THE CHERRY BLOSSOM AND THE RAIN 作:さーもんありなん
話の流れで織姫を無傷にしたらチャン一の湿度がおかしくなってしまった。まあこの漫画付き合ってもない女子にやたら重い好意寄せる男多すぎだしええか……。
「どーーーーーした一護ぉ!? その怪我!!!」
「…………階段から落ちた」
「ぜってーーーウソじゃん!?」
「他校のヤンキー百人斬りでもした?」
「しねえよンな事」
五日ぶりに一護が登校してきた。彼があちこちに怪我をこさえているのはそう珍しいことでもないが、大きな怪我なので流石に周囲が驚いている。
茶渡はまだ出席できる状況ではないらしい。自宅で療養しているそうだが、傷は塞がっても全快にはもう少しかかると、連絡を寄こした夜一が言っていた。
桜は席に座って一護をぼうっと眺めている織姫に近づいた。あれ以来浦原商店には行っていないので、彼女の顔を見るのは数日ぶりだ。
覇気のない、心ここにあらずな横顔に声をかける。
「井上さん。もういいの?」
「あ、桜ちゃん。──うん、もう平気。なんともないよ!」
桜を見るなり織姫の顔がぱっと綻ぶ。いっそ痛々しいほどの空元気だった。
一護の方を見ると、やはり彼も気落ちしているようで、普段に比べれば随分と覇気がない。
「……彼、包帯取れなかったのね」
「うん。破面の人達の霊圧ってちょっと特殊で……いつもと勝手が違って。まだ傷残ってるんだ」
一瞬、織姫の声が震えた。
視線を戻すと、机の上に彼女の手が力なく投げ出されていた。長い茶髪が俯く横顔を覆い隠している。
「あたしは怪我もしてないのに、みんなの傷もちゃんと治せなくて……」
「……井上さん、」
「ダメだね、あたし……」
……何を、言うべきなのだろう。
二人の命があったのは井上さんのおかげだと、傷を癒せるのはあなたにしかできないことだと、そう言えばいいのだろうか。
でも、彼女が望んでいるのはそんな事ではないだろうという気がして、喉元で言葉がつっかえる。
純粋に誰かを慰めようとか、励まそうと思って人に声をかけたことなどなかった。
強い悔恨と自分への失望の入り混じる織姫にかける言葉が見つからなくて、突っ立っているしかない。
「────桜ちゃんは、すごいね」
短い沈黙の後。
遠い世界の出来事のような教室の賑わいを見つめながら、織姫は掠れた声で問うた。
「桜ちゃんは、どうしてそんなに強くいられるの?」
/
尸魂界からルキア達がやって来た(何故か全員高校の制服を着ている)。破面とやらの本格戦闘に備えて現世に派遣されてきたらしい。
尸魂界で別れてからそう時間は経っていないはずだが、随分と久しぶりな気がした。
ルキアに強引に学校の外に連れ出された一護は再び学校に戻り、織姫の前に引きずり出されていた。
首根っこを掴まれた低い体勢のままそろそろと顔を上げると、物言いたげな目と視線が合う。
……不安そうに揺れる瞳は、今はもう泣いてはいないけれど。見ているこちらの胸が締めつけられるほど苦しそうに泣く彼女の顔が、目に焼きついて離れない。
「……黒崎くん……、」
躊躇いがちな織姫の声に、一護はぐっと顔を上げ、彼女を真っ直ぐに見つめた。
「──井上」
動けない間、人を護るとはどういう事なのだろうかと、ずっと考えていた。
刀を振るって敵を退けられれば、それで護ったことになるのだろうか。
怪我を負わせなければ、命が危ぶまれなければ、それで護ったと言えるのだろうか。
──否だ。
体に傷さえなければ、直接危害を受けてさえいなければ大丈夫なんていうのは嘘だ。
彼女の涙を見て、強く思った。
「不安にさせたよな。……悪かった」
「……え、」
