THE CHERRY BLOSSOM AND THE RAIN   作:さーもんありなん

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第六話  Scrutinize

 

 

 叩きつけるような雨の中、女の姿をした虚が遠く飛び去って行く。この姿のわしを斬ることはお前にはできん、と言い残して。

 遠ざかる虚を一瞥もせず見遣るのは、虚を追いかけようとするオレンジの髪の少年と、それを引き留める黒髪の少女。

 

「待てよ……っ!!」

「もう止せ一護っ! 戦いは終わったのだ……!!」

 

 少年が負った傷は深く、胸からはとめどなく血が流れている。冷たい雨に体温は奪われ、刀を持つ手が震え始めた。

 それでも少年は追いかけようとする。

 何かに突き動かされるように。そうしなければいけないとでも言うように。

 

 なぜか?

 決まっている。あの虚が、母の仇だからだ。

 

「まだだ……!!」

 

 まだ終わっていない。あいつはまだ死んでいない、俺はまだ戦える。

 絞り出す声は荒い呼気と混ざって途切れ途切れで、雨音に紛れて今にも消えそうに頼りない。

 

「一護!!」

 

 少女の声は悲鳴に近い。

 意地と気力だけで意識を保っていた少年は、やがて限界を迎えて前のめりに倒れる。それを受け止めた少女の焦燥は、少年の緩やかな呼吸を確かめて安堵に変わっていく。

 少年が目を覚ますまで、さほど時間はかからないだろう。

 

 雨の降る六月十七日のこと。

 死神の少年と虚の戦いの一部始終を、桜は木陰から静かに見つめていた。

 身じろぎもせず、ただじっと。

 

 

 

     /

 

 

 

 梅雨が明け、七月に入った。空気がじめつくことはあるものの、スカンと抜けるような青空にやかましい蝉の合唱が響くのは、まさに夏本番の風情である。

 

 自称“新世紀のカリスマ霊媒師”ことドン・観音寺が空座町にやって来るということで、クラスどころか学校中が色めき立っている。

 浅野啓吾の一緒に行こうぜコールがあまりにうるさいので、心霊番組嫌いの一護は少々うんざりしていた。

 

「ボハハハハーーーーッ!」

「…………何かしら、井上さん」

「ええっ、桜ちゃん『ぶら霊』知らないの!?」

「ぶられい……?」

 

 どいつもこいつも浮かれやがってと内心悪態をついていた一護だが、どうやら自分以外にもこのお祭り騒ぎに乗れない奴がいるようだ。

 教室の入り口で織姫に捕まった桜が頭の上にハテナマークを浮かべている様子だったので、一護は彼女を窓際まで引っ張っていって、『ぶら霊』とその公開収録について説明してやった。

 話を聞き終えた桜はなるほど、と頷く。

 

「つまり胡散臭い霊能者の公開インチキ除霊ショーということね」

「身も蓋もないこと言うな、お前……」

 

 酷い要約である。たおやかな口調のわりに言っている事は容赦がない。一護も概ね同意見ではあるが。

 

「桜さんもご一緒にどお!? 行かない? 行かない?」

「ごめんなさいね、その日はまだ予定が分からなくて」

 

 ここぞとばかりに啓吾が誘いをかけるが、やんわり断られている。

 残念がってブーブー言う啓吾に「無理強いすんなよ」と忠告するが、いつにも増してテンションの高い友人は話を聞かない。

 

「でも一緒に行きたいのーーっ!! んじゃあ一護は絶対来いよ!」

「行かねえっつってんだろ」

 

 とはいえ、なんだかんだ行くことになるだろうと思っている。家族の半数が大層乗り気とあっては、放っておくのも気が引けるものだ。

 

「一護くんは行かないの?」

「あー、俺、心霊番組とかその手のやつ嫌いなんだよ」

「へぇ、意外ね」

「意外?」

 

 思わぬ言葉に桜の顔をまじまじと見る。涼しい顔で彼女は答えた。

 

「一護くんはそういうことに関心ありそうだから」

「そ、そうか……?」

 

 関心とは妙な言い方をする。

 物心ついた時から霊が見えていて、今では悪霊相手に切った張ったしている一護からすれば、心霊番組に出るような本当に視えているかどうかすら定かではない霊媒師などに興味は湧かないが、桜にはいったい自分がどのように見えているのだろうか。

 

(あ、でも死神的には行ったほうがいいのか?)

 

 公開収録が行われるのは廃病院だ。心霊スポットの例として真っ先に挙がるような場所なので、十中八九霊がいるだろう。

 経緯はともかくルキアも行くらしいので、インチキ霊媒師はともかく、見に行くくらいのことはすべきなのだろうか。

 

 その時、うなじに刺すような視線を感じて、一護は勢いよく背後を振り返った。

 窓際の後方からは教室全体が見渡せるが、誰かがこちらを見ているということはない。

 授業前のどことなく弛緩した空気はいつもと変わらない。席の埋まり具合はまばらで、友人と歓談に興じる者もいれば、我関せずとばかりに席に座っている者もいる。

 

(……気のせいか?)

