THE CHERRY BLOSSOM AND THE RAIN 作:さーもんありなん
今よりおよそ二百年前。滅却師という種族は死神の手によって滅亡した。
理由は一つ。滅却師がこの世界の魂魄の均衡を乱す存在だからだ。
通常、死神たちが住まう
だがそこに滅却師という存在が加わる事で、均衡は危うく崩れ去る。
死神が虚を斬魄刀で斬る事で罪を浄化して尸魂界に送るのとは異なり、滅却師の矢は虚を完全に消滅させてしまうのだ。
つまりそれは現世に出ていった魂魄が尸魂界に還ってこず、現世の側にばかり霊が増えるということ。偏りが続けばやがて天秤は傾き、尸魂界が現世に流れ込み、世界は生と死の入り混じる混沌へと変貌する。
そのような事態を死神が看過できるわけもなく、滅却師の存在が確認されて以降、尸魂界は滅却師たちに幾度となく訴えかけた。虚の対処を全て我々死神に任せるように、と。
しかし滅却師たちはそれに耳を貸さず、頑として虚の滅却をやめなかった。
強行的な手段が取られることは時間の問題だった。
そうして殲滅作戦は決行され、滅却師はごくわずかな生き残りを除いてこの世から姿を消した。
──それが、祖父にして師である石田宗弦から聞いた歴史だ。
「僕は
「──間違ってはいないわ。一つ訂正するなら、この国には、と付け加えるべきね」
屋上で二人は話し込んでいた。話がしたいという石田の申し出を桜が受けたのだ。
入学初日の今日は昼過ぎまでの日程で、入学式後に教室で各担任から話があって、終わり次第解散という流れだった。教室にはまだ人目があったので、人のいないところを探して屋上に辿り着いた。
爽やかな春風が日陰に座る二人の髪を撫でていく。時折校庭から賑やかな声が聞こえてくる以外は、静かな午後だった。
「この国には?」
「わたし、ついこの間まで海外に住んでたの。わたしのご先祖様が二百年前に日本から海外に移住してね」
「それって……」
石田が身を乗り出すと、桜は「わたしも又聞きだから詳しくはないけど」と前置きして話し始めた。
滅却師の発祥は西欧とされているが、滅却師たちは一定の場所に固まることなく、日本を含めた世界中に散在していた。
桜の遠い祖先も元は海外にいたが、何らかの理由で日本に移住してきたという。時期は不明だが、少なくとも二百年前まで日本にいたことは確からしい。
死神による殲滅作戦により滅却師はほぼ全滅したが、死神側が確認していた国内の生き残りとは別に、海を渡って身を潜め、細々と血を繋いだ者達がいた。
「それが君の祖先?」
「そう。何度か行ったり来たりしてる血筋というわけ。実際わたしもこっちに来たしね」
外国生まれの自分の苗字が「黒崎」なのも、先祖が日本にいた頃に土地に合わせて名前を変えたからだと桜は言う。
得心がいって、石田は頷いた。
桜の言葉通り、祖父の語った話は間違っていないのだろう。海外へ逃れた者についての情報が欠けていただけで。なにせ二百年も前の事である。ただでさえ滅却師について書かれている文献は数少ないので、子細な情報は残っていない。祖父がその事を知らなかったのも無理はないと思えた。
「日本の外にまでは死神は追いかけてこなかったんだね」
「多分ね。少なくともわたしは向こうで死神の姿を見たことはなかったわ。虚をむやみに滅却するな、とは口酸っぱく言われていたけど」
「それは、君のご家族に?」
「兄にね」
「ということはお兄さんも滅却師なんだね。お兄さんも一緒に日本に?」
「わたし一人よ。兄は亡くなったから」
石田は内心舌を打った。無論、自分に向けてである。
今のは不用意が過ぎた。石田はプライベートの話をするのが得意ではなく、家族の事となると更に口が重くなることを自覚しているため、普段から人と接するときは一線を引いているのだが、その分他人の深いところにも踏み込まないようにしている。そもそもそんな話をするような関係の人も今までいなかった。
普段は努めて気を遣っているつもりなのだが、今日はどうも勝手が違う。彼女が同じ滅却師だと分かって気持ちが舞い上がっているのだろう。軽率だった。
ひとしきり反省して、石田は口を開く。
「……ごめん。不躾な事を訊いたね」
「いいのよ。あなたが師匠から滅却師は自分達だけと聞いていたなら、他の滅却師に興味が湧くのは当然だわ。わたしは兄から日本には生き残りがいるって聞かされていたけど」
「……君以外に逃げ延びた滅却師の子孫がいるということは?」
桜は首を振った。
「いない、と断言することはできないわ。だけど聞いたことも見たこともない。兄以外の同族と会ったのはあなたが初めてよ」
おかしなことではない。滅却師の敵は何も死神だけではないのだ。
虚は霊的濃度の高い人間を好んで狙う。優れた霊的素質を持つ滅却師などは格好の餌食であり、天敵と言っていい。昨夜石田を襲った虚のように強力な能力を身につけている個体もおり、それらすべてを死神の目を縫って退けるのは難しいだろうと思われた。
生き延びている可能性は、果たして如何ほどのものだろうか。
「そうか……。なら、僕たち二人だけなんだね」
滅却師は滅亡した。
少なくとも桜と石田の周りでは、その事実は変わらないということだ。
「……がっかりさせちゃったかしら。ごめんね」
「いや、君が謝る事じゃないよ。ただ、
初めの喪失は母だった。生きている人間の影に潜んでいる人あらざる存在がどういうものなのか教えてくれた人だった。
次に祖父がいなくなった。滅却師として戦う術を教えてくれた人だった。
