THE CHERRY BLOSSOM AND THE RAIN 作:さーもんありなん
夏梨を黒崎家に送り届けた後、桜が一護の霊圧を辿って鳴木市と空座町の境にある古い倉庫街に行くと、そこには織姫の姿があった。
「──あれ!? 桜ちゃん! なんでここに?」
「早急に一護くんに会わないといけない理由ができたの。井上さんこそどうして?」
ここにいるということは織姫も一護に会いに来たのだろうが、つい先ほどまでは一護を捜すことも躊躇っていたのに、どういった心境の変化だろうか。
「さっき総隊長さんから藍染……さんの目的がわかったって聞いて……」
「──詳しく教えてくれる?」
こくりと頷いた織姫は、日番谷と乱菊と共に聞いたという話を聞かせてくれた。
護廷十三隊の総隊長である山本重國曰く、藍染の狙いは〝
藍染の真の目的は霊王の殺害だろうと目されているが、むしろ問題は王鍵の創生法にある。
王鍵の創生に必要なのは十万の魂魄と半径一霊里に及ぶ重霊地。重霊地は時代と共に移り変わる霊的特異点のことで、当代では空座町がそれに該当する。
もしも藍染が文献にある通りのやり方で王鍵を創生した場合、空座町とそれに接する大地と人が丸ごと世界から削り取られて消え失せるのだという。
「────」
「……桜ちゃん?」
唇を引き結んで黙り込んだ桜を、織姫が心配そうに覗き込んでくる。
それを「大丈夫」と制して、続けるように促した。
……藍染の狙いが霊王宮──即ち霊王であることは以前から予想していた事だ。そこにはさほど驚きはない。しかし、霊王宮に立ち入る術については知らなかった。
尸魂界だけですべての戦いが完結するのならばいいが、ともすると現世が戦場になる。事と次第によっては、戦場になるだけでは済まない事態になるだろう。
「……うん。それで、護廷十三隊はそれを止める為に動くって。〝崩玉〟は完全に覚醒するまで時間がかかるみたいで、決戦は冬になるって」
「じゃあ井上さんはそれを一護くんに伝えに来たのね」
桜は背後にある倉庫を振り返った。
仰々しい結界に包まれた倉庫の中に一護の霊圧はある。
……考えなければいけない事ができたが、今はこの中に入って、頼まれた事を成すのが先だ。
「入れる? わたしだけだと無理やり破ることになりそうだけど」
見たところ特定の人物以外の侵入を防ぐ類の結界ではないので強引に破れないこともないが、得策ではないだろう。
織姫が神妙な面持ちで結界に手を押し当てると、その指先がするりと見えない壁をすり抜けていく。
「……うん──いける」
確かめるように頷いた織姫が空いている方の手で桜の手を掴む。
その手を握り返し、彼女に連れられるようにして結界の中に足を踏み入れた。
誰もいない倉庫の中を素通りして地下へ続く階段へ足を向けると、偽物の青空と岩肌が剥き出しの地面が桜達を出迎えた。浦原商店の地下に似た作りである。
階段を降りていくと、複数の人物がこちらを睨むように見上げてくる。彼らが例の
「──どあっ!?」
すると、どこかから一護が吹き飛ばされてきた。
地面を勢いよく転がった末に岩に激突した彼は砂埃にまみれたまま「くそ……っ!」と悪態をついたが、ここにいるはずのない霊圧に気づいてか、はっと顔を上げた。
「──井上!? と、桜……!?」
どうしてここにいるのかと目を白黒させる一護を前に、桜は「井上さん、お先にどうぞ」と織姫を促す。
「うん、すぐに済ませるね。──ごめんね、黒崎くん。修行中に押しかけちゃって……」
「それは別にいいんだけどよ……何かあったのか?」
「それがね──」
一護が座り込んで織姫と話している間、そばに控えて大人しく順番を待つ。
「あれーッ織姫チャンに桜チャンやんか! もしかしてオレに会いに来てくれたん? 嬉しいわぁ」
ペカーっとした笑みの平子がやって来た。真っ黒なシャツに冗談みたいな柄のネクタイという恰好のせいで、胡散臭さが殊更に増している。
「あら、いたの平子くん。影が薄くて気づかなかったわ」
「桜チャンオレに当たり強ない?」
「わたし金髪の男って好かないの」
「言われとんでローズ!」
「明らかに真子のことでしょ……」
適当に平子をあしらっていると、話がひと段落したのか一護が桜の方に向き直った。
「──で、お前はどんな用なんだよ。井上の付き添いってわけじゃねーんだろ?」
/
「…………」
「な、なんだよ……」
