THE CHERRY BLOSSOM AND THE RAIN 作:さーもんありなん
風のない蒸し暑い夜だった。
空座総合病院の屋上の縁に足を乗せて街を見下ろす桜の耳に、いくつもの霊圧の衝突がかすかな音となって届く。
突如現れた破面の集団と日番谷先遣隊との戦いは既に始まっていた。
桜は街の上空に破面の霊圧が現れた時点で空座総合病院に移動し、自身の霊圧を抑えて息を潜めていた。破面達に標的を一人に定めている様子がなかった為、無差別な殺戮か、大小に関わらずわずかでも霊圧のある者の鏖殺が目的だと判断したからだ。
石田のほぼゼロに近い霊圧を破面が捉えることはないだろうが、世の中には万が一という言葉がある。仮にそうなったらなったで、石田竜弦が破面と交戦する場面を見れれば御の字だと思っていた。結局思惑は外れたが。
破面の数は六つ。
妙なのは、先日の二人組と比べて人員の大半が弱い事である。中にはひと際強い──どころか比べることすらおこがましいほどの歴然とした差のある霊圧を持つ個体もいるが、それを除けば隊長格に敵うはずもないと思うようなものばかり。
おそらくは元となった虚が
「どこの組織にも問題児はいるものね……」
破面との戦闘が起こっているのは四か所。それぞれ十番隊の二人、十一番隊の二人、恋次、一護とルキアが交戦している。
まだ破面対策の物が届いていないので戦闘に参加する気はないが、破面の観察をするいい機会だ。事と次第によっては報告事項も増えるだろう。
一護の〝内なる虚〟の件は気にかかるので、こちらは後で見に行く必要があるか。
宙に一歩足を踏み出す。
真っ逆さまに落ちる体が建物の半ばを通過した頃、たちまち足元の霊子が流れとなり体を掬い上げる。
白髪を靡かせ、桜は飛ぶように夜空を駆けた。
◇
轟音と閃光がねっとりと重たい夜の闇を切り裂く。
道路の真ん中で、白い死覇装の破面と黒い死覇装の死神──班目一角が相対していた。
近くで戦いを見守っているのは綾瀬川弓親である。抜刀どころか刀に手をかけてすらいないのは余裕か、どうなろうとも傍観に徹するという意思の表れか。
そして何故か彼のそばには啓吾の姿がある。どうやら運悪く巻き込まれたらしく、腰を抜かしている。
戦闘に巻き込まれない程度に距離を取り、空中で停止する。
眼下では熾烈な戦いが繰り広げられている。
やや劣勢かと思われた一角が破面の顔面に一太刀を入れて、状況が一変した。
「どうやら俺はお前を見誤っていたらしいな。お前のような奴になら、要不要に関係なく〝解放〟して戦った方がいいだろう」
「……そりゃ俺の力を認めたって話か?」
「いや。お前のような戦い好きの馬鹿には、どう足搔いても敵わんという恐怖を骨まで刻み込んでやるべきだと思ったんだ。──二度と破面との戦いを楽しむ気なんぞ起きんようにな」
破面の発言に目を見張る桜の前で、それは起こった。
「
解号と斬魄刀の名前を唱えた破面が、みるみるうちにその姿を変えていく。同時に霊圧が爆発的に膨れ上がり、性質すらも変化する。死神と虚の霊圧が混ざった奇妙な気配のそれから、完全な虚の霊圧へ。
異形へと姿を変えた破面は〝
(これが──破面の斬魄刀解放……)
──一閃。
噴き出す霊力の奔流が、一角を呑み込んで炸裂した。
(斬魄刀に封じた虚の力を解放して、死神主体になった肉体を変化……いや、虚の力を肉体に回帰させている?)
