THE CHERRY BLOSSOM AND THE RAIN   作:さーもんありなん

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マユリ戦の石田、最終形態発動前に乱装天傀使えてるのバケモンすぎて笑う
これにはキルゲさんもにっこり



第二十三話 Scherzo2[For Whom the Elegy]

 

 

 青い霊子の火柱が天を衝いた。

 それは極限まで絞られた弓から放たれる矢のような激しさで、ほとんど爆発じみていた。

 

 手套()から解き放たれた霊圧が乱気流となって渦巻き、やがて流れていく。

 視界が晴れる。

 

 

 ──そこに、片翼を背負った少年が立っていた。

 

 

 ……その光景を、吹き荒れる風に白い髪を靡かせながら、少女は静かに見下ろしていた。

 

 

 

     /

 

 

 

 視界は歩くたびに大きく揺れる。喉の奥に何かが詰まっているように呼吸が苦しく、喘ぐように荒く息をすれば、口の中の血の味が鮮明になる。脳内麻薬で誤魔化されていた傷の痛みが、時間の経過と共に激しさを増していく。

 世界は灰色に霞みつつあったが、石田はそれを無視して睨むように前だけを見つめ、足を動かしていた。

 

 ……足が重い。腕も上がらない。

 〝乱装天傀〟で無理やり動かしていた体が、滅却師の能力(ちから)の消失と同時に力尽きようとしているのだ。

 岸壁に寄りかかり、足を引きずりながら、それでも石田は歩いていた。

 今にも崩れ落ちそうな体を奮い立たせているのは、必ずそこに辿り着くのだという頑なな意志のみ。ただそれだけが、彼の肉体(からだ)を生かしていた。

 

「──石田くん」

 

 突然、鈴を転がすような声がして、足が止まる。

 

 ……一瞬、本気で幻聴かと思った。

 けれど自分の体の上にはつい先ほどまでなかった影が落ちているし、傍らには確かに人の気配がある。

 顔を上げれば、陽の光を遮って、桜が石田の前に立っていた。

 

「──桜、さん──……」

「無事……ではないけど、無事で良かったわ」

 

 眉を下げて石田を見つめる彼女が、そっと左腕に手を置いた。羽が落ちるような柔らかい手つきで、血の滴る傷に触れる。

 

「少し前から、見てたの。ごめんなさい、助けに入れなくて」

「いいよ、そんなの……むしろ巻き込まれなくて良かった」

 

 安堵の息がこぼれた。

 どこか物言いたげな彼女の眼差しに、頭の片隅でぼんやりと思う。

 

 ……そうか。見ていたのか。

 なら自分がこうなっている原因も、彼女は目にしているという事か。

 

 木漏れ日の下で見た横顔が今更のように脳裏に浮かぶ。

 忠告を無下にした。

 その事を、ひどく申し訳なく思う。けれどそれを口にする気力すら今の自分にはない。

 

「少し休みましょう」

「……え、でも、」

「朽木さんはひとまず無事だし、他のみんなも大丈夫だから。今はとにかく体を休めて。ね?」

 

 宥めるように言われて、何かを考える間もなく足から力が抜けた。

 崩れ落ちる体は地面に倒れるより先に、前から伸びてきた腕に抱き留められる。背中に回った自分よりはるかに華奢なはずの腕は殊の外に力強く、脱力した体を受け止めていた。

 

 彼女の肩口に頭を預けた途端、意識が急速に遠のいていく。眠りに落ちる前のようなそれに逆らう事なく瞼を下ろせば、指の先から体の感覚が薄れ、傷みすらも遮断されていく。

 朦朧としながら、石田はわずかに唇を持ち上げた。

 

「君には……、」

 

 声には自嘲の響きが混じる。

 体の芯が抜けるような感覚がして、自分が何を口にしているかすら、もうよくわからなかった。

 

「……かっこ悪いところ、ばかり……見せてる、気が……する……な……」

 

 それで、ふつりと意識が途切れた。

 

 

 

     /

 

 

 

 力を失った腕がだらりと垂れた。流れる血が指先から滴ってぽたぽたと地面に落ちていく。

 

 脱力しきってずっしりと重い体を抱き留めたまま、桜はじっとその場に佇んでいた。

 ……正確には、そうする事しかできなかった。

 まざまざと脳裏に浮かび上がる赤々とした記憶に身体のすべてが奪われて、ただ立ち尽くしていることしかできなかったのだ。

 

 だがそれも時間にして数秒の事。

 付近に近づく霊圧を敏感な霊圧知覚が察知し、桜は我に返った。

 視線を下げると、自分のものではない血で汚れた手のひらがある。──それで意識は完全に現在に引き戻された。

 桜は少年を横抱きにすると、刹那でその場を立ち去った。

 

 

     ◇

 

 

