高校生になったら何をしようか。
そんな希望に満ちた戯言を口にしたキショい馬鹿がいた。私よりも背の低い彼は、買い食いをするだのバイトして遊びに行くだのとぺらぺらと語りはじめる。
今思えば笑い声なんて一つも出ないつまらない噺だが、当時の私は純粋で、世界というものを何も知らなかった。小鳥の囀りのようにわらったのを今でも覚えている。
「私は歌いたいな」
この囀りも、今となっては戯言だ。
耳元で震えるスマホのバイブ音で目を覚ます。どうやら昨日、スマホをサイレントモードにしたまま寝てしまっていたらしい。このバイブ音で目を覚ますのは少し気分が悪い。
随分と嫌な夢を見てしまった。やっぱり夢と人間の記憶は強く紐づいているものなのかと、ため息をついてしまう。
ベッドから起き上がると、机の横に立つアコースティックギターか目に入る。
「……おはよ」
この家にこの言葉を投げかけれる人はいない。だからせめてもの、自分のスイッチをオンにするための御呪いを無機物に投げかけた。
買ったばかりのワイヤレスイヤホンを耳に付けて、音楽を再生する。YEN TOWN BANDの上海ベイベ。YEN TOWN BANDの曲は深夜か、陽が顔を出し始める午前四時ぐらいのイメージを個人的に持っているが、なんだか朝八時の今に聴きたい気分になった。
行き交う、私と同じ制服を身につけた人たちは皆目を輝かせていた。きっと楽しい過去を鞄に詰め込んで、未来に希望を見出しているのだろう。
そのどちらも持ち合わせてない私は、ただ前を見て歩くしかなかった。
入学式を終えて、体育館を後にし、配布されていたプリントに記された教室に向かって歩き出す。同級生に当たるみんなは、私を見るなりヒソヒソと声を小さくして話し始める。
まあ、当然の反応やな。
私は身長が173cmある。成長期真っ只中の男子よりも背が高い。それに髪は茶髪にしている。そしてトドメにシルバー系のアクセサリーも付けている。校則には明記されてなかったから、たぶんセーフなんじゃないかと思っている。
近寄ってほしくないし、友人なんて正直いらないからこのまま距離をそっと取ってくれた方がありがたい。その代わりと言ってはなんだけど、別に手を出したりはしないから。
教室に入って、自分の席を確認する。よかった、1番後ろだ。
席に着いて、少し姿勢を楽にする。窓際の席に目をやると、窓は開放されていて、桜の花が風に吹かれて何枚か教室に入ってきていた。
窓際じゃなくてよかったわ。そう思っていると。
「隣の席」
私ぐらい背の高い大人しそうなショートカットの少女が声をかけてきた。穏やかそうな微笑みを浮かべて、ぺこっと会釈をする。
「幸山厘っていいます。よろしくね」
「土生美月。よろしく」
彼女は椅子に腰掛けると、少し身を乗り出す。
「土生さん、部活とか何入るか決めた?」
随分とグイグイくるな。大人しそうな見た目なのに意外と人見知りとかしないタイプなのか。
「まだ決めとらん。そもそも入らないかも」
予想だにしないコミュニケーションイベントの発生に戸惑いながら質問に答える。
「えっそうなの。土生さん背高いからバレー部とかバスケ部とか良いと思うけど」
「団体苦手やねん。運動もそんな得意やないし」
「そうなんだ…」
「幸山さんは、何入るか決めた?」
それこそバスケ部かバレー部だろうか。背が高いし、重宝されそうだ。
「私は軽音部かな。ベース弾くから」
意外な返答に少し面を食らう。ベース弾けるのかこの娘。
「もし良かったら一緒に軽音部に入らない?」
アコースティックギターは弾くし、歌の経験もあるが、人と音とかリズムとか合わして演奏なんてできる気がしない。それにどうせ歌うなら一人の方が気が楽だ。
「ごめんやけどパス。団体苦手やから」
せっかくの誘いだが断らせてもらう。
「まあでも席替えまでの間、隣の席、よろしくね」
右手を差し伸べられる。握手の意図だろうか。きょうび日本で握手で挨拶とかするんだな、と思いながら左手を差し出す。