死神の卍解が己の力を外へと引き出し具現化する「外面への拡張」なのだとしたら、破面はその逆。刀という封を解き、虚としての本来の姿と力を己の肉体に引き戻す「内面への回帰」。
おそらくはそれこそが破面という種族の真髄。死神の肉体と人格は死神ベースのまま、虚としての攻撃能力を自在に行使できる。
虚と死神という二つの属性が完全に調和することで発生するシナジーは計り知れない。虚の力を外付けにすることで
種族としての完成度は極めて高いといっていい。理想的な強化形態だ。
惜しむらくは〝崩玉〟ありきの技術であるという事。そして虚の力そのものという性質上、破面の斬魄刀解放は
(……これは報告が必要か)
まだ未確定の話ではあるが、尸魂界への侵攻の際には虚圏を足掛かりとする案も出ているのだ。
破面──藍染惣右介の勢力は〝見えざる帝国〟にとっても無視できない存在である。
そう結論づけたところで、桜ははっと顔を上げた。
六体の破面の中でずば抜けて高い霊圧を持っていた個体が一護と交戦を始めたのだ。場所はここからそう遠くない。
そこにあるルキアの霊圧は、極端に弱まりつつあった。
/
──言うなればそれは白い闇。
「〝
闇夜に現れたのは白い死覇装に青い髪、右顎に虚の仮面をつけた破面だった。
自分とさほど変わらない体躯から溢れる桁違いの霊圧と研ぎ澄まされた殺意は、漆黒の闇ほどに重く、濃い。
ルキアが胴を貫かれ、血を吐いて倒れる。──それが開戦の合図だった。
焦燥と怒りに身を任せて地面を蹴った一護の斬撃を、グリムジョーはごくあっさりと受け止めた。
「オイ、ナメてんのか死神。加減してやってるうちにとっとと出せよ、テメーの卍解を。でねえとテメーもそこに転がってる死神みてえに──穴アキにするぜ!?」
「てめえ……!!」
挑発的な要求に、一護は卍解することで応えた。元よりこんな化け物じみた霊圧の持ち主相手に卍解なしで戦えるとは思っていない。
だがその卍解の力すら、グリムジョーは軽々と上回ってくる。
卍解の速度すら容易く見切られ、刃を握る腕ごと地面へ叩き落とされる。剣すら抜いていない相手に、文字通り手も足も出ない。
土煙が辺りに立ち込める中、一護は覚悟を決めた。最早なりふり構ってはいられない。〝内なる虚〟に呑み込まれる恐怖より、仲間を失う恐怖が勝る。
「──〝月牙天衝〟ォォオオ────!!」
刀身が纏うは黒い斬撃。
荒々しい凶暴な霊圧の奔流は宙を駆け、グリムジョーに正面から喰らいついた。
「はッ、はッ、はッ……!」
肺が焼けるように熱く、呼吸が苦しい。たった一度撃っただけだというのにこの消耗。気力も体力もごっそり持っていかれた。
息を切らせて空を睨む一護の目の前で、袈裟懸けの傷を負った破面の男は狂気じみた高揚の笑みを浮かべた。
「そんな技、ウルキオラからの報告にゃ入ってなかったぜ、死神……!」
「ガッカリせずに済みそうか? 破面」
笑みを返すのはせめてもの虚勢だった。自分の中の力がじわじわと浸食を深めてくるのを感じて、抑え込もうと顔を手で覆う。
ギラギラと光る碧眼が一護を見下ろし、獰猛な笑い声を上げる。
「はははははははは!! 上等じゃねえか死神! これでようやく殺し甲斐が出てくるってモンだぜ!!」
互いに手傷は負わせたものの、グリムジョーの傷は浅く、戦闘を楽しむ余裕すらある。
対してこちらは黒い〝月牙天衝〟による消耗が激しい。あれは元々一護の中の虚の力だ。あと二・三発も撃てば正気を失いかねない。だがあの技でないとグリムジョーには対抗できない。
(くそっ……どうする──!?)
