THE CHERRY BLOSSOM AND THE RAIN   作:さーもんありなん

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第二十八話 Coda1[光と影 Ⅱ]

 

 

 一度降りた階段を再び駆け上がり、息せき切って丘の頂に辿り着いた、その先。

 目に飛び込んできた光景に、石田の体は硬直した。

 

 どす黒い赤い液体が、小さな池を作っている。

 その中心にいる黒髪に褐色の肌の女性が腕に抱えているのは、白い髪をまだらに赤く染めた少女。

 ──力なく垂れた腕は、ぴくりとも動かない。

 

「──────」

 

 耳の奥で、ザーッと血の気が引く音がした。

 ぐにゃりと足元が歪んで、視界が明滅する。

 

 目の前の現実に重なるように、忘れられない過去が脳裏に蘇ってくる。

 ……顔に白い布を被せられた母。

 ……濁った目に虚ろに空を映す祖父。

 

 色を失った世界の中で、流れ出ていく命の色だけが鮮明だった、あの日が。

 

 ──そんな石田の意識を強く揺さぶったのは、背後から聞こえた織姫の悲鳴だった。

 

「──桜ちゃん……!」

 

 喉の奥から絞り出すような悲痛なその声に、石田ははっと我に返った。同時に血だまりに投げ出された腕がびくりと動くのが見え、それでようやく体の硬直が解けた。

 織姫はすぐに桜に駆け寄ろうとしたが、途中で別の方向を見てぴたりと動きを止めた。そこにはうつ伏せに倒れている一護の姿がある。どちらに行くべきか迷っているのは明白だった。

 

「──い、井上さん、」

 

 消え入るようなか細い声に、織姫は肩を跳ねさせた。

 しかし、今度こそ桜の元に駆け寄ろうとした織姫を制したのは他ならぬ桜だった。

 

「一護、くん、先に、」

「……え、」

「あの子の、が、危ない、から」

 

 途切れ途切れに言う彼女の口元は真っ赤に濡れている。白を通り越して青ざめてすらいる顔色との色彩差が酷いコントラストを生んでいた。

 

「わ、──わかった。待ってて、すぐ、すぐに戻ってくるから!」

 

 ぎゅっと眉根を寄せて目に薄く涙を浮かべた織姫は何度も頷いて、一護の元に向かった。

 彼女と入れ替わるように、石田は桜の元に向かう。

 ぐったり弛緩した桜の上体を抱える黒髪の女性は険しい顔で血まみれの胸元に手を当てていて、そこから淡い白い光が溢れ出していた。

 

「────なに、その顔」

 

 そばに膝をつくと、桜は石田を見上げて目元を緩ませた。薄い唇がわずかに持ち上がる。力のないかすかな笑み。

 それに堪らなくなって、気づけば彼女の手を取っていた。薄くて、小さくて、冷たい手だった。

 

 唇がわななく。

 俯いて、絞り出すように石田は言った。

 

「…………ごめん」

「……なんで謝るの。……ばかね」

 

 手が震えている。

 彼女の手を握る、自分の手が。

 

 四番隊の隊長だという女性がやって来るまで、石田はずっとそうして手を握っていた。

 

 

 

     /

 

 

 

 藍染の反乱から四日後。

 綜合救護詰所の三階、一護に宛がわれた病室に、旅禍改め賓客となった面々が集まっていた。

 

 こうして知った顔が一堂に会するのは数日ぶりで、一護はなんとなくほっとした心地になる。

 藍染の一件の後、治療が落ち着いた者から顔を出してくれてはいたのだが、各々事情を聞かれたりと何くれと忙しく、更に一護が比較的軽いとはいえ安静を言い渡されている身なのもあって、こうして落ち着いて顔を合わせるのは空鶴邸を出て以来の事だった。

 

「桜、お前ここ座れよ」

 

 最後に部屋に入ってきた桜──この中では一護を除いて唯一入院着を着ている──に、一護はぽんぽんと自身が腰かけるベッドを叩いた。客用の椅子は部屋には四脚しかないのだ。

 すると不思議そうな顔が返ってくる。

 

「? もうどこも痛くないけど」

「いーから座れって」

「……そ。じゃあ遠慮なく」

 

 上半身と下半身を分断されかけた一護は今回の事件で最も重傷だったと言っても過言ではないのだが、次点で酷かったのは背中と胸を斬られた挙句肺に穴が開いたという桜だ。

 ……の割にはピンピンしているのが不思議である。一護と同じように安静を言い渡されているはずなのだが、昨日などは普通に外を出歩いて織姫にぽこぽこ怒られながら病室に連れ戻されていたし。

 

