん、すまないが事情が変わった。今すぐそこを退いてくれ」
「……嫌だと言ったら?」
「言わせない!!!」
左腕に宿った熱が膨れ上がる。隣で桜が弓を構えるのを気配で悟った。
拳を振るう。
繰り出した渾身の一撃を追いかけるように、青い矢が疾走した。
◇
「いやあ、危ない危ない!」
着物を靡かせながらひらりひらりと攻撃を躱す京楽の姿は蝶に似ていて、青い空と白い建物によく映えた。
身を捻り、着物の裾を翻し、笠を抑えて軽やかに地を蹴る。発言とは裏腹に、その動きには危なげというものがまるでない。
「やるねえ、お二人さん。いい連携だよ」
余裕の笑みを浮かべる京楽に、茶渡は歯噛みした。
攻撃が当たらないのだ。かすりもせず、ただの一度も決定打にならない。
茶渡の放つ衝撃波はパワーこそ凄まじいが攻撃としては単調で、軌道も一度放たれれば真っ直ぐに進むのみ。その欠点を補うように後衛の桜の放つ矢が京楽の逃げ道を的確に塞ぎ、動きを制限し、茶渡の攻撃の直線上に誘導しているのだが。
(なぜだ……それでどうして躱される……!?)
だがそれでも当たらない。
攻撃が当たる直前に、衝撃波と矢の間隙を潜り抜ける。針の穴に糸を通すが如き身のこなし。
これが隊長格。
隔絶した技量と経験の差を、ここに来てまざまざと突きつけられる。
「見た覚えのある矢だと思ったら、そちらのお嬢さんは滅却師かい。見るのは二百年ぶりだねえ。こんな時でもなきゃ、お茶でもしながらゆっくり話を聞きたいところだ」
「年上には興味が持てないの。一度死んでから生まれ直してちょうだい」
京楽の言葉をばっさり切り捨てた桜が間髪入れずに矢を放つ。
残念だと言わんばかりに苦笑した京楽がひょいと首を傾けて、それを避けた。
「──もうよしなよ」
壁にもたれかかって、京楽がため息交じりに言う。打って変わって真剣な表情だった。
「キミ達は確かに凄いよ、破壊力も技巧も大したもんだ。だけどボクには当たらない。それが全てだよ。先は見えてる。そろそろ諦めて帰ったらどうだい」
「……忠告をどうも。だけど退くわけにはいかない」
全力疾走した後のように息が上がっている。消耗が激しい。体力が底を尽きつつある。限界が近い。
それらすべてを理解してなお、茶渡にはその選択を取るつもりはなかった。そもそも己の中に、撤退するという選択肢は端から存在しない。
「……よせと言ってる」
京楽が顔をしかめた。
技には消耗限界を超えると全く出せなくなるものと、消耗限界を超えても命を削って出し続けられるものと二つある、と彼は語る。
それに構わず距離を詰め、左腕を振るう。
刹那、背後に気配が移動し、気づいた時には弾き飛ばされていた。
「キミの技は明らかに後者だよ。そしてキミは今、消耗限界なんてとうに超えてしまってる。──悪いこた言わないから帰んな。これ以上やると本当に死んじゃうよ」
地面に転がったまま、親切なことだ、と内心で笑う。平和主義者なのだろう。可能な限り戦いたくない、血が流れないのが一番良い。そういう人なのだ。
茶渡とて似たようなものである。負ければ命が失われるような争いなど、しないに越したことはない。
だが今だけは、どうあっても退けない理由があった。
「茶渡くん」
桜がそばに寄ってきた。
自分と違ってさほど消耗している様子はない。体力にもまだ余裕があるはずだ。──茶渡は心を決めた。
相手から口元が見えない角度で起き上がりながら、小声で告げる。
「……桜、俺があの人を引きつける。その間に先に行ってくれ」
驚いた彼女が何かを言う前に、素早く続けた。
「いつまでも足止めを食らってるのが一番まずい。……あそこにいるのは、たぶん副官だろう。なんとか避けて、先に進んでくれ」
壁の上に立って戦いを静観している女の方に、顔は動かさずに視線をやる。彼女から感じる霊圧はそう大したことはない。京楽の動きを予測して矢を放てる桜なら、楽にいなせるはずだ。
桜は数秒、茶渡をじっと見つめたが、やがてかすかに頷いた。
ふらつく体を叱咤しながら立ち上がる。
なおも戦う姿勢を見せる茶渡に、京楽は眉根を寄せた。
「そこまでして戦う理由は何だ? 目的は? 何のために尸魂界へ来た?」
「目的は……朽木ルキアを助け出すため」
「ルキアちゃんを? 彼女が現世で行方不明になったのは今年の春でしょ。短いよ、薄い友情だ。命をかけるに足るとは思えないね」
聞き分けのない子供を諭すような口調だった。
京楽の言う通りだ。茶渡がルキアと話したことは数えるほどしかない。関係はごく薄く、一護を介しての繋がりしか、自分と彼女の間には存在しないだろう。
けれど。
「確かに俺は彼女のことは何も知らない。命をかけるには少しばかり足りないかもしれない……だけど、一護が助けたがってる」
他ならぬ黒崎一護が、それを望んでいるのだから。
そのためならば何度でも、これから先、自分は立ち上がれるだろう。
「一護が命をかけてるんだ。──充分だ。俺が命をかけるのに、それ以上の理由は必要ない」
京楽はしばしこちらをじっと見つめていたが、やがて腰に携えた二振りの刀を抜き放った。
「そこまで覚悟があるんなら、説得して帰ってくれなんてのは失礼な話だ。──そいじゃひとつ、命を貰っておくとしようか」
抜身の刀が陽光を受けて鈍く光る。
それを合図にして、強く地を蹴った。低く構えた姿勢のまま、最高速度で敵に接近する。
左腕の装甲にカッと熱が点り、霊圧が揺らめく炎のように立ち昇る。──それはいつかの約束を果たすための力。誓いによって象られた決意の拳。
猛スピードで疾走する茶渡に京楽の意識が釘付けにされているのが分かる。こちらに集中し切っていて、少し前から気配と霊圧を消していた彼女は視界から外れていることだろう。俯瞰していたもう一人の方を目を欺くのは不可能でも、強行突破は難しくないはずだ。
「行かせな──くっ!?」
「七緒ちゃん!?」
離れた場所にいたはずの副官の声に、京楽が明らかな動揺を見せた。
戦場においてそれは致命的な隙。がら空きになった懐に飛び込み、あらん限りの力を込めて拳を叩きつける──!
「〝
瞬間、光が迸る。
瀞霊廷の一画に、衝撃と破壊音が轟いた。