THE CHERRY BLOSSOM AND THE RAIN 作:さーもんありなん
六の数字を背負った背中が遠ざかっていく。
死覇装姿の旅禍の少年を夜一が引っさらい、三日の休戦宣告を残して消えた後、用済みだと言わんばかりに立ち去った白哉を見送って、浮竹十四郎はやれやれと頭をかいた。
白哉の事は彼がまだ少年と呼べる歳だった頃から知っているが、朽木家当主の座を継ぎ、六番隊隊長に就任してからというもの、白哉は変わった。
かつての面影をわずかに残す顔立ちはその頬に常に冷ややかなものを載せ、冷淡な振る舞いは未成熟さと共に感情すらも削ぎ落したのかと思うほど。纏う空気は手を翳すだけで指先がかじかむ冬空のように冷たくなり、その様を指して血も涙もない冷血漢だと陰口を囁かれているのを浮竹は耳にした事がある。……その変化はちょうど、白哉がルキアを朽木家に養子として迎え入れたのが境だったように思う。
己を律し、感情を制御し、努めて冷静に振舞う。
それは責任ある地位に就いた者としては必要にして相応の変化だ。
だが、ここ数年はそれが良くない方向に向かっている気がする。
ルキアの処刑が決まってからはそれがますます加速した。身に纏う空気は日に日に張り詰め、抜き身の刃の如き鋭さは彼の余裕のなさの現れのようで、どうにも放っておけない。
とはいえ浮竹も貴族の末席に連なる者として、そして長く隊長を務める者として、白哉の肩にかかる重責は多少なりとも理解できる。……その皺寄せを食うルキアは堪ったものではないだろうが。
どうしたものかと嘆息しつつ、ひとまず部下に言いつけてルキアを牢に戻す。
中央四十六室に何度も掛け合ってはいるが、裁定は覆らないの一点張りで、彼女を自由の身にするにはまだ時間がかかりそうだ。
「清音、旅禍二人が重傷だ。上級救護班を手配してくれ」
「はいっ! ……あれっ?」
元気よく返事をした清音が何かを探すようにきょろきょろと辺りを見回す。
どうした、と言いかけて、浮竹も気づいた。
この中で一番重傷だった旅禍の少女の姿がない。
大量の血溜まりだけを残し、彼女は忽然と消え失せていた。
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川の水は蒼穹を反射して青く漲っている。小滝から流れ落ちる水は岩肌にぶつかって白いしぶきを上げ、陽光に煌めく水面をひっきりなしに揺らしていた。
上流にほど近いため川の流れはやや強いものの、水は透明に澄んでいて、辺りには冷涼な空気が満ちている。
避暑にはうってつけの場所だが、そんな事を考えている余裕はない。
頭から川に突っ込んで、危うく川底に顔をぶつけかけた。咄嗟に体を横にして受け身を取り、その勢いでざばっと起き上がる。
水が妙なところに入って、何度か咳き込んだ。
髪から垂れる水滴がぼたぼた落ちていくのを、膝に手をついて呼吸を整えながら見ていると、
「……情けも容赦もないな……」
という呟きが口から漏れた。
すると上空から声が降ってくる。面白がっているような、悪戯っぽい声である。
「ふーん、石田くんは女の子に手加減してほしいんだ」
石田は眼鏡のレンズを流れる雫を乱暴に手で拭い、空を仰ぎ見ながら吠えた。
「……言ってくれるね!」
装着した手套から直接形成される弓に矢を番え、一気に撃ち放つ。
宙を駆け上りながら三つに割れた矢はそれぞれが別の軌道を描き、空中に陣取る少女を三方向から挟み込むように飛んだ。正面から撃ち消されるのを避けるため、どれも着弾のタイミングがずれるように微妙に速度を変えてある。
だが、この程度の小細工が彼女に通用するとは端から思っていない。
石田は矢の行方を見届けず、森の中に飛び込んだ。
──時は七月三十一日。
人気のない山奥の川のほとりにて。
白く輝く太陽を抱く蒼穹の下、二人の滅却師が火花を散らせていた。
桜は木々に隠れて見えなくなった少年の気配を追いながら、その場を動かずに矢の一つを身を捻って避け、一つは弓で打ち払い、最後の一つはそばを通った瞬間に手で掴み取った。