 

 連日連夜虚と戦っているせいで、気配に過敏になっているのだろうか。睡眠時間が削られるのにはもう慣れたと思ったが、もしかすると寝不足かもしれない。

 教室に入ってきた教師の「おーい、授業始めるぞ」の声で、あちこちに散っていた生徒がぞろぞろと席に戻っていく。

 一護も、大人しく席に着いた。

 

 

 

     /

 

 

 

 週に一度、部活動が休みの日がある。手芸部が部室として使っている被服室は常であれば放課後は賑わいを見せるが、今日はがらんとしていて、石田と桜がぽつぽつと交わす話し声だけが広い部屋に響いている。

 桜は帰宅部で、いつもなら放課後は学校の図書室に行くか帰るかの二択なのだが、今日はどちらでもなく、石田の用が終わるのを待つことにしたらしい。先ほどまで本を読んでいたのだが、飽きたのか石田の手元をじっと眺めている。

 

 四月の頭に彼女と出会ってからそろそろ三か月が経つ。行動を共にするのもだんだん当たり前になってきた。

 が、未だに彼女の静謐な横顔を見て心臓が跳ねることがある。もうこれは慣れるとかそういう問題ではないのかもしれないな、と石田は半ば諦めている。

 

 端がほつれたハンカチの修繕を終え、持ってきた紙袋の中から取り出した純白の衣装を広げる。石田家に代々伝わる伝統的な滅却師の衣装である。ズボンの裾直しのために持ってきたのだ。ハサミで糸を切ってから針を入れていく。

 

 それにしても、充分に冷房の効いた部屋の快適さといったらない。石田は節約のために家ではまずエアコンをつけないので、荷物を持ってくるのが多少手間でも、可能な限り学校で作業をしたい。これからどんどん暑さが厳しくなってくるのかと思うと今から辟易する。

 

「石田くんは行くの? 水曜日」

 

 ふいに桜が尋ねた。 

 何がと訊くまでもなく、桜が「胡散臭い霊能者の公開インチキ除霊ショー」と称した『ぶら霊』の公開収録の事である。

 手を止めないまま石田は答える。

 

「どうかな。興味があるわけじゃないから」

 

 ドン・観音寺については名前くらいは聞いたことがあるが、番組を観たことはない。なにせ石田の家にはテレビがないのだ。

 

「まあ、そうよね」

 

 桜も随分興味がなさそうだ。滅却師からすれば、多少霊感が強い程度の霊能者など意に介すようなものでもない。

 

「でも一護くんは行くみたいよ」

「……行かないって言ってなかったかい?」

 

 始業前に教室の片隅でわいわい話していたのは聞こえていた。

 

「行くでしょ。今は彼がこの街の死神なんだから」

 

 なにやら一護の事を解っているような口ぶりである。へえ、と言いつつ、気に入らないな、と思った。

 

「そういえば、随分一護くんのこと睨んでたわよね」

 

 本当に目の敵にしてるのね、仕方ないけど、と桜はのんびりとした口調で言う。

 今朝一護を見ていたのはそれだけが理由ではないのだが、わざわざ言う必要もない。石田は口を閉ざした。

 

 

     ◇

 

 

 数日後、水曜日の午後七時過ぎ。

 結局、石田は行くことにしたし、桜も来た。

 

 廃墟となった松倉病院前には大勢の見物人が集まっていた。

 桜はいつもの黒いワンピース姿で、人だかりを物珍しそうにきょろきょろ見回している。

 

「こういうの珍しい?」

「……そうかも。わたし、こういう人がたくさん集まるところに来るのあんまりなかったから……」

 

 石田の言葉に、彼女はこくんと頷いた。その仕草はどこか幼さを帯びている。

 日本に来てから初めての体験が多いという桜だが、故郷にいた頃からイベントや行事への参加経験は少なかったらしい。それについては石田も似たようなものだ。

 

 とうに日は落ちていたが湿気の多い夜で、喉の渇きを覚えて石田は自販機で二人分のジュースを買った。普段は炭酸などあまり飲まないが、今日くらいはいいだろう。

 冷えた缶を二本持って戻ってくると、桜のそばには織姫と竜貴の姿があった。

 

「井上さんに有沢さん……?」

 

 二人で一緒に来たのか、見慣れない私服姿の彼女達は、石田の顔を見るなり目を丸くする。

 

「あ、え、石田くん!?」

「まじで桜と一緒だったの!?」

「だから、そう言ったじゃない」

 

