THE CHERRY BLOSSOM AND THE RAIN 作:さーもんありなん
天に突き立つ巨大な矛は炎を纏い、その姿を巨大な鳥へと変じさせた。
──けれどその刻は訪れず。
炎の鳥となった刃を受け止める者があった。
「────よう」
外套が靡く。
大刀を手にしたオレンジ髪の死神が、そこに立っていた。
/
聳え立つ絶壁は丘というより崖に近い。頂上へ続く階段は長く、何度も折り返しを挟んで延々と続いていた。
双殛の丘の麓に辿り着いた石田はほとんど天を仰ぐように頂上を見遣り、息を呑んだ。
凄まじいまでの霊圧が渦巻き、激突している。
一つは現世で見た、朽木白哉のもの。
もう一つはよく知った、しかし見違えるほどに強大になった一護のもの。その霊圧は重く、濃く、色で例えるならば漆黒。それでいて凶暴なものを感じさせない、太い芯が通った力強さ。
その二つが双殛の丘の頂上で激しくぶつかり合い、しのぎを削っているのだ。
熾烈な闘諍に唖然とする中、同じく空を見上げていた桜がぽつりと呟いた。
「朽木さんの霊圧が移動してる」
「黒崎くん、朽木さんを逃がせたんだね!」
「……なら、どうして一護はまだ戦っているんだ?」
茶渡の問いに、石田は半ば確信を持って答えた。
「……甘い相手じゃないってことだよ。朽木さんを逃がしただけじゃ、奴らはまたすぐに捕えに来る。本当に朽木さんを助けるためには相手の全てを叩き折って、『朽木さんを処刑する』という相手の気構えそのものを砕く以外に方法はないんだ」
それが一護がまだ戦場に立ち続ける理由。
真の意味でルキアを助けるには、立ちはだからんとする相手の意志そのものを打ち砕く他ない。
だから一護は戦っている──全身全霊で、己の全てを懸けて。
茶渡と織姫が固唾を呑んだ。誰からともなく目を合わせ、頷いて階段に向かう。
その背に声がかかった。
「──わたし、朽木さんの方に行ってくるわ」
桜の言葉に石田は驚いて振り返った。
「桜さん!」
「え、ダメ? このまま全員で一護くんのところに行くよりはいいと思うけど」
「そうじゃなくて……!」
傷は治っても、すり減った霊圧までは回復していないだろう。いくら滅却師が周囲の霊子を操って戦う種族だといえ、自身の霊力を全く使わないというわけではない。それに疲労だって随分溜まっているはずだ。
瀞霊廷中の目が双殛の丘に集中しているとはいえ、敵が皆無とは考え難く、そんな中で彼女を一人にするのは抵抗が大きい。
──せめて僕も一緒に行く。
石田はそう言おうとして、咄嗟に口をつぐんだ。
今の自分が行って、何になるというのか。
視線を落とす石田に桜がかすかに微笑む。
「平気。それより石田くんはみんなと一緒にいて」
「だったらあたしが一緒に行くよ!」
「井上さんもダメよ。戦いが終わった後ボロ雑巾になってる一護くんを治してあげないと」
織姫をやんわり宥めると、桜は踵を返した。
「じゃ、また後でね」
「待っ──」
掴もうとした手は一瞬遅く、彼女の腕はあっさりと石田の手のひらをすり抜けた。
桜の足元で青い霊子の光が瞬いたと思ったら、一瞬にして背が離れていく。──飛簾脚だ。
……今の自分には、決して使えないもの。
白い髪を翻す少女を見送り、石田は唇をきつく結んだ。
「──行こう。見ている事しかできなくても、俺達は一護と同じところにいるべきだ」
茶渡が言うのに頷いて、石田は走り出した。無限に続くと思われるような階段をひたすら駆け上がりながら歯噛みする。
ぽっかりと空いた穴に風が吹き抜けていくような乾いた冷たさと、腹の底に鉛の塊が沈んでいるような重苦しさが胸の内に満ちていて、肺を圧迫するように苦しかった。
……この感覚に何という名前が付くのか、石田は既に知っている。もう二度と味わいたくないと思っていたはずのそれ。
そう──これは昔散々味わった、何もできない自分に対する怒りと悔しさ、焦燥の混じる、身を切るような無力感だ。
/
ルキアを腕に抱え、恋次は脱兎の如く駆けていた。
道から塀へ、塀から屋根へ、屋根から道へ飛び移る。入り組んだ瀞霊廷を移動するには、地上の道を愚直に走るよりあちこちを跳んだ方が格段に早い。
時折地上から追手のものらしき声がかかるが、その声が恋次の耳に届く頃には既にその場から消えている。疾風のような速度だった。
双殛の矛の強大な霊圧にあてられたのか、ルキアの体は弛緩しきっている。
大した重さではないが横抱きのままでは刀も振るえない。ひとまずどこかに身を隠し、ルキアの体が回復するのを待ちたいところだ。
「おい、恋次……、どこへ行くつもりなのだ」
「決めてねえよ。けど瀞霊廷にいたんじゃ簡単に補足される。流魂街のどっかにでも潜んで──」
言葉の途中で、ばっと目の前に誰かが現れた。
急ブレーキをかけた恋次の前に、それは重力を感じさせない軽やかさで地面に舞い降りる。黒い死覇装に白く長い髪──現世で会った滅却師の女だ。
「桜!!!」
「どうも朽木さん、一日ぶりね。お元気そうで何よりだわ」
ルキアが弾かれたように声を上げるのに、肩にかかった長い髪を払いながら桜はさらりと答えた。
敵ではないと判断し、身構えていた恋次は肩から力を抜いた。現世で一泡吹かされた相手だが、一護の仲間であるのなら今は味方と考えていいはずだ。
それに──
「で、阿散井恋次くんだっけ?
