THE CHERRY BLOSSOM AND THE RAIN 作:さーもんありなん
オリ主が浦原さんにチクチク言うシーンがあるので、そういうのが苦手な方は三つ目の「/」から下は読み飛ばしてください。
──ごめん、と。
震える声で彼女は言った。
「ごめんね、黒崎くん……」
膝の上でスカートの裾を握り締める手に、ぱたぱたと透明な雫が落ちる。
「あた、あたし……、あたしが、もっと、強かったら……」
しゃくりあげながら後悔と謝罪を口にする織姫の顔を、高熱で朦朧とする意識で見上げていた。
「……っごめんね……!」
謝らないでほしかったし、泣かないでほしかった。
……そんな顔で泣いているところなんて、見たくなかった。
謝るな、とも、泣くな、とも言ってやれない自分の不甲斐なさが辛くて。
体についた傷より、胸の方が痛かった。
/
ぴったりと閉じられた襖の向こうからかすかに聞こえる寝息に、桜はふーっと息を吐いた。
慣れない事をした疲労を感じながら廊下を歩いていると、曲がり角から夜一が顔を出す。
「どうじゃ、様子は」
「ひとまず落ち着きました」
「そうか……茶が入った。おぬしもそろそろ休め」
夜一に連れられて到着した居間では、浦原が座卓で茶を淹れていた。
「お疲れ様です、桜サン。井上サンはいかがです?」
「もう大丈夫です。一護くんと茶渡くんは?」
「二人とも容態は安定してます。井上サンのおかげですね。傷が深いので、もう少し安静にする必要がありますが」
「そうですか」
破面達の襲撃から丸二日が経過した。
織姫はその間寝ずに一護と茶渡の看病をしていて、先ほどようやく寝ついたところだ。肉体的に傷を負ったわけではないが精神的にひどく疲弊していて、ずっと泣き通しだったのだ。
無理もない。ほんの少し前まで、彼女は戦いとは丸きり無縁の普通の女の子だったのだから。
ただ彼女は、目の前で一護が傷ついたことにショックを受けているというよりは、その時自分が何もできなかったことに苦しんでいるようだった。
強いな、と思う。
優しい子だ、とも。
しかし、そんな子だからこそ織姫はこのまま戦いから遠ざかった方がいいのかもしれない。
元より戦いに向いた性分ではないのはわかっている。戦い、傷つく仲間を見て心を痛め、自分を責めるくらいなら、戦場から離れた方がいい。そうすれば要らぬ気苦労を背負う事もない。
──だがそれも全て織姫が決める事だ。
他人がどうこう考えたところで意味はない。
桜は黙って湯呑に手をつけた。熱い液体が喉を滑り落ちていく。
時刻は夕方。外からは雨音が聞こえてくる。湿気が残暑と混ざり合って、室内にいても過ごしにくい日だった。
「……浦原さん、一つ質問があるんですが」
「なんスか?」
「破面が卍解に相当する力を持っている可能性はありませんか? あのヤミーという破面、解号のようなものを口にしたんです」
浦原がすっと目を細めた。
煎餅を齧っていた夜一が桜の言葉を補足する。
「うむ。あの時急激な霊圧の上昇を感じて咄嗟に〝瞬閧〟を発動したが……あの感覚は確かに死神の卍解と似ておった」
ふむ、と浦原は腕を組む。
「可能性はありますね。破面は虚の魂魄に死神の力という構成要素を加えて、より高位な存在に昇華させたもの。原理は異なるでしょうが、卍解に類似する
「……つまり、更に戦闘力が跳ね上がると」
「そういうコトになりますね」
嫌な話だ。浦原も夜一も表情を険しくしている。
特にあのウルキオラという破面はまったく底が見えなかった。相対的に弱体化している状態ですら厄介だったのに、更に上があるとなると手に負えない。
やたら硬い外皮に、霊圧で動きを追えない移動技。卍解相当の力を秘めた斬魄刀。そして何より、虚の霊圧。
(……
一護が藍染に目をつけられている以上、彼は今後も戦いの渦に巻き込まれていくだろう。桜自身が積極的に戦いに参加するかはさて置いて、対策を講じなければ命はない。
幸い、右腕の麻痺は後に残るようなものではなく、既に完治している。今から連絡すれば、次に破面達が動くまでには間に合うかもしれない。
湯呑の中身を一息で飲み干して、桜は腰を上げた。
「おや、もう帰られるんです? もう少し休んでいかれては?」
「結構です。ここにいてもわたしのやれる事はなさそうですし、街の見回りでも行ってきますよ」
一護と茶渡の治療はほぼ完了している。目覚めるの待つだけなので、桜がいてもいなくても変わらない。
桜は居間を退室しようと障子に手をかけ──ぴたりと足を止め、振り返った。
「そういえば浦原さん。平子真子という人物は貴方の知り合いですか?」
/
「あーヒマやなー」
空座高校、一年三組の教室。
誰もいない教室で、平子真子は椅子にだらしなく腰かけて窓越しの青空を眺めていた。今は一応学生なのだからと登校したのはいいものの、少しばかり早く来すぎてしまったようで、時間を持て余していたのだ。
