THE CHERRY BLOSSOM AND THE RAIN 作:さーもんありなん
「──やれやれ。無様な姿だな、雨竜」
日の落ちた人気のない公園。立ち並ぶ木々を風が揺らし、青々と茂る枝葉がざわざわと音をたてる中、その声は鮮明なまでに耳に届いた。
突如襲いかかってきた虚を横合いから仕留めたその男。白を基調としたスーツに、一部の隙も無い立ち姿。そして何より信じ難いのは、左手に握られた霊子兵装。
温度のない眼差しには嫌というほど覚えがあって、石田は驚愕に目を見開いた。
「──どういう、ことだよ……どうしてあんたが、滅却師の能力を……!?」
呆然と呟く石田に、父は冷酷に告げる。
「……だからお前は馬鹿だと言うんだ。言ったろう、『私には興味が無い』、『お前には才能が無い』」
──それは確かに、まだ祖父が生きていて、自分が今より幼かった頃。父に何がしの期待を寄せていた頃に言われた言葉だった。
「生憎と、私の能力はお前のように簡単に消え去るような代物じゃあないんだ」
吐き捨てるように言って、父は胸元から何かを取り出した。
「石田竜弦。好むと好まざるとに関わらず、それが先代・石田宗弦からすべての能力と技術を継承し、“最後の滅却師”を名乗ることを許された──ただ一人の男の名だ」
掲げられたそれに目を見張る。
銀色の月光に煌めくのは、輪のかかった五芒の十字──
/
空座総合病院の院長室で、浦原は感情を排除した声で滔々と述べた。
「──以上が、尸魂界での彼女の動向です」
「…………」
椅子の奥に深く腰を落とし、組んだ足の上に手を置いて、竜弦は浦原の話にじっと耳を傾けていた。
身じろぎした拍子に椅子が軋んで、広い部屋に嫌に音が響く。
「マ、実際向こうに行ったのはアタシではなく夜一サンです。その夜一サンも後半は黒崎サンの卍解修行に付きっきりだったので、霊圧感知で居場所を抑えるくらいしかできなかったみたいですけど」
「それは構わん。無理を言ったのはこちらだ」
竜弦が浦原に桜の監視の話を持ちかけたのは、浦原から息子──雨竜を含めた数人が尸魂界に行くと報告を受けた時だ。元より浦原の側に何らかの思惑があるとわかっていた為、そこまで当てにしていたわけでない。
いつもの飄々とした様子を引っ込めた浦原は更に続ける。
「息子サンは十二番隊長と交戦し、滅却師の能力を失いました。そのすぐ後に、桜サンは負傷した彼を助けている」
曰く、桜はその直前に六番隊長と交戦して負傷していたのだという。それもかなりの重傷だった。
そんな怪我を押してまで、彼女は雨竜の元に駆けつけた。──それは何故か。
「それが純粋な善意なのか、何らかの目的があるのかまでは今のところ判断がつきませんが……事実だけを見れば、桜サンは息子サンを守ったという事になります」
そう簡単にはいかないとは思ってはいたが、なかなかに頭の痛い話だった。疑う余地は大いにあるが、そうだと断定するには材料が足りない。
黒崎桜という少女について、竜弦も浦原もまだ測りかねていた。
「経歴についてはどうなんです? アタシよりずっと貴方の方が滅却師については詳しいでしょう。黒崎家の家系図に彼女に関係ありそうな名前などは?」
「……家系図にそれらしい名前はないが、心当たりはある」
「おや。そうなんスか」
目を丸くする浦原に、竜弦は重くなる口をこじ開けるように言った。
「……父から聞いた話だ」
「──成程。なら、信憑性は確かというわけですね」
そう、信憑性は確かだ。
亡き父に生前伝えられた情報は常に正確で、間違いは皆無と言って良い。
──だからこそ、彼女を信じ切れないのだ。
父の口から黒崎桜の名前が出たことは、一度としてなかったのだから。
「単に
「そうっスね。アタシも、そうである事を願ってます」
竜弦の言葉に、浦原は神妙な顔で頷いた。
それは二人の偽らざる本音だったが、同時にその可能性が事態を楽観視できない程度には望み薄であることも、重々承知していた。
︙
竜弦は背後を振り仰いだ。
目に映るのは夜空を背景にして白い光を灯す街灯と、遥か遠くで白銀に輝く三日月のみ。
──今、そこに何かがいたような気がした。
(……気のせいか)
視線を戻せば、そこには俯いて立ち尽くす雨竜がいる。
