THE CHERRY BLOSSOM AND THE RAIN 作:さーもんありなん
瞬時に足元の霊子を固め、即席の足場を作る。
身体に染みついたその動作は霊子を操るという意識すら必要とせず、ほとんど無意識に行われる。滅却師であるならば誰でもできることだ。
空中を蹴って駆け上がり、眼下に広がる街を見下ろした。
道路に区切られた区画に、規則正しく立ち並ぶ建物の数々。その隙間をうじゃうじゃと這い回る虚はまるで虫。それも、とびきり悪質な害虫である。
害虫は地を這うばかりではない。上空に立つ桜を追いかけて、一匹の虚が飛翔してきた。
「ギシャアアアァァァ!!」
獲物を追い詰めるための威嚇の咆哮。だが桜にとっては、聞くに堪えない叫びでしかない。
お前はいったい誰に向かって、そんなふうに醜く吠えているのか。
絶対零度の眼差しで、桜はその虫を見下ろした。
「鬱陶しい──」
晒された無防備な咥内に向けて矢を放つ。
片手で持った短弓による一撃。たったそれだけで、虚はあっさりと塵に還った。
辺りを漂いながら機を伺っていた複数の虚が、尻込みするように後退していく。先ほどまで単なる獲物でしかなかった桜の力を目の当たりにして、危険だと判断したのだ。
虚は知能が高くなればなるほど、より濃度の高い魂魄を求めて策を弄することを覚えるが、同時に分別もつくようになる。喰らおうとしている相手が己が敵う相手かどうかが。
じりじりと後ずさっていた虚たちは、桜が動こうとしないのを見ると背を向けて遠ざかっていく。
狙いを変えて地上へ向かおうとするそれらを横目に、霊子を操って短弓を長弓に換装する。両手に持ち換えた弓に矢を番え、弓を引き絞り、放つ。
ヒョウ、と空気を裂く音。
矢は空中で無数に分裂し、細かな光の雨となって地上に降り注ぐ。
それはまるで白昼の流星群。光の
目視できる範囲の虚は掃討した。地上を這っていた虚もいくらか巻き込めたので、これでひと息つけるはずだ。
──と思った途端、後から押し寄せるように虚の気配がやって来るのを感じ、うんざりする。
「まったくキリがないわね……」
これではため息も出ようというものだ。
一匹一匹は取るに足らない程度の雑魚だが、払っても払っても湧き出てくる。大量といってもいいそれは、ただの撒き餌に釣られてきたにしては異常な湧きだった。
桜は天を振り仰ぎ、それを鋭く見遣った。
地上数百メートルの位置に立つ桜よりも更に上、空そのものが重たく歪むように、大きなひびが走っている。
そこから伝わってくる、重く、乱れた魄動。雑魚虚がいくら湧いたところで、こんなものが生じるはずもない。
滅却師の使う撒き餌は、凝縮した霊力を密度の高い霊子で編んだ器に閉じ込めたものだ。
器が砕かれれば中の霊力が一定範囲に拡散し、周辺の虚をおびき寄せるという仕組みだが、拡散した霊子はすぐに大気に溶け込んでしまうため、効力を発揮する時間も範囲もたかが知れている。滅却師にとって虚は危険なものなのだ。やたらめったらに集めて手に負えなくなるなど冗談にもならない。
だが今の状況は、明らかに撒き餌の効力の範疇を逸している。
やはり、何かあるのだろう。
石田曰く、四月に入ってから前触れなく上昇した虚の出現率も。
高い霊圧に反してこれまで一切虚と接触したことがなかった一護が、ある日突然力に目覚めたことも。
すべては偶然ではない。いずれも作為的に引き起こされた異常なのだ。
そしてその異常に、あの男も気づいている。
「浦原喜助……」
家を出た直後、街の二か所で急激な霊力の高まりを感じ、そのうちの近かった方に向かった桜は、織姫が虚を自力で撃退する一部始終を目撃した。
そして織姫が倒れた直後に現れたのは、妙な帽子に下駄を履いた男──浦原喜助だった。
彼のそばには握菱鉄裁がおり、その背には茶渡が背負われていた。茶渡の霊圧の変化から察するに、織姫と同じように茶渡も自身の力で虚を退けたのだろう。
気づかれると厄介だと思い早々にその場を離れたが、後に霊圧を探った限りでは、織姫と茶渡はそのまま浦原が保護したようである。
織姫と茶渡は過去に死神姿の一護と接触している。それを境に彼らの霊圧が少しずつ強くなっていることは気づいていたが、まさかあんな
人間が人間の規格を保ったまま、人間以上の力を手にする。
知識だけだが、桜はその能力に覚えがあった。
(……確証はない。