「破面共が動き出したんはええけど、一護がこっち来んかったらなーんもでけへんしなーオレ」
先日起こった騒ぎについては聞いている。小競り合い程度の戦闘で、双方致命的な損害はなかったらしいが、やはりというべきか、一護は使い物にならなかったらしい。
考える時間も必要かと一護とは少し距離を置いているが、
誰もいないのをいい事に、「ヒーマーヒーマー」と独り言というには大きな声で呟きながらガッタンガッタンと椅子を揺らしていると──
「──おはよう平子くん。行儀が悪いわよ」
椅子の前脚が浮いた状態でピタリと停止した。
目だけを動かして見上げると、平子の額を桜が指一本で押さえつけている。
……気配も霊圧も微塵も感じなかった。苦いものを感じながら、おくびにも出さずにっこりと笑う。
「おはようさん、桜チャン……やっけ?」
「馴れ馴れしいのね。名前で呼んでいいと言った覚えはないけど」
「じゃあ黒崎チャン?」
「桜で結構よ」
「なんやこの子」
桜は平子が座る席の隣──一護の席である──に腰かけた。机に頬杖をつき、ゆったりと足を組む。
「じゃあオレのことも名前で呼んでや。桜チャンみたいな別嬪さんには真子って呼んでほしいわあ」
「ところで平子くん」
「……なんや」
「──何をどうしたらあそこまでガタガタになるの?」
しん、と空気が凍った気がした。
「……主語があらへんなァ」
「皆まで言わないとわからない? そこまで察しの悪い人とは思えないけど」
桜は笑んでいた。氷のような美貌が微笑むさまはいっそ耽美ですらあるが……目が一ミリも笑っていない。
恐ろしく冷たい眼差しを受け、平子はガリガリと頭を掻いた。
「……どうもこうもないわ。オレは忠告したっただけや。今のままやと全部ダメにする、ってな」
「状況を理解させるのはいいけど、不安を煽る言い方をするのはいただけないわね。勧誘するくらいならもっと懇切丁寧に説いてあげなさいよ」
「そこまで親切したる義理がオレにあるか? あいつが自分のアタマで考えな意味ないやろ」
「へえ……手取り足取りってわけじゃないのね。その割には随分彼を欲しがってるみたいだけど。まあ確かに、戦力に数えられる人の中で『鏡花水月』の解放を見ていないのは彼だけだものね」
「なんでもお見通しやな。……あんた何モンや」
彼女は「言わなかったかしら」と小首を傾げた。肩から流れた髪をさらりと払う仕草は魔性めいている。
「わたしは黒崎桜。滅却師。死神の敵よ」
「…………」
「貴方はどう? 平子くん。貴方は一護くんの敵? それとも──……」
紅い瞳が鋭く平子を射抜く。
静まり返った教室に剣呑な雰囲気が漂い──
「──まあ知ってるけどね。貴方の事浦原さんから聞いてるし」
「聞いとんのかい!! 今の問答意味ないやんけ!!」
平子はバンと机を叩いた。不穏な空気はそれで霧散する。
桜は表情からすっかり冷ややかななものを消して、平然と自分の手の爪なんか眺めている。
「虚化制御の術を身に着けるのは彼にとっても必要な事だしね。引き換えに藍染との戦いで切り札にするくらい彼も構わないでしょ」
「全部わかっとるやんけ。やらしいやっちゃな……」
浦原から話は聞いていたが、自分の目で見定めたかった、というところだろう。
どっと脱力して、だらりと椅子の背に凭れかかった。
「はーー……なんやえらい一護の事気にしとんなあ」
口から漏れた言葉に、それはそうか、と自分で思う。
先日だって織姫や茶渡が平子に目的を尋ねてきたのだ。別に不思議ではない。それほど一護が仲間達に慕われているということだろう。
ところが。
「……そうなのよね。別にわたしって、一護くんに構う理由ないのよね。
「……はあ?」
妙な事を言い出す彼女に、怪訝な声が漏れた。言っている意味がまるでわからない。
「どうしてだと思う?」
「そんなん訊かれても困るんやけど……」
唐突に水を向けてくる桜に困惑する。背凭れからずり下がった姿勢のまま、視線を宙に漂わせた。
「あー……特に理由もなく気にかけるんが友達とちゃうんか?」
そうして当たり障りのない、至って普通の回答をしたつもりだったのだが。
「────友達」
ぽつりと落ちた声に視線だけを横に向けると、桜は口元を手で覆って何かを考えるように俯いていた。
「…………そう。一護くんってわたしの友達なんだ」
消え入りそうな小さな声は、至近距離にいなければ聞き取れなかっただろう。むしろ聞かせるつもりもなかったのかもしれない。納得したような、しかしどこか迷いの滲む──そんな声だった。
おもむろに桜は立ち上がる。……よく見ると彼女は手荷物の一つも持っていない。一体何をしに来たのか。
「ってどこ行くねん」
「帰るのよ。あの子達がいないのに授業なんて受ける意味ないもの」