「よろしく」
翌日、学校に登校して教室に向かって廊下を歩いていると、白髪の癖っ毛の男性教師に呼び止められた。
「おい土生、なんやその髪色」
「えっ、なんすか。聞こえなかったっす」
わざとらしくイヤホンを外す。まあ大方この髪だろう。
「髪色や髪色」
「ああこれっすか」
指摘されることなんて想定済みだ。現にこの教師、名前はわからないがお堅い人なのは違いないだろう。こういう教師はどの学校にも一人はいるものだ。
「地毛っす」
「地毛?証明書は出したのか」
「ウチ親が家いないこと多くて書くとこ書けてないんですよね」
「だとしても、もう少し配慮とかな」
配慮。
この男はいったい何を言ってるんだろう。私が茶髪にして、誰かに迷惑をかけているというのだろうか。
「配慮ってどこに配慮するんすか」
「それは……各、方面に…」
「具体的なこと言えないなら行っていいですか。ホームルーム間に合わなくなります」
「な、おまえな…」
「証明書ならちゃんと出しますよ」
そのうち。
「じゃ、失礼します」
イヤホンを付けて教室に向かう。背後で何か言ってる気配がしたが、無視してそのまま足を進める。これはしばらくアイツに絡まれることになりそうだ。証明書偽造することも視野に入れないとな。
教室に入り自分の席に座ると、隣の席でペンケースを鞄から取り出していた幸山さんに声をかけられる。
「美月ちゃん、おはよう」
「お、おはよ」
知り合った翌日に名前呼び。この娘のコミュニケーション能力すごいな。しかも呼ばれてあまり嫌な感じもしない。
「今日の放課後、新入生歓迎会だってね」
「んー、そんなんあったんか」
全く予定表を見ていなかったので、そんな大層なイベントがあることを今初めて知った。歓迎会って何をするんだろう。
「部活紹介もあるんだって。軽音部はライブしてくれるって」
「えらい豪勢やな軽音部」
「楽しそうじゃない?」
「せやな」
一生懸命話題を振ってくれるのはありがたいが、全くと言っていいぐらいに興味がわかない。歓迎会ってサボっていいのだろうか。
「美月ちゃん、そのピアスってどこのブランド?」
「へ?」
藪から棒の話題に素っ頓狂な声が出てしまう。というか一応ピアス隠してるのによく見えたな。
「今日付けてんのはトムウッドやな」
「トムウッド、すごいの持ってるね」
「親がそういう関係の仕事してて、よくおこぼれ貰うんよ」
私の母親はブランド紹介雑誌の編集長をしているため貰い物でよく頂くらしく、それを私に横長してもらってる形だ。ちなみに父親は蒸発していない。
「その指輪は?」
「これは前に日帰りで東京行った時、下北で買った。個人で作ってるもんやから詳しいことはわからん」
チタン製の、歯車の型が彫られたデザインに一目惚れをして買った。私の指輪コレクションの中でもかなりのお気に入りだ。
「アクセサリー好きなの?」
「せやな、駅前とかでたまにやってる個人販売のショップよく行くわ」
「じゃあ今度オススメのピアスとか教えてよ」
「幸山さん穴開けるん?」
「うん、また考えてるだけやけどね」
まあ軽音部入るならピアスの一つや二つ開けるか。
「幸山さんならシンプルなシルバーのピアスとか似合いそうやなぁ」
「えーほんと?」
「ほな今度雑誌貸すわ」
なんだろうな。向こうからかなりグイグイと、しかしそれでいて一線を弁えているような距離の取り方に私もつい乗せられてしまう。友達とかいらないと思っていたが、彼女ぐらいは少し交友関係を持ってもいいかもしれない。
「ピアス開ける時は言ってくれたら開けてあげるで。痛くない開け方知っとるんよ」
「えー、嬉しい。その時はお願いするね」
「任しとき」
その日の放課後、新入生歓迎会があった。どうやら参加は自由らしく、私はお言葉に甘えて不参加とさせてもらった。
帰りにコンビニに寄って期間限定発売のプリンと、飲むヨーグルトを買う。飲むヨーグルトを飲みながら家路を歩く。