 周囲の霊圧を注意深く探り、人の気配がないのを確認してから、適当な土蔵の中に滑り込んだ。

 抱えていた少年を傷に障らないよう慎重に床に降ろすと、その動作で傷が痛んだ。電撃を浴びたように体が硬直する。

 

「っ……!」

 

 静かに桜は呻いた。

 朽木白哉に斬り刻まれた体はとりあえず傷を塞いで動かせるようにしただけで、とても治ったとは言えない。血だってまるで足りていないし、本来なら絶対安静必須の重傷だろう。

 無理を押している自覚はあったが、今は彼を治療するのが先決だ。……織姫がいればまた違ったのだろうが、ここにいない人間の事を考えても仕方ない。

 

 痛みを誤魔化しながら立ち上がる。きっちりと扉を閉ざして鍵をかければ、蔵を満たすのは天井付近にある高窓から落ちる光のみ。

 仰向けに横たえた石田の傍らに膝をついて、治療に取りかかる。まず死覇装の襟を開いて、左肩の下から胸にかけて斜めについた傷を確認する。次いで血まみれの左腕を縛り上げていた布を解くと、無残な傷口が露わになった。それに顔をしかめつつも、治療術式を展開させていく。

 

 横たわる彼の呼吸は浅く速く、体温は不自然に高い。熱が出てきているのだ。傷のせいもあるだろうが、おそらくは無理を通した反動だろう。それほどの力だ。乱装天傀も、滅却師最終形態(クインシー・レツトシュティール)も。

 

 正直なところ、彼がそれを使う可能性は低いと踏んでいた。それは忠告したからというわけではなく、単に可能性の問題でだ。

 十三人いる隊長の中で、石田があの男──涅マユリと遭遇する確率は単純に考えれば十三分の一。如何に桜達が排除対象であろうと、広大な瀞霊廷内では必ずしも隊長に遭遇するとも限らず、実質的な確率はもっと低い……はずだった。

 石田と織姫の二人が十二番隊の管轄内に入り込んだ時から、もしやとは思っていた。もし彼があの男と会敵し、戦いになり、そこで祖父の身に起こった事を聞いたのなら──きっと彼の中の天秤は傾くだろう、と。

 そして、事実そうなった。

 それが定めだとでもいうように。

 運命に導かれるように。

 

 ────けれど。

 そうまでしたというのに、彼は。

 

「……どうして殺さなかったの」

 

 昏々と眠る少年にそう問いつつも、桜にはもう答えがわかっていた。

 

 あの時、涅マユリを確実に殺せたはずの彼が、そうしなかった理由(わけ)

 思い当たる事は一つしかない。

 あの場にあの女がいた事だ。

 涅ネム──十二番隊副隊長。死神の力を持って生まれた被造魂魄。涅マユリの()

 

 彼女の存在が石田のブレーキになった事は想像に難くない。

 では、それはなぜか。

 それも、だいたい察しはつく。

 

 きっと彼は、彼女()の前でマユリ()を殺したくなかったのだろう。

 

 それは彼が父親との間に確執を抱える故のものなのか、あるいはただ彼女を傷つけることが憚られただけなのかまでは判らないが。

 どうあれ彼は、ただそれだけの理由で、敬愛していた師匠/祖父に、凄惨極まる死を与えた仇に対する明確な殺意を、思い留めたのだ。

 

 ────それは、なんて甘い。

 そう思いながらも、桜はどこかで納得していた。

 

 石田はそういう人間だ。

 どこまでいっても非情になれない。精神がそういうふうに出来ていない。他者への情で動く人間であるが故に、利己的な目的のために力を振るえない。

 加えて彼は理性的な(たち)である。どれだけ激しい怒りに駆られていても、激情に苛まれていても、それに身を任せきれない。頭の片隅で、理性という名の自分が凪いだ目でこちらを客観視し、この先起こるかもしれない出来事を思考している。だからどんな時でも行動にブレーキをかけられる。たまに突拍子もない事をするが、それだって熟考した末のものだ。

 

 それらは決して悪い事ではない。

 その人間性は彼と彼の周囲を大いに助けるだろう。

 だが、そのすべてが良い事であるとも言いきれない。

 

 非情に割り切れないがために余計な気苦労を背負い込むことだってあるだろう。色々と考え込んだ末に身動きが取れなくなることだってあるだろう。

 

 ……何も考えず、感情に身を任せてしまった方がずっと楽なのだ。あるがまま、時運にすべてを委ねて、行いの是非にすら目を瞑って。

 

(…………でも、)

 

 でも、後悔するよりは、良いのかもしれない。

 怒りに任せて仇を殺していたら。

 きっと彼は独り残された娘を見て、後悔しただろうから。

 

 石田の体を覆っていた治療術式が消える。同時に、蔵の中に灯っていた青い光も消滅した。

 治療はおおむね完了した。特に損傷の酷かった腕も触れればつるりとしていて、傷は跡形もない。しかし霊力、体力共に消耗が激しいし、熱もまだ下がりそうにない。目を覚ますにはしばらくかかるだろう。

