月光る夜   作:案院運

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短めです


ロズワール邸10

 

「――他にも、呪われた者がいる可能性があるのよ」

 

 ベティーの言葉に、禁書庫が静まり返った。

 

 スバルは右手を見つめたまま、動かない。

 

 つい先ほどまで、犬に噛まれたことを笑い話にしていた男とは思えないほど、その顔は青ざめていた。

 

「……他にも?」

 

 ようやく絞り出された声に、ベティーが頷く。

 

「お前に呪いを刻んだ術者が、他の人間にも同じことをしていない保証はないかしら」

 

「……それって」

 

「勘違いするんじゃないのよ。ベティーは可能性の話をしているだけなのよ」

 

 スバルが息を呑んだ。

 

 その横顔を眺めながら、俺はティーカップを置く。

 

「ベティー」

 

「何かしら」

 

「その呪い、放っといたらどうなる?」

 

「発動すれば、術式によっては命に関わるのよ」

 

「ふーん」

 

 なるほど。

 

 面倒な話になってきた。

 

「術者を殺しゃ解けるのか?」

 

「術者が死ねば、呪いを維持できなくなる場合が多いかしら。ただし、術式によるのよ」

 

「なら、術者を見つけてぶっ殺すのが手っ取り早いな」

 

「……お前は本当に、すぐそういう結論に至るのよ」

 

「間違ってるか?」

 

「間違ってはいないけれど、乱暴すぎるかしら」

 

「結果が同じなら早い方がいいだろ」

 

 ベティーは呆れたようにため息をついた。

 

 その小さな身体が、当然のように俺の膝へ乗ってくる。

 

 空になったティーカップを机へ戻し、座り直す。

 

「……で、スバル」

 

「…………」

 

「おい、スバル」

 

「……あ、ああ!」

 

 ようやくこちらを向いた。

 

「犬に噛まれたのは村だったな?」

 

「……そうだ」

 

「なら、まず村を調べるぞ」

 

「……え?」

 

「他に噛まれた奴がいねえか確認する。それだけだ」

 

 スバルが目を見開いた。

 

「……行ってくれんのか?」

 

「あ?」

 

「いや、その……」

 

 妙に歯切れが悪い。

 

 俺は眉を寄せた。

 

「お前、何か勘違いしてねえか?」

 

「……勘違い?」

 

「ガキどもが死ぬかもしれねえんだろ。行くに決まってんじゃねえか」

 

「…………」

 

「何だよ、その顔」

 

「……いや」

 

 スバルは俯いた。

 

 そして、小さく笑った。

 

「……なんでもねえ」

 

 変な奴だ。

 

 まあ、今に始まったことでもない。

 

「ベティー、助かった」

 

「……ふん。エリスが頼むなら、これくらい当然なのよ」

 

「頼りにしてるぜ」

 

「っ……!」

 

 ベティーが顔を背ける。

 

 耳まで赤くなっている。

 

 熱でもあるのか?

 

「……エリス」

 

「あ?」

 

 スバルが、なんとも言えない顔でこちらを見ていた。

 

「……お前、ほんっと罪な男だよな」

 

「喧嘩売ってんのか?」

 

「違うわ!」

 

     ◇◇◇

 

 問題は、その後だった。

 

「――村へ、ですか?」

 

 レムが首を傾げる。

 

 場所は食堂。

 

 俺とスバル、それからラムとレムの四人が集まっていた。

 

「おう。さっきベティーに調べてもらったら、スバルが呪われててな」

 

「……呪い?」

 

 ラムの眉が動いた。

 

「ええ。村で犬に噛まれたところに、呪術が仕込まれてたらしいんですよ」

 

 スバルが説明する。

 

「ベア子に解いてもらったから、俺はもう大丈夫なんだけどさ」

 

「それは何よりね、バルス」

 

「おう! ありがとな、ラムちー!」

 

「礼を言われるようなことはしていないわ」

 

 いつもの調子で返すラム。

 

 その隣で、レムは黙っていた。

 

「……それで、スバルくん」

 

「ん?」

 

「村へ行くというのは、どういうことでしょうか?」

 

「ああ! それなんだけどさ」

 

 スバルは身を乗り出した。

 

「俺が呪われてたってことは、他の奴も呪われてるかもしれねえんだよ!」

 

「……なるほど」

 

「だから、村に戻って確認したいんだ」

 

 レムは微笑んだ。

 

「そうでしたか」

 

「おう!」

 