大阪本町駅から徒歩10分のマンションの一室。ここが私の住処だ。一応母親とは2人暮らしであるが、母親は私と生活リズムが全く合わないためほとんど一人暮らしみたいなものだ。
部屋に入ると、家政婦の吉井さんがちょうど夕食を作っているところだった。
「美月さん、お帰りなさい」
「ただいま吉井さん。いつもありがと」
吉井さんは我が家と15年の付き合いがあるため、私にとっては少し歳の離れた姉のような存在だ。もっとも向こうは私を雇い主の娘として接してくるので微妙に距離を感じるが。
「学校はいかがですか」
「普通だよ。あーでも、話の合う娘はできたよ」
「まあ、それは楽しくなりそうですね」
「そうなるかなー…」
ビニール袋をリビングテーブルの上に置く。
「これ、吉井さんに」
「そんな。いつもの事ですけど、頂けませんよ」
「いつもお世話になってるし、それに吉井さんプリン好きでしょ?こんなことぐらいでしか私からお礼できないからさ、貰ってくれないかな」
彼女の雇用主はあくまで私の母だ。彼女の報酬は当然私の母から払われる金銭であるけど、私個人としても、報酬を渡したい。お金は母のと比べるとしょぼいし、尚のこと吉井さんは受け取らないだろうから、せめて彼女の好物ぐらい渡したいのだ。
「……お母様には」
「大丈夫だよ。言わないし、言ったところでそんなの気にする人じゃないから」
「…ありがとうございます。正直、これ食べてみたかったんです」
「ほらやっぱり」
吉井さんの前だと自然と笑みが溢れてしまう。吉井さんと話すたびに、私はまだ幸せな人間なんだと再確認できる。
「私部屋ですこし作業してるから。夕飯終わったら帰って大丈夫だよ」
「はい。あっ、今日の夕食はコブサラダと、鶏肉のピカタですよ」
「やったね、吉井さんのコブサラダ大好き」
自室に着くと靴下を脱いで洗濯用バッグに放り投げて、ブレザーを着たままベッドに倒れ込む。
幸山さん、今頃軽音部のライブ見て、軽音部に入る決心ついてる頃か。彼女、何弾くんだろうな。というかどんな音楽が好きなんだろ。あんな雰囲気で意外とメタリカとかスーサイドサイレンスとか聞いたりするのだろうか。
机の横に目をやると、ギタースタンドに立てかけられた1本の真っ白なエレクトリックアコースティックギター。このギターの詳しい名前とかは知らないが、フェンダーのカリフォルニアというらしい。10年前に死んだ、私の姉の形見だ。
ギターを手に持ってなんの気無しに音を奏でてみる。まさに今の時間の、夕焼けのような暖かな音が出る。夕焼けの暖かさは好きだ。今日へのお別れを告げてくれているようで、この暖かさに包まれたら明日も悪くないと思えてしまう。
そのままのノリで少し奏でてみる。
Am、Asus4、G、C、G6と。
単調な音の連なりは、やがて一つのメロディーを奏でてくれる。a-haのTake on Meだ。
ああまたか。心の中で笑ってしまう。私はギターを何の気無しに奏でるとき、いつもTake on Meを奏でてしまう。理由は弾きやすいのと、姉の十八番でよく聞かされていたからだ。
Take on me
Take on me
I'll be gone
In a day or two
アコギで弾き語りをしようとすると、最後の高音パートの力加減が難しくていつも声が裏返ってしまっていた。
弾き語りの練習にはちょうどいいと姉はよく言ってた。幼い私は誰がギターなんてするかと頬を膨らませていたけど、今となってはこの格言が胸に沁みる。姉の言う通り、この曲を歌いこなせるまでには凄く時間がかかった。
そんな私の姿を、もう見せれないけど。
「軽音、ね」
私がギター片手にベースとドラムとリードギターを従えている姿を想像すると、何だか笑えてきた。見た目は笑えるし、第一私が誰かと音を合わせるなんて、できっこない。
一緒に軽音部に入らない?
