月光る夜   作:案院運

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ようやく先に進めそう


魔獣の森

SIDE スバル

「俺を、森に連れてってくれ」

 

 その言葉に、レムの笑顔が僅かに止まった。

 

 ほんの一瞬。

 

 注意していなければ、見逃してしまうほどの変化だった。

 

「……スバルくん」

 

「おう」

 

「エリス様のお言葉は、聞いていましたよね?」

 

「……ああ」

 

「でしたら、村でお待ちください」

 

 柔らかな声だった。

 

 普段と変わらない、丁寧な口調。

 

 けれど、そこには明確な拒絶があった。

 

「エリス様なら、きっと子供たちを助けてくださいます」

 

「……わかってる」

 

「では、どうして?」

 

「…………」

 

 スバルは言葉に詰まった。

 

 どうして。

 

 どうして、そこまで必死になるのか。

 

 その問いは、屋敷でも聞かれた。

 

 そして今、再び突きつけられている。

 

「……心配だからだよ」

 

「…………」

 

「ガキどもが、危ねえかもしれねえだろ」

 

「それは、エリス様が対処なさっています」

 

「……そうだな」

 

 スバルは頷いた。

 

 否定できない。

 

 あの男なら、きっと何とかしてくれる。

 

 圧倒的な強さ。

 

 揺るがない自信。

 

 どんな状況でも、まるで当たり前のように道を切り開いてしまう。

 

 頼りになる。

 

 頼りになりすぎるほどに。

 

 けれど。

 

「……それでも、行きてえんだ」

 

 スバルは、レムを真っ直ぐ見つめた。

 

「頼む」

 

「…………」

 

 レムは答えなかった。

 

 その青い瞳が、じっとスバルを見つめている。

 

 まるで、何かを見極めようとするように。

 

「……スバルくん」

 

「ん?」

 

「一つ、伺ってもよろしいでしょうか」

 

「……おう」

 

「どうして、そこまで村の子供たちにこだわるのですか?」

 

 スバルの喉が詰まった。

 

 また、その質問。

 

 何度も聞かれた。

 

 何度も、答えに困った。

 

「……だから、心配なんだって」

 

「……そうですか」

 

 レムは微笑んだ。

 

 しかし、その笑顔はどこか冷たかった。

 

「スバルくんは、とてもお優しい方なのですね」

 

「…………」

 

 皮肉。

 

 そう感じたのは、気のせいだろうか。

 

「……レム」

 

「はい」

 

「俺のこと、信用できねえ?」

 

「…………」

 

 沈黙。

 

 レムの表情は変わらない。

 

 けれど、その沈黙こそが答えだった。

 

「……そっか」

 

 スバルは小さく笑った。

 

 少しだけ、胸が痛んだ。

 

 だが、仕方がない。

 

 レムからすれば、自分は突然現れた素性の知れない男だ。

 

 信用しろと言う方が無茶なのかもしれない。

 

「……じゃあさ」

 

 スバルは顔を上げた。

 

「信用しなくていい」

 

「……え?」

 

「俺が変なことしそうになったら、止めてくれ」

 

「…………」

 

「その代わり、森に連れてってくれ。頼む」

 

 レムの瞳が僅かに揺れた。

 

 スバルは続ける。

 

「俺一人じゃ、魔獣相手に何もできねえ。だから、お前の力が必要なんだ」

 

「…………」

 

「……お願いだ」

 

 長い沈黙。

 

 やがて、レムは静かに息を吐いた。

 

「……わかりました」

 

「……!」

 

「ですが、スバルくん」

 

 その声が、少しだけ低くなる。

 

「レムの指示には、必ず従ってください」

 

「……おう!」

 

「勝手な行動は、絶対になさらないでくださいね」

 

「わかってるって!」

 

 スバルは笑った。

 

 その笑顔を見て、レムも微笑む。

 

 だが。

 

 その胸中にある疑念が消えたわけではない。

 

 むしろ。

 

 ――どうして、そこまで。

 

 その問いは、ますます大きくなっていた。

 

     ◇◇◇

 

 森の中は、想像以上に暗かった。

 

 木々が空を覆い、夕暮れの光さえ遮っている。

 

 湿った土の匂い。

 

 風に揺れる葉の音。

 

 そして、時折聞こえてくる獣の鳴き声。

 

「……なあ、レム」

 

「はい、スバルくん」

 

「エリスって、今頃どうしてると思う?」

 

「恐らく、子供たちを探していらっしゃるかと」

 

「……だよな」

 

「エリス様なら、魔獣が相手でも問題ありません」

 

「……そりゃそうだ」

 

 スバルは苦笑した。

 

 実際、エリスが魔獣に負ける姿など想像できない。

 

 あの男なら、笑いながら蹴散らしているのではないだろうか。

 

「……なんか、あいつなら『邪魔だ』とか言いながら全部ぶっ飛ばしてそうだな」

 

「ふふっ」

 