家族という繋がりから二人が欠け、会話の少なかった父とはますます話さなくなった。
そのまま時間が経ち、環境が変わっても、誰に心を開くこともなく今まで過ごしてきた。
それでも滅却師であることはやめなかった。滅却師を嫌悪し、捨て去った父からは何度も苦言を呈されたが、聞き入れることはなかった。それが自分の誇りであり、意地であり、アイデンティティだったからだ。
一人でもやっていけるし、一人でも戦える。自分はそう証明しなければならない。父に、死神に、世界に。
その決意に何らの感傷も差し挟む余地はなく、普通の生活を送る傍ら、ただひたすらに研鑽を積んだ。
けれど、これまで考えなかった──あるいは考えないようにしていただけで、自分以外の誰もいないという寂しさは、密かに心を蝕んでいたのかもしれない。
今更のように、石田はそれを自覚した。
だが、今はもう一人ではない。
「だから、黒崎さんに会えて嬉しいよ」
心からの言葉だった。
先ほど桜は、「兄以外の同族に会ったことはない」と言った。同族として両親の存在が挙げられなかったことに石田は気づいていた。
……それに、ほんの少しでも共感を感じなかったといえば嘘になる。彼女もまた一人なのかもしれないという不純な感傷。
だが決して動機はそれだけではない。想像もしていなかった自分以外の生き残り、唯一の同胞との思いがけない出会いは、含みのない純粋な喜びだった。
視線を感じた石田は隣を見て、どきりとした。桜が石田をじっと見つめていた。
目線が交錯する。光を反射する宝石の瞳は静かで、そこにどんな感情が映っているのかは分からなかった。
桜はおもむろに立ち上がると、日向の方に歩いていく。白い髪が風にそよぎ、陽の光を透かすレースのカーテンのように広がる。
同胞の少女はくるりと振り返り、そして言った。
「石田くん。わたし達、きっと仲良くなれるわ」
◇
夜に変わりつつある町を二人は歩いていた。
冬はとうに過ぎたもののまだ日が傾くのが早い時期で、片隅に夕暮れの名残を残す藍色の空には半透明の月が浮かんでいる。
屋上での話を終えて帰ろうとしたタイミングで虚の出現を察知し、二人で向かった後、せっかくだからと引っ越してきたばかりの桜にあちこち街を案内していたら、帰りが遅くなってしまったのだ。
桜は学園町の外れにあるアパートで一人暮らしだという。学校には近い場所だが、石田の家とは弓沢地区を挟んで反対側なのでやや距離がある。それでも石田は最初から桜を送っていくつもりだったし、今度は桜もそれを断らなかった。
「この街は随分虚の数が多いのね。重霊地だとは聞いていたけど」
「なぜか最近いつにも増して多くてね。昼でも夜でもお構いなしさ」
「ああ、だから昨日あんな遅くに出歩いてたの」
尸魂界に目をつけられるのも厄介なので普段は軽々に虚の滅却はしないのだが、流石に量が多いのでここ最近は様子見がてら出かけることにしているのだ。それであの無様を晒したのだから世話がない。
住宅街の片隅、小さな二階建てのアパートが近づいてきたあたりで、桜は足を止めた。
「ここでいいわ。わざわざありがとう」
礼を言われるようなことではない。昨夜彼女が自分にしてくれたことに比べれば、返礼にもならない小さなことだ。
けれどそれを口にするのは何だか違う気がして、石田は「うん」と頷いた。
「……じゃあ、また明日」
「ええ。またね」
その言葉を最後に二人は別れた。
桜がアパートに入って行くのを見届けて、踵を返して歩き出す。
その最中、ふと思った。
「女の子に、また明日なんて言ったの初めてだな……」
口にしてから初めて、事の重大さに気づいたように、心臓が跳ねた。
くすぐったいような、それでいてひどく落ち着かない、説明のつかない感情が胸の内で膨れ上がっていく。
気持ちを落ち着かせようと吐いた息が震えている気がする。ただの挨拶、ただの些細な約束だ。そう自分に言い聞かせても、早鐘を打つ鼓動の速度は変わらない。
参ったな、と口元を抑える。どうやら自分は、今の短いやり取りだけで、とんでもなく浮き足立っているらしい。
はっきりと姿を現した月が冴え冴えとした光を地上に落としている。冷たい月の光を浴びているはずなのに、胸の奥だけがいつまでも火照ったように熱を持っていた。
/
薄闇に沈む住宅街には明かりが灯り始めている。一日が終わり、人々がそれぞれの家に帰りつく時間。
桜は部屋の明かりもつけず、自宅の窓から来た道を戻る少年の後ろ姿を見つめていた。窓ガラス越し、夜に溶けていく背中を映す彼女の瞳は冷ややかに凪いでいる。
小さな背中が曲がり角の向こうに消えたのを見届け、桜は窓から離れた。放り出した鞄のそばに座り込む。
殺風景な部屋だった。剥き出しのフローリングに、簡素なベッドとテーブル。隅に置かれた衣装ケース一つが、この部屋に存在する生活のすべてだった。人のぬくもりと色彩が欠落したような部屋は、ともすれば空洞のようでもある。
カーテンのついていない窓からは、煌々と照る月光が無遠慮に差し込んでいる。その光を浴びながら、桜はつい先ほどまで隣を歩いていた少年の事を、冷めた思考の俎上に載せていた。
「……おかしな子」
細々と血を繋いできた石田の家系にして、現世最後で唯一の
彼については事前に調べがつく程度の情報は仕入れてある。その情報と、屋上での会話で彼が匂わせた経歴に相違はない。
噛み締めるように告げられた嬉しいという言葉。それを言った彼の表情。
あれは、
「……本当に、貴方一人なのかしら」
その呟きを聞く者はなく。
冷たい静寂に溶けるように声は消えた。