そういえば幸山さん、やたらと私を誘ってきてたな。彼女のことだから友人がいないなんてことはないだろうに、なぜ私を。
「まあ、そっちはそっちで楽しんでよ」
私には理解できない楽しさだろうからさ。
ブレザーとシャツを脱いで、黒のTシャツを着る。ベッドの下に貼り付けてあるシガーケースからキャスターホワイトを1本手に取り、火をつけた。窓を開けると、4月にしては少し冷たい風が私の頬を通り抜けた。
4月の下旬ごろになってくると、校内でギターケースを持つ生徒が増えてきた。まだ背負わされてる感がある男女を見るのは少し面白い。
幸山さんもベースケースを背負っている姿を毎日目にする。表情はいつもと変わらず穏やかだが、きっと楽しいのだろう。
私はというと、授業をそつなくこなし、指川(白髪の癖毛教師)の指導を回避する日々だった。たまに幸山さんから軽音部の話をされて、当たり障りのない返事をして、帰りに指川のいないルートを見つけようと色んなルートを校内で見つけて。
なんの変哲もない、ありふれた日常を送っている。
そんなある日、放課後、帰ろうと廊下を歩いていると。
「美月ちゃん!」
背後から声をかけられたので振り返ると、そこには幸山さんと、1人の女生徒と立っていた。
「幸山さん?部活はどしたん?」
よく見ると、彼女はベースケースを背負っていなかった。部活今日は休みなのだろうか。
「はとちゃん、この人土生美月ちゃん」
「み、美月ちゃんって土生さんの事だったの!?」
はとちゃんと呼ばれた女性とはアワアワと震えた声で幸山さんに問いかける。幸山さんとは違って平均といった感じの容姿と、少し自信なさげな声音だ。
「美月ちゃん、こちら私がいるバンドのギターやってる、鳩野ちひろちゃん」
「ふーん。よろしく」
「へっ、あっ、よ、よろしくお願いします……」
人避けするように髪色とかをいじってるつもりはあったが、こうもビビられると少し考えものかもしれないな、と自己反省する。
「で、私に何か用?」
「うん、実は美月ちゃんにお願いしたいことがあるんだ」
瞬間、幸山さんの表情に不気味な笑みが浮かぶ。この娘、こんな顔する人だったか。まるで御面を付け替えたような表情に、緊張が走るのを感じた。
本能的に少し身構えると、彼女は一歩前に出る。
「ちょっとついてきてほしいんだけど、時間ある?」
「は…?」
幸山さんからこうして何かに誘われるのは初めてだったので、少しぐらいなら、と応じてしまった。幸山さんと鳩野さんの背後をついていく。何か物を運ぶのを手伝ってとか、そういう類のことだろうか。だとしたら私じゃなくて男連中に任せたらいいのに。というか部活は本当にどうしたのだろう。通りがかりの教室を覗くと、生徒がギターやベースを弾いたりしているのが見える。部活が休みという線は消えたか。
そんなことを考えていると前の2人が立ち止まる。場所は視聴覚室だった。入学して2週間。来るのは初めてだ。
幸山さんが扉を開けると、中にはエレキギターとエレキベースと、ドラム。それからアコースティックギターが壁に立てかけられていた。
「何、これを運んでほしいの?」
「ううん。そうじゃないんよ」
幸山さんは振り返ると、いつもの、穏やかな笑みを浮かべていた。しかしその目からは、どこか黒いモヤのようなものが出ているように見えた。
「美月ちゃんに歌を歌ってほしいんだ」
「……はあ?」
予想だにしない言葉に、気の抜けた声が出る。おそらく今の私は、絵に描いたような鳩が豆鉄砲を食ったような顔をしているだろう。
というか、なんで私が歌って、この娘は知ってるんだ。
「今ならココ空いてるし、何か歌ってみてよ」
「…何で?」
「美月ちゃんの歌が聞いてみたいから」
私はこれまでの幸山さんとの話の中で、自分が歌を歌うという情報を出したことはない。それどころか、この学校の誰にも話したことはない。同じ中学の誰かか?いや、同じ中学の生徒でも私が歌を歌うなんて知ってる人間はいないはずだ。
「…なんで、私が、アンタに」
「美月ちゃん、ギター弾けるでしょ?」
ギターのことまで。
必死に過去の記憶を掻き集めるが、彼女にその情報の一欠片でも与えたことはない。どっからその根拠は生まれてくるんだ。
「は?私がいつそんなこと言うたん?」
鎌をかけてみる。ここで変な証拠を突き出されれば、それを突っぱねればいい。確かな情報が出たなら、そいつをボコす。