矢を手の中でくるりと回転させる一瞬の間に、自身の霊力による霊子支配権の上書きが完了する。そのまま霊子操作を続ければ、みるみるうちに矢が形を変えていく。──矢は周囲の霊子を吸い上げて刀ほどの大きさに肥大化し、先端が鋭く尖り、側面には螺旋状の溝が生まれた。
ドリル状に変形した矢を長弓に番え、地上に向けて強く引き放つ。
ドッと空気を裂き、稲妻の如き速さと威力で滑翔した矢は、細かな草木を薙ぎ倒しながら進み、ひと際背の高い大木の幹を貫通して螺旋状の風穴を開けた。
大木が半ばからぐらりと傾く。
石田はそれを足場に飛簾脚で滑走して高く飛び、桜の頭上を取った。
「なんだ今のドリルみたいなの!?」
「矢の形状を変えれば攻撃の性質もある程度コントロールできるわ」
「なるほどね!」
石田が見上げ、桜が見下ろす。空中で両者の視線が交差した。弓に矢を番えれば、彼女も同じ動作で迎え撃たんとする。
同時に撃ち放った霊子の矢はぶつかり合って跡形もなく消滅する──が。
「──!」
桜が目を見張り、弾かれたように身を翻した。
間一髪、それで矢の直撃は免れる。
だが完全には避け切れず、宙に取り残された髪の毛先を矢が掠めた。白い糸くずのような髪がはらはらと散っていく。
放った矢の真後ろに、矢をもう一本仕込んで意表を突く小技。石田が見せた攻撃の姿勢に、桜が回避ではなく迎撃による相殺を選んだ時点で弓に細工を仕掛けたのだ。
しかしこれも所詮は小細工。決定打にはならない。
だが、彼女の姿勢が崩れた。成果としてはそれで充分。
「──
撃ち放つのは青い掃射。
機関銃の如き矢の雨が、宙を駆ける少女を追い立てる。
大きく旋回しながら矢の追跡を振り切ろうとする彼女は反撃の機会を窺っているのか、その眼差しには隙がない。
刹那、その姿がかき消え、同時に頭上に影が差す。
弾かれたように顔を上げれば、そこには今にも矢を放たんとする彼女の姿がある。
飛簾脚による超加速。
瞬間移動と錯覚するほどの速度は、しかしあくまでも線上の移動でしかない。であれば、
桜が番えた矢から指を離す寸前、彼女の無防備な背中に矢が襲いかかった。
──しかしそれも間一髪躱される。
気配で察したか、後ろも見ずに横に飛んだ桜の口から「ちッ」とかすかな音が漏れたのが聞こえた。
(舌打ち!?)
内心驚きつつも、彼女が攻勢に移る前に追撃。
続けざまに三度放った矢はあっさり躱されるが、それで終わらない。三矢は桜とすれ違うや否や、急角度に軌道を曲げて滑翔を再開した。
ばらばらの方向から飛来する矢を疾走しながら一瞥し、桜が呟く。
「
特定の霊圧を追尾する性質を付与した矢は、撃ち落とされない限り標的を追い続ける。
獲物を地の果てまで追いかける猟犬を退けるには、迎撃する他ない。
桜は即座に弓を引いてホーミング矢を撃ち落とすが、その時点で既に石田は二の矢を放っている。
ぶつかり合って砕けた矢の残滓を裂いて、第二射、第三射が飛ぶ。
四方八方から自分めがけて飛来する矢をすべて回避し、あるいは撃ち落としながら攻勢に移るのは、さしもの彼女も困難なはずだ。
反撃は許さない。
弓矢を構える時間も与えない。
(このまま粘れるか……!?)
更なる追い打ちのために矢を番えた石田の視界に、妙な光景が飛び込んできた。
いくつもの矢をくぐり抜けながら、桜が手のひらを上に向けて腕をこちらに伸ばしている。
そして、何かを招くようにくっと指を曲げた。
途端、足元の感覚が消失した。
「なっ、!?」
突然の感覚に一瞬思考が停止する。
正面にあったはずの青空が急速に遠ざかり、視界の両端を景色が猛烈な勢いで駆け上がっていく。
その光景に、ようやく理解が追いついた。
霊子で作った足場が崩れた。否、崩されたのだ。
体勢も整えられないまま真っ逆さまに落下する。
内臓がせり上がるような不快な浮遊感に咄嗟に口を閉じた。
(ま──ずい……っ!)
