短剣の切先を、わずか数ミリメートルの距離でグリムは身を捻って避けようと試みる。だが、刃はかすかに肩を掠め、鮮血が飛び散った。
「あれれ? しとめられなかった……」
少女は短剣を軽く一閃し、刃についた血液を振り払う。その仕草は遊戯のように無邪気で、恐ろしく残忍だった。
「……あまり僕のことを舐めるなよ 」
グリムは怒りに身を任せようとせず、踏みとどまる。相手の能力が不明な以上、むやみやたらに突撃するのは自らの命を投げ捨てるようなものだ。
「
──
グリムの手のひらが赤々と光を帯び、地面に押し付けられる。瞬間、アスファルトが裂け、亀裂から業火が噴き出した。空気が焼かれて歪み、視界が揺らめく。
「骨の髄まで燃やしてやるよ! 」
轟炎は一直線に少女へ迫る。誰もが命中を確信した、その刹那──。
炎は、少女を中心に半径10メートルでぷつりと消滅した。それも、まるで最初から存在していなかったように。
「……チッ」
グリムは軽く舌打ちをしたあと、間髪入れず少女との距離を詰める。
「どんな能力か知らないが直接触れればいいんだろ! 」
だが、グリムの身体は強制的に引き戻され、再び元いた位置に立っていた。
消えた銃弾、少女の詠唱、消滅した火炎、引き戻されたグリム。
そこから考えられる、あの少女の能力は──。俺は叫んだ。
「グリム! あいつは──」
「わかってる!
グリムの言葉に、ケイトがこちらを振り返った。
「 それ本気で言ってる? 」
「……ああ、ケイト。マガジンの中を確認してみろ」
言われるがまま、彼女はライフルからマガジンを抜き取った。そして、目を見開きながら震える声を漏らす。
「ウソ……、弾が減ってない」
やはり、あの時、放たれた弾薬は消滅したわけではない、元あった位置。つまり、マガジンの中に引き戻された。
だが、無限に時を戻せるわけじゃないだろう。必ず、なんらかの制限があるはずだ。
「エレクシア……タミスを任せてもいいか? 」
俺は腕の中にいたタミスをそっと地面に降ろした。エレクシアは驚いたように目を瞬かせ、わずかに躊躇する。
「……わ、私が……ですか? 」
エレクシアの魔法は治癒や補助が主で、決して戦闘向きではない。残された戦力で正面から立ち向かえるのは俺とグリム、ケイトの三人だけだ。
しかも、目の前の少女が単独で動いているはずがない。必ずどこかに援護が潜んでいる。
「2人は戦闘が落ち着くまで、あの中に隠れていてくれ」
俺は比較的、まだ形を保っている廃ビルを指差した。あの中なら、少なくとも無防備に身を晒すより安全だろう。
「早くしろ! グリムが時間を稼いでるうちに逃げるんだ! 」
説得に費やす余裕は一秒もない。俺の声に押されるように、エレクシアはぎゅっとタミスを抱きしめ、決意を固めた。
「──ッ、わかりました! 」
彼女は必死に走り出す。瓦礫を踏み越え、壊れた壁の影へと姿を消していった。
「逃げちゃダメ!! 」
鋭い叫び声が戦場を裂く。少女が弾かれたように地を蹴り、短剣の切先をエレクシアへ向けて突進する。
しかし、その軌道を塞ぐように、炎を纏ったグリムが立ちはだかった。
「お前の相手は僕だよ! 」
「本当に邪魔ばっかり! 」
幼さを残した少女の顔が、怒りと狂気を露わにする。
だがその刃は、グリムの赤熱した両手によって阻まれた。
ランホアはグリムの手に触れられば死ぬことを、本能で知覚していた。彼女の中での自動的に殺す相手の優先順位がつけられる。最初は、今、目の前にいるグリム、一番5人の中で戦闘力が高い。最も早く排除すべき対象だ。グリムさえ殺してしまえば、あとは雑兵のみ。
『ランホア、援護する! 一度距離をとれ! 』
無線からは、リンリエの声がする。ランホアは距離を取ろうとするが、グリムはそれに合わせて詰めてきて、離れない。
「焼き殺してやる! 」
