THE CHERRY BLOSSOM AND THE RAIN   作:さーもんありなん

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第二十九話 Coda2[Borderline]

 

 

 清々しい青空の下、未だ戦闘の痕跡が残る双殛の丘の頂上に、現世への帰り道となる穿界門が設置された。

 慌ただしい出発から始まった日々もこれで終わる。長かったような、短かったような──とにかく濃い夏だった。

 寝泊りしていた綜合救護詰所に迎えに来たルキアと共に双殛の丘に行くと、そこには既にいくつかの人影があった。流魂街から直接来たらしい桜と、見送りに来た隊長格達である。

 

 一護は目を丸くした。

 鼻の下を伸ばした京楽が桜にしきりに話しかけているのだ。

 

「残念だねぇ、もうちょっといてくれても良かったのに。お茶したいって言ったのは嘘じゃないんだよ?」

「すみません、嫌です」

「あらら直球でフられちゃったよ……」

 

 すげない桜の返事に肩を落とす京楽を、猫姿の夜一が呆れの滲む眼差しで見上げた。

 

「京楽、その辺にしておかんとあ奴に睨まれるぞ」

「ああ……彼ね。あの子すごくわかりやすいよねぇ。最近の子って皆あんな感じなのかい?」

「あれが特別わかりやすいだけじゃろ」

「──桜さん」

 

 二人の会話に怪訝な顔をしていた桜はその声に振り返った。声の主が誰かなどは、まあ言うまでもないだろう。

 

「あ、石田くん。体調はどう?」

「僕はもう大丈夫だよ。君こそ、しばらく空鶴さんのところにいたって聞いたけど、もういいのかい?」

「ええ、もうすっかり」

「そっか……良かった。──って、その服」

 

 ほっと胸をなでおろした石田は、桜の服を見て目をしばたたかせた。

 彼女が着ているのは、現世から着てきたのと同じ上から下まで真っ黒のシンプルなワンピース──ではなく、元のワンピースに装飾が追加されたようなものだった。

 真っ黒な事には変わりないが、ひらひらしたフリルやリボンなどが所々にあしらわれていて、可愛らしい印象が増していた。

 既製品と見紛うほどの出来栄えのそれは、縫製施設に入り浸っていた石田が高校生にしては異常な縫製スキルを遺憾なく発揮して作ったものらしい、のだが。

 

(だいぶ石田(あいつ)のシュミ出てねーかあれ)

 

 織姫と茶渡が着ている洋服も石田が作ったものと聞いたが、桜が着ているそれはなんというか気合の入り様が違う気がする。熱意が滲み出ている、という感じだ。夜一がわかりやすいというのも頷ける。

 

「ああ、昨日井上さんが持って来てくれたの。石田くんが作ってくれたんでしょ? ありがとう。でもこの服、こんなにふりふりしてなかった気がするんだけど」

「そ、その方が……似合う……と思って、少しアレンジを……」

 

 語尾がごにょごにょ小さくなっていく。

 しきりに眼鏡を上げ下げするという不審な行動を取る石田を桜は不思議そうに見つめていたが、ルキアと織姫に呼ばれてその場を去った。

 

 残された石田がじとーっとした目を向けてくる。

 

「…………なんだ、黒崎」

「いや……お前結構わかりやすいよな」

 

 石田はしばし絶句した後、器用に耳だけ赤くして一護をキッと睨みつけた。

 ただ反論してこないあたり、自覚はあるらしい。つくづくわかりやすい男である。

 

 

     ◇

 

 

 死神達に別れを告げて穿界門をくぐった一行は行きと同じく断界を走り抜け、無事に現世への帰還を果たした。

 出口が空中に設置されていたために五人と一匹は真っ逆さまに落下しかけたが、それを空飛ぶ絨毯のようなもので受け止めたのはどこからともなく現れた浦原だった。

 

「おかえりなさーい! みなさん」

 

 バサバサと風に靡く羽織と、妙な模様の帽子。聞いているこちらの気が抜けるような呑気な声。

 およそ十数日ぶりに見る浦原には出立前と特に変わったところは見受けられなかったが、人を食ったような飄々とした態度の中に滲むようなぎこちなさがあるのを一護は敏感に察した。

 

 だから、こちらを向いた浦原が帽子を取って頭を下げても、そう驚きはしなかったし、しばらく何も言わなかった。

 

 

 

     /

 

 

 

 ──相も変わらず、人が()いことだ。

 石田はあっさりと浦原を許す一護を前に、そう思うのをやめられなかった。

 何も知らされないまま一方的に利用されたのだから、もう少し怒ればいいものを。思惑がどうあれ浦原の手助けがなければルキアを助けることはできなかったのは事実なので今更とやかくも言えないのだろうが、まったくもって底抜けの善人である。

 

「──あ、石田くんの家の近くじゃない? この辺」

 