一護の発言に、腕を組んで仁王立ちする桜は冷ややかな無表情を返した。ただでさえ迫力のある美貌が氷のような冷たさを纏って背筋が寒くなる。
日頃から愛想良くニコニコしているというわけではないが──そんな桜ははっきり言って不気味だ──見た目のイメージほど表情に乏しくもないというのがこの少女への認識である。
なので、この無表情にも何らかの意味があると一護は考えた。
多分、怒っている。何に怒っているのかはまったくわからないが。
桜は無表情はそのままに腕を解くと、隣の平子におもむろに手を差し出した。
「平子くん、携帯持ってる? 貸してもらえないかしら」
「ええけど……」
平子から携帯を受け取るなり、桜はぽちぽちと文字盤を押し始めた。やがて、ぷるるる……と小さな発信音が耳に届く。
一体どこにかけているのかと一護が首を傾げた瞬間、桜の手元から携帯が消えた。
──直後。
「──ッッッでぇ!!?」
鼻に硬い物が激突したような激痛が走った。
鼻を抑えてもんどりうつ一護の近くに落ちたのは平子の携帯である。平子が悲鳴を上げている。
「──あにすんだっ!!」
「修行に励むのは結構だけど、家に連絡くらいしなさい」
涙目で起き上がって非難の声を上げる一護に、桜はいつになく険しい表情で鋭く言い放った。携帯を拾い上げ、ずいっと一護と鼻先に差し出す。
画面を見れば、表示されているのは一護の自宅の固定電話の番号である。
「
「────」
思わず黙り込む。
そうこうしているうちに通話が繋がって、電話口から妹の声が聞こえてきた。
慌てて携帯を耳に押し当てる頃には、桜は踵を返して出口に向かって歩き始めていた。
「じゃ、帰るわ。行きましょ井上さん」
「えっ!? あ、うん! ごめんね平子くん! お邪魔しましたー!」
本当に用事はこれだけだったようで、足早に歩く桜の背中はあっという間に小さくなっている。
電話の向こうから聞こえてくる甲高い妹達の声に一旦待ったをかけ、
「桜! 悪ぃ、ありがとな!」
と叫ぶように言う。
白髪の少女は何のいらえも返すことなく、階段を登って地上へ消えていった。
◇
『──だから帰らないのはいいけど、ううん、ほんとはよくないけど、せめてちゃんと連絡してよね! ほんっとに心配したんだから! 夏梨ちゃんも心配してたんだよ!』
『してねーって! 遊子しつこい! もういいから電話切れ!』
『まだだめー!』
「わーったから二人とも落ち着け。また電話すっから」
『ほんとだよ! ほんとにほんとだからね!』
「わかったって。ほら切るぞー」
『あ、おに──』
このタイミングを逃すと本当に電話を切る機会がなくなる。一護は有無を言わさずボタンを押して、通話を終了させた。
「ふう……」
主に遊子から怒涛の勢いで捲し立てられて、どっと疲れた。夏梨も口調が荒くなっていたし、かなり怒っていたようだ。連絡を怠った自分が悪いのだが。
ひと息ついていると、平子が保冷剤を差し出してくる。
「鼻赤なっとんでお前」
「まじか。全力で投げすぎだろあいつ……」
保冷剤を鼻に押し当てるとじんわりと痛む。骨が折れたのではないかと思うほどの衝撃だった。賞賛すべきはあの威力の投擲に耐えた平子の携帯か。
ただ家に連絡しろと言うだけにしては手段が暴力に寄り過ぎな気もするが、あれは一護への苛立ちの現れだろう。
兄を亡くしているという桜にああ言われては、反論などできるはずもない。
平子はポケットに手を入れたまま突っ立って一護を見下ろしている。こちらを探るような目つきだ。
「なんだよ」
「……お前、あのコと仲ええんか」
「あ? まあ……普通だろ」
妙な質問に訝しむ。
そういえば平子は自分が怪我をして休んでいる期間も学校に行っていたのだろうか。その間桜がどうしていたのかは知らないが、もしかすると──。
「……言っとくけどちょっかい出すなよ」
「なんや好きなんか? 織姫チャンはどうしたんや浮気モン」
「ちげーよ! 井上も関係ねえ!! 俺じゃなくて石田だよ、い・し・だ。今んとこ脈ゼロだけどな」
いっそ健気なほどに桜に想いを寄せている男の顔を思い浮かべる。茶渡からしばらく学校を休むとは聞いているが、滅却師の能力を失くして今はどうしていることやら。
平子は一護の返事を聞いているのかいないのか、相変わらず平坦な顔で「ほーん」と呟く。
「……ま、仲ええんやったらそれでええわ」