「ここに来る途中で花太郎くんに薬草茶貰ったんだー! みんなで飲んでくださいって」

 

 備え付けのテーブルに織姫が手に持っていた盆を置いた。盆の上には湯呑が五つと旅館にあるような大きめの急須が載っていて、注ぎ口からわずかに湯気が上がっている。

 それを見て、一護は頬を引きつらせた。

 

「げっ。それあのめちゃくちゃまずいヤツじゃねえだろうな。あれ二度と飲みたくねえんだけど」

「あー……俺も同じやつ飲んだ気ぃする」

「俺も飲まされたな、それ」

「僕も。何の薬草をどう煎じたらあんな味になるんだか……」

 

 男子達がこぞって苦い顔をするのは、治療中に療養食として出された薬草茶である。

 何でも四番隊隊長が直々に煎じたものらしいが、これがまあ恐ろしく不味いのだ。ストレートに草の味がするのに加えて舌を刺すような苦みと強烈なえぐみ、そしてなぜか妙な酸味があって、とても飲めたものではない(まあ飲まされたのだが)。

 とはいえ効力については折り紙つきで、免疫力と回復力の向上、疲労と霊圧の回復に効果があるらしく、実際飲んだ後は体が軽くなったのだが、もう一度飲むかと問われれば断固として拒否したい代物である。

 

 嫌そうな顔をする四人に、織姫は顔の前でぶんぶんと手を振った。

 

「違うよー、普通の緑茶っぽいお茶! でも、あたしそれ飲んだことないかも。桜ちゃんは?」

「……多分飲んだと思うけど……そこまでダメな味だったかしら」

「マジかお前。舌おかしいんじゃねえの」

「そんなにベッドと仲良くしていたいなら安静期間を延ばしてあげても構わないけど?」

「……スイマセン……」

 

 真顔で威圧してくる桜に一護は頬を引きつらせた。

 

 開け放った大きな窓から見える青空は高く澄み、どこからか鳥のさえずりが聞こえてくる。窓際のベッドの白いシーツを照らす陽射しは穏やかだ。

 尸魂界はここ数日晴れが続いていたが、大きな事件を乗り越えたせいか、来た時に比べると開放感が増したように感じられた。

 

 茶を飲みながら雑談に興じる。

 話題はやはり今回の騒動での出来事で、比較的饒舌な織姫と岩鷲が喋るのにつっこんだり相槌を打ったりして時間が過ぎていく。

 

「お前白哉に卍解使わせたのかよ!? すげえな」

 

 岩鷲の口から懺罪宮での戦いが語られると、一護は驚いて声を上げた。あの場に遅れて来た一護は、桜と白哉が戦った事は察せても、詳細な過程までは解らなかったのだ。

 黙って茶を啜っていた桜は「何それ嫌味?」と嫌そうに言って、一護をじとりと睨む。

 

「その卍解と正面からやり合ったあなたに言われたくないわよ」

「……うん? これ遠回しに褒められてんのか?」

「君がそう思いたいならそう思えばいいんじゃないか」

「どういう意味だよ」

 

 桜が組んでいた足を組み替えながら鼻を鳴らす。

 その様子は苛立っているというよりむくれているという感じで、普段に比べると随分幼い仕草だった。

 

「ふん。言っておくけどわたしだってね、味方を巻き込む心配のない広い場所で一対一だったら卍解相手でも絶対負けなかったんだから」

「……桜ちゃんって思ってたより……」

「ああ、想像の十倍くらい負けず嫌いだな……」

 

 茶渡と織姫が顔を寄せてこそこそ話している。

 

「けどよぉ、桜ちゃんあれで死にかけてたじゃねえか」

「あんなのかすり傷だけど?? だいたい死神の卍解如きでわたしが死ぬわけないでしょう」

 

 岩鷲の言葉に桜が食い気味に反論した時、

 

「────ほう」

 

 と、扉の外から声がした。

 ゆっくりと扉が開いて、車椅子に乗った白哉が現れた。そして「あーあー」という顔で車椅子を押しているのは恋次である。白哉は胸元から首にかけて包帯を巻いているが、双殛の丘で見た時に比べれば遥かに顔色は良い。随分回復したようだ。

 彼は相変わらずの鉄仮面で部屋の中をじろりと睥睨すると、ベッドに座っている桜を視界に捉えた。

 

「減らず口は変わらぬようだな、滅却師」

「あら、朽木さんのお兄さん。お元気そうで何よりです。少し見ないうちに男ぶりが上がりましたね。お似合いですよ、その格好」

「貴様こそ黒よりもよほど白が似合っている。分相応だ。当分その姿で過ごすがよかろう」

 

