レイヴンはリファの足元を注視する。
左か、右か──どちらを出すかで攻撃の軌道を読める。踏み込みの瞬間に見切って回避し、反撃する。それがこの距離での最善手。
静寂。
互いの呼吸音だけが、格納庫の薄闇に溶けていく。
どちらも動かない。どちらも狙っている。相手の
この間合いでの一瞬の油断は死を意味する。
それを理解しているからこそ、二人はとも動かない。
空気が張り詰め、指先ひとつ動かすことすら重く感じられる。
──先に動いたのは、レイヴンだった。
レイヴンは右足を滑るように前へ出す。
同時にナイフが鋭い弧を描き、リファの肩口めがけて突き落とされた。
金属の閃き。リファは即座に一歩下がり、反動を利用して横薙ぎに刃を振る。
風が鳴り、ナイフの切先がレイヴンの首筋をわずかに掠めた。
赤い線が細く走る。
「……」
レイヴンは無言で傷に触れた。
血管をかすめただけ、浅い。だが、あと数センチ踏み込みが深ければ喉を裂かれていた。
それでも焦りはない。むしろ、視界が研ぎ澄まされ、鼓動さえも冷たく感じる
「チッ……」
リファは舌打ちする。
ナイフを逆手持ちに切り替えて、腰を落とした。
大振りな動きは禁物だ、隙が生まれやすい。必要最低限かつ最小の動き、そして致命。
狙うは一点を通す刺突で心臓か頚部の破壊。
防弾アーマーは刃物による刺突攻撃を無効化することが困難。よって、胸部を狙い致命傷を与えることが可能。しかし、一撃のもとに仕留めない限り、致命的な反撃を受ける可能性が高い。手負いの獣は躊躇いがなくなる。失うものがあるから命は躊躇うのだ。
『
それは、リファが何度も戦場で学んできたことだった。
──レイヴンが再び踏み込む。
今度は単純な直突き。余計な動きは一切ない。だが、その速さは目で追うのがやっとだった。
リファは刹那、相手の腕を掴み、体を捻ってナイフをレイヴンの脇腹へ滑り込ませようとする。
金属が悲鳴を上げた。
レイヴンが自分の手で、リファの刃を掴み止めている。
掌から血が滴るが、それでも離さない。歯を食いしばり、レイヴンは刃を押さえ込んだ。
レイヴンのブーツのつま先がリファの脇腹に深く突き刺さる。体重が乗り、鈍い痛みがリファの腹に響いた。
反撃の一撃。
リファは呻き声を漏らしながら腕を振りほどき、体を横へずらしてナイフの慣性を逃がした。刃は空を切り、アーマーの表面を擦っただけで止まる。紙一重の差で、致命傷を避ける。
数秒の静寂。互いに呼吸を整え、再び距離を測る。その間合いの中で、リファが低く問いかける。
「……お前は魔法少女の魔法がどこから来るか、知っているか? 」
レイヴンは一瞬だけ動きを止め、耳を傾ける。問いかけに含まれた静かな怒りが、格納庫の空気を重くする。リファは続けた。
「魔法少女の魔法のエネルギー源は彼女たち自身の寿命、命そのものだ」
その言葉が落ちると、レイヴンの目が大きく見開かれた。薄暗い格納庫に、ひとつの真実が突き刺さる。
命がエネルギー源、それなら、彼女たちは──。
「気づいたようだな。魔法少女は魔法を使うと遅かれ早かれ、18で死ぬ。それが彼女たちの
リファの体が小さく震えたのは、真実の残酷さに対する怒りの反応だった。国家が、組織が、知りながら彼女たちを兵器として扱ってきた。その現実を思えば、憤りが胸を焦がす。
「それを知りながら、国家は、私は、彼女たちを
拳を固く握りしめる。掌に力が入るたびに、抑えきれぬ感情が滲む。しかしリファは言葉を続ける。静かだが確かな口調で、問いかけるように、問いかけ続ける
「お前、知らなかっただろう? 魔法少女たちがどんなふうに戦わされてきたか、ただただ、国家や宗教のために使われる彼女たちのことを、一切、何ひとつ教えられて来なかったんだろう? 」
レイヴンは言葉を失った。胸の中で矛盾と問いが渦巻く。
──もしこれが事実なら、タミスは、グリムは、エレクシアは、いったいどうなるのか。
答えのない疑問が、二人の間に冷たい影を落とす。
「私ができる償いは、あの子達に新しい世界を与えると──」
リファが踏み込む。床を割るほどの勢いで一歩を放ち、鋭い刃が一直線にレイヴンへと走る。
「──その世界に、お前は邪魔だ! 」
レイヴンは反射的に構え直す。だが、リファの言葉が脳裏を離れなかった。
新しい世界という響きが、まるで呪いのように頭の奥で反響する。
わずかに、遅れた。
ほんの数分の一秒。だが、それで十分だった。
ナイフの切っ先が閃光のように突き出され、レイヴンの脇腹を貫く。
「ア"ア"ッ! 」
内臓が金属で抉られる感覚。熱い痛みが弾け、身体の芯まで響いた。息が止まり、視界がわずかに揺らぐ。
クソ! 完全に気を取られた。
リファは声を荒げて叫んだ。
「致命傷は避けたか! 」
だが、返事の代わりにレイヴンの瞳に闘気が戻る。
痛みを押し殺し、ナイフを握るリファの右手を掴み取った。
「ぐっ……! 」
骨が軋む音。レイヴンの手はまるで鉄の鉗子のように食い込み、リファの指の動きを封じる。
そして、掴んだ勢いに任せ、刃を向ける。
「ア"アアアアアアア! 」
逆手に持ち替えたナイフを一閃。
鋭い弧を描きながら、リファの喉元へと突き出した。
金属が空気を裂く音が、鼓膜を震わせる。
リファは震える指先で、ゆっくりと自分の喉元へ触れた。
そこには、確かに冷たい金属の感触。
ナイフの刃が深々と突き刺さり、指の隙間から温かな血があふれ出していく
「……あ……」
掠れた息が喉の奥から漏れる。声にならない。
視界の端が滲み、世界がゆっくりと遠ざかっていく。
リファはその場によろめき、背後の壁に体を預ける。冷たいコンクリートが背中に当たり、そこから伝わる冷気が、逆に自分の体温を際立たせた。
指先が震え、膝が崩れる。もう、立ってはいられなかった。
意識が途切れ途切れになり、全身から力抜けていく感覚……自分は死ぬのだ。ここで……潰える未来だったのだ。
自らの命が静かに、そして確実に零れ落ちていく。
「……マスター……? 」
小さな声が耳に届いた。
リファは重くなったまぶたをわずかに上げる。そこに──見慣れた少女の姿。
「……ランホア」
微かに唇が動いた。
声はもう掠れ、呼吸のようにしか聞こえない。
ランホアは泣きそうな顔で駆け寄り、血に濡れたリファの身体を抱きしめた。
その小さな腕が、今にも壊れてしまいそうなほど必死に、自分を包み込む。
「すま……ない……守れなくて……すまない……」
リファの瞳から涙が零れた。
それは痛みでも、恐怖でもない。たった一つの、愛しい後悔の証。
ランホアの頬がリファの頬に触れ、彼女の体温が遠のいていくのを感じた。
「……ランホア……」
息のような声が、最期の言葉になる。
「あい……してる」
唇がわずかに動き、微笑を残したまま。
リファの瞳は静かに閉じられた。
抱きしめるランホアの腕の中で、彼女はもう二度と動かなかった。