答えを出すまでには少しの時間を要するだろうと、猶予の時を告げる為に竜弦が口を開いた、その時。
「わかった。条件を呑む」
「……随分素直だな。どういう風の吹き回しだ?」
思わず耳を疑った。
最早今生でただ一人の家族となったこの息子が、自分を毛嫌いしている──いっそ恨んですらいるだろうとも──ことを竜弦は知っていた。
そんな男を素直に頼るなど、これまでの雨竜の頑なな態度を思えば考えられなかったことだ。最終的には条件を呑むだろうとは予想していたが、それも相当の逡巡と葛藤を経てからだと踏んでいた。
暗に意図を問えば、灰色を帯びた青い瞳が真っ直ぐな眼差しを向けてくる。
「護りたい人がいるんだ。その為なら、何だってするさ」
「………………」
その「護りたい人」が誰を指しているのか、わからないはずもない。
決意の現れのように硬く握り締められた拳に、眉間の皺が深くなっていく。お前が無防備に心を寄せる少女がどういう存在なのかわかっているのかと、今すぐにでも詰め寄って問いただしたかった。
だが、そんなことをしても何の意味もない。
何も教えず、何も伝えない。そういう守り方をするのだと決めたのは自分だ。
滅却師という種族が背負う業。
逃れられない宿命。
喜びのない未来。
そういうものから遠ざけたくて、ここまで突き放してきた。その為なら、自分がどう思われようと、どうなろうと構わない、ただその一心で。
込み上げてくる感情を抑えつけるように、竜弦は細く長い息を吐いた。
「……馬鹿にはつける薬も無いな」
「余計なお世話だ。……明日の放課後、病院へ行く。それでいいだろ」
硬質な声でそう言うなり、雨竜は踵を返して歩き出した。
少年と青年の境にある未成熟な体は、父の容姿を強く受け継いだ自分とは違って、亡き妻の面影が色濃く残っている。
遠ざかる背中を見送りながら思う。
力を取り戻す条件に件の少女の名前を出さなかったのは、彼女に疑念を抱いているが故だ。
仮に彼女が竜弦が思う通りの存在だったとして、下手に雨竜に情報を渡してこちらが疑っている事を知られた場合、強硬手段を取ってくる可能性は皆無ではない。
そうなった時、真っ先に危険が及ぶのは他ならぬ雨竜だ。
疑わしきは罰せず。
今は静観するしかない。──今は、まだ。
竜弦は再び背後の空を仰いだ。
やはり、そこには何もいなかった。
/
血のように紅い眼差しは、月光のように冷ややかに地上に注がれている。
桜は空中に作った霊子の足場に腰を下ろし、眼下で起こった出来事の全てを見下ろしていた。
悠然としたその姿は、角度によっては月に腰かけているようにすら見えるだろう。
「目敏い男」
上空を流れる穏やかな夜風を浴びながら、桜は呟いた。宙ぶらりんの靴先が虚空を蹴る。
視線の先には銀髪の男の姿がある。
会話の最中、何度か背後を気にする様子を見せた彼にひやりとした場面もあった。
極限まで霊圧を抑え、姿を消す隠匿の術をかけているというのに、感覚がよほど鋭敏なのだろう。あるいは、それほどに周囲を警戒しているということか。
しかしどれほどの警戒も注意も、されているとわかっていればそれを掻い潜って行動できるものだ。現にこうして、当の警戒対象に一部始終を見られてしまっている。
脇が甘い、というよりは見通しが甘い。水面下で蠢くものがその胎動を強めていることに、誰も気付いていない。
──尸魂界に行って、一つ確信した事がある。
尸魂界での石田の動向を桜は注視していた。別行動になってからも、霊圧感知を全開にして居場所と感情の動きをつぶさに追っていた。
そうして見えてきたのは、あまりに無防備な姿。
監視の目を意識する素振りも、足元に注意を払う素振りもなく、何の躊躇いもなく滅却師最終形態を発動する姿を見て、確信した。
彼は──石田雨竜という少年は、何も知らない。
千年前の滅却師と死神の戦いも、〝
彼をそうさせているのは──
(石田竜弦)
石田宗弦の息子。
現世最後の
現世で最も滅却師に関する情報を握っているのは、まず間違いなくあの男だ。
おそらくは、桜が目的とするものも。
予想はしていた事だ。あまりに桜に対して無防備な石田の様子から、彼が何も知らされていない可能性は早々に頭の中にあった。