流れる涙があれば、それを拭い。
心を翳らせるものがあれば、それを取り払い。
安心していられるように、寄り添って支え続ける。
きっとそれが、何よりも難しく──けれど本当の意味で、人を護るということだ。
「……俺は、強くなる」
今の自分には、そうできるほどの力はまだない。
だからこそ、これから──
「強くなって、次は絶対──オマエを護るから!」
/
別棟への渡り廊下で一護と織姫、ルキアの三人が顔を突き合わせている。
桜は三階の窓からその光景を見下ろしていた。ここからでは会話の内容までは聞き取れないが、表情くらいは見て取れる。
……どうやらなんとかなったらしい。一護の目が光を取り戻している。
小さく息を吐く。
安堵と、落胆と諦めの滲む息だった。
時間を共にすればするだけ、彼らと自分との違いが浮き彫りになる。住む世界の差を、まざまざと見せつけられている思いだった。
誰かを純粋に慈しみ、大切に想い、護りたいと願う。そんなのは、彼らのような心の底から互いを思い遣れる者同士がやるべき事だ。
黒崎桜にその資格はない。
どうせ全部、自分の手で握り潰すのだから。
◇
教室に向かって歩いていると、廊下には日番谷冬獅郎の姿があった。後ろに人をぞろぞろ引き連れている。知った顔ばかりである。
「こんにちは、十番隊長さん」
「おう、黒崎か」
「隊長、どっちの黒崎かややこしいっす」
桜は「よう」と手を上げてくる恋次に適当に返事をして、日番谷に尋ねた。
「例の破面の件で?」
「ああ。しばらくはこっちにいることになりそうだ」
幼い外見に不釣り合いな険しい表情だった。
「お前も気をつけろよ。尸魂界で藍染とやり合ったって聞いたぜ」
「やり合ったというか……一方的にやられただけですが」
「それでもだ。破面共がちょっかい出してこねえとも限らん。用心することだ」
「……ご忠告どうも」
桜は肩を竦めた。
律儀な事だ。既に
再び歩き出そうとしたところで、恋次が眉をひそめてこちらを見下ろしてくるのに気づく。
「どうかしたの、阿散井くん」
「……お前……なんかあったか?」
虚を突かれるとはこの事か。
咄嗟に怪訝そうな表情を作って、顔に張りつけた。
「別に何もないけど。バカみたいな眉毛してるから目までバカになってるんじゃないの」
「喧嘩売ってんのかテメーは!」
がなる恋次を無視して今度こそ桜は廊下を歩き出した。背後の集団もぞろぞろと移動を始めている。
歩きながら、少し前にも石田にも同じような事を言われたな、と思った。日頃から一緒にいることが多い彼ならともかく、接点の薄い恋次にまで見透かされてしまうとは。
(……ちゃんとしないとな……)
情が移っていることは理解している。それが末には自分の首を絞めるということも。
だからこそ、これ以上余計なものを持ちたくはなかった。苦しいのは今に始まったことではないのだ。それならば、少しでもマシな方が良いに決まっている。
──「桜ちゃんは、どうしてそんなに強くいられるの?」
胸の奥で、答えられなかった問いがずっとこだましていた。
/
街には夜の帳が降りている。
松本乱菊は織姫の家で、窓辺から空座町の夜景を見下ろしていた。
現世には何度か来たことはあるが、瀞霊廷とはまるで異なる現代の景色はやはり物珍しく、夜の闇に瞬く人工的な光の数々は地上に宿る星々のようだった。
ため息を聞いたような気がして後ろを振り向くと、織姫がソファの上で膝を抱えていた。目線は正面の壁に注がれているが、遠くに思いを馳せるようにどこも映していない。
……随分と気落ちした様子だったので、ある程度は吐き出させたつもりではいたが、一朝一夕でなんとかなるようなものではないらしい。