「うーん、そうだな……」
少し考える素振りを見せて、私の左手に指差す。
「美月ちゃん左手には指輪付けてないよね。右手には付けてるのに」
「は?」
突然スラスラと語りはじめる。
「美月ちゃんアクセサリーすごい好きなのに、左手にだけ付けてないのは違和感あったんだよね」
言われて気がつく。確かに左手に指輪をつけていない。昔からの癖で、気づいていなかった。
「それに前に握手した時、指の皮が厚かった。あれはギターか、ベース弾いてる人にしか出ない厚さだった」
探偵か、コイツ。
今までの彼女との会話を振り返ると、確かに握手はしていたし、アクセサリーの話もした。幸山さんはアクセサリーとか付けてないのにやたらと食いついてきたのは少し違和感があったけど。
全て情報収集の名の下に話していたというのか。
「それに美月ちゃんは話す時、腹式呼吸で話してるよね。今時の高校生で日常的に腹式呼吸で声を出す人なんて、芸人志望か応援団の人か、もしくは歌を歌う人なんじゃないかなって」
「……引くわ。私と話してる時、そんなところジロジロ見てたん?」
「うん。趣味だからね」
「キッショ……」
吐き捨ててみるが、確かに彼女の指摘と証拠はごもっともだった。何も言えない。それに少なくとも、今この状況で強者の王冠を被っているのは紛れもなく目の前の幸山だ。ここは潔く、認めるしかない。
「……そうだよ。ギターも弾くし、歌を歌った経験もある」
「やっぱり……なんで軽音部に入らないの?」
「前にも言ったでしょ。団体が苦手だから。バンドとかマジでできん。それに…」
私は歌いたい時にしか歌わないと決めてる。だって、私が歌を歌うのが好きになったきっかけは、今となっては私が最も忌々しく思っている記憶なのだ。
「それに?」
「なんでもない。とにかく、アンタの推理は正解よ。でも歌わないから」
「……お金?」
「プロちゃうわ……気分じゃないから」
「気分?」
「そうだよ。だから帰る」
踵を返すと、背後から。
「はとちゃん、手伝って!」
初めて聞く。彼女の大声。
「えっ、なんで私も!?」
「聞きたいでしょ?美月ちゃんの歌」
「知り合って三十分だけど!?」
鳩野が幸山に押されて視聴覚質の扉を閉める。
「さあ二対一だよ。何か歌うまで出さないよ」
必死かコイツ。
鳩野はずっとごめんなさいと壊れたオルゴールのように言い続けてる。コイツも被害者か…。
やろうと思えば力づくで鳩野を人質にでも取って幸山を脅すこともできるが、しかし知り合って三十分の鳩野にそんなことをするのは気が引ける。
敵は目の前の幸山だけ。フィジカルでいけるか?背は私より少し低いぐらいで、だいたい170cmぐらいだろう。それに日頃ベースを背負っているのだ、筋力は波の女子よりあると見た。
ワンチャン、やられるか、コレ。
「……わかったよ、降参」
「よかった」
「ただし1曲だけ。録音とかもしないって約束」
「えー」
「言わんかったらする気やったんか」
スマホの電源を落として私に見せる。鳩野も幸山の背後で控えめに黒い画面のスマホを見せる。
「ギターは?」
「そこにあるの使って。チューニングはしてあるから」
「セッティングも手配済みかいな」
この女の手のひらの上で踊らされているようで、腹立たしくなってくるが、応じてしまったのは私だ。もっと上手いやり方があったんじゃないかと後悔しながらアコースティックギターを持ち、ストラップを肩にかかる。
「……さて」
なに歌お。
いざ歌うとなっても何も浮かばない。好きな曲を歌えばいいのだろうが、アイツの前で好きな歌歌うのは癪に触る。かといって歌詞とかが飛ばないで歌えるレパートリーなんて限られてるし。
そうゴタゴタと考えていると、入学初日の、幸山と会った時のことを思い出した。あの時は大人しそうな娘だなと思っていたのに、とんでもない変態だった。本気で探偵にでもなるつもりなのだろうか。
教室の窓は空いていて、温かな風が教室内で舞い上がっていた。たまに桜の花弁が窓際の席に落ちてきて、それを種に話を膨らましている人たちもいたな。
春。桜、か。
じゃーん。
軽く、ストローク。
意を決して息を吸い込む。私はあえて目の前で大人しく体育座りしてる二人の姿を視界から外して、正面壁に貼り付けられている時計に目をやる。
二人セゾン
二人セゾン
春夏で恋をして
二人セゾン
二人セゾン
秋冬で去って行く
一緒に過ごした季節よ
後悔はしてないか?