 ……なんか火花が見える。

 双方美形なので真顔で睨み合っていると迫力が凄いのだ。やっている事は嫌味の応酬なのに声音はやけに穏やかなのがまた怖い。

 

「ほら隊長、もう行きますよ。あんたが部屋にいなくて卯ノ花隊長に怒られんの俺なんスから」

「……」

 

 どことなく呆れた顔の恋次に車椅子を押されて、白哉は去っていった。

 桜は素知らぬ顔で湯呑に口をつけている。

 

「お前なんか目ぇつけられてね?」

「別にいいわ。次にやる時は千倍じゃ済まさないから」

「なんで次がある前提なんだよ……」

 

 

 

     /

 

 

 

 ──数日後。

 

「ふおおおおおおおっ!!」

 

 高い煙突の聳える青空に岩鷲の野太い悲鳴が響いている。

 桜はそれを聞き流しながら、巨大花火台の台座に背を預けて書庫から拝借した本を読んでいた。

 

「もーーー無理! 無理っ!! ギブしていい桜ちゃん!?」

「…………」

「ガン無視!? まじで無理なんですけど!?」

 

 ここ数日、桜は空鶴邸に滞在している。

 安静が解けて大人しくしている必要もなくなったので、居心地の悪い瀞霊廷から流魂街に移ってきたのだ。十二番隊のものと思しき目線がいい加減鬱陶しくなったのもある。

 

 傷も癒えたのでぼちぼち家に帰るという岩鷲に便乗して流魂街に戻り、そのまま空鶴邸に居座った。

 空鶴は弟の帰宅についてきたおまけに眉を跳ね上げたが、代わりに家の手伝いをしろと言うだけで追い出そうとはしなかった。その手伝いの内容も書庫の整理や細々とした家事など大したものではない事ばかりで、誰から聞いたのかは知らないが、病み上がりの桜の体を気遣っているのは明らかだった。

 

 桜は手元に視線を落としたまま、岩鷲の方をちらとも見ずに言う。

 

「無理じゃないわよ。腕立て伏せ千回って言われてるでしょ」

「ムリムリ俺五十までしか数えられねえもん」

「だからわたしが代わりに数えてあげてるんじゃない。今ので百六十七回よ。ホラがんばって」

「誰か助けてーーーッ」

 

 こうして岩鷲に付き合っているのも、空鶴に言いつけられた手伝いの一つだ。

 空鶴は隊長達との戦いで弟があまり活躍できなかった事にご立腹なようで、(岩鷲からすれば)厳しい鍛錬を課しているのだ。

 

 目が文字を滑る。先ほどからページは一向に進んでいない。

 やはり考え事をしながらの読書は無理があるなと、桜は本を閉じた。ことりと首を後ろに傾けると、綿をちぎったような雲がぽつぽつと浮かぶ青空が視界に入る。

 

 ──先日の一護の病室での歓談の話題ははぐれてからの出来事に始まり、たわいない世間話にまで及んだが、藍染惣右介の話はほとんど出なかった。

 無理からぬ事だ。藍染と直接言葉を交わした一護を含めて、皆まだ事態の正確な把握に努めている最中だろう。あるいは単に、話しづらいだけか。現世からやって来た桜を除いた四人は、藍染のというより浦原の計画に利用されたのだから。

 

 だがこれからは、藍染の手のひらの上で事態が進行していく。そしてそれに一護が巻き込まれるであろう事を、桜は確信していた。

 ……ここ数日、注意深く一護の反応を見ていたが、おそらく彼は藍染から桜については何も聞かされていない。一護が知らないとなれば他の面々も同様だろう。

 

 ──“尤も、それが君の本当の名前かどうかは疑わしいところだが。”

 

 ふいに脳裏に浮かび上がった男の言葉に、眉根が寄りそうになるのをぐっと堪えた。

 思い出すとふつふつと感情が沸き立ってくる。今となってはそれは怒りというよりは苛立ち──不快感に近いが、渦中にいたあの時の自分が感じたものは間違いなく怒りだった。

 炎のような激しい激情に突き動かされて、満身創痍の体を押して双殛の丘へ走ったのだ。それも徒労に終わってしまったが。

 

 あとわずかでも早ければ、多少でも手傷を追わせられただろうか。

 ──否。それは不可能だ。

 冷静な思考が幼稚な願望を否定する。今の自分では到底手が届かない、と判断を下している。

 

 桜は自身の手のひらを見下ろした。

 数日前、血にまみれていた手のひらを。

 

(……弱いな、わたし)

 

 圧倒的な格上と相対して改めて痛感した事だ。

 

