THE CHERRY BLOSSOM AND THE RAIN 作:さーもんありなん
心の底で燻る〝内なる虚〟への不安を押し殺しながら一護がそこに駆けつけた時、凄まじい霊圧を放つ光線が織姫を焼き尽くそうとしていた。
身体が本能で動く。
一護は即座に卍解すると、渾身の〝月牙天衝〟を放った。
斬撃は宙を裂き、迸る光の奔流に喰らいつく。
しかし、両者はわずかも拮抗することなく、斬撃はあっさりと光線に打ち消された。
「な──ッ!?」
驚愕に目を見張る。
直進してくる光線を咄嗟に刀で受け止めれば、全身を押し潰さんばかりの圧力がのしかかってくる。
(なんだ、この霊圧……!?)
この攻撃には覚えがある。
一護がまだ尸魂界へ行く前、石田が起こした騒動の末に出てきた
ギチギチと耳障りな音をたてて刃と競り合うのは膨大な霊力の奔流。
触れるだけで人体が消し炭になるような強大なエネルギーに、額に汗が浮かぶ。
だが逃げることは当然、押し負けることも許されない。この後ろにだけは絶対に、どんな攻撃も通すわけにはいかないのだ。
「おおおおオオオォォォ────ッ!!!」
ありったけの霊圧を刀身に注ぎ込み、光線を抑え込む。自身を蝕む〝内なる虚〟への不安すら忘却の彼方に追いやり、一護は死に物狂いで力を振り絞った。
……だが、力の限りを尽くそうとも歴然とした力の差は覆し難く。
腕の骨が悲鳴を上げ始め、柄を握り締める手の皮膚が裂けて血が噴き出した。
(防ぎ──切れねえ……!!)
防げない。押し負ける。このままでは、護れない。
強烈な勢いに徐々に押し返されつつある刀に、一護が痛いほどの焦燥を覚えた時。
視界の端を何かが横切り、気がつけば見知った気配が現れていた。──桜だ。
彼女は一護のすぐ隣に立ち、右の手のひらを真っ直ぐに霊圧の奔流に向けた。
何をするつもりだ、という考えがよぎる間もなく、それはすぐに起こった。
桜の指先がわずかに動いた瞬間、光の奔流に異変が起きた。刀身を砕かんばかりに猛っていた禍々しい光が、まるで砂の城が波にさらわれるように急速にその密度を失っていくのだ。
やがて変化は手応えだけでなく、目に見えて明らかになる。斬魄刀で斬った虚の肉体が崩壊していくのと同じに、光線が端から崩れていく。
一護を圧殺せんばかりだった攻撃は、彼女の指先から放たれた目に見えない干渉によって、あえなく分解されていた。
やがて薄れていた光は完全に掻き消え、同時に殺人的ですらあった圧力が消失した。
前方に体重を傾けていた一護はつんのめりそうになって、咄嗟に刀を地面に突き刺して支えにした。桜が何をしたのかはまるでわからないが、ひとまずは助かったらしい。
「……悪ぃ、……助かった」
「いえ。来てくれて良かったわ」
肩で息をしながら言い、首だけを動かして背後を見る。
(井上は──……)
織姫の表情は青ざめてはいるが、見たところ怪我はない。彼女の足元に横たわっている茶渡にも、右腕の負傷の他に傷が増えている様子はない。
それで一旦は安堵に胸を撫で下ろす。
「……なんだ、今のは」
そう呟いたのは光線を放ったと思しき痩躯の男だった。ぎょろりとした緑の目を桜に向け、不可解そうな様子を隠しもしない。
男は何かを思案するような短い沈黙の後、
「……なるほどな。虚閃の霊子結合を解いたのか。やはり生かしておけんな、滅却師」
と独り言ちた。
すると、光のない底なし沼のような眼差しが一護に向く。
「──だが、今はお前が先だ。死神」
「……何だと……!?」
「オレンジの髪に黒い卍解。お前が標的で間違いない。捜す手間が省けたな」
無表情かつ無感情に男が言い放った言葉に、一護は困惑を隠せない。
「どういう事だ……お前らの狙いは俺なのか……!?」
割れた虚の仮面に、胸の穴。死覇装のような白い服。奇妙な霊圧。
ここに来るまでに感じていた違和感が脳裏を駆け巡り、同時に一つの可能性が浮かんだ。
(──同類か!?)