誰に聞かせるでもない独り言のようなそれが気にはなったが、痺れを切らしたひよ里が修行の再開を宣言したので、思考はそこで打ち切られた。
/
シャッターを潜り抜けて外に出ると、薄暗い倉庫内とのコントラストが一瞬目を焼いた。
そう長居したつもりはなかったが、入る前に比べると青空はわずかに陰り、地平線に茜色の光を滲ませつつあった。
「──桜ちゃん、怒ってる?」
ローファーの踵でコンクリートを叩くように歩いていた桜は、後ろから投げかけられた織姫の声にぴたりと足を止めた。立ち止まったまま、深々とため息を吐く。
「怒ってないわ。呆れてるだけ。本当に世話が焼けるんだから……」
「……」
「妹を最優先にしろとまでは言わないけど、少しは気を配れるはずでしょう。あんな小さい子に気を揉ませたまま放置するなんて兄としてどうかと──って、なんで笑ってるの」
隣から空気をくすぐるような小さな笑い声が聞こえ、桜は織姫に顔を向けた。
柔らかな微笑が彼女の面立ちを彩っていた。
「だって桜ちゃん、やっぱり怒ってるんだもん。遊子ちゃんと夏梨ちゃんのためでしょ?」
「…………」
「優しいね」
穏やかな色彩の瞳に見つめられるのがいたたまれなくて、「別に……」と目を逸らす。
「わたしが一護くんに腹が立ったってだけで、妹さんのためってわけじゃないし」
「うんうん、そうだね」
「……なんでそんなにニヤニヤしてるの? 言葉が通じてない?」
「桜ちゃん段々石田くんに似てきたねぇ」
「話の流れ! なんでそうなるの!? どの辺が!?」
突拍子もない事を言い出した織姫に抗議していると、背後に唐突に気配が現れる。
はっと振り向けば、そこにいたのは夜一だった。
「二人とも、ここにおったのか」
「夜一さん……!」
「喜助に少し頼まれての。井上、おぬしを捜しておった。おぬしに今すぐ地下勉強部屋まで来てほしいそうじゃ」
◇
倉庫街から浦原商店まではやや距離があり、桜達が到着する頃には日はすっかり沈んでいた。
地下勉強部屋には浦原だけでなく茶渡と恋次の姿もある。二人はここで修行しているらしかった。
織姫を呼びつけた浦原はいつになく神妙な雰囲気で、桜はなんとなく嫌な予感を覚える。
そして案の定。
「貴女には今回、戦線から外れて貰います」
温度のない声で、浦原は織姫にそう告げた。
桜はぴくりと眉を動かし──ひとまず傍観に徹することにした。
「…………え、……」
言葉を失くす織姫に、浦原は淡々と話を続ける。
織姫の能力である『盾舜六花』の一角──椿鬼は先日の破面との戦いで破壊され、修復もできていない。攻撃手段が一つもない状況では戦闘への参加は認められないという。
茶渡が織姫の防御と回復の術を例に挙げて食い下がるが、浦原は取りつく島もない。
「しつこいな。力を失くした戦士なんて足手纏いだと言ってるんスよ」
「ッ浦原さん!!」
「──いいの、茶渡くん」
声を荒げた茶渡を遮ったのは他ならぬ織姫だった。
少し後ろに立つ桜の位置からは、彼女が二の腕を指先が食い込むほど強く掴んでいるのがはっきりと見えた。
「ありがとうございます、浦原さん。……はっきり言ってくれてよかった。失礼します……!」
泣くのを堪えているような笑みを張り付けて、織姫は出口に向かって駆け出した。
追いかけようとする茶渡を、恋次が織姫は元より戦いに向いた性分ではないと引き留める。
「桜、お前からも井上に言ってやってくれ……!」
と、茶渡が縋るように訴えてくる。
それを一瞥し、桜は静かに答えた。
「正直に言うと、わたしは浦原さんと同意見よ。戦いから遠ざかる方が井上さんのためにもなると思う」
「桜──!」
「………」
茶渡がじれったそうな声を上げた。恋次は意外そうに眉を跳ね上げて、桜をじっと見つめている。
攻撃手段の有無や能力の性能という問題を別にしても、織姫には精神性が致命的なまでに戦いに向かないという弱点がある。
敵も味方も関係なく、他者を傷つけるということに強烈な抵抗がある──そんな性質の人間が戦場に立ったところで碌な事にならないのは目に見えている。
──だが。
結局のところ、それは。
「──でも、それは他人の意見でしかない。彼女が自分の意思で戦うと決めたのなら、それは尊重されるべきです」
最後の一言は浦原に向けたものだった。
他ならぬ織姫自身がそれを望んでいる。ならばそこに他者の意思が介入することなどあってはならない。
桜は浦原と夜一に会釈すると、織姫の後を追うべく地下勉強部屋を出た。