二人セゾン
欅坂46の二人セゾン。
別に欅坂が特別好きなわけではないが、この曲は歌詞がとても美しくて好きだ。桜が舞い散る情景が目に浮かぶ。
私は歌う時、詞を主役にするように努めている。歌声も楽器のひとつというが、その歌声を土台にして際立つのが詞だと思う。言葉は、音と同じぐらい人の意識に強く貫いてくれる。
花のない桜を見上げて
満開の日を想ったことはあるか?
想像しなきゃ夢は見られない
心の窓
春が見せる表情の一つは、出会い。
これから幸山といやでも毎日顔を合わさなきゃいけないのか。一挙手一投足を舐めるように見られながら、同じ空間を過ごしていかなきゃいけないのか。
鳩野とは最悪な出会いになってしまったような気がする。たぶん廊下ですれ違うたびに意識してしまうだろう。
春夏秋冬 生まれ変われると
別れ際 君に教えられた
ああクソ。
生まれ変わるつもりなんてなかったのに、生まれ変われてしまう石ころがゴロゴロと転がっている。現に今、私の目の前に2つも。
初めて感じたときめき
思い出はカレンダー
二人セゾン
僕もセゾン
終わりの合図のように開放弦を鳴らして、そそくさとギターを元の位置に戻す。
鳩野は拍手をしてくれる。幸山は立ち上がって私の元に近づく。
「綺麗な歌声だね。軽音部の誰よりも上手いかも」
「うっさい。早よ帰せ」
「うん。約束通り帰っていいよ」
もうひとつ何かごねるかと想像していたが、あっさりと道を開けてくれた。
「……どーも」
わからない奴だ。本当に歌が聴きたくて監禁まがいなことをしたのか?だとしたらとんだクソ度胸の物好きだ。
視聴覚質を出る寸前、鳩野と目が合う。
「……何?」
「あっ、そ、その」
ヘラヘラとした笑みを浮かべる。なんだか、昔の私を見ているようで見てられなくなって、言葉を聞く前に歩き出す。
「すごい感動した!めっちゃ良かった!」
「……」
ストレートな、幸山とは違って含みも何もない好意。久しぶりにこんな眩しい言葉を投げかけられたかもしれない。
「……さっさと縁切った方がいいで、あの女」
鳩野はきっと、世の中的にいういい奴だ。あんなどす黒い何考えてるかわからない奴と付き合い続けたらいい死に方をしないだろう。
視聴覚室を出ると、女生徒とばったり遭遇する。背にはギターケースがあった。
「えっと、新入生の子かな?視聴覚室で何を」
「あー……」
肩にかからないぐらいのボブカットに、教師に指導されないぐらいのナチュラルメイクと、加減がわかっている薄桃のリップを見るに、彼女はおそらく上級生。
あの女、これが狙いか。
「すんません、ちょっと視聴覚室に用事が……」
「すごい歌声だったね!はとちゃん!」
わざとらしい台詞を、デカい声で背後から放り込まれる。
「感動しちゃった!こんな逸材、軽音部にいたらエースだよ!」
「うっさい!黙っとれボケ!」
軽音部にエースって何だよ。サッカー部かよ。
「は、土生さんだよね?」
「え、なんで私の名前」
「そりゃ目立つから、みんな知ってるよ」
まあ身長173あって茶髪でアクセサリーをジャラジャラ付けてたら名前ぐらい知られるか。近寄るなアピールをしているつもりだったが、この状況では逆効果だ。
「私、3年の新田たまき。軽音部の副部長やってるの」
「……さいですか。土生美月です」
「土生さん、楽器弾けるの?」
「……後ろのアイツの言う通り、一応」
幸山の姿は見えないが、きっとしてやったりな表情を浮かべているのだろう。マジでムカつく。ぶっ殺したい。
「あっ、じゃあもしよかったら軽音部に…」
「すんません。せっかくの誘いですけど、軽音部には入りません」
「そ、そうなの?」
「はい。できれば歌いたくもないんで」