 レムが小さく笑った。

 

「……そうですね」

 

 その笑顔は、先ほどまでとは少し違っていた。

 

 本当に楽しそうな笑み。

 

 それを見て、スバルは少しだけ安心した。

 

 けれど。

 

 その笑顔が、自分に向けられたものではないことも。

 

 何となく、わかってしまった。

 

     ◇◇◇

 

「……っ!」

 

 スバルが足を止めた。

 

 茂みの奥。

 

 何かが動いた。

 

「レム……!」

 

「……はい」

 

 レムの表情が変わる。

 

 次の瞬間。

 

 黒い影が飛び出した。

 

「――っ!?」

 

 鋭い牙。

 

 赤く光る瞳。

 

 昼間、村で見た犬によく似た姿。

 

 だが。

 

 明らかに違う。

 

 大きさも。

 

 纏う気配も。

 

 何もかもが。

 

「下がってください!」

 

 レムが叫ぶ。

 

 袖口から鎖が伸びた。

 

 その先端にあるのは、巨大な鉄球。

 

 モーニングスター。

 

 轟音とともに振るわれた鉄球が、魔獣の頭部を叩き潰す。

 

「……っ!」

 

 スバルは息を呑んだ。

 

 凄まじい威力。

 

 自分なら、一瞬で殺されていただろう。

 

「スバルくん、お怪我はありませんか?」

 

「あ、ああ!」

 

「では、離れないでください」

 

 レムは静かに告げた。

 

 その表情は、先ほどまでの柔らかなものではない。

 

 戦う者の顔だった。

 

 だが。

 

 次の瞬間。

 

 茂みの奥から、さらに唸り声が響いた。

 

 一匹。

 

 二匹。

 

 三匹。

 

「……おいおい」

 

 スバルの顔が引き攣る。

 

「ちょっと待てよ……」

 

 魔獣たちが、ゆっくりと姿を現す。

 

 その数は、明らかに多い。

 

「……レム?」

 

「……はい」

 

「これ、まずくね?」

 

「……少々」

 

 レムの声が硬くなる。

 

「予想より、多いようです」

 

「少々ってレベルじゃねえだろ!?」

 

 魔獣が飛びかかった。

 

 レムの鉄球が唸る。

 

 一匹を吹き飛ばす。

 

 続けて二匹目。

 

 だが。

 

 別の魔獣が、スバルへ向かって飛びかかってきた。

 

「――うおっ!?」

 

 咄嗟に腕を上げる。

 

 鋭い痛み。

 

「ぐっ……!」

 

 牙が、腕へ食い込んだ。

 

「スバルくん!」

 

 レムが叫ぶ。

 

 鉄球が振るわれ、魔獣が吹き飛ぶ。

 

 スバルは地面へ転がった。

 

「……いってぇ……!」

 

 血が滲む。

 

 だが、それどころではない。

 

 周囲から、次々と魔獣が迫ってくる。

 

「……なんで」

 

 スバルは息を呑んだ。

 

「なんで、俺ばっか狙ってくんだよ……!」

 

 魔獣たちの視線。

 

 赤い瞳。

 

 その全てが、スバルへ向いていた。

 

「……スバルくん」

 

 レムが低く呟いた。

 

「……何か、心当たりはありませんか?」

 

「……は?」

 

「魔獣たちが、スバルくんばかり狙っているように見えます」

 

「……んなこと言われても!」

 

 スバルは叫んだ。

 

 心当たりなど。

 

 あるはずが――。

 

「…………」

 

 いや。

 

 ある。

 

 あるじゃないか。

 

 自分には。

 

 誰にも説明できない、あの力が。

 

 死に戻り。

 

 そのたびに、自分へ纏わりつく何か。

 

 目には見えない。

 

 けれど。

 

 確かに、存在しているもの。

 

「……まさか」

 

 スバルは、唇を噛んだ。

 

 その横で。

 

 レムの表情が、僅かに険しくなっていた。

 

     ◇◇◇

 

 戦いは、長く続かなかった。

 

 いや。

 

 正確には。

 

 長く続けられる状況ではなかった。

 

「――スバルくん!」

 

 レムの叫び。

 

 スバルは振り返った。

 

 そこには、数匹の魔獣がいた。

 

 その奥。

 

 小さな人影。

 

「……っ!」

 

 子供だ。

 

 木の根元に蹲る、小さな身体。

 

 震えている。

 

「……いた!」

 

 スバルは駆け出した。

 

「スバルくん!?」

 

「ガキがいる!」

 

 レムの制止を振り切る。

 

 走る。

 

 足がもつれる。

 

 息が切れる。

 

 それでも。

 

 止まれない。

 

「――おい! 大丈夫か!?」

 

 子供が顔を上げた。

 

 涙で濡れた頬。

 

 怯えた瞳。

 

「……スバル、兄ちゃん……?」

 

「おう! 迎えに来たぜ!」

 

