THE CHERRY BLOSSOM AND THE RAIN 作:さーもんありなん
澄んだ声が青空の下に高らかに響く。
「──椿鬼!」
こちらに向けられた白い手のひらに、カッとオレンジ色の光が点った。光の中心には翼を広げた鳥のような黒いシルエットが鎮座している。
眩い光を纏ったシルエットは、
「〝孤天斬盾〟! 私は拒絶する──!!」
詠唱によって、高速で発射された。
光──盾はオレンジの軌跡を描きながら飛ぶ。
一直線に飛来してくるそれを桜は正面から見据え、キリキリと引き絞っていた弦から指を離した。
滑らかに射出された矢は盾と正面から衝突し、ぶつかった瞬間、矢は盾によって真ん中から引き裂かれた。
裂かれたところから崩れるように霧散していく矢の残滓を見送る桜は微動だにせず、盾の射線上に佇んだまま。
あとほんの数センチで盾と桜の体が接触するというところで、数十メートル先に立つ織姫が顔を歪ませたのが小さく見えた。
途端、盾は急角度で曲がり、桜の真横を素通りした。ヒュン、と耳元で風を切る音がする。
追いかけるように後ろを見れば、盾は桜の斜め後ろにあった大岩を縦に両断していた。二つになった岩がズシン……と倒れ、土煙が上がる。
「……」
「……あぅ……」
ぱちぱちと目をしばたたく桜に、織姫はしょぼしょぼした顔で肩を窄めた。
一部始終を見守っていたルキアが「うーむ……」と唸り、
「向いておらぬなぁ」
と言った。
わっと織姫が声を上げる。
「……だってー! できないよ桜ちゃんに攻撃なんて!」
「あとで治してくれればいいわよ」
「そういう問題じゃないのー!」
織姫はヘアピンに戻った椿鬼に怒られでもしたのか、「わあっ椿鬼くん、ごめんなさいっ」と謝っている。
桜が困った顔でそれを眺めていると、ルキアがとことこ寄ってくる。
「人に攻撃するのに慣れさせるとはいえ、お前相手は井上には難しすぎるのではないか?」
「でも人間じゃないものに攻撃しても意味ないじゃない」
「それはそうなのだが……」
尸魂界、瀞霊廷内。十三番隊の隊舎裏にある修行場で、桜と織姫とルキアの三人は修行に励んでいた。
桜の本来の目的を考えれば現世を離れるのは得策とはいえないが、手出しできない現状を踏まえると現世に居続けるメリットは薄い。何より藍染一党の動きは現世にいるよりも尸魂界にいた方が早く入ってくるだろうと、ルキアの誘いに乗ることにしたのだった。
そうして瀞霊廷にやって来た三人は、まず修行のきっかけとなった織姫の課題解決に取り組むことにした。浦原に指摘された攻撃手段の欠如という問題は砕けた椿鬼を修復することで解決できたが、その性能という点では依然として課題は大きい。
織姫の唯一の攻撃手段である〝孤天斬盾〟は盾の両面の拒絶という力を持っている。これは対象と盾を接触させることで対象を構成する物質の結合を拒絶し、両断できるという代物で、考えようや使いようによっては、如何なる防御や硬度も無視して敵に致命傷を与えられるという極めて殺傷能力の高い力である。正確には斬撃ですらないという性質から、本来斬れるはずのないものまで斬れる可能性まで秘めているだろう。
しかしそれらの効果を十全に発揮するには、使い手である織姫の気質は戦いに向いていなさすぎる。
そもそも織姫の能力は防御・回復・攻撃といった単純な規格に収まらない次元のものだ。本人はその真価に気づいていないだろうが。
能力の理解と攻撃の意思。
織姫の弱点は、つまるところこの二つに帰結するのだ。
だがわかったところで、という話でもある。前者はともかく、後者は一朝一夕でどうこうできるものではない。
攻撃の意思──それは突き詰めると殺意である。これを持てというのは、織姫には酷な話だろう。
「ううむ……これはもう防御と回復の性能を上げる方に集中した方が良いか……?」
