THE CHERRY BLOSSOM AND THE RAIN 作:さーもんありなん
CV杉山紀彰で(準)主人公キャラのヒロインの名前は桜と相場が決まっているのだ
「滅却師、だって……?」
「ええ」
呆然と繰り返した言葉に、白髪の少女はあっさりと頷いた。
師匠である祖父はかつて、滅却師の生き残りは自分達しかいないと語った。その祖父も亡くなってしまい、最早この世に残った滅却師は己一人であると石田は自認していた。
だが肯定を返す彼女──桜の手にほんの数分前まで霊子兵装が握られていたのは、この目で確かに目撃した疑いようのない事実。つまり、彼女は間違いなく滅却師という事だ。
「酷い怪我ね」
「え?」
混乱から抜け出せず目を白黒させていると、桜がぽつりと言った。
彼女の視線の先を追うと、そこには地面に小さな血だまりを作る右腕がある。
そういえば腕が動かしづらくなるほど出血していたのだった。つい数分前には激痛が走ったというのに、すっかり頭から抜け落ちていた。
意識した途端にズキズキと痛みを主張してくるそれに顔をしかめる。
「治療術は使えるの?」
「え? いや……」
「なら、わたしが治すわね」
ワンピースの裾が汚れるのも構わず片膝をついた桜に石田は慌てたが、静止するより早く腕を取られる。
彼女は「触るわよ」と断ってから、石田の血でぐっしょり濡れたシャツの袖を捲り上げた。
「っ──、」
呻き声が漏れそうになって咄嗟に口を閉じる。
外気に晒された瞬間、傷は火がついたように鋭く痛んだ。虚の爪がよほど鋭利だったのか傷口は綺麗すぎるほどだったが、その分傷は深いようで、皮膚はぱっくりと裂け、真っ赤な中身が見えていた。見ていて気持ちのいいものではない。
視線を遮るように、桜がそこに手を翳した。
傷を覆うように白い光が溢れ出す。虚を一撃で滅却せしめた攻撃的なそれではなく、清らかで柔らかい光だった。
一体、光の下で何が起こっているのか。ざわざわと皮膚がうごめくような感覚に背中がむず痒くなる。
何とも言えない感覚にしばらく耐えていると、
「はい、もういいわ」
そう言って、桜は手を除けた。
石田は思わずまじまじと腕を見つめ、感嘆の息を漏らした。
「すごい……」
あったはずの傷は跡形もなく消えていた。血という痕跡こそ残っているが、そこに傷があったなど誰も思わないだろう。
これは滅却師に伝わる治療術式だ。
祖父に師事していた期間は長くない。彼が亡くなってからはずっと一人で研鑽を積んできたが、滅却師について書かれている文献は数少なく、当然独学では習得が難しい技術もあった。特に体内の霊力に外部から働きかけて治癒を行う治療術式は、高い霊子操作力と正確な人体の知識が求められる。
誰にでもできる事ではない。石田は素直に感心した。
ちらりと桜の顔を見ると、彼女はおもむろに立ち上がり、その場で空を見上げた。
「やっと止んだわね」
言われて初めて、頭に当たっていた雨粒が消えている事に気づく。
いつの間にか空を覆っていた暗雲は遠ざかり、風に流れる薄い雲の向こうに小さく星が瞬いていた。
間抜けにも濡れ鼠のまま尻餅をついているのに気がついて、石田は立ち上がった。貧血のせいか一瞬ふらついたが、地面を踏みしめて眩暈をやり過ごす。
桜はそんな石田の姿をじっと見つめていて、「平気?」と尋ねてくる。
「大丈夫。……あの、助けてくれてありがとう」
立って向かい合うと、石田が桜を見下ろす形になった。だが目線の高さはそう変わらず、身長差が数センチしかない事がわかる。女性の身長や容姿から正確な年齢を割り出すことは難しいが、おそらく自分と変わらない年頃だろう、という事も。
……改めて対面してみると、彼女はとにかく美しい人だった。それはもう出来すぎているほどに。
尋常でなく整った顔立ちに、白百合のような華奢な手足。纏う雰囲気すら冷涼に澄み、極めて精巧に造られた等身大の
きっと儚い月の光を集めて人の形にしたらこんなふうになるのだろう。静謐さの中には鋭い刃物のような冷たさがあって、どこか近寄りがたい感じもする。
だから、なのか、けれど、なのかはわからないが、強烈なまでに目が惹きつけられた。
「どういたしまして」
彼女はかすかに微笑んだ。
真顔と見紛うほどの乏しい変化は、ともすると錯覚だったのかもしれないが、少なくとも石田にはそう見えた。
◇
翌朝。
石田は自宅のベッドの上で目を覚ました。やかましく鳴る目覚まし時計の頭を叩いて止め、のっそりと起き上がる。
カーテンを開けるとからりと晴れた青空が広がっていて、路面はすっかり乾いている。昨夜の雨の気配は既にない。
眠気を引きずってぼうっとする頭で、低血圧で寝起きの悪い自分にしてはすんなり起きられたと思う。普段ならまだ布団の中で睡魔と格闘している頃だ。覚醒があっさりと訪れたのは、おそらく昨夜──といっても日付は変わっていたので数時間前の事だ──の出来事が尾を引いているからだろう。