新田先輩は気まずそうに苦笑いを浮かべて、持っていた鞄から髪を一枚取り出して私に渡す。
「まあ、興味が湧いたらいつでも来てね。歓迎するから」
「……どーも」
さすがに先輩を邪険に扱うわけにはいかず、紙を受け取り折りたたんでブレザーのポケットにしまう。
「失礼します」
足早にその場を後にする。
視聴覚室に向かう軽音部員たちとすれ違う。みんな私をチラチラと見る。
学校を出て、さらに足を早める。
クソが。なんだあの女。何が目的なんだアイツ。
道には散った桜の花が死骸のようにボロボロと落ちていた。色をなくした木々は、次の季節に向けて胸を張っているように見える。
遠くから聞こえてくる部活動の掛け声も嫌になってイヤホンを耳に突っ込んで、適当に音楽をかける。いつもよりも少し大きな音で、私の鼓動の音しか骨振動で伝わらないぐらいに。
the pillowsのLAST DINOSAURが、私を家路へと導いてくれている。
* * *
「どうすんの厘ちゃん、土生さん絶対ブチギレてるよ…」
「そうだねーブチギレてたね」
「めっちゃ怖かった!すんごいガン飛ばされてた気がする!」
「多分全部私にだね、それ」
つい先ほど結構マジなガチ怒号を喰らったとは思えないぐらいに目の前の彼女はのらりくらりとしている。
土生美月さん。入学初日から話題の人物だった。身長が高く、美人で、おまけに顔も小さい超モデル体型。なのに髪は茶髪で、アクセサリーもジャラジャラ付けてるものだから、マジもんの不良が現れた!と、土生美月の名前は一瞬で校内で広まった。何度か廊下で遠目で見たことはあったが、本当に芸能人のような近寄り難い雰囲気があった。
そんな土生さんが、あんなに綺麗で、朝露のように透明感のある歌声で歌うなんて。それもアコースティックギターを弾きながら。
「でも、凄かったな。土生さんの歌」
「そうだね。たぶん1年生の中で今のところ1番」
正直、めちゃくちゃカッコよかった。もちろんあの容姿だから何したってカッコよくなってしまうんだろうけど、それ以上にあの姿は私の憧れるギター&ボーカルの姿だった。
「ここで歌ったの、土生さん」
たまき先輩が声をかける。
「はい。めっちゃ良かったです。たまき先輩レベルでした」
「私レベル?」
「いえ、たまき先輩もめちゃくちゃカッコいいんですけど、土生さんも匹敵するかしないかぐらい……」
失言だった!慌てて言葉を取り繕っていると、たまき先輩が首を傾げる。
「でも土生さん、できれば歌いたくないって言ってた」
「そ、そうなんですか?」
「うん。なんか凄く悲しそうな顔してた」
悲しそう。
確かに、土生さんの歌声にはどこか影があるようにも聞こえた。まるで何かを憐れんでいるような。
「聞いてみたかったなー。もしかしたら最後のチャンスだったかもしれないじゃん?」
「まあ…あのキレ方見るに二度と、少なくとも私と厘ちゃんの前では歌わなそうですね…」
厘ちゃんに目をやると、彼女は不気味な笑みを浮かべていた。オノマトペ的にいえば、ニヤニヤしている。
「な、なに……?」
「いやー。たぶん美月ちゃんは軽音部に入ってくれると思うなーって」
「あそこから逆転は無理でしょ…」
野球で言えばコールド一歩手前状態だ。さらに言うとコールド負けになるのは時間の問題だ。
「全部導かれて、収束するんだよ。ね、はとちゃん」
ニヤニヤされて肩を叩かれる。
「何言ってんだこいつ…」
手を払おうにも、言葉に不思議な説得力があって、彼女の言うようになるようになってしまうのではないかと感じてきた。
私は怖いから、もう話したくないとは、とても言えなかった。
ポップに行きたいです。