身動きが取れないでいる一護の視線の先で、グリムジョーが腰の刀の鯉口を切った。
「ボサッとしてんなよ死神。次はこっちの──」
瞬間、グリムジョーが跳ねるように身を翻した。
それを追いかけるのは天から降り注ぐ青い矢の数々。
グリムジョーが無数の矢群を時に避け、時に腕で払い、体勢を立て直す頃には、白い髪の少女が一護の隣に立っていた。
「桜……! 俺はいいからルキアを頼む……!」
「応急処置は済ませてきたわ。あなた、さっきの技はもう使わない方がいいわね」
こちらをちらとも見ずに桜は言い、一護を庇うように一歩前に出た。
「……邪魔しやがって。てめえ、ヤミーをやった女か」
宙に立つグリムジョーは興醒めしたような冷たい表情を浮かべている。
桜はそれを感情の読み取れない淡泊な表情でじっと見つめ、ぽつりと言う。
「……その背中の数字。破面の中にも序列があるのね。上から六番目なんて、大した強さじゃない」
「……何が言いてえ」
グリムジョーが眉をひそめる。
口先だけの褒め言葉は、この状況にはあまりにも不釣り合いだった。
「でも──
「────あ?」
鋭い碧眼にさっと怒気と殺意が浮かぶのが、一護にははっきりと見えた。
「──てめえ…………」
「あの彼は何番なの? 一番だと嬉しいのだけど、そういうわけにもいかないかしら」
肌を刺すような殺気に気づいていないわけでもあるまいに、お前の事など眼中にないとでも言わんばかりの発言。
一護は思わず目を剥いた。石田といい、滅却師は他人を煽らずにいられない種族なのだろうか。
「この状況で煽るなお前!」
「煽ってないわよ、事実を言ってるだけ」
「尚悪ぃだろ!!」
シャン、とかすかな金属音にはっとする。
淡い月光に鋭く輝くのは白い刃。──グリムジョーが刀を抜き放っていた。
「……上等だ、女。まずてめえから先に……いや、てめえらまとめてブチ殺してやるよ──!!」
獣じみた獰猛さでグリムジョーが吼える。
彼が手に刀を携え、足元を蹴ろうとした──その瞬間。
「──刀を納めろ、グリムジョー」
低い声が響く。
浅黒い男の手がグリムジョーの肩に置かれた。
/
襲撃者は退却し、当面の危機は去った。
戦いを終えた先遣隊の面々は、日番谷と乱菊が拠点と定めた織姫のマンションの屋上に集まっていた。
「
屋上の縁に腰かける桜の言葉に、同じく腰を下ろした日番谷が重々しく頷く。全身に派手に包帯を巻いている彼は限定解除前に手酷くやられたらしかった。
「ああ。俺と戦った破面がそう言っていた。朽木をやったのはそいつか?」
日番谷が〝双天帰盾〟の膜に包まれたルキアに目を向けるのに、桜は頷いた。
彼と戦った敵曰く、十刃とは破面の中でも選りすぐりの人員を集めた戦闘部隊。藍染から一から十の番号を与えられた者達。その強さはまさしく別次元──自分達とは別格の存在であると。
そのうちの一人が、去り際にグリムジョー・ジャガージャックと名乗ったあの男。あれより上が五人いるというのは、なかなかに気の滅入る話だった。
「しかし、東仙か……」
苦々しく呟く日番谷に、ふと思いついた事を口にする。
「あの男、虚化しているかもしれませんね」
「何?」
「自力で黒腔を開いていました。破面を統率しているなら黒腔を開く方法を独自に開発している可能性もありますが……」
「……虚化している可能性も考慮した方が話が早いか」
〝崩玉〟で虚を死神化できるのならば死神を虚化することも可能だろう。
現れた東仙はすぐにグリムジョーを伴って退却したので霊圧を隅々まで推し量る時間はなかったが、敵情を甘く見積もる理由はない。
日番谷は深刻そうにため息をついて立ち上がると、どこかへ行ってしまった。
桜は屋上の片隅に目を向けた。
一護や恋次が治療中のルキアの周りに集まっている。まったくの無傷なのは桜と織姫くらいのもので、皆どこかしらに傷を負っていた。
……ぼんやりと思う。
限定霊印下とはいえ隊長に卍解を強いるほどの戦闘力を保有する破面。それを従える十体の戦士。更にそれらの頂点に君臨する三人の元隊長達。
藍染達との戦いは、護廷十三隊の総力を以てしても厳しいものとなるだろう。
(…………もし)
もしも。
藍染惣右介と彼が率いる破面の軍団が護廷十三隊を下し、その先で
──藍染惣右介は、それを打ち破れるだろうか?
肋骨の内側で心臓が激しく鼓動している。掴んだ二の腕に食い込む指先の冷たさが、いやに鮮明だった。
天から降り注ぐのはかすかな月光。
淡くおぼろげな光が、足元に影を作っている。
影が濃い。
夜の闇ほどに、あるいはそれ以上に。
黒々としたそれにじっと目を向けて──あるかもしれない未来を、空想した。
「…………────」
肩に入っていた力を、意識して少しずつ抜いていく。
いくら考えたとて無駄なことだ。
未来とは、凡俗には見通せないからこその未来である。
どうなるかなど、桜にわかるはずもない。