織姫と茶渡の能力については後回しでいい。興味はあるが、優先順位は低い。
浦原は先日の廃病院での事件の際も、石田と桜を見ていた人物である。むしろあれは石田ではなく、桜を見ていたのだろう。
油断ならない相手である。彼と繋がりがあるとされる二人の男を含めて。
何にせよ、桜は自分の目的を果たすまで。
誰かが、あるいは何かが動き出すとして、それはこの騒ぎが収束した後だろう。
桜は強く宙を蹴り、地上に向かった。
/
「何だったのだ、今の光は……」
朽木ルキアは呆然と空を見上げた。
つい先ほどの事。突如空が眩しく光った──と思ったら、上空から光が降り注いできたのだ。それは雨のように細かでありながら、鋭い矢のような殺傷能力を持っていた。
思うように動かない義骸での戦闘で追い詰められていたルキアは、相手にしていた虚が光に撃たれて消滅し、危機を脱したのだった。
「光の矢……石田もそんなものを使っていた。滅却師の力なのか? だが石田とは霊圧が違った……」
「姐さーん!」
「コン!」
佇んでいたルキアの元に、コン(体は一護)が駆け寄ってくる。
「無事でよかった姐さん! さっきの光なんだったの!? てか俺一護に何か頼まれてたんだけど忘れちまった!」
「ええい、落ち着け! いっぺんに喋るな!」
「あうっ! 姐さんのいけずっ」
どさくさに紛れて抱きついてこようとするコンを足で押し退ける。
コンが一護の肉体に入っているあたり、一護は既に死神化して町中を走り回っているのだろう。足の下でもごもご動いているコンはその一護に何か持ってくるように頼まれていたらしいが、肝心の要件は忘れているようで要領を得ない返事しか返ってこない。
その時、人の気配を感じてルキアは顔を上げた。
「よかった……ここも無事だったみたいだね」
現れたのは石田だった。疲労と焦燥の滲む顔に汗を浮かべ、指先からは血が滴っている。言葉に反してその表情は厳しい。
コンが「てめーが蒔いた種だろ! 街中の人間殺す気で始めたくせに何言ってんだ!」と声を荒げるのを聞き、ルキアは眉をひそめた。
「そうか……やはりこの騒ぎは貴様の仕業だったか」
街の異常を感じて浦原商店を飛び出したルキアだが、どうにも状況を把握しかねていた。はっきり分かっているのは、ただ虚が大量に発生しているという事のみ。
昨日の今日というタイミングと、浦原から聞いた話である程度察しはついていたが、やはり石田が関わっていたようだ。
「……その通りだ、これは僕の始めた戦いだよ」
だが、と。
険しい表情のまま、石田は言う。
「僕はこの街の人間を誰一人死なせるつもりはない。たとえ黒崎一護が力尽きようと、僕が命に代えてもこの街の人間を守り抜く!」
強気な言葉は固い決意の現れだった。それは自分を追い込んでいるかのようだったが、隠しきれない悲愴感が滲んでいるような気がして、ルキアは密かに息を飲んだ。
浦原から話を聞き、石田がこうも死神を憎むのは二百年前に死神が滅却師を滅ぼした戦いが原因だと思っていたが、それだけではない理由があるのではないかと、そう思わされた。
「僕が全てを虚から守り通すんだ。それができなければ、この戦いの意味などない……!」
「──では、先ほどの光も貴様か」
「……いや。さっきのは確かに滅却師の矢だった。けど僕じゃない」
「何?」
訝しむルキアに対し、石田は先ほどの光が何なのかわかっているようだった。
何かを堪えるような渋い表情で、石田は空を仰ぐ。
「……やっぱり、もっと遠ざけておくべきだったか……」
石田がそう呟いた時、よく知った霊圧が近づいてくるのを感じ、ルキアは背後を振り向いた。
「──やっと見つけたぜ、石田ァ……!!」
「黒崎……!!」
大刀を肩に担ぎ、不敵な笑みを携えた黒崎一護がそこに立っていた。
/
ひび割れた爪は指先に力を入れるたびに血を流し、痛んだが、それでも弓を引き続けた。矢の威力は落ち続けている。一射だけでは足りず、二射、三射と打ち虚を仕留める頃には、別の虚が寄ってきている。
事態は自分の手に負えないまでに膨れ上がり、悪い方向に進行していた。
石田は焦燥に歯を噛んだ。奥歯がギチリと嫌な音を立てる。
元より周囲を巻き込む強引な手段だと分かっていた。それでも強行したのは、死神を逃がさないためだ。すべては
そう強く誓ったはずなのに、こうして追い詰められている。自分の弱さが腹立たしくてならなかった。
(こんなものだったのか、僕は……!)