「そりゃお前もだろ。聞いてるぜ、朽木隊長とやり合って傷までつけた女だってな」
白哉との戦いの最中、恋次は彼の口から桜の事を聞いていたのである。いつもの氷のような無表情を屈辱に歪ませる白哉の姿は少なからず衝撃だった。
恋次の言葉に桜は嫌そうに顔をしかめた。どうやら苦い思い出らしい。
腕の中のルキアが桜に腕を伸ばした。思うように体が動かないのか、その腕はわずかに震えている。
身を乗り出してバランスを崩しかけたルキアを桜が慌てて支えた。
「ちょっと朽木さん、」
「っ桜……、よく、よく無事で……、本当に……!」
顔をくしゃくしゃに歪めたルキアの目からぼろっと大粒の涙がこぼれた。
ぎょっとする間もない。
声を震わせながら桜の胸に縋りつくルキアの頬を透明な雫がとめどなく伝い落ちていく。
「お、お前が……、兄様と……、兄様に……! っゔゔぅ゙ぅ゙〜!!」
──が、ガチで泣いてる……。
呆気に取られて立ち尽くす二人の心の声が重なった。
どうしたらいいのこれ、という顔で恋次を見る桜を、恋次は知らねえよお前が泣き止ませろ、という目で見返した。
困惑しながらも桜はおずおずと胸元にしがみつくルキアの背中に手を置いて、不慣れな手つきでさすり出した。丸きり赤ん坊をあやす仕草である。
「あの……朽木さん? わたしは大丈夫だから……そんなに泣かないで……」
「ゔむ゙」
ルキアは桜の死覇装に顔を埋めてうんうんと首を縦に振っている。わかっているが安堵で涙が止まらないのだろう。
「お前、俺が助けに来た時より泣いてるじゃねーか……」
「うるさいっ!」
恋次が呆れて言うと、ルキアがぱっと振り向いて顔を擦りつけてきた。死覇装に涙と鼻水がべったりへばりつく。
「おい! ざけんなテメェ!」
「桜、一護や他の奴らはどうしたのだ」
「一護くんはあなたのお兄さんと戦ってるわ。みんなもそこにいる。すぐに追いかけてくるでしょう」
怒鳴る恋次を無視したルキアの問いかけに、桜はさっぱりと答えた。揺るぎない口調はルキアを安心させるためというわけでなく、一護の勝利を心から信じているのだろう。
無論、恋次とてそうである。
走って来た道を振り返ると、天に向かって聳え立つ巨大な丘がある。これほど遠く離れてもなお、頂上からは一護と白哉の霊圧がはっきりと感じられるのだから凄まじい。しかし戦いが始まった頃に比べれば両者の霊圧は確実に目減りしている。そろそろ勝敗が決してもおかしくない頃合いだ。
「それより阿散井くん。行き先に当てはあるの?」
「ねえよ。とりあえず流魂街にでも行くつもりだ」
「無計画……まあどこに行ったって同じだと思うけど、瀞霊廷の中にいるよりはましね……」
残念なものを見るような目で言われ、恋次は鼻を鳴らした。
──直後、双殛の丘から強大な霊圧が堰を切ったように噴出した。
弾かれたように振り返った三人は、その先で丘の頂から広がる白と黒の翼を目にする。
本来無色で形を持たないはずの霊圧が可視化されるまでに高まり、二色の翼の姿を成しているのだ。
残った力の全てを振り絞ったような限界を極限まで超えた技が激突し、空気を揺るがした。
一瞬の沈黙の後、渦を巻く霊圧の残滓が消え、そこに残っているのは──
「一護……!」
歓喜を滲ませたルキアがこぼすのに、恋次の口元も緩む。
勝敗は決した。無敵かとも思えたあの朽木白哉を、黒崎一護が下したのだ。
喜びに浸る間もなく、恋次は再び街道を走り出した。騒ぎが沈静化する前に瀞霊廷から離れれば、隊長達の目もいくらか眩ませられるはずだと考えて。
だがその逃走も長くは続かない。
角を曲がった路地の先に、見知った男が立っていた。
◇
「と、東仙隊長? なんでこんなところに……」
困惑の声で、恋次は男の名を呼んだ。
──九番隊隊長・東仙要。
花太郎から聞いた話では彼は更木と戦っていたはずだが、離脱してきたのか。身につけているべき隊長羽織を脱いだ彼の剥き出しの右肩には白い包帯が巻かれている。
東仙は黙したままじっと佇んでいる。──まるで待ち構えていたかのように。
すっと桜が恋次を庇うように前に出た。手には弓を持っている。