 ──あの時振るわれた藍染の刀を、桜の目は確かに捉えていたのだ。

 迫る刃は目で追えていた。何が起こるか脳で理解できていた。なのに、体の反応だけが間に合わなかった。

 〝千本桜景厳〟と対峙した時もそうだった。肉体のスペックが致命的に足りていない。ダメージと疲労の蓄積という悪条件を加味しても、枷の重さは瞭然だった。

 

 仕方がない事だとはいえ、ひどくもどかしい。

 このまま戦いが始まれば面倒な事になるのは目に見えている。心置きなく〝血装〟を使える状況が訪れれば話は簡単なのだが、そんな都合の良い事は早々起こるまい。

 

 内心ため息をつく。

 どうあれ、現状は向こうの出方を窺うしかないのだ。ならば本来の仕事に専念するのが最優先だろう。

 ……こちらに来てからは少々寄り道などしてしまったが、現世に戻ってしまえばそういうわけにもいかない。自分がここにいることの意味を、桜はよくよく理解していた。──それはもう、嫌というほどに。

 

 ちらりと視線を向けると、律儀にも腕立て伏せを続けていた岩鷲の腕がそろそろ限界を迎えていたので、休憩を宣言してやった。

 途端、岩鷲がべしゃっと床に崩れ落ちる。

 ……全身で息をしている彼は空鶴の言うように戦闘でこそ活躍できなかったかもしれないが、そう目くじらを立てることもないだろうと桜は思う。

 

「──よく頑張ったわよ」

「え?」

 

 岩鷲はきょとんとして、桜の方を見た。

 その顔を努めて視界に入れないようにしながら、桜は続ける。

 

 仲間が助けようとしている人物が自分の家族の仇だった──それを理解して、それでもなお助けようとする。

 

 それは、誰にでもできることではない。

 戦いにおける強さなどよりもよほど大切なものだ。

 

「立派じゃない。誇っていいわ」

「──……それ、誰から聞いたんだ?」

「山田くん」

「あんにゃろ……」

 

 口の軽い友人に岩鷲が拗ねたように口を尖らせた。……これは余談だが、花太郎は牢を脱走した事についてはこっぴどく叱られたものの、助けられた恋次の取り成しもあってお咎めなしになったらしい。花太郎本人よりも岩鷲の方がずっとほっとしたような顔をしていた。

 

 やがて屋敷の方から空鶴がやって来て、床に上がるなり仁王立ちになって声を張り上げた。

 

「おうどうだ、ちったぁ進んだか」

「今で百六十回ですね」

「アレッ減ってない!? 百六十七回って言ってなかった!?」

「全然できてねーじゃねえかブッ飛ばすぞ! 一からやり直せボケ!!」

 

 床で潰れていた岩鷲の背中に空鶴の容赦のない踵落としが炸裂する。

 

「ぎえっ!!」

「立てオラ! 卍解と正面切ってやり合えるように鍛え直してやるからな!」

「無理無茶無謀ーーー!!!」

 

 ぎゃあぎゃあ騒いでいる姉弟を呆れつつ眺めていたその時、知った気配が近づいてくるのに気づいて、桜は顔を上げた。

 

「──朽木さん」

「桜、ここにいたのか。詰所の方に霊圧がなかったからどこに行ったのかと……」

「ああ……、ごめんなさい。言ってなかったかしら。瀞霊廷にいるのにも飽きたから、ここにお世話になってるの」

「そうか……」

 

 見慣れない着物を着ているルキアにはおよそ覇気というものがない。強張った表情と下がった眉は沙汰を待つ罪人のそれ。事実、ここは彼女にとっては懺悔室にも等しい場所だろう。

 だが、桜が彼女に言える事は何もない。

 

「……ちょっと書庫に本を返しに行ってくるわね」

 

 立ち上がって屋敷の方に向かう桜の背にはルキアの物言いたげな視線が送られていたが、それも空鶴がルキアに気づいたことで打ち切られた。

 

 

     ◇

 

 

 ざくざくと大股で草を蹴って歩いた。

 彼女達の会話が、聞いていられなくて。

 

 屋敷に入って扉を固く閉じてしまえば、外の音はほとんど聞こえなくなる。涙の滲むルキアの声も、それを赦す空鶴の声も。

 

 眼前には地下へ続く階段が広がっている。等間隔に付けられた壁の灯りだけが頼りの薄暗い通路。

 

 音もなく、影に満たされた階段を降りていく。

 ……光から逃げるように。

 

 ──彼らは、戦いにおける強さなどよりもよほど大切なものを持っている。

 それはもう、自分が持ち得ないものだ。

 

 

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