あの後、石田と桜は公園の前で別れた。
夜も遅かったので、一人で帰ろうとする桜に送っていこうかと声をかけたが、
「安静にしてなさい。表面は治ったけど、身体にはまだダメージが残ってるんだから」
と断られた。
自衛どころか攻撃の手段まで持っているといえど、推定未成年の女子を真夜中に一人で歩かせるのは気が引ける。
当然食い下がったが、逆に石田を家まで送ると桜が言い出すので、慌てて断った。そこまで面倒をかけるのはあまりに忍びない。
折衷案として、互いに一人で帰ることになった。
正反対の方向に遠ざかる彼女の背中を石田はじっと見つめていたが、それが見えなくなると素直に家路を辿った。
考える事は色々あったが、結構な量の血を流していたし、服もびしょ濡れの泥だらけの血まみれで、肉体的な疲労もそれなりに感じていた。家に辿り着き、気力を振り絞ってシャワーを浴びた後、すぐに眠ってしまった。
……思い返してみれば、まさしく夢のような出会いである。
のしかかるような虚の重たい霊圧も、濃い血の匂いも、焼けるように痛んだ傷も、跡形もなく消えてしまった。
夢でないと証明するものは、物の少ない部屋の端にぽつんと置かれた黒いビニール袋くらいのものだ。中には昨夜着ていたシャツが入っている。多少破れた程度なら繕ってまた着られるようにするのだが、破損が酷い上に取り返しがつかないくらい血が染みていたので、処分することにしたのだ。
あれがなければ、本気で夢だと思っていたかもしれない。
取り返しがつかないといえば、石田は彼女に名乗り返していなかった。
眠る寸前になって気づいたのだ。命を助けてもらった上に傷の手当てまでしてもらったというのに名乗りさえしていなかった自分を思うと、あまりの不甲斐なさに落胆する。
また会えるだろうか、と考える。
彼女が空座町に住んでいるのなら、霊圧を辿るくらいのことはできるのだが。兎角、詳しい事は何も聞けずじまいだったのが悔やまれた。
再び目覚まし時計が鳴った。時刻はちょうど七時。一度目で起きられなかった時のためのスヌーズ機能である。
時計の頭を叩いて今度こそ完全に沈黙させると、石田は眼鏡をかけてベッドを降りた。そろそろ出かける準備を始めなければならない。今日は高校の入学式があるのだ。
石田は身支度を整えてから朝食を摂ると、真新しい制服に袖を通して家を出た。
◇
「……は……?」
校庭の掲示板に張り出されたクラス名簿を見上げていると、そんな声が口から漏れた。
早く着き過ぎたのか、校門は開いていたものの校庭に人影はまばらで、学校は閑散としていた。
だが掲示板前には他の生徒もちらほら集まっており、一人で突っ立ったままの石田にちらちらと視線をやっていたが、彼がそれに気づくことはなかった。
学校で表に名前が載るときは成績順などの例外を除けば大抵五十音順で、自分の場合は頭から数えて五番目以内には入っているので、探し当てるのはいつも早い。石田は一年三組に振り分けられていた。
問題はそれではない。
自分の名前が書かれた欄から数行下。
女子出席番号七番。
そこには──
「──黒崎桜……」
「呼んだ?」
呆然とその名前を読み上げた直後、後ろから声がかかり、驚いて振り返った石田はますます驚くことになった。
空座第一高校の女子制服を着た桜が、学校指定の鞄を持って立っていたのだ。
「く、黒崎、さん……」
開いた口が塞がらない。昨日からこんな事の連続で、そろそろ驚くことに耐性がつきそうだ。
桜は石田の横をすり抜けて、掲示板を見上げた。ほっそりとした頤が持ち上げられた拍子に白い髪がさらりと肩に落ちる。端麗な横顔だった。
クラス名簿をじっと見たのち、桜は「一年三組……」と呟いて、こちらを向いた。
「あなたは?」
その言葉が意味するところが何なのか察して、石田は居住まいを正すと、彼女の目を真っ直ぐに見た。ルビーのような瞳に自分の姿が映っていた。
「まだ名乗ってなかったね。僕は、石田雨竜」
「──よろしくね、石田くん」
わずかな、けれど確かな微笑が彼女の口元に浮かんでいた。
「こちらこそ、よろしく」
思いがけない同胞と出会えた歓びが、今になって実感を伴ってやってくる。心が浮き立つのを抑えられず、石田は顔を綻ばせた。胸の裡を満たしていく暖かい感情が自然に溢れるようだった。
「腕の具合はどう? 他に痛いところは?」
「大丈夫。おかげさまで、何ともないよ」
「良かった。治療術なんて久しぶりに使ったからちょっと不安だったの」
穏やかな陽射しを浴びながら、二人は連れ立って教室に向かった。
……その少し後。
校庭でオレンジ髪の生徒と巨漢の生徒が入学初日にもかかわらず乱闘騒ぎを起こすことになるのだが、二人はまだ知らぬことである。
黒崎桜/15歳
髪の色/ホワイト
瞳の色/レッド
身長/167㎝
職業/高校生:滅却師