空中での攻防は何度も上昇を繰り返し、地上三十メートルにまで達していた。そんなところから無防備に落下して、人間が無事でいられるはずもない。
時間にして三秒弱。瞬く間に地上が迫り、あわや川底に叩きつけられる──その寸前。
強く足首を掴まれた。
「──……っ」
水面まで拳一つ分の距離で、自由落下は停止した。
揺らめく水鏡に自分の強張った顔が映り込んでいる。
今になってどっと噴き出してくる冷や汗の感触を感じながら上を見ると、逆光を背負った桜が平然とこちらを見下ろしていた。
「強くなったわね、石田くん」
「…………どうも。この状態で言われても釈然としないけどね」
足首を掴まれて逆さまにぶら下がったまま、石田は頬を引きつらせた。
ゆっくりと地面に降ろされたところで、ピピピピピ、と電子音が鳴った。
岩陰に置かれていたタイマーを桜が止める。
「ワンラウンド終了……これで四勝ね」
「嬉しそうだね……」
彼女は心なしかドヤ顔である。
──“散霊手套”の修行は成功を収めた。
高度な霊子拡散能力を持つ手套を着けた状態で、七日七夜弓を形成し続けるという鍛錬は想像以上に困難を極めたが、何とか想定していた期間内に完成させることができた。
そうしてものにした新たな弓を肩慣らしがてら試用してみないかと桜に提案され、昨日から模擬戦を行っているのだが、現状ものの見事に全敗している。
模擬戦のルールはシンプル。
制限時間の二十分以内に桜が石田を戦闘不能にさせれば勝ち、時間いっぱい石田が彼女から逃げ切れば勝ちである。
当初、提示されたこちらにハンデがある条件に、平等にしてはどうかと異を唱えたところ、
「だってわたしの方が石田くんより強いもの」
とあっさり一蹴されてしまった。
悲しいかな、石田はこれに反論する言葉を持たない。
様々な策を講じて勝ちの目を手繰り寄せようとする石田に対し、桜はことごとくその策を上回り、あるいは思いもよらない方法で対抗してくる。先ほど足場を崩されたのだってそうだ。
霊子を固めて足場を作るのは滅却師であれば誰でもできることだが、他人が作った霊子の足場を外から奪うというのは一筋縄ではいかない。矢や足場といった物体として完成しているものに外部から干渉する場合、霊力によるコーティングを突破し、更に霊子の結合を解いて自身の元に集める必要があるからだ。霊子に対する影響力──支配力がよほど強くなければ、そんな芸当はできない。
滅却師の戦いは霊子の戦いである。
であれば滅却師同士が対峙すれば、霊子操作能力が高い方に軍配が上がるのは言うまでもない。
やろうと思えば、桜は石田の持つ霊弓を直接狙うことだってできるはずだ。流石にそうなれば成す術もない……というか戦いにならないので、これでかなり自重している方だろう。
とはいえ突然の自由落下が始まった時には肝が冷えた。これまでの模擬戦の中で、桜が石田が大きな怪我を負わないように気を配っていたのは察していたが、それはそれである。
初めは教育方針がスパルタなのだと思っていたが、ここまでくると流石に気づく。
(この子、もの凄く負けず嫌いだな……!)
鍛錬を目的とした模擬戦と言いつつ、いっそ徹底的なまでに負かされる理由がこれである。
儚げな見た目を裏切る強気な言動には慣れてきたつもりだったが、ここまで負けん気が強いとは思わなかった。
──それにしても。
精緻を極める霊子操作能力と、毫も揺るがぬ霊子支配力。
彼女に滅却師としての技術を教えたという兄は、どんな人だったのだろう。
そこまで考えて、あれ、と思う。
(そういえば桜さんって、お兄さんも滅却師だったとは言ってたけど、お兄さんに戦いの術を教えてもらったとは言ってないな……)
よくよく思い返してみると、彼女はそんな事は一言も口にしていない。最も身近な滅却師である祖父に師事していた経験から、彼女もそうなのだと思い込んでしまっただけだ。
びしょ濡れの髪をタオルで拭きながら考えていると、日陰に入って岩に腰かけた桜が言う。
「充分ね。これだけできれば尸魂界に行っても大丈夫でしょう。……それでも隊長格が相手になったらどこまで持つかわからないけど」
先日顔を出した夜一曰く、ルキアを連れ帰った二人の男のうち、白い襟巻をつけた男は尸魂界を守護する護廷十三隊の隊長なのだという。
抑えつけられてはいたが、それでもその霊圧の高さは突出しており、戦慄したのを覚えている。
「僕達は侵入者になるわけだから、向こうも全力で排除にかかるだろうね」
「戦いになったら撤退も簡単にはいかないし、慎重に動くのが賢明ね」
一名ほど慎重に行動できなさそうな男がいるのが若干気がかりだが、今考えても詮無い事だ。