「そうね。井上さんには悪いけど、時間もあまりない訳だし」
藍染との決戦は三か月後に迫っている。潤沢に時間があるわけではない以上、既にできていることのレベルを上げた方がいい。
桜とルキアが結論を出したところで、椿鬼の説教から解放された織姫が不安そうな顔でやってきた。
「でも攻撃できないままじゃ、みんなの足引っ張っちゃうんじゃ……」
「何も刃を振るうことが戦いの全てではない。盾として仲間の前に立ち、仲間の傷を癒す。これも立派な戦いだ」
ルキアがきっぱりと断言した。
「あなたに防御と回復を後回しにして攻撃を鍛えろと言うのは、今の一護くんから刀を取り上げて弓の鍛錬をしろと言っているようなものよ」
誰しもに適性というものがある。適性外の物事を習得することは不可能ではないが、熟せるようになるには長い時間がかかるものだ。
元々織姫の能力は防御と回復の性能は突出している。戦場は学校の試験のように勉強の成果を発揮する場所ではない。ならば苦手を潰すより得意を伸ばすべきだ。刻限が近い今なら尚更に。
「……そう、かな。……でも、」
自信なさげに、織姫はへにゃりと眉を下げた。
「〝三天結盾〟もどこまで通用するかわかんないし……。あの破面の人が出してたビームみたいなのとか、あたしで防げるのかな」
「ああ、虚閃のこと?」
織姫が目撃した虚閃とはウルキオラのものだろう。確かにあのレベルになると容易には防げないし、織姫が不安に思う気持ちもわかる。だがいつまでも不安を抱えたままでは彼女の目的は達成できまい。
ここは少々強引にでも自信をつけさせるべきだろう。
「──じゃあ、こうしましょう」
/
爽やかな秋の風が白い羽織を揺らす。修行場を見下ろす崖の上に、白哉は静かに佇んでいた。
崖下の修行場にある三つの人影は先ほどまで距離を取って散らばっていたが、今は一箇所に集まって何やら話し込んでいるようだった。
声が聞こえる距離ではないが、目を凝らせば表情くらいは見て取れる。
それぞれ異なる髪色をした少女達のうち、艶やかな黒髪をした彼女。その、楽し気にころころと表情の変わる様をじっと見つめ、白哉はわずかに目を細めた。
「──やあ朽木隊長。いい天気だな、休憩か?」
突如背後に気配が現れ、朗らかな声がかけられる。接近する霊圧を感じ取っていた為、驚きはしない。
「……近くを通りかかっただけだ。朽木家の人間が護廷十三隊の客人であるあの人間達と友好な関係を結べているか、この機に見定めているだけの事」
「別にそんな厳しい言い訳しなくてもいつでも来ていいんだぞ?」
「言い訳ではない」
顔色一つ変えず返答する白哉に浮竹が苦笑した。
「たまには素直になっても罰は当たらないんじゃないか」
「……下らぬ。第一、
「俺にじゃなくて朽木とあの二人にだよ。妹に友達ができてほっとしてるんだろう、素直に喜べばいいじゃないか」
白哉はむっつりと口を噤み、隣を流し目で睨んだ。視線の先で男は上機嫌な笑みを浮かべて三人の姿を見下ろしている。
小さく鼻を鳴らして踵を返そうとする白哉を、浮竹が「もう帰るのか?」と引き留めた。
「もう少しゆっくりしていけよ」
「長居するつもりは──、」
ない、と言いかけて視界の端に映ったものに足を止める。
崖下の修行場で、白髪の少女がこちらを向いて手招きしている。視線は真っ直ぐ白哉に向けられており、見間違いということはなさそうだった。
/
「──じゃあ、こうしましょう」
そう言うなり、桜は崖の上を振り仰いで手招きをした。
彼女の視線を先を追うと、崖上に人影があるのが見える。いつからあそこにいたのだろう。白い隊長羽織と髪の色から察するに、一人は浮竹だろうか。もう一人は──
織姫がもう一人の人影の正体に思い当たった時、まさに頭に思い浮かべていた人物がその場に現れた。
「わあっ!?」
「兄様っ!!?」
驚いて声を上げる織姫の隣でルキアが飛び上がった。