ルキアを助ける為に尸魂界まで乗り込んできて、戦って、それを成し遂げてしまった子達だ。
他人のために自分の命を懸ける──口で言うのは簡単だが、実際にそれができる人間がどれほどいるだろうか。
だから乱菊は織姫達の事が好きだし、口にはしないが尊敬している。だが、こうして悩んだり落ち込んだりしている等身大の姿を見ると、まだ十そこらの子供なのだと強く実感する。
乱菊はずんずんソファまで歩いて行って、織姫の横にドカっと腰を落とした。
「どーしたのよ織姫っ」
「わあっ!」
柔らかい座面の上でぴょいんと跳ねた織姫の肩に腕を回して、顔を覗き込む。
「相談しなさいって言ってるでしょーよ」と言いながら頬を指でつつくと、うごうご抵抗していた織姫はやがて口を開いた。
「……あたしも……、桜ちゃんみたいになりたいなって思って……」
「桜?」
膝に顎を乗せたまま、こくんと織姫は頷く。がんぜない仕草だった。
「破面の人が来た時、桜ちゃん、あたしを守って戦ってくれたんです。黒崎くんのことも助けてて……守られてばっかりのあたしとは全然違う」
尸魂界でもそうだったのだと彼女は言う。
「あたしがどうしようって迷ってる時にスパって決断して、すぐ行動に移せて……そういうの、すごくいいなって思う」
「……それは──」
それは多分、経験の問題だ。
桜は織姫と同級生だが、最近能力に目覚めたという織姫と違って生まれつきの
滅却師は保有する霊力の高さ故に虚に襲われやすい。桜が踏んできた場数は織姫とは比べ物にならないはずだ。戦場でしか磨かれない力というものは確かに存在する。
乱菊の言いたい事を察したのか、織姫は苦く笑う。
「夜一さんが言ってたんです。滅却師は生まれついての戦闘種族だから、戦場での心構えとか判断能力が小さい頃から備わってるものなんだって。だからちょっと前まで霊も見えなかったあたしとは違って当然だって。でも、あたしが考えてるのは、そういうのとはちょっと違くて」
「……」
「桜ちゃんは……、怯まないんです」
織姫は膝を抱えたまま、ぽつぽつと語る。
桜はいつだって凛と立っている。自分のように不安に呑まれたり、恐ろしくて体が動かなくなったり、どうすればいいかわからなくなって足が止まったりしない。
揺らがない芯が彼女の身体を真っ直ぐに貫いている。──それが羨ましいのだと。
「あたしもそうだったら、みんなをもっと……黒崎くんの事も助けられたのかな……」
泣いてこそいないが、その声は深く沈んでいた。
乱菊は織姫の肩に回した手で彼女の頭を撫でながら、かける言葉を探していた。
自分の無力に歯噛みする気持ちは、乱菊にもよくわかる。だが、結局それを解消する術は一つしかないのだ。
「──織姫。あんた、そうやって桜と自分を比較するのやめなさい」
「え……、」
「月並みな事言うけどね。他人と自分を比べても意味ないのよ」
顔を上げた織姫の大きなブラウンの瞳に、自分の金髪が映り込んでいる。
「羨んだり憧れたりするのはいいわよ。でもそれに比べて自分は……って落ち込むのはダメ。キリがないから。そんなことしてる暇があるなら刀でも振ってる方がずっとマシ」
「乱菊さんも……あるの? 落ち込むこと」
「そりゃあるわよ! 人には見せないけどね」
自分がわがままで気まぐれな性格だと自負している乱菊である。泥臭い努力をしているところなんて人に見せたくない。自分のイメージと合わないからだ。
「それにね。あんたは桜みたいになりたいって言うけど、そんなのなれっこないし、そもそもなっちゃいけないの」
「……? なっちゃダメなの……?」
「そ。だってあんたが桜みたいになったら、あんたの強みが消えちゃうじゃない」
「強み……」
