臨時で作られた拠点の一室、そこでレイヴンは呆然としていた。
あの後のことはなにも覚えていない。歴史上、核が人間を虐殺したのは今日に渡るまで2回だけだった。違う、あまりにもそれは残酷すぎて使うことができなかったのだ。使ってしまえば世界が終わるから。
だが違った。あの瞬間、誰かが平然とそれを使った。そして、数えきれないほどの兵士を、人間を殺した。
ただひたすらに、戦場に死が蔓延していく。それも1秒経つごとに、数十、数百と。
今にも、あの瞬間の、あの一瞬、空へと昇っていくキノコ雲が目の前に蘇りそうだった。
拠点に運び込まれてくる兵士たちを見た。彼らは首都の近辺に展開していた兵士たちだった。爛れた皮膚の隙間から溶けかけた骨が見えた。ひたすら聞くことを躊躇うほどの呻き声を上げ続け、焼かれて溶けた目を探していた。おおよそ人がしていい姿ではなかった。
もしも、もしも首都に投入されていたら……
考えるだけで息が詰まる。運が良かった、そうとしか言いようがない。
タミスも、エレクシアも、グリムも無事だ。
だけど、あの爆風と熱波が通り過ぎた瞬間、彼女達のことすら、俺は考えられなかった。
エレクシアは負傷兵の治療に駆り出されている。きっと、あんな悲惨な姿の兵士を見て深く傷つくだろう。だが、俺はそれをどうすることもできない。圧倒的な力の前に無力な自分が情けなくなる。俺のできることはなにも……ない。
「お姉ちゃん……? 」
か細く震える小さな声、タミスだ。
タミスの声はドアの向こう側から聞こえる。
「入っても……、いい? 」
俺は少し唇を噛む。きっと、今の表情ではタミスを不安にしてしまう。
無理に口角を引きつらせてから返事をした。
「……ああ、いいぞ」
その声は明らかにうわずっていた。
ドアノブが回されるとゆっくりと扉が開かれる。
そこには口を八の字に下げてうなだれるタミスがいた。
「っ……」
一瞬、目から涙が溢れそうになる。目じりに溜まった水滴を親指でなじりとる。
「お姉ちゃん! 」
タミスは顔を上げて、俺の目をじっと見つめた。
本来なら透き通っている青い瞳が濁って見えた。俺は必死に取り繕うための言葉を探したが、どれも喉元で詰まってしまう。
俺はなるべく表情を見せないように下を向いた。その時だった。
タミスの細い腕がギュッと俺を締める。
「……お姉ちゃん、ずっと辛そう……」
小さな手が頬を触れた、その瞬間、俺の心の中で必死に留めていた感情が溢れ出す。
顔が一気に熱くなり、表情がぐちゃぐちゃになっていくのがわかる。
涙が地面にポタポタと垂れて音を立てる。
なんで、なんで──泣いているんだ。
自分への情けなさ、無力さ、タミス達を失うことへの恐怖、そのすべてが流れ出した。
「──っ……すまない、タミス……すまない」
タミスを胸元に手繰り寄せギュッと抱きしめる。少しでもこの小さな温かみに触れていたい。
涙で滲む視界の中、タミスの顔が少しずつ歪んでいくのが見える。
大の大人が、泣いているんだ。つられて泣いても仕方ない。
でも、その原因が自分なのだという事実が、深く胸に突き刺さる。大人として、彼女を不安にさせてはいけない。わかってる、そんなこととっくの前からわかっている。
泣くな、泣いたら駄目だ。
必死に自分に何度も言い聞かせる。しかし、涙は収まらない。
「──レイヴンッ」
開けっぱなしにされた扉からグリムの姿が見えた。
俺の顔を見るなり、ギュッと口を食いしばってゆっくりとこちらに歩いてくる。
グリムは俺の両頬をギュッと両手掴むと、無理やり顔を上げさせ、目を見つめてくる。
その目は潤んでいた。
ああ、そんな顔しないでくれ。
俺のせいで無駄な不安と心配を彼女達に植え付けてしまう。
「グリム……」
グリムはなにも言わずに俺から手を離し、静かに隣に座った。
「僕の心配はいい……。今は少しでも自分のことを気遣え」
そっとグリムの肩が俺に寄りかかる。
「落ち着くまで……側にいてやるから」
必死に返す言葉を見つけようとしたが、なにも出てこなかった。
正確にはあるにはあるのだが、それを言ってしまえば──俺は彼女達に依存することになる。
唇を強く噛み、痛みで必死に涙を堪えようとするができない。
一粒、一粒と垂れて落ちていく。
そして、ついに俺はそれを口にしてしまった。
「……ありがとう」
その言葉を口にした瞬間、心の中で何色もの感情が混じり合って、大きな声で泣き出してしまう。
俺は大人なのに、こんな子どもみたいに泣いてしまったら──駄目なのに。
「ごめん……っ……大人なのに……」
2人の優しさが、温かさが辛い。その中に自分が溶けて消えてしまいそうな気がして、必死にその中でもがいている。
グリムが優しくささやいた。
「一緒に……居よう。お前が好きなだけ、楽になるまで」
頭が撫でられる。その手つきは、優しく、不器用さを纏っていた。
タミスも俺を彼女のできるだけ精一杯の力で強く抱きしめ返す。
「……ありがとう……本当に……ありがとう」
自分の声とは思えないほど震えたぐちゃぐちゃの声が、静寂が支配する部屋の中に響いた。