しかし、いくら慎重を期したとして、十三人の隊長と会敵しないという保証はどこにもない。
「……わかってると思うけど、その手套を外すのは本当に最終手段よ」
暗に使うなと念を押す桜に頷く。
〝
石田の反応に、桜は「そう」と呟いた。
「ならいいの。……石田くんが滅却師じゃなくなったら困るしね」
「────」
白い横顔に木漏れ日が落ちている。
それが眩しくて、ずれてもいない眼鏡の位置を直した。
「……そろそろ再開しようか。明日は約束があるから今日は早めに切り上げなきゃいけないし」
「でも……もう少し休んだら? ここ数日ろくに寝てないでしょ」
「大丈夫、
──まあ、君が僕に土をつけられる心の準備ができてないって言うなら話は別だけど」
「────ふーん」
桜の目の色が変わった。
すくっと立ち上がり、じりじりとすり寄ってくる姿には妙な気迫が滲んでいる。
「そういうコト言うんだ……」
正面で立ち止まり、下から覗き込むように顔を傾けた彼女は上目遣いにこちらを見上げ、ニヤっと笑いながら言った。
「ナマイキね」
………………心臓が爆発した。
桜はそれに気づかず──気づくはずもなく──悠々と陽の下に出ていく。
「いいでしょう。そんなにボコボコにされたいなら、望み通り完膚なきまでに叩きのめしてあげる」
「…………うん。……ボコボコはちょっと遠慮したいかな」
「だーいじょうぶ、ボロ雑巾を新品に直すのなんて朝飯前だから。明日の花火大会には問題なく行けるわよ」
「ボロ雑巾にする前提で言わないで?」
◇
十二番隊隊長及び技術開発局二代目局長・涅マユリを名乗る男を前に、石田は桜との修行を思い出していた。
額に汗が滲む。
隊長との会敵──最も避けたかった事態である。
幸いなのは、その霊圧には多少の波がある事だ。十一番隊の男を脅して逃がした織姫が逃げ切れるまでの時間を稼いでから、隙をついて自身も離脱する。
そう算段した石田だったが、マユリの斬魄刀解放によりその目論見は脆くも崩れ去った。
自身の副官諸共に石田を斬り捨て、あまつさえ副官を手酷く甚振る男は、彼女の父でもあると言う。……なればこそ尚更に腹立たしく、信じ難い。
斬魄刀で斬られて動かなくなった左腕に執拗に切っ先を突き立てられ、激痛に絶叫しても、石田は男を止めるのをやめなかった。
するとマユリの眼差しに呆れと侮蔑の色が浮かぶ。
「しつこいネ、君も。それとも何かネ? 敵でも傷ついた女性には情けをかけてやるのが、君等の好きな滅却師の誇りってやつなのかネ?」
「…………何?」
異様な容貌の中、口の端がニタリとつり上がった。
「言ったろう?
男がべらべらと捲し立てるのは、聞くに堪えない鬼畜の所業。
拷問まがいの研究の成果を誇るでもなく。
研究体として費やした膨大な命を悼むでもなく。
嗤い、蔑みながら。
愉しげに、嗜虐に酔い。
唾棄すべき世迷言であるかのように、最後は吐き捨てたのだ。
………………じくじくと内臓の壁を炙るような激しい怒りが込み上げてくる。
握り締めた拳が震え、視界が端から真っ赤に染まっていく。
燃えるような激痛も、背中をぐっしょりと濡らす冷や汗の伝う感覚も忘れ、石田は殺意を滾らせて男を睨んだ。
男はそれを路傍の石でも見るように見下ろすと、「ここからは私の苦労話だ」と前置いて、しみじみと言った。
「──実際苦労したんだヨ。私が技術開発局の局長になった時には滅却師は既に希少種でネ。数少ない生き残りにも監視がついていたんだヨ」
────それは愚痴をこぼすような気軽な、他愛のない話でもするような声だった。
世界がぴたりと動きを停止する。
周りの風景が急激に遠のいて、目の前の男の姿だけが強烈な存在感を帯びていく。
ガツンと頭を殴られたようなショックに、その発言をうまく飲み込めない。
…………今、この男はなんと言った?
「その監視役の死神を手懐けてわざと救援を遅らせる。そうして連れ帰った魂魄を研究体にする訳だヨ。全くえらい手間だと思わないかネ」
…………まさか。
「一番最近の奴は薄汚い爺さんでネ」
…………………………まさか。
「弟子だか孫だかの名前をずーーーっと呼んでるんだヨ。気味が悪くてネ……」
────────この時。
石田雨竜の心臓は、まず間違いなく、一度、動きを止めた。
「写真見るかネ? どうせ研究後の写真だから──原型を留めちゃいないがネ」
そうして男は、取るに足らない些事であるかのように、ごくあっさりと。
簡単に言って、一枚の写真を投げて寄こした。
────それに写っているものは。
……………………それは、
それ、は────……………………………………、
……………………………………天秤が跳ね上がる。
同時に。
バツン────と、
箍が外れた。