「あんたが桜になれないように、桜もあんたにはなれない。あんたにしかできない事があるし、桜にしかできない事がある。なのにあんたが桜みたいになったら、一番中途半端になっちゃうじゃない!」
織姫はわかったようなわからないような顔で目をしばたたいている。
「自分以外の何かになろうとしても上手くいかないんだから、自分を鍛え上げるしかないの。だからこういう時は、強くなりたいって言いなさい」
「──強く……」
今の彼女は少し迷ってしまって、自分の良さが見えなくなっているだけだ。
まん丸な頭を腕の中に抱え込み、乱菊はふっと目を細めた。
「大丈夫よ織姫。あんただってちゃんと自分の足でしっかり立ってる。絶対に強くなれるわ」
「……乱、菊さん……」
「──それにね。本当は誰も強くなんてないのよ」
「え……?」
胸の中から顔を上げた織姫に、乱菊は殊更に優しい声でその先を紡いだ。
「自分が持っていなくて他人が持っているものを、ただ『強さ』だと感じるってだけ」
「……」
「桜だって同じよ。あんたが桜を羨むみたいに、桜にだって持ってないものがある」
「桜ちゃんに……ないもの……」
「そう。ひとはね、ないものを補い合って生きていくの。だから桜が辛そうな時や迷ってる時は、あんたが支えてあげなさい」
抱きしめた腕の中で、織姫が静かに息を呑んだのがわかった。
腕に添えられた小さな手が、きゅっと乱菊の服を掴む。
「──乱菊さん」
「んー?」
「あたし頑張る。もっとちゃんとする。……あたし、桜ちゃんのこと支えられるくらい──みんなを守れる強くなる」
返ってきた声は殊の外しっかりしていて、腕の中から顔を出した織姫の目は決意に満ちていた。
「なんか……元気出てきたかも! アイス食べよう乱菊さん! 取ってくるね!」
「おっ! いーねえ!」
織姫がぱたぱたたとキッチンの方に駆けていく。
その後ろ姿を見送って、乱菊は静かに窓の外へと視線を戻した。
「……」
織姫は桜の事を「凛と立っている」と言ったが。
乱菊には、少し違うように見える。
乱菊は桜という少女についてよく知らない。知っている事といえば、滅却師である事や、織姫や一護の友達である事くらいだ。きちんと会話をしたこともない。
ただ、尸魂界で彼女の姿を一目見た時、抜身の刀に似ていると思ったのを覚えている。
一見すれば儚さすら感じる容貌の裏に、触れたらこちらが切れてしまうような鋭く張り詰めた気配があった。
誰にも寄りかからず、誰も寄りかからせない──それを一人で立っていると言うのならそうなのだろうが、実体はもっと危うい何かだ。
別に、独りで生きていくことは悪いことではないのだ。誰の支えも借りず、補い合うこともなく、一人歩き続けるのみ。そういう在り方を良しとする者もいる。それは他人が否定するようなものではない。
だから乱菊が気になっているのは、桜のそれが、本人が望んだものであるかどうかだ。
そうであるのなら、いい。
だが違うのなら──…………。
そこまで考えて、乱菊はばりばりと頭を掻いた。
流石にお節介が過ぎるし、いくら考えたとて仕方がない。そんなのは桜にしかわからないものだろう。仮に本人以外にわかる者がいるとすれば、それは乱菊ではなく、彼女の近くにいる人達のはずだ。
「はい! 乱菊さんクッキー&クリームね!」
「ありがと……ってあんたストロベリー? あたしもそっちがいい!」
「えーヤダよー。あたし苺がいちばん好きだもん!」
織姫が戻ってきた途端、部屋が賑わいを取り戻す。笑顔を見せる彼女に内心ほっとしながら、乱菊はアイスクリームにありついた。
窓の外では煌々たる光があちこちに散らばっている。夜は静かに更けていった。