「ですが……」

 

 その笑顔は変わらない。

 

「どうして、スバルくんがそこまでなさろうとするのですか?」

 

「……へ?」

 

「村の皆さんとは、今日初めてお会いしたのですよね?」

 

「そ、そうだけど……」

 

「それなのに、随分と心配なさるのですね」

 

 妙な間が生まれた。

 

 スバルが困ったように頬を掻く。

 

「いや、だってさ……子供が危ねえかもしれねえんだぞ?」

 

「……はい」

 

「だったら、助けたいって思うだろ?」

 

「…………」

 

 レムは答えなかった。

 

 ただ、静かにスバルを見つめている。

 

 ふむ。

 

 言いたいことはわからんでもない。

 

 屋敷に来て間もない男が、村の連中を妙に気にかけている。

 

 何か事情があるのかもしれない。

 

 だが。

 

「レム」

 

「はい、エリス様」

 

「お前、村のガキどもが呪われてる可能性はあると思うか?」

 

「……ベアトリス様がそう仰るのでしたら、否定はできません」

 

「だよな」

 

 俺は頷いた。

 

「なら、確認しに行くぞ」

 

「……ですが」

 

「問題がなけりゃ、それでいい」

 

 レムが口を閉じた。

 

「問題があった場合は最悪だ。放っといて死人が出たら、取り返しがつかねえ」

 

「…………」

 

「無駄足なら笑って帰りゃいい。違うか?」

 

 沈黙。

 

 最初に頷いたのはラムだった。

 

「……おっしゃる通りです、エリス様」

 

「だろ?」

 

「ええ。ラムも同行いたしましょうか?」

 

「いや、お前は屋敷に残ってろ。何かあったとき、こっちが手薄になる」

 

「承知いたしました」

 

 続いて、レムが頭を下げる。

 

「……レムも、異存ありません」

 

「おう。じゃあ準備しろ」

 

「かしこまりました」

 

 話は終わった。

 

 少なくとも、俺にとっては。

 

「…………」

 

 スバルが、何とも言えない顔をしていた。

 

「なんだよ」

 

「……いや」

 

「言いたいことあんなら言え」

 

「……お前って、すげえよな」

 

「あ?」

 

「俺があんだけ説明しても微妙な空気だったのに、あっさり決まっちまった」

 

「そりゃ、お前が自分の話ばっかしてっからだろ」

 

「うぐっ!」

 

「相手が何を判断したいのか考えて喋れ」

 

「……はい、勉強になります」

 

 スバルが妙に素直に頭を下げる。

 

 「気色悪い。」

 

「おまっ人が素直に感心してるとこに……ま、ありがとな。エリス」

 

「おう」

 

 俺は椅子から立ち上がった。

 

「さっさと行くぞ。日が暮れちまう」

 

     ◇◇◇

 

 村へ到着した頃には、夕暮れが近づいていた。

 

 行きに比べれば、随分と静かだ。

 

 子供たちの騒ぐ声が聞こえない。

 

 それだけで、何となく嫌な予感がした。

 

「……おい、スバル」

 

「……ああ」

 

 スバルも気づいたらしい。

 

 さっきまで軽口を叩いていた男の表情が、険しくなる。

 

 俺たちは村の広場へ向かった。

 

 そこでは、何人かの大人たちが集まっていた。

 

 何やら慌ただしい。

 

「おい」

 

 近くにいた村人へ声をかける。

 

「何かあったのか?」

 

「あ、エリス様!」

 

 男が振り返った。

 

 その顔には、明らかな焦りが浮かんでいる。

 

「実は、子供たちが……!」

 

「ガキどもがどうした」

 

「森へ遊びに行ったきり、戻ってこないんです!」

 

「…………」

 

 俺は森へ視線を向けた。

 

 村の外れ。

 

 木々が密集する、薄暗い森。

 

「何人だ?」

 

「五人です。いつも一緒に遊んでいる子たちで……」

 

「最後に見たのは?」

 

「昼過ぎです。それから誰も……」

 

「ふーん」

 

 なるほど。

 

 状況は理解した。

 

「レム」

 

「はい」

 

「村の連中から詳しく話を聞いとけ。どこから森に入ったか、誰が最後に見たか。わかったことは後で教えろ」

 

「かしこまりました」

 

「スバル」

 

「……おう」

 

「お前は村に残れ」

 

「……は?」

 

 スバルが顔を上げた。

 

「いや、待てよ! 俺も行くって!」

 