一方桜は澄ました顔で、相変わらず泰然とした佇まいの白哉と相対している。
「私を呼びつけるとはいい度胸をしているな貴様」
「暇そうに見ていらしたので。ところで鬼道はお得意ですか? 六番隊長さん」
「……無論だ。斬拳走鬼揃わずして護廷の隊長は勤まらぬ」
「それは良かったです。では、今発動できる鬼道の中で最も威力の高いものを手加減無しで撃ってください。──彼女に向けて」
最後の一言を口にする時、桜は指し示すように織姫に目を向けた。
驚いたのは織姫とルキアである。だが二人が何か言う前に、白哉は考えの読めない無表情のまま織姫と桜の顔を交互に見て、
「────いいだろう」
と重々しく頷いた。
ぎょっとする間もない。白哉はさっと距離を取って織姫に向かい合うと、おもむろに右手を前に突き出した。
薄い唇が開かれ、玲瓏たる声が詠唱を紡ぎ出す。
「千手の涯 届かざる闇の御手 映らざる天の射手」
「兄様、それは……!」
狼狽するルキアの首根っこを掴んで引き寄せると、桜は織姫の背後に回った。
「朽木さんはこっちね。井上さんは盾を張る用意を」
「ちょ、ちょっと桜ちゃん!?」
「ほら前を見て。敵から目を離さない」
慌てて視線を前に向けると、白哉の周りにいくつもの霊圧の塊が浮上していた。肌が粟立つほどの濃度の霊圧は、あのウルキオラという破面の虚閃と同等かそれ以上。あんなのをまともに食らったら、骨も残さず消し飛ぶだろう。
「あなたは霊圧も並み以上あるし、反射神経や動体視力も高い。霊子体なら尚更力を発揮できる。能力を使い熟せる素地はもうできてるの。足りないのは経験と自信だけよ」
「経験と、自信……」
「〝三天結盾〟であれを防ぎ切るの。井上さんならできるわ」
詠唱は淡々と、しかしはっきりとした声音で続く。
「光を落とす道 火種を煽る風 集いて惑うな 我が指を見よ」
白哉の声に呼応するように、ただの霊圧の塊だったものが性質を変えて矢のような鋭さを帯びていく。言霊によって指向性と属性を与えられているのだ。
「で、でも、失敗したら……!」
「──大丈夫」
最悪を想像して青ざめる織姫の肩に桜がそっと手を置き、囁くように言った。聞いているだけで背筋が伸びる、凛とした声だった。
「あなたの
拒絶の力は傷や怪我に向ければ回復になり、敵からの攻撃や脅威に向ければ防御になり、敵性存在に向ければ攻撃になる。
それら全ては織姫の意志によって成されているのだと、彼女は言う。
「重要なのは絶対に護り抜くという意志。
「……こころ──」
「そう。想像して。今あなたの後ろにいるのはわたしと朽木さんだけだけど、他にもあなたの護りたい人達がいるって」
脳裏に思い浮かべるのは、現世に残してきた人達の顔。
……一護、竜貴、石田、茶渡。クラスの友達。
当たり前のようで当たり前でない日々の中で、織姫に歓びと楽しさと幸せをくれる人達。
傷ついてほしくなくて、笑っていてほしくて、ずっと幸せでいてほしくて──その為に護りたいと思う人達。
(あたしにとって、大切な人達……)
──その人達が、今、自分の後ろにいる。
自然と腕が持ち上がった。ヘアピンに宿った六花のうち
(……そうだ。あたしは──)
思い出す。力に目覚めた時の事を。
大切な人を護りたいと強く願ったから、この力を得たのだ。
「──〝三天結盾〟」
口からこぼれた言霊に呼応して、三角形の盾が構築される。
盾の向こうに見える矢はその霊圧をいよいよ最大まで高め、弾けんばかりの光を放っていた。
「光弾・八身・九条・天経・疾宝・大輪・灰色の砲塔」
背中に柔らかな手が触れる感覚。低く冴えた声が、
「いけ、井上」
と織姫にだけ聞こえる距離で囁く。
……不思議だ。さっきまで不安で頭がいっぱいだったのに、今は思考がはっきりしている。やるべき事が目に見えているように視界がクリアになっている。泉から水が湧き出るみたいに力が漲ってくる。