 一護が浮竹から渡されたという死神代行許可証を見つめながら考え込んでいた石田は、織姫の声に顔を上げた。住宅街を見下ろせば、見慣れた家々が並んでいる。

 

「ほんとだ。浦原さん、僕ここでいいです」

「はいはーい」

 

 地上に降りようとした石田の背中に、一護の声がかかった。

 

「じゃあな石田! また何かあったらよろしく頼むぜ!」

「……何を言ってるんだ。忘れたのか? 黒崎。君と僕は死神と滅却師──次に会う時は、敵同士だ」

 

 言うと、石田はマントを翻して地上に降りた。

 直後、隣に桜が降り立つ。

 

「わたしもここで。どうもありがとうございました、浦原さん」

「はーい。またいつでもご利用くださーい!」

「またね桜ちゃん!」

 

 大きく手を振る織姫に桜は軽く手を上げて答えると、すたすたと歩き出した。

 慌ててその背を追いかける。当然のように石田の家の方面に歩いているが、桜の家はここから少し離れているはずだ。

 

「桜さん、この辺りに何か用事でも?」

「ちょっとね。寄るところがあって」

「……そう」

 

 現世の住宅街は瀞霊廷と比べるとずっと蒸し暑かった。とはいえ日付は夏休みも終わる八月三十一日で、夏の盛りに比べればほんのわずかだが暑さが落ち着いている気がする。

 正午に差しかかっていない夏の陽射しを浴びながら歩くこと数分、自宅であるアパートが見えてきた。

 桜は足を止めて、後ろを歩いていた石田を振り返る。

 

「それじゃ、わたしはこれで」

「あ、うん。……あの、良かったら少し上がっていかない? お茶くらい出すよ。用があるなら、無理にとは言わないけど」

 

 眉根を下げて遠慮がちに言う石田の顔を、桜はじっと見つめた。ややあって、その首が縦に振られる。

 

「……じゃあ、お言葉に甘えようかな」

 

 

     ◇

 

 

 開けた窓から入り込む陽射しがフローリングを四角く照らしている。

 桜は窓辺に立って、外を眺めていた。腰のあたりまである長い髪が風に柔らかくそよいでいる。

 

 その後ろ姿を横目に、石田はキッチンでコーヒーを淹れていた。長期間留守にすることがわかっていたため冷蔵庫は電源を切っていて、冷えた飲み物も氷もなく、出せるのはホットコーヒーくらいのものだった。

 ついでに戸棚の奥から茶菓子になりそうなものを引っ張り出してきて、コーヒーと一緒に運ぶ。

 ローテーブルにカップを置いて呼びかけると、桜はぱっと振り向いた。……今、その手元で青い光が瞬いたのは気のせいだろうか。

 

「粗茶ですけど」

「お気遣いありがとう」

 

 テーブルを挟んで向かい合うように座る。桜が部屋に来るのは三度目だが、改まって膝を突き合わせるのは初めてかもしれなかった。

 

 静かにコーヒーカップに口をつける仕草に、石田は目を細めた。

 こうしていると、ただの、普通の女の子に見える。見えるも何も、実際そうなのだけれど。

 伏し目がちになった目元に落ちる影の繊細さは戦場で強く敵を睨む赤い眼差しと乖離し過ぎていて、つい先日血まみれになっていたのが嘘のように思えた。

 

(違うな。これは、僕の願望か)

 

 双殛の丘の頂上に広がっていた光景を見た時の、心臓を冷たい手で強く鷲掴みにされたような衝撃は未だに薄れてはいない。

 あれが嘘ならよかったのにと思うのは、自分の抱える弱さ故だ。

 

「……どうかした?」

「──いや、帰ってきたなーって思って」

「そうね。……大変だったわね」

「ほんとにね」

 

 十数日留守にしていた自宅の空気は埃っぽく、そのままエアコンをつける気にはなれなかった。幸い今日は比較的風のある日で、窓を開けるだけで涼しい風が入ってくる。

 風に乗って運ばれてくるのは蝉の鳴き声とはしゃぐ子供の声、道路を走る車の音といった、尸魂界では聞くことのなかった日常の音。

 

 だが、これも束の間の平穏なのだろうか。

 馬脚を現した藍染惣右介の企みが、現世にまで影響を及ぼさない保証は無い。

 

(……もし、そうだったとしても──)

 

 今の自分には、それと戦う力がない。

 

 思わず手に力が籠る。強張った指先がフローリングを引っ掻いた。

 戦いの最中の決断を悔いてはいないと、石田は断言できる。あれがあの時の自分にとっての最善で、滅却師の能力と引き換えにしてでもやらなければいけない事だった。

 だがその末に自分は力を失い、桜は一人でルキアを追いかけ──藍染惣右介と邂逅し、あんな大怪我を負った。

 