双殛の丘での戦い以降、何度も呑み込んできた感覚が蘇ってくる。
魂魄が内側から食い破られているような痛み。
立つことさえままならなくなるほどの息苦しさ。
自分自身の核がガラガラと音をたてて崩れ落ちるような、冷たい恐怖。
「一護くん?」
思考の外に追いやっていたモノが急激に存在感を増していく。傍らに立つ桜が訝し気な目を向けてくるのに答えられない。
ざわめく自身の霊力を抑え込もうと一護が手で顔を覆った時、男が言った。
「いつまで寝ている。仕事だ、ヤミー」
──風が吹いた、と思った。
巨大なものが猛スピードで移動してきたような突風と衝撃が走り抜け、何かを殴りつける鈍い音がしたと思ったら、その場から桜の姿が消えていた。
「──桜ッ!!」
至近距離に現れた血まみれの男が、丸太のような巨大な腕を振り抜いていた。
「よくもやってくれやがったなクソアマがァ!! ブッ殺す!!!」
「お前は時間を稼いでいろ。深追いはするなよ、実力差はさっきのでわかっただろう」
「うるせえっつってんだろ!! 〝解放〟して一気にカタ付けてやるよ!!」
「……好きにしろ」
どこか呆れたように痩躯の男が言い、巨大な男は桜を殴り飛ばした森に向かって駆けていく。
追いかけようとした一護を阻止するように、痩躯の男が目の前に立ち塞がった。
「まずはお前だ──任務を遂行する」
/
ローファーの靴底が地面を勢いよく擦る。舞い上がった砂埃が茶色の皮を白く染めた。
受け身を取って吹き飛ばされた衝撃を殺しつつ着地した桜は、片膝をついた体勢のままため息交じりに呟いた。
「……危なかった……」
殴られる寸前、直前で防御が間に合った。咄嗟に霊子の盾を張り、直接拳が当たることは避けたのだ。それでも風圧は防ぎきれなかったが。
だが危機感を覚えたのはあの男の攻撃に対してではない。虚の霊圧に反応して
滅却師にとって虚は不倶戴天の怨敵であると同時に生命を脅かす天敵である。死神相手ならともかく、虚を相手取っている時に血装を完全に自分の意思だけで封じるのは至難の業だ。防御本能である為、脊髄反射で出てしまうのだ。
今回ギリギリのところで押し留められたのは人の目があったからだ。一護──ひいては護廷十三隊に、
とはいえ。
「
ぼやきながら立ち上がり、服についた砂埃を払う為に腕を持ち上げようとして、気づく。
──右腕の感覚がない。
指先から肘の辺りまで、触っても何も感じない。何度か手を握ったり開いたりして動作を確かめるが、動かせるのに動かしている感覚がないという状態だった。
思わず顔をしかめる。
おそらく虚閃の霊子を分解したことによる麻痺だろう。滅却師にとって虚の全ては致死毒だ。今の自分に虚閃に対抗する方法があれくらいしかなかったとはいえ、静血装を使わずに剥き出しの虚の霊圧の塊に干渉するなど流石に無茶だった。吸収して自分の中に取り込んだわけではないので麻痺は一時的なものだろうが、すぐに治るとはいかなそうだ。
そうなると少しまずい。右腕は弦を引く腕だ。このままでは弓が引けない。動かそうと思えば動かせるが、いつも通りにはいかないだろう。
そして一護の方はもっとまずい。先ほど言葉を交わしてはっきりわかったが、明らかに様子がおかしい。学校で顔を合わせた時から霊圧が濁っているとは感じていたが、あの時より更に不安定になっている。
あれでは戦いになるまい。早く向こうに戻ってやらないと、無事で済む保証はない。
「まったく世話の焼ける子ねっ」
弾かれたように身を翻す。
直後、空から拳が振ってきた。
「──避けてんじゃねえよ!!」
「避けられるような鈍い攻撃してくる方が悪いわよ」
クレーターの真ん中でヤミーが吼えた。
散々痛めつけてやったおかげで全身血まみれだが、そう応えた様子はない。元々頑丈だったのに加えて、放置されていた短い時間に多少回復したといったところだろう。流石にズタズタに切り裂いた右腕は動かないようで、だらりと垂れ下がったままだが。
桜は左手に
「だらァ!!!」
桜の動きを読んでいたのか、ヤミーは体を捻って左腕で矢を叩き落とした。
だがその時には既に、桜は奴の背後に回り込んでいる。目の前にあるのは無防備な背中。
ざり、と地面を踏みしめた体勢のまま、頭部目がけて矢を撃ち放った。
ギリギリで反応したヤミーが咄嗟に振り向くが、何かするより先にこめかみに矢が突き刺さり──
「なんだぁ? 調子悪ィな、おい。痛くも痒くもねえぞ!」
「──ちッ」
貫通どころか刺さりもしない。
桜は思い切り舌打ちをした。
外皮が硬くなったのではない、矢の威力が落ちているのだ。やはり小弓では無理がある。
それに、
(思ったより霊子が練れてない……右腕の麻痺だけじゃない、霊子操作にも支障が出てる)