 

 他の箇所をあちこち診ていると、妙な感覚を覚えた。平面をなぞっていたはずの爪の先が、何かに引っかかるような小さな違和感。

 汗ばんだ肌に手を滑らせ慎重に探っていくと、それが表皮ではなくその下にある事が解る。

 

「何か──体内に……」

 

 霊圧感知を全開にしたうえで極限まで範囲を絞り、石田の体内を細かに読み取っていく。

 それは暗く広大な湖に落とした小石を手探りで拾い上げることに等しいが、桜にとってはそう難しい事でもない。どれほど小さな存在であろうと、尸魂界に存在している以上は霊子で構成されている。ならば在り処を探り当て、干渉するなど造作もない。

 果たしてそれは見つかった。体内に巣食うのは針の先よりも小さい、極小の生物──おそらくは細菌の類。

 体内に入ってまだ間もないようで、彼の肉体を構成する霊子と微妙に馴染んでいない。

 

 ……十中八九、涅マユリの仕業だろう。

 こうしている今もじわじわと増殖して数を増やしているが、交戦中に使用しなかったとなると用途は攻撃以外に限られる。考えられるのは身体の内部か、あるいは石田の視点を通しての外界の監視か。

 毒性などは見られないので、放っておいても人体に害はないはずだ。だからといって見逃してやる道理もない。

 ……ないのだが。

 

「…………いや、……放っておくのは流石にダメね」

 

 長い逡巡の末、鋭く息を吐いて覚悟を決めた。

 彼の胸部に強く手を押し当て、細く息を吐きながら蠢く菌のみに狙いを絞り、一気に霊力を流し込む。

 

「……ッぐ、う……くッ…」

 

 びくん、と石田の体が不随意に跳ねた。

 顔がしかめられ、くぐもった呻き声が上がるが、菌が完全に死滅したのを見届けて手を止めればすぐに納まった。

 

 ほっと胸をなでおろす。

 途端、ひどい眩暈に襲われた。

 

「ッ──……!」

 

 地面がひっくり返るような不快感を床に手をついてやり過ごす。その手が震えているのが目に入って、堪らず目を閉じた。びっしょりと汗をかいた背中に服が張りつく感覚が生々しく、激しく波打つ心臓は大きく膨らんで肋骨に当たっているような気さえする。

 

(大丈夫、成功した、あんなふうにはならない。落ち着け、落ち着け──)

 

 傷は痛むが死ぬほどではない。血は足りないが倒れるほどでもない。──ここに、あの人(・・・)はいない。

 努めて息を吐きながら、心の中で何度もそう繰り返した。

 

 ……手の震えが収まってからも、桜は深く俯いた姿勢のまま、しばらく目を閉じていた。

 やがて首の後ろがじんと痛くなってきて、ようやく目を開ける。

 

 そこには無防備に眠る少年の静かな寝顔があった。発熱によってやや顔が赤いが、呼吸は随分と落ち着いてきている。一護に負けず劣らず険しい顔をしている事が多い石田だが、眠っていると険が取れて年相応にあどけなくなる。

 手を伸ばして、着けたままだった眼鏡を外してやる。

 指先に触れた肌は汗で湿ってひんやりと冷たく、髪が頬に張りついていた。それを払いながら、小さく呟く。

 

「……あなたが滅却師じゃなくなったら、わたしもお役御免かな」

 

 だが、そんな日は来ないだろうと知っている。

 彼が彼である以上、それは訪れない未来だ。

 

 近くの壁に凭れかかって、膝を抱えた。

 流石に疲弊しているが、負傷者がそばにいるのに眠るわけにはいかない。誰かが近づいてくる気配がないのが幸いだが、横になるのは控える。

 空座町の家に帰りたい、と思った。住み始めてから数か月経っても殺風景なままの部屋だが、ここよりはずっと気が休まる。……こんなところよりは、ずっと。

 

 雲が動いたのか、高窓から差し込んでいた光が急に陰った。

 暗さを増す蔵の中には、穏やかな寝息だけが響いている。

 何とはなしに、それに耳をそばだてていると、ふいに意識を失う寸前に彼が言った言葉が蘇ってくる。

 

 ──あの時、脳裏によぎった光景に、桜はしばらく動けなかった。

 

 瞼の裏に浮かび上がるのは、地平線が燃えているような夕焼け。

 (あか)(あか)い光を浴びながら、大きなブラウンの瞳を細めて、あの人が穏やかに微笑みかけてくる。

 普段快活に笑う人だったから、そんな笑みを浮かべるのは珍しくて、だから目に焼きついていた。

 

 …………だけど、その時に言われた言葉が思い出せない。

 

 わたしに優しく微笑んだあの人は。

 兄は、あの時なんと言ったのだっけ──……。

 

 

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