その背中が発する緊張感にはっとする。……なんでも何もない。このタイミングで現れる隊長なんて、恋次とルキアを連行、あるいは始末しに来たに決まっている。
東仙は黙ったまま、おもむろに腕を上げ──その腕を矢が貫く寸前、彼は真横に跳んだ。通り過ぎた矢に撃たれた石畳が弾け飛ぶ。
土煙を背後に、バイザーの向こうの眼が桜を捉えた。
「……そこを退け、旅禍。用があるのは貴様ではない。大人しく退けば私とて──」
言葉の続きを待たず、桜は再び矢を放った。
東仙は即座に抜刀して飛来する幾本もの矢を弾き返し、一瞬で彼女の懐に入り込んだ。
刹那の踏み込みは弓によって防がれる。
甲高い音がして、火花が散った。
刀と弓で互いに押し返し、両者共に後ろに下がる。横たわる距離は数字にしておよそ
「言葉もないか。余裕がないな滅却師」
「死神如きに語る言葉があるとでも?」
東仙の冷静な声に対し、桜もまた静かに答えた。しかしその言葉にはどこか挑発的な響きがある。
「死神如き……か。ならばこちらも相応の対応でいくとしよう。
鳴け──」
正眼に構えた東仙が解号を口にした、その瞬間。
斬魄刀の名は呼ばせないとばかりに、桜が強く地面を踏んだ。──刹那、十メートル以上あった間合いがゼロになる。
一秒に満たない須臾の間に男に肉薄した桜は、包帯の巻かれた右肩に直接矢を叩き込んだ。
「……ッ! 厄介な……!」
辛うじて反応はしたものの攻撃は防ぎきれず、後退した東仙の表情が歪んだ。血がぱたぱたと石畳に落ちる。
……恋次は目を見開いていた。
桜は霊子や霊力を使わず、純粋な脚力のみで弾け飛んだのだ。加えて原理は知らないが、霊圧を極限まで抑え込んでいる。盲という特大のハンデを鋭敏な霊圧知覚で補う東仙からすれば、眼前にあったはずの気配が突如消え、自身の懐に直に現れたように感じられたことだろう。
どこかで彼の弱点を聞いたのだろうか、盲人の東仙には的確すぎるほどの戦法だった。
桜は素早く東仙から距離を取ると、恋次に背を向けたまま言い放った。
「阿散井くん、今のうちに行って。早く!」
「──ッ!」
鋭い声に、恋次は弾かれたように駆け出した。
立ち止まっている時間はない。様々な人間の手を借りてここまで来たのだ。それらの助力に報いるためにも、自分はどうあっても捕まるわけにはいかない。
「ま、待て恋次! 桜が──」
「黙ってろ舌噛むぞ!」
ルキアの静止の声を封殺して、遮二無二疾走する。
──頭の中に突然声が流れ込んできたのは、その直後だった。
/
──殺害されたと目されていた五番隊隊長・藍染惣右介の正体。
──尸魂界の最高司法機関である中央四十六室の全滅。
──斬り伏せられた十番隊隊長と五番隊副隊長。
──藍染惣右介の腹心である市丸ギンと東仙要。
頭の中に響いた四番隊副隊長を名乗る女の声は、ここ数日の一連の事件の首謀者について滔々と語った。
対峙する男に矢の照準を合わせたまま、桜は思案する。
随分手が込んでいる。藍染惣右介とその一派の動向は事前に
「今の霊圧の揺らぎ方は〝天挺空羅〟か。……務めを果たせぬ我が身の未熟。申し訳御座いません、藍染様」
恋次とルキアを追う素振りを見せていた東仙は、しかし刀を下ろしてぽつりと言った。
それは呟きというよりは誰かに語りかけるような口調で、男が最後に口にした名前に桜はぴくりと眉を動かし──
「──構わないよ、要」
真後ろから聞こえたその声に、思考するより先に転がるように前に出た。
即座に体を翻し、それまで自分が立っていた場所を振り返れば、そこには一人の男がいる。
緩やかにうねる茶髪。穏和な顔立ちに眼鏡をかけ、隊長羽織を身に着けた男。だがその白と背負った数字は、今となっては何の意味もない。
……よりにもよってこんな最悪のコンディションの時に。
背中に嫌な汗が伝うのを感じながら、桜は男を睨んだ。
「やあ。初めまして、滅却師のお嬢さん」
大逆の徒・藍染惣右介が、穏やかな笑みでこちらを見下ろしていた。
目の前で自分を助けに来てくれたクラスメイトが兄にズタボロにされるとかいうトラウマものの光景を見せつけられたルキアさん、安堵の号泣