死神が許せないのはあくまで個人的な感情だ。だから一人で決着をつけるつもりだった。
彼女を巻き込むつもりは、本当になかったのだ。
少し前、空から降り注いだ光を見て、滅却師の矢だとすぐに理解した。そんな事ができるのは、石田の他には桜しかいない。
失敗した、と思った。
この行いが自分の意地でしかないと、石田はわかっていた。死神に滅却師の力を証明して、それでどうなるわけでもない。ましてや、死んだ祖父が戻ってくるなど考えたこともない。
それでも、何もせずにはいられなかった。目の前で大切な人が死んでいく──それをただ見ていることしかできなかったあの時の、身も心も凍りつくような感覚がいつまでも忘れられなくて。
その憎しみを否定するでも肯定するでもなく、ただ理解して受け止めてくれた彼女を自分の都合で振り回すのは、信頼を裏切る行為だと思った。
だというのに、このざまだ。桜は戦いに介入し、自分は追い詰められている。情けなくて笑えもしない。
しっかりしろ、と己を叱咤する。
(今までずっと一人でやってきたんだ。この程度、切り抜けられなくてどうするんだ──!)
強く弓を握った石田の元に、一護が虚の山を蹴散らして現れた。
一護はどうやらルキアから二百年前の滅却師滅亡の件を聞いたらしいが、石田にはまるで興味のないことだった。
「二百年前の滅亡話なら、死神側の方が正しいよ。けど、僕が言ってるのはそんな事じゃない」
「……あ?」
遠い時代で起こった過去の出来事に対して抱く感情は憎しみではない。実感の伴わないそれは、正義感から来るただの義憤でしかない。他人事などで、人は他人を憎めない。人が憎しみと呼べるほどの激情に駆られるのは、自分にとって大切な何かを踏み躙られた時だ。
思い出すだけで胸に鈍い痛みが走る。
悔しくて、やりきれなくて堪らない。
あんなふうに無残に、殺されていい人ではなかったのに──!
「──わかるかい、黒崎一護。僕は
そうだ、弱気になってる場合じゃない。まだやれる。やらなくてはいけない。負けるわけにはいかない。
この戦いがただの意地に過ぎなくても、自分自身でそうすると決めたのだから。
「僕と君の考えが正反対であることはわかっている。元より理解してもらおうとも思っていない」
そう突き放すように言い放ち、石田は一護に背を向けた。
背後の人物が言葉を失くすのを感じ──けれど次の瞬間、石田は強く肩を掴まれ、強引に振り向かされた。
「おめーのセンセイの一番の望みってのは、死神に滅却師の力を認めさせることじゃなくて! 死神と力合わせて戦うことだったんじゃねえのかよ!?」
目を見開く。
……叩きつけるような言葉は真っ直ぐすぎて、矢が心臓に突き刺さるようだった。
刀を構え、不敵な笑みを浮かべながら、一護は言い放った。
「死神と滅却師は正反対、結構じゃねえか! 大人数相手のケンカなんてのは、背中合わせの方が上手くやれるモンだぜ!」