ナイルダン共和国の首都アベシアは米軍による奪還作戦によってついに陥落した。
これにより、共和国の旗は市庁舎から外され、共和国軍と協力関係にあったPMC:華龍安保軍団は撤退を余儀なくされる。
首都近郊──焦げついた土と鉄の匂いが混ざる防衛陣地。
炎に包まれる都市の輪郭をリンリエは黙って見つめていた。
敗北、それは彼女の中で、まだ現実として受け入れられなほど重い意味を持っていた。敵の魔法少女《ゼロ・ゴースト》。あの存在の間にあったのは、単なる力の差ではない──戦い方に対する考え方の格の違い。
リンリエは唇を強く噛み、血の味で悔しさを押し殺した。
「リンリエ! 」
名前を呼ぶ声に顔を上げると、暗闇の中からリファとランホアが現れた。
リファの手には鉄製のマグカップが2つ。そのうちひとつをリファは差し出す。
「コーヒーだ、飲むか? 」
カップを受け取ると、金属の縁がまだ熱を持っていて、指先が一瞬びくりと跳ねた。
香ばしい匂いが夜気に混ざる。焦げた街の臭いをほんの少しだけ打ち消してくれる気がした。
「ありがとう……ございます」
小さく礼を言って口をつける。苦味が舌に広がり、心のざらつきがわずかに溶けていく。
しばしの沈黙のあと、リファが不意に口を開いた。
「……リンリエ、ランホア。私と一緒に逃げないか? 」
あまりに唐突な提案だった。
リンリエの感情は激しく揺らぐ。今まで聞いたどんな作戦命令より、理解が追いつかなかった。
「逃げるってどういう意味……? 」
意味がはっきりとわからないランホアが呟いた。リファはしばらく視線落とし、ゆっくり言葉を選ぶように答えた。
「新しい場所に行くんだ。祖国じゃない、別の国さ」
「マスター! ふざけるのは──」
思わず声を荒げたリンリエだったが、リファの目を見た瞬間、言葉を飲み込んだ。
その瞳には一切の迷いがなかった。炎の光を映しながらも、静かな決意だけが宿っていた。
「……私は、2人の魔法少女としてでなく。1人の人間として生きて欲しいんだ。でも、その願いは祖国にいては受け入れられない。だから、私と一緒に行こう」
夜風が吹き、錆びた鉄板が軋む音が響く。リンリエの手の中にあるマグカップは少し緩くなっていた。リファ、マスターは私たちに新たな生き方、人生を与えようとしている。
ヨーロッパのある国が、私たちの亡命を受け入れてくれた。明日の撤退作戦の混乱を利用して、沿岸に停泊しているその国の艦船と合流する」
焚き火の火がパチリと弾け、リファの横顔を照らした。
その表情は決意に満ちていたが、どこか悲しげでもあった。まるで、覚悟を静かに飲み込むように。
「……でも、もし失敗したら! 」
リンリエの声が、夜気を震わせた。幼いその問いには、恐怖よりも信じたいという思いが滲んでいた。
「そのときは──」
リファは一瞬、言葉を飲み込む。炎の赤が瞳に揺れ、やがて静かに続けた。
「私が無理やり君たちを連れて逃げようとした、そう報告させる。責任は全部、私が負う」
その言葉は、ひどく優しく、そして残酷だった。
ランホアは唇を噛みしめ、うつむいたまま首を振る。
「……マスターがいなくなっちゃうのは、嫌だよ」
リファは少し微笑んで、そっとしゃがみ込む。
ランホアの髪を指先で梳くように撫でながら、子どもを安心させるように言葉を落とした。
「大丈夫だ、ランホア。私はいなくならない。これが成功すれば──ずっと、3人一緒にいられる」
「……ほんとう?」
ランホアの目が、夜の灯のように潤んだ。
「本当さ。約束する」
リファが小指を差し出すと、ランホアは満面の笑みを浮かべて、その指に自分の小指を絡めた。
そのまま彼女はリファの胸に飛び込み、ぎゅっと抱きしめる。
「うふふ……新しい場所、すっごい楽しみ! どんなところかな!」
無垢な声が、夜の空に溶けていく。
その笑顔を見つめながら、リンリエは胸の奥に得体の知れない痛みを覚えた。
──
リファの言葉が、どこか遠くの祈りのように響いていた。
夜明けが訪れ、まだ、うっすらと暗闇が残る空を米軍のヘリコプターの群れが駆けていく。
彼らの使命ははただひとつ──敵の残存部隊の完全なる殲滅。
首都近郊にある飛行場から、PMCの残存部隊が撤退しようとしていた。それが、米軍の獲物だ。本来なら、見逃してもいいものを執拗に追う理由は、彼らを
ヘリコプターの中は殺伐とした緊張感に包まれていた。グリムは目を閉じて、なにかを反芻していた。
「ケイトの仇」、そのグリムの言葉は深く、重かった。
「レイヴン、覚悟はできたか? 」
隣に座るグリムが、低く呟く。グリムの目には尖った殺意が表れていた。
「……ああ、必ずあいつを斃すぞ」
俺はライフルの薬室に弾薬が装填されているのを確認しつつ、答える。
「なんか2人ともあれやな。めっちゃキマってんな」
目の前に座るゼロ・ゴーストが舌を見せながら笑った。
「うちも混ぜてくれや。それとも3Pは嫌なんか? 」
その言葉はグリムの逆鱗を逆撫でした。グリムは立ち上がり、ゼロ・ゴーストの胸ぐらを掴みあげる。
「お前……ふざけるのも大概にしろよ? ここで、殺してやってもいいんだぞ? 」
「おうおう、もしかして絞首プレイが好きなんか? グリムちゃん」
ゼロ・ゴーストは相変わらずグリムをからかう。グリムは拳を握り締めて、ゼロ・ゴーストに振りかざした。
「やめろ、グリム。そいつは気にするだけ無駄だ」
俺はグリムの腕を掴む。力のこもった腕はわずかに震えていた。
「……ゼロ・ゴースト、やめろ」
獅子の唸り声のように低い声が、ヘリの中に反響する。それはTF17の隊員のものだった。隊員はホルスターの拳銃に手をかけていた。それに気づいたのかゼロ・ゴーストは悪態をついて、引き下がる。
「堪忍してや指揮官。ちょっと場を和ませようとしただけ──」
「いいから黙れ。余計なことは口にするな」
隊員の明らかな殺意が、ヘリの中に注がれる。ゼロ・ゴーストは軽く舌打ちした後、首を曲げ、ポキリと音を鳴らした後、黙った。
俺は肩から力を抜く。ゼロ・ゴーストの軽薄な態度は非常に腹立つが、今は感情を出す時ではない。押し殺せ。任務を遂行することが優先だ。俺は浅く息を吐き、告げた。
「……グリム、行くぞ」