肩と背中に触れる優しい体温が、道標になってくれる。
「弓引く彼方 皎皎として消ゆ」
「──私は──」
いつだって織姫に力と勇気をくれる、大切な友達。
二人とずっと友達でいたいから、もっと一緒にいたいから、だから……。
──だから、あたしは。
「破道の九十一──〝
「拒絶する──ッ!!!」
低い声が詠唱を締めくくるのと、矢が一斉に放たれたのはまったくの同時だった。
刹那、盾とそれを展開する腕に凄まじい衝撃が襲いかかる。
腕どころか全身まで響く衝撃に歯を食いしばって堪える。
光が弾け、辺りが白く塗り潰される。周囲にある物の輪郭すら不明瞭な中で、ドドドドドッと光弾が空気を押し出す硬くけたたましい音が際立っていた。
それは織姫にとってはとても長い──しかし実際にはほんの数秒の攻防だった。
ふいに光と音がぱたりと途絶えた。同時にびりびりと響いていた衝撃も止む。
舞い上がった土煙がゆっくりと晴れていき、盾の姿が徐々に露わになる。
「──は、……!」
織姫はその光景に目を見張った。
陽の光を受けて柔らかく光るオレンジ色の盾には、罅どころか傷一つついていない。
護ると誓った通りに、それは力強く聳え立ち、何にも侵されない鉄壁の守りとなって、白哉の鬼道を完璧に受け止めていた。
「──井上っ!! お前はすごい奴だ! 兄様の完全詠唱の破道を防ぐなど! 快挙だ! すごいぞ!!」
理解が追いつかず言葉を失っていた織姫の体を、喜色で顔をいっぱいにしたルキアが強く揺さぶった。
がっくんがっくんと揺らされていると段々と認識が追いついてきて、じわじわと喜びが込み上げてくる。織姫はばっと振り返ると、勢いのままに桜に飛びついた。
「や──ったあ!! すごいっ、すごいよ桜ちゃん!」
「凄いのはわたしじゃなくてあなたね」
ほとんどしがみつくように桜を抱き締める織姫の腕の中で、彼女が眉を下げて微笑んだ。
その、白い雪のような容貌が柔らかく綻ぶさまは、まさに固く閉じられていた蕾が花開いて瑞々しい花弁を広げるようであり。
真正面で目撃した織姫の体を、雷に打たれたような衝撃が走り抜けた。
「桜ちゃんが、笑った……!?」
「……え?」
「お前、笑えたのか……!?」
「え?」
桜は笑みを引っ込めて、何を言われているのかわからないという顔をする。
「嘘でしょ? わたしどういう人間だと思われてたわけ?」
「だって桜ちゃん全然笑わないから……」
「ああ、驚いたぞ」
「ええ……だって嬉しい事もないのににこにこしてたら変じゃない」
「そんなことないよ! あたしいつもヘラヘラしてるけど、たつきちゃんによく幸せそうな顔だって言われるし! だから笑ってた方がいいんだよ!」
拳を握って力説する織姫にルキアがうんうんと頷く。
普段から泰然としている桜だが、感情が表に出ないとか表情が動かないとか、そういう事はないのだ。むしろ最近一緒に過ごすようになってからは、実は結構感情豊かなのではと思いつつある。ただどちらかというと険しい表情をすることが多いのも事実。
それが嫌というわけではないし、無理にニコニコしてほしいとも思わないが……なんというか、もったいないような気がしてしまう。
それに──
「──それに桜ちゃん、笑うととっても可愛いよ。ずっと笑っててほしいな」
桜の顔の横に落ちている髪をそっと耳にかけて、織姫は笑いかけた。
途端、ルキアの動きがぴたりと止まり、桜は表情を削ぎ落したような真顔になる。
「……やるな……井上」
「あなた女の子で良かったわね。……むしろ女の子だから危ないのかしら」
「……へっ?」
きょとんとする織姫の遥か上空で、雲がゆったりと流れていく。爽やかな風が吹く秋の日のことだった。
──そうして時は穏やかに、しかし瞬きの間に過ぎ。
ひと月が経った頃、再び彼らが動き出した。
【悲報】次回でストック尽きる