我ながら難儀な体質である。二度と虚閃の分解などするまい、と決意した。
表情を硬くする桜に対し、ヤミーはニヤリと笑みを浮かべながら残った腕で腰に携えた刀の柄に手をかける。──斬魄刀のような、妙な霊圧を感じる刀だ。
「……それは──」
「気になるか? だったら直接喰らって確かめてみろ!!」
「…………」
今朝方、〝見えざる帝国〟にこちらの状況を報告した際、破面についての調査報告を受けた。あくまで〝帝国〟が調べられる範囲に限るので情報量はそう多くないが、破面の生態は多少掴んでいる。
破面とは仮面を外し、死神の
つまり、あの刀は虚の力そのものという事だ。
これ以上虚の霊子を浴びてはいよいよ命に関わる。
有効打となる攻撃を通せないのなら、交戦を続けるのは愚策。ここは退いて、
「ブチ
「──!?」
鞘から刀を引き抜きながら、ヤミーが叫ぶ。
まるで死神の解号のようなそれに驚きながらも、桜は後ろに飛び下がった。
完全な抜刀に至る直前。
視界が白く光り──ドン、と雷が落ちた。
/
爪先が鳩尾に食い込む一瞬の感触。
「がッ、」
蹴り飛ばした死神が胃液と一緒に血を吐いて地面を転がるのを、ウルキオラは無言で見下ろしていた。
死神──正確には
藍染より下された任務は、現世と尸魂界双方の戦力たり得るこの男の殺害。「我等の妨げとなるようなら殺せ」という命令を、ウルキオラは忠実に実行するつもりだった。
「……この程度か」
だが、蓋を開けてみればこの有様。
剣を抜いてすらいない自分に一方的に蹂躙されるだけの一護に、ウルキオラは落胆と失望を覚えていた。わずかであっても自身の虚閃を受け止めたという事実はウルキオラに淡い期待を抱かせるに至ったが……それも容易く裏切られた。
評価できるのはウルキオラをも上回る高い霊圧と霊圧硬度くらいのものだが、それすらも不安定極まりない。理由は知らないが、まともに戦える状態ではないらしい。仮にそうでなかったとしても、この程度の実力では戦うまでもなく勝敗は見えている。
どうやらウルキオラの主人は、この男を随分と買い被っていたらしい。
今や一護は全身血まみれだった。
満身創痍。立つことさえままならない。辛うじて斬魄刀だけは手放していないが、気力だけで意識を留めているような状態だろう。
──だというのに。
「黒崎くんっ!!」
「く、るな……来るな、井上……ッ!!」
駆け寄ろうとした人間の女を遮って、未だ立ち上がる姿勢を見せる。
息も絶え絶えで、痛みに身を震わせながら──それでもウルキオラを睨みつけてくる。
「──下らん」
ふらつきながらも立ちあがろうとする一護に接近し、手刀で頭部を殴り飛ばした。再び倒れた死神の頭を強く踏みつけ、見下ろす。
霊圧の大幅な揺れといい、気になる点はあるが。
「この程度であれば殺す価値もないな」
「だったらその足どけてくれませんかねぇ?」
突如耳元で聞こえた声に、ウルキオラはその場から飛び退いた。
「……う、」
「無理に喋らなくていいっスよー、黒崎サン。遅くなっちゃってすみません」
帽子に下駄姿の男が一護とウルキオラの間に立ち、刀の切っ先をこちらに向けていた。藍染から伝えられていた容貌と一致する。浦原喜助だ。
その時森の方から轟音がして、全身黒焦げのヤミーが吹っ飛ばされてきた。
「ぶべっ!!」
「何をやってるんだお前は……」
地面をゴロゴロと巨体が転がる様は見苦しいの一言に尽きる。
次いで森からやって来たのは鬼道の雷を纏った黒髪の女──四楓院夜一。と、滅却師の女。
「て、めェ……!!」
ヤミーがよろよろと起き上がろうとするのに、夜一が感心したように「ほう」と息を吐く。
「〝瞬閧〟で蹴り飛ばしたというのにまだ意識があるとはの。頑丈な奴よ」
「外皮が妙に硬いんですよね。破面の特性でしょうか」
「ふむ。虚にはない固有能力か……」
滅却師には目立った外傷は見られない。どうやらヤミーが〝解放〟する前に援軍が到着したらしい。
──潮時だ。
「退くぞ、ヤミー」
さしものヤミーも瀕死の体では反抗する気になれないのか、のろのろと歩いていく。
「……逃げる気か?」
「らしくない挑発だな。貴様ら三人がかりで死に損ないのゴミ共を守りながら俺と戦って、どちらに分があるかわからんわけじゃあるまい」
夜一の挑発にも取れる発言に冷ややかな返事を返し、ウルキオラは背を向けた。
「差し当たっての任務は終えた。藍染様には報告しておく。──貴方が目をつけた死神もどきは、殺すに足りぬ
黒腔が閉じる寸前、背中越しに後ろを見遣れば、倒れたままのオレンジ髪の死神と、それを庇うように立つ滅却師の女の姿が視界に入る。
──鮮血の如き真紅の瞳が、こちらを真っ直ぐに睨んでいる。
世界が黒に閉ざされる瞬間まで、ウルキオラは冷たい視線を見返していた。