グリムの手がランホアの顔をに触れようとする、その瀬戸際、甲高い音を立てながら矢が飛んでくる。リンリエだ、彼女が正確に射抜いたのだった。
「──ッ! 」
矢はグリムの右腕に突き刺さった。突如として襲来した苦痛にグリムは顔を歪ませ、わずかに動きが硬直する。
その一瞬をランホアは逃さなかった。
容赦ない一突きがグリムの命を刈り取ろうする──。
グリムは死を覚悟した。この状況で攻撃を避けることは不可能だ。少女の突きは確実にこちらを捉えている。次の瞬間に、激痛を受け入れる暇なく絶命するだろう。かろうじて死は避けられたとしても、確実に致命傷になる。どちらにしろ、二手目の攻撃は不可避だ。
だが、結末は捻じ曲げられた。
「ケイト! 」
すんでのところで、ケイトが間に割り込み、少女の突きを庇っていた。短剣は最も簡単にアーマーを貫通し、肝臓を辺りに深く突き刺さっていた。朱色のそれが閃光のごとく飛び散る。
「あ"、あ"あ"」
濁点混じりの濁った声がケイトの口から漏れる。深く刺さった短剣による激痛はアドレナリンで誤魔化し切れる域を軽々と超えていた。
「お前! 」
レイヴンの叫ぶ声が聞こえる。それと同時に息継ぎのない炸裂音が響いた。
少女に向かって十数発の鉛玉が向かう。当たるかに思えたそれは虚しく、少女の半径10メートル内で無と化した。
だが、それにより、少女とグリムの距離は離れる。グリムはその隙にケイトを抱え込み、走る。
「グリム! 隠れるぞ! 」
レイヴンがグリムのほうに向かってスモークを投げる。白煙が展開され、敵の視界を遮る。
額から嫌な汗が滲み出る。事態は非常に深刻だ。ケイトがやられた、グリムも負傷している。
俺たちは、逃げ込んだ廃墟の中で息を殺していた。猫から隠れるネズミのような惨めさだ。
グリムは必死にケイトの傷を押さえて、止血しようと試みている。
俺は、リグからモルヒネを取り出し、ケイトに打った。痛みは少しばかりマシになるだろう。
「クソッ! 止まらない……」
ケイトは虫の息で、口を微かに震わせながら、声を紡ぐ。
「……私を……置いて……逃げてくれ」
「そんなこと! できると思ってるのか! 」
グリムの怒号が廃墟の中にこだます。彼女の目は今にも涙が溢れそうになっていた。
「僕のために……死なないでくれよ……」
俺の中で、その言葉は強く響いた。一度、浅く呼吸をして、俺は緊張をほぐそうとする。
「……グリム、ケイトを連れて逃げろ」
グリムが大きく目を見開いて、俺を見る。
「お前……正気か? 勝てるわけないだろ! 」
彼女の言う通り、魔法もなにも使えない俺が、あの少女に勝つ確率は1厘も無いだろう。だが、時間をわずかに稼ぐことなら、少しはできるはずだ。
「死ぬ気かレイヴン? そんなこと……許されると思ってるのか! 」
「──俺は、指揮官だ。部下を生きて帰すのが俺の役目だ」
「そんな言い訳、通用するとでも──」
グリムは、言葉を詰まらせた。グリムの目の前に立っているのは、ただの人間ではない。そこにいたのは、大義というものに取り憑かれたカラスだった。
「……わかった。だが、絶対に死ぬなよ」
グリムはそう言い残し、黙ってケイトを抱えて走り去っていった。
廃墟の中には俺1人が残された。扉が蹴破られる音がする。
「あれれ、ひとりしかいない? 」
先ほどの少女が淀みのない澄んだ目で俺を覗く。
俺はライフルを地面に投げ捨てる。
「お前の相手は俺だ」
チェストリグの鞘からナイフを抜く。
おそらく、あの少女の魔法は詠唱を行うか、少女自身に脅威が迫った際に自動的に発動される。よって、ライフルはほぼ無力だ。まだ、ナイフで戦ったほうが勝算はある。
「……別にお姉ちゃんが相手でもいいけど。負けちゃうよ? 」
緊張からなのか、じんわりと汗が滲み出る。呼吸が次第に荒くなっていく。
俺は自らを安心させるために、無理に口角を上げて呟いた。
「上等だ……」