 どうして双殛の丘の前で分かれた時に無理にでもついていかなかったのかと、強く自分を責めた。

 たとえ足手纏いでも、何の役にも立てなくても、同じ場所にいたのなら、せめて盾くらいにはなれたはずなのに。

 けれどあの時の自分には──そして今でも──どうしようもなく力が欠けていて、桜を追いかける事すらできなかった。

 

 ただひたすらに、自分の無力が痛かった。

 

 もしもあの時。

 石田が滅却師の能力を失っていなかったら。

 桜は「一緒に来て」と──そう頼ってくれただろうか。

 

「また何か変なこと考えてる」

 

 知らず下がっていた視線を上げると、桜が頬杖をついて呆れながらこちらを見つめていた。

 

「せっかく無事に帰ってきたんだからもっと楽しい事考えたら? そんな眉間に皺寄せてないで」

 

 思わず顔に手を当てた。そんなに険しい表情をしていただろうか。

 

「……うーん。なら訊くけど、君って黒い服ばかり着てるよね」

 

 気を取り直して尋ねると、桜は楽しい事がそれなのか……とでも言いたげな顔をした。

 しかし実際に尸魂界で彼女の服を仕立てていた時から思っていた事だ。桜の私服は大抵同じような黒いワンピースで、それ以外は制服くらいしか見たことがない。あまり服に頓着がないか、黒が好きかのどちらかだろうとは思っていた。

 

「そうね。服にあまり興味がなくて。別に困らないし。それにわたし、白って似合わないのよね」

「……そうかな……?」

 

 床に広がったワンピースの裾に目を落として桜がぽつりと言う。

 それを不思議に思って、石田は白い服を着ている桜を想像してみた。白といえば滅却師の装束なので、自然と頭の中の彼女の姿はそちらに寄る。

 

 思い浮かべるのは純白の衣装を纏った桜の姿。

 背景は夜。白々とした月光の下に立つ彼女はかっちりとした仕立ての衣装を着ていて、佇まいには一部の隙もない。手には霊子の弓が握られていて、白い頬がほの青く光っている。

 純白のマントが長い髪と共に風に靡き、透き通った鮮やかな赤い瞳がこちらを真っ直ぐに射貫く。

 

 ──その姿は、いっそ神秘的ですらあるだろう。

 

「──そんなことない。きっと、すごく綺麗だよ」

 

 想像の中の少女の姿に惚れ惚れしながら、石田は言った。感嘆のため息混じりの声は、口から自然にこぼれるようだった。

 

 沈黙。

 唐突に部屋に落ちた静寂に、ふいに我に返る。

 

 ……今、自分は何と言った?

 

 ギギギとぎこちない動きで視線を前にやれば、なんとも言い難い顔でこちらを見ていた桜と目が合う。

 

「……石田くん」

「…………はい」

「そういうことはあんまり……不用意に言わない方がいいと思うの」

「…………はい」

 

 諭すように言われて、石田はがっくりと項垂れた。

 気まずさを誤魔化すようにカップを口に運ぶ。温くなったコーヒーには自分の情けない顔が映っていて、ため息の一つでも出ようかというものだった。

 

「──でも、ありがとう」

 

 穏やかな声に顔を上げる。

 窓から差し込む陽射しは角度を増していて、白い光が床に直接座る彼女を照らしている。

 

 眩い光の中、桜は目を細めて優しく微笑んでいた。

 

 

 

     /

 

 

 

 とうに日付も変わって、時計の短針が頂点からやや右を指す頃。

 満月に孔を穿ったような細い三日月が黒々とした夜空に浮かんでいた。闇の中で穏やかな眠りにつく街並みに、かすかな月光が静かに降り注いでいる。

 

 石田竜弦はその景色を、空座総合病院の院長室の窓越しに眺めていた。ふと視線を後ろにやれば、デスクに置かれた写真立てが目に入る。

 写真に写っているのは微笑を浮かべた黒髪の女性と、その腕に抱かれた眼鏡をかけた幼い子ども。

 

「────」

 

 しばらくその写真を見つめていた竜弦は、わずかな空気の揺らぎを感じてそちらに目を向けた。

 何もない空中に円状の線が走ったかと思えば、空間が丸くくり抜かれて扉のように開く。そこから妙な帽子を被った男が顔を出した。

 

「──どーもぉ、竜弦サン。こんな遅くまでお仕事お疲れ様です。相変わらず忙しそうっスねえ」

 

 相も変わらず胡散臭い事この上ない男である。

 竜弦は仏頂面を隠しもせず、腕を組んでデスクに凭れかかった。

 

「医者が忙しいことほど景気の悪い事もない。……報告なら手早く済ませろ、浦原」

 

 浦原の顔に浮かんでいた軽薄な笑みが消える。

 

「そうっスね。では単刀直入に申し上げましょう。──ご依頼の、尸魂界での黒崎桜サンの様子について」

 

 




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