そして、その仮説が確信に変わった時点で、竜弦が動きを見せることも桜は予想していた。
今の石田には戦う術どころか自衛の術すら無いのだ。滅却師の暗部から徹底的に我が子を遠ざけようとするような男が、そんな状態の息子を放っておくわけがない。事実、予想は的中した。
現世に来て数か月。ようやく事態が進展した。
とはいえ、ここまであからさまに警戒されていては派手な動きはできないので、当分は大人しくしている必要があるが。
「長期戦になりそうね……」
幸い、〝力の九年〟が終わるまでにはまだ時間がある。機が熟すまで待てばいい。
これまで通り
「────」
ふいに、心臓を小さな針で刺されたような痛みが走った。
胸元に手を当てても、皮膚の下の硬い肋骨の感触が伝わってくるだけで、傷の一つも見当たらない。
ただ、時折主張する痛みだけが鮮明だった。
多分これはずっと消えないのだろうな、と思う。
彼らと共に日々を過ごす限り、ずっと。
︙
──尸魂界。
瀞霊廷の片隅で、桜が藍染惣右介と対峙していたその時の事。
掲げていた弓を下ろし、桜は努めて冷静に言った。
「……そこまでわかっていて、わたしに声をかけたのは何故? 貴方の目的に
鋭く研いだ視線の先で、藍染が笑みを深めたのを見た。それは己の推測が正しかったことが証明された事への喜びの表れだった。
「そうだね。確かに私の計画に君達は何の関わりも持たないが……計画のその先で、君達と事を構える事態になると予見しているんだ」
「つまり、情報が欲しいということ? 生憎簡単に吐くようなぬるい教育は受けていないわよ」
「無論、素直に喋ってくれるとは思っていないとも。そもそもその情報が真実だとも限らない。私は自分の目で確かめたものしか信じない主義でね」
「そう。流石、自分以外の人間を欺いてばかりの人は慎重なのね」
嘲りを含んだ桜の言葉に、藍染は眉一つ動かさず言い返した。
「その言葉、そのまま君に返そう。
桜は口を噤んだ。
それを前に、悠々と男は語り出す。
「これまで頑なに黙していたあの男が動きを見せた。君の存在が何よりの証明だ。
だがそれは裏を返せば、沈黙を破ってでも君を遣わせる理由があるという事。自身に直接繋がる君を表舞台に出せば、多少なりとも尸魂界に露見するというリスクを背負うはず。
そうまでしてあの少年の周囲を執拗に嗅ぎ回る理由は一つ。
彼がかつて君達と袂を分かった男の肉親であり、そして──」
「────そう。貴方、知らないのね」
静かな声に、藍染はぴたりと動きを止めた。
「貴方は、貴方が言う『あの男』の力を知らない。少なくともその全貌は。そして、わたし達がどこに潜んでいるのかもわかっていない。だからこうして時間に追われている状況であっても私から情報を得ようとしている」
今度は藍染が黙り込む番だった。
表情をなくした男を前に、桜は尚も続ける。「お前は何も知らないのだ」と、蔑むような眼で。
「いずれ障害になることがわかっている人物へ事前に対策を講じる……周到なことだわ。貴方って真面目なのね。でも徒労よ、藍染惣右介」
「断言してもいい。どれほど情報を得ようと、どれほど対策しようと、意味がない。『あの人』の前には全てが無力」
「──どう足掻いても、貴方の手は届かない」
沈黙。
耳の奥で異音がするほどの静寂は、男の声によって破られた。
「…………成程。大した忠誠心だ」
先ほどと変わらぬ穏やかな声と口調は、打って変わって聞く者の心胆を寒からしめる圧力を伴っていた。
藍染が刀に手をかける。
桜は即座に矢を放ったが、それは一瞬にして斬り伏せられた。
刹那、眼前の男の姿が消える。
「──ッ!!」
──衝撃。遅れて胸と背中に走る熱。
斬られた、と理解した時には地面が揺れ、体が前のめりに倒れていた。
いつの間にか真横に立っていた藍染は、血の通わぬ鉱物のような目で桜を見下ろし、嘲りを滲ませる声で告げた。
「ならば君は、君の〝王〟に真摯に尽すといい。それがいずれ徒労に終わるとしても、ね」
愛息子がどこの馬の骨とも知れない女に誑かされている竜弦パパの明日はどっちだ!
え?その愛息子にあそこまでツンケンしてる方もどうかと思うって?それはそう