桜は振り向きもせず言うと、さっさと教室を出て行った。それを合図にしたように、幾人かの生徒がぞろぞろと教室に入ってくる。
気づけば校舎は大勢の人のざわめきで満ちつつあった。日常の時間がやってきたのだ。平子の肌には少しばかり合わない、平和な時間が。
「……それもそうやな。俺もかーえろ」
平子は立ち上がると、碌に中身の入っていない軽い鞄を持って教室を出た。
廊下には既に彼女の姿はない。行き交う生徒達の中で、霊圧の残滓だけがかすかに残っていた。
/
「そういえば浦原さん。平子真子という人物は貴方の知り合いですか?」
桜がそう尋ねてくるのに、浦原は一拍の間を置いて問い返した。
「どうしてそう思ったんです?」
「このタイミングで一護くんに接触して来た不審な人物に貴方がアクションを起こさない理由がないので。それがない以上、貴方が素性や目的を把握している知り合いかな、と」
「流石、鋭いっスねえ」
パタパタと扇子を仰ぎながら浦原は薄く笑った。だが帽子が作る影に覆われた目は少しも笑っていない。
夜一からははっきりと見えるが、立って浦原を見下ろしている桜には角度的に見えないだろう。
「ご名答っス。平子サンに黒崎サンの事を伝えたのはアタシです。今の黒崎サンには彼らの力が必要だと判断しました」
「それ、一護くんには教えたんですか?」
「いいえ。話さない方が彼の虚化制御の利になりますから」
「──彼の? 自分の、の間違いでは?」
誰がどう聞いても怒っているとわかるような声色だった。
夜一は驚いて目を丸くした。思わず桜の顔を凝視すれば、氷のような無表情は内側から嫌悪感を滲ませていた。
「あれだけ悩んでいる子にする仕打ちじゃないですね」
「……お気持ちは尤もです。ですが、こればかりは黒崎サンが自分で壁を破らなきゃ意味がないんスよ」
確かに、虚化の制御とはそういうものだ。
浦原は虚化した元隊長達──現
仮面の軍勢の面々の内在闘争は熾烈を極めた。虚に喰われ、魂魄ごと消滅するか否かの瀬戸際で彼らは戦いを制した。
一護にもそうなってもらわなければならない。
今のままではいけないと危機感を煽って背水の陣に立たせ、本来以上の力を発揮させる──それが浦原の狙いだ。
いささか酷ではあるが、効果的だと判断し、夜一はこれに同意した。だが反感を買うやり口であることも事実。それをあからさまに向けてくるのが桜だとは思わなかったが。
「……黒崎サンの事、心配されてるんですね」
硬質だった浦原の声が柔らかな雰囲気を取り戻す。
「大丈夫っスすよ。彼らは黒崎サンの味方になることはあっても、敵になることはありませんから」
「…………」
桜はしばらく浦原を感情の窺えない目で見下ろしていたが、ため息を一つついて視線を逸らした。
「……お世話になってる身でこんな事言うのもなんですけど」
「はい?」
「浦原さんっていい性格してますね」
ははは、と浦原は剽軽に笑う。見ているだけで殴りたくなるような胡散臭い笑みだった。
「よく言われます」
「左様ですか。──では、三人の事よろしくお願いします」
素っ気なく言うと、桜は今度こそ障子を開けて、居間を出ていった。
◇
「……わからんな」
桜の霊圧が完全に商店から離れてから、夜一は口を開いた。
急須から茶のおかわりを湯呑に注いでいる浦原がきょとんとした目を向けてくる。
「何がです?」
「おぬし、何故そこまで桜を警戒しておる」
「……」
「尸魂界に行った時もそうじゃ。儂に突然あ奴を可能な限り探ってほしいなどと頼んできよって……」
どうやら誰かから頼まれたらしいが、浦原から話を持ちかけられたのは尸魂界へ行く直前だったので、頼み事とやらの仔細な背景は把握していないのである。
現世に帰ってきてからも何やらコソコソやっていたようで、藍染の件以外でも動いているのは明らかだった。
「そんなこと考えてたんスか。さっきから黙ってると思ったら……」
眼光鋭く睨みつけると、浦原はへらりと笑った。
浦原の秘密主義は昔からだが、百年前の藍染の一件があってからは拍車がかかった。特に情報の流れを徹底的に掌握・操作しようとするのは悪癖といっていい。
夜一自身、察してはいるものの浦原から直接話を聞かされていない事は山ほどある。……それをなんだかんだと許してしまう自分も、大概この男に甘い。
「千年前の戦いを調べておったことと関係があるのか」
「……夜一さんには隠し事はできませんねえ」
そうこぼす彼はどことなく嬉しそうである。肉の少ない骨ばった指が熱い湯呑の表面を撫でていた。
「今は時期じゃないってだけっス。ちゃんと話しますよ。その時が来たら、必ず」
「……フン。当然じゃ」
浦原がチャン一に平子たちのことを話さなかったのはこういう理由だと解釈しました。それでも話したれや!とは思いますが……。それもこれも全部藍染って奴が悪いんだ!