夏芽の掌の上――淡い青だった宝石は、今や青墨のような黒に飲まれていた。
深部にはかすかに光が残っている。それでも、もはや自力での浄化は不可能に近い。
柚依も同じだった。助けられたはずの命は、既に次の絶望に追いつかれようとしていた。
「……回収、しないと」
柚依が微かに呟いた。
夏芽はその言葉を聞いて、顔を上げた。
「グリーフシード……?」
柚依は頷いたが、指先に力が入っていない。
「……今回の魔女は、核の崩壊が急すぎた。再結晶の前に粉砕されて……種にならなかった」
つまり、ソウルジェムを浄化する手段は、もうここにはない。
沈黙が落ちる。雨は止んだが、肌を刺すような空気の冷たさが二人を縛っていた。
その時――
ピピッ、と電子音が鳴った。
二人のリストデバイスが同時に震える。魔法機関からの緊急通達。
夏芽が画面を覗くと、そこには簡潔な文言だけが表示されていた。
> 【第六特別指定:灰域個体の発生予兆】
> 魔法少女・詩島柚依、槻夏芽に対し、即時の“保護措置”を推奨する。
> ※ソウルジェムの深度確認により、変異の危険性を高と判定。
「……っ!」
夏芽は反射的に柚依を庇うように一歩前へ出た。
保護措置。それはすなわち、“封印”または“隔離”のこと。
魔女化の前兆と見なされれば、回復の望みがあっても機関は冷酷に動く。
柚依は笑っていた。泣き笑いのように、苦く、優しく。
「……ほらね。こうなると思ってた」
「黙っててよ、そんなの……!」
夏芽は声を荒げた。息が震える。
「何も悪いことしてないのに、なんで……! 助けようとしただけなのに……!」
柚依は小さく目を伏せた。
「……助けたことが、誰かの規則に背いてたのかもしれない」
「だったらそんな規則、壊してやる」
夏芽の目が鋭く光る。揺らぎながらも決して折れない炎。
「私は、あんたを“盾”なんかにしない。今度はちゃんと、“一緒に”帰るって決めたんだから!」
その言葉が、柚依の頬を濡らした。
今まで、幾度となく命を張りながらも、誰にもそう言われたことはなかった。
「……あったかいな、夏芽は」
「それ、褒めてんの? 馬鹿って言ってんの?」
「どっちもだよ」
ふたりの指先が、そっと絡む。
だがそのとき――
空間が軋んだ。工場跡の入口に、黒い穴のような異空間が開く。
そこから現れたのは、白衣をまとった異様な存在――魔法機関所属の特殊管理官。
瞳はガラス玉のように濁り、魔力探査用の杖を手にしている。
「……詩島柚依、並びに槻夏芽。
ソウルジェムの穢れ深度に基づき、即時の拘束処置を実施する」
機械のような無機質な声が、鉄骨の残響を伴って響いた。
「ふざけないで!」
夏芽が叫び、両手を広げて柚依を庇う。
「自分の意志で生きてるのに、なんで……! 私たち、ただ……!」
管理官は一歩進み、淡々と告げた。
「その“感情”こそが、魔女を生む温床だと、まだ分からないか」
その瞬間、夏芽の何かが切れた。
怒りと悲しみと絶望と――それでもなお、守りたいという祈りが混じりあい、夏芽のソウルジェムが共鳴音を発した。
黒に沈んでいた宝石が、一瞬だけ逆光のような蒼白の輝きを放つ。
「柚依に、指一本でも触れたら……消し飛ばす」
夏芽の声が、まるで別人のように低く静かだった。
手の中に生成される〈蒼蓮雷刃(ジャッジメント・ロータス)〉。
柚依が慌てて止めに入る。
「やめて、夏芽……それ以上は、戻れなくなる」
「戻るつもりなんて、最初からないよ」
夏芽の視線は、まっすぐに管理官を射抜いていた。
戦闘が始まれば、取り返しはつかない。それでも、目の前の少女を守るためなら――
己の魂すら、捧げる覚悟がそこにあった。