「駄目だ」

 

「なんでだよ!」

 

「お前、魔獣相手に何ができる?」

 

「……っ!」

 

 言葉に詰まった。

 

 俺は続ける。

 

「俺一人なら森の中でも好きに動ける。お前を連れてりゃ、その分遅くなる」

 

「でも!」

 

「時間が惜しい。ガキどもがまだ生きてるなら、一秒でも早く見つけた方がいい」

 

「…………」

 

「レム、こいつを頼む」

 

「はい、エリス様」

 

 レムが頷いた。

 

 俺は腰の鞭を確かめる。

 

 邪魔な上着を脱ぎ、肩に掛け直した。

 

「……エリス」

 

 スバルが呼び止める。

 

「あ?」

 

「……絶対、助けてくれよ」

 

 妙に真剣な顔だった。

 

 まるで。

 

 何かを知っているような。

 

 そんな目。

 

 だが、今は詮索している暇もない。

 

「当たり前だろ」

 

 俺は笑った。

 

「ガキども迎えに行くだけだ。大げさなんだよ」

 

 そして、森へ向き直る。

 

「んじゃ、行ってくるわ」

 

 地面を蹴った。

 

 風が頬を撫でる。

 

 背後から、スバルが何か叫んでいた。

 

 だが、その声はすぐに遠ざかっていく。

 

 木々の間へ飛び込む。

 

 薄暗い森。

 

 湿った土の匂い。

 

 そして。

 

「……お?」

 

 茂みの奥で、何かが動いた。

 

 低い唸り声。

 

 赤く光る瞳。

 

 一匹。

 

 二匹。

 

 三匹。

 

 黒い獣たちが、ゆっくりと姿を現す。

 

「……なるほどな」

 

 俺は腰の鞭を抜いた。

 

 黒い革が、地面へ垂れる。

 

「こいつらが原因か」

 

 獣が牙を剥いた。

 

 俺は笑う。

 

「悪いな」

 

 右腕を軽く振る。

 

 ――パァンッ!!

 

 乾いた破裂音。

 

 先頭の魔獣が吹き飛んだ。

 

「今、ちょっと急いでんだわ」

 

 次の魔獣が飛びかかってくる。

 

 左手を掲げる。

 

 淡い光が弾けた。

 

 獣の身体が宙で弾かれる。

 

 着地するより早く、鞭がその胴を捉えた。

 

 引き寄せる。

 

 踏み込む。

 

 そして。

 

「――邪魔すんな」

 

 轟音。

 

 木々が揺れた。

 

 舞い散る葉の向こうで、残った魔獣たちが一斉に身を低くする。

 

 俺は口角を吊り上げた。

 

「……ったく」

 

 鞭を肩に担ぐ。

 

「随分と歓迎してくれんじゃねえか」

 

 森の奥から、さらに唸り声が響く。

 

 数が多い。

 

 思っていたより、ずっと。

 

 俺は笑った。

 

「――いいぜ。まとめて来いよ」

 

 そして、再び地面を蹴った。

 

     ◇◇◇

 

SIDE スバル

「…………」

 

 エリスの背中が、森の奥へ消えていった。

 

 あっという間だった。

 

 止める暇もない。

 

 追いかける暇もない。

 

 ただ、置いていかれた。

 

「……ったく」

 

 スバルは拳を握った。

 

 わかっている。

 

 エリスの判断が正しいことくらい。

 

 あいつ一人の方が、きっと早い。

 

 強い。

 

 頼りになる。

 

 それこそ、村の子供たちを助けるなら、エリスほど適任な人間はいないだろう。

 

 けれど。

 

「……だからってさ」

 

 スバルは、森を見つめた。

 

 頭の中に浮かぶのは、子供たちの笑顔。

 

 自分の名前を呼ぶ声。

 

 小さな手。

 

 無邪気な笑い声。

 

 そして。

 

 もう二度と見たくない、あの光景。

 

「……待ってろって言われても」

 

 無理に決まっている。

 

 スバルは振り返った。

 

「……なあ、レム」

 

「はい、スバルくん」

 

 レムは、いつものように微笑んでいた。

 

 柔らかく。

 

 丁寧に。

 

 そして、どこか距離を置いた笑顔で。

 

「……頼みがあるんだ」

 

「何でしょうか?」

 

 スバルは息を吸った。

 

「俺を、森に連れてってくれ」

 

 レムの笑顔が。

 

 ほんの僅かに、止まった。

 

 

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