 なぜか大袈裟なほど驚く彼女達に、桜は呆れたように肩をすくめている。

 そんなに意外だっただろうかと思いながら、石田は手近な一本を桜に差し出した。

 

「はい。喉、乾いてると思って」

「え、」

 

 差し出された缶を凝視したまま、桜の動きが止まる。まるで得体の知れないものを突きつけられたかのような、奇妙な間が流れた。

 

「もしかして、いらなかった? 炭酸飲めない?」

「あ、いや……、そういうわけじゃないの。……ちょっと、驚いて」

 

 ようやく受け取った末の「ありがとう」という声は、どこか上滑りしている。

 すぐに彼女が鞄から財布を取り出そうとしたので、石田は反射的にそれを制した。

 

「いいよ。大した値段じゃないし、僕が飲みたかっただけだから」

「────」

 

 再び桜の動きが止まる。彼女は面食らったといった様子で、石田をまじまじと見つめてきた。

 

「でも、悪いわ。ただでさえあなた、一人暮らしで……その、節約しているでしょう」

「君だってそうじゃないか」

「わたしは石田くんほど切り詰めてないし。……それに、こんな……」

 

 消え入るような呟きは最後まで聞き取れなかった。赤い瞳が、困惑と驚きが混じったような色に揺れている。

 余計なお節介だったかと内心焦っていると、二人のやり取りを眺めていた織姫と竜貴がぽかんとしたまま言った。

 

「石田くん、桜ちゃんとほんとに仲良いんだね」

「……付き合ってるの?」

 

 竜貴のストレートな問いに、まさか、と石田は肩をすくめた。

 今までも何度か訊かれたことのある質問だ。答えは決まりきっていた。

 

「別に。ただのクラスメイトだよ」

「へえ……」

「ふーん……」

 

 納得したのかしていないのか、二人の眼差しは妙に浮ついている。……これがクラス中に広まると厄介どころの話ではない。

 石田が必死に口止めをしてから視線を戻すと、桜はまだ開けていない缶を両手で包むように持っていた。

 冷たい結露が指先を濡らしているのも気にせず、彼女はそれをじっと見つめ──それから、爪先を缶のプルタブに引っ掛けた。

 

 

     ◇

 

 

 織姫と竜貴が去ってもからも奢り奢られの押し問答は続いたが、結局は石田が粘り勝った。

 桜はなんとなく不満そうだったが、缶の中身はすっかり飲み干していたようだし、「……ありがとう」と再びお礼を言われたので、嫌だったというわけではなさそうだ。

 

 やがて収録が始まる。テレビ局の人間が霊の領域に入り込んでから空気が一気に淀みだし、病院に取り憑いた霊は聞くだに恐ろしい呻き声を上げている。それにまるで気づかない人間ばかりかと思いきや、存外そうでもない。特にクラスメイトにその傾向があるようだ。

 ドン・観音寺の浄霊方法とやらが見れたものではなかったので思わず飛び出そうとした石田だったが、一護に先を越されてしまった。生身である自分が出ては間違いなく騒ぎになっただろうから、そのあたりは助かったといえよう。

 その一護は死神化して、虚に堕ちた霊と、なぜか観音寺を連れて病院内に入っていった。室内に入ってしまっては身の丈ほどもある刀を満足に振るえないだろうに、何か策でもあるのだろうか。

 

(……いや、違うな)

 

 虚は霊的濃度の高い魂を狙う。霊体である死神化した一護や、霊が見えている観音寺は格好の餌食だろう。虚は必ず二人を追い、そして人のいない建物の中に入ってしまえば、少なくとも戦闘の余波で観客に被害が及ぶ事はない。

 つまり黒崎一護はそういう戦い方をする奴だという事だ。

 

 石田は無言で眼鏡のブリッジを押し上げた。眼差しが冷えていくのが自分でも分かる。

 

 突如壁が崩れ、爆煙と共に虚と一護が顔を出した。彼らはそのまま屋上に駆け上がっていく。

 それを最後まで見ることなく、石田は踵を返した。

 

「……帰るの?」

「見たいものは見れたからね」

 

 元より目当ては黒崎一護だったのだ。もし虚が出るのなら彼の虚退治の現場を見れるだろう、と。目的が果たされた以上、この場所にもう用はない。あの虚がどうなるかは、見届けずとも分かる事だ。

 

「君は残っていいんだよ」

 

 石田の言葉に、桜はあっさりと首を振った。

 

「わたしも帰るわ。あのナントカって霊媒師に興味もないしね」

 

 揃って人だかりから離れる。屋上から届く物々しい気配は、やがて消え失せることだろう。

 ──遠ざかる石田と桜の後ろ姿を、和服姿に下駄を履いた男がじっと見つめていたことに、石田は気づかなかった。

 

 




次回、石田クソデカやらかし回(撒き餌で虚ホイホイ事件~メノスもいるよ!)
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