 スバルは笑った。

 

 できる限り。

 

 いつもの調子で。

 

「さあ、帰ろうぜ!」

 

 だが。

 

 背後から、唸り声。

 

 振り返る。

 

 魔獣が、牙を剥いていた。

 

「……っ!」

 

 逃げる暇はない。

 

 スバルは咄嗟に子供を抱き寄せた。

 

 そして。

 

 背中に、衝撃。

 

「ぐあっ……!」

 

 鋭い痛み。

 

 牙が、肩へ食い込んだ。

 

「――スバルくん!!」

 

 レムの鉄球が飛ぶ。

 

 魔獣が吹き飛んだ。

 

 スバルは、その場に膝をつく。

 

「……っ、は……!」

 

 痛い。

 

 痛い。

 

 痛い。

 

 だが。

 

 腕の中の子供は、無事だった。

 

「……へへ」

 

 スバルは笑った。

 

「……セーフ、だな」

 

 レムが駆け寄ってくる。

 

「スバルくん! どうして勝手に……!」

 

「……悪い」

 

「悪いではありません!」

 

 珍しく、レムが声を荒げた。

 

 その顔には、怒りが浮かんでいる。

 

 けれど。

 

 スバルは、その奥に別の感情を見た気がした。

 

「……でもさ」

 

 スバルは、腕の中の子供を見下ろした。

 

「……助かっただろ?」

 

「…………」

 

 レムは言葉を失った。

 

 確かに。

 

 子供は無事だった。

 

 だが。

 

 スバルの身体には、いくつもの傷が刻まれている。

 

 その全てが、魔獣の牙によるものだった。

 

「……スバルくん」

 

 レムが小さく呟く。

 

「……あなたは、一体……」

 

 その問いに、スバルは答えられなかった。

 

     ◇◇◇

 

 そして。

 

 状況は、さらに悪化した。

 

 魔獣の数が増えている。

 

 明らかに。

 

 先ほどよりも。

 

「……くそっ!」

 

 スバルは子供を背後へ庇った。

 

 レムは前方で鉄球を振るっている。

 

 だが、数が多すぎる。

 

「スバルくん! 下がってください!」

 

「わかってる!」

 

 しかし、逃げ道がない。

 

 左右から迫る魔獣。

 

 背後には木々。

 

 そして、腕の中には子供。

 

「……っ!」

 

 スバルは歯を食いしばった。

 

 どうする。

 

 どうする。

 

 どうする。

 

 自分にできることは。

 

 何がある。

 

 力はない。

 

 剣も使えない。

 

 魔法だって、ろくに扱えない。

 

 けれど。

 

 一つだけ。

 

 自分にも使えるものがある。

 

「……レム!」

 

「はい!」

 

「ちょっとだけ、時間稼いでくれ!」

 

「……何をなさるつもりですか!?」

 

「いいから!」

 

 スバルは両手を突き出した。

 

 息を吸う。

 

 意識を集中する。

 

 思い出せ。

 

 あの感覚。

 

 初めて魔法を使ったときの。

 

 身体の奥から、何かを引き出すような感覚。

 

「……頼むぜ」

 

 スバルは呟いた。

 

「……一発でいい」

 

 レムが鉄球を振るう。

 

 魔獣が吹き飛ぶ。

 

 だが、その後ろから、さらに別の影。

 

 間に合わない。

 

 このままでは。

 

「――シャマク!!」

 

 叫んだ。

 

 瞬間。

 

 闇が、広がった。

 

 視界を覆う黒。

 

 音も。

 

 距離も。

 

 方向も。

 

 全てを曖昧にする、陰魔法。

 

 魔獣たちの動きが止まる。

 

「……っ!」

 

 スバルは膝をついた。

 

 頭が割れるように痛い。

 

 身体の奥から、何かを無理やり引きずり出したような感覚。

 

 それでも。

 

「……へへ」

 

 笑った。

 

「……どうだ、畜生ども」

 

 魔獣たちが、闇の中でもがいている。

 

 レムが驚いたように振り返った。

 

「……スバルくん?」

 

「……今のうちに、逃げるぞ……!」

 

 スバルは立ち上がろうとした。

 

 だが。

 

 足に力が入らない。

 

「……あれ?」

 

 視界が揺れる。

 

 地面が近づく。

 

 倒れる。

 

 そう思った。

 

 そのとき。

 

 ――パァンッ!!

 

 乾いた破裂音が、森に響いた。

 

「…………え?」

 

 続いて、轟音。

 

 何かが吹き飛ぶ音。

 

 木々が揺れる。

 

 葉が舞い散る。

 

 そして。

 

「――おいおい」

 

 聞き覚えのある声。

 

「随分と派手にやってんじゃねえか」

 

 スバルは、ゆっくりと顔を上げた。

 

 そこには。

 

 着崩した騎士服。

 

 寒色の髪。

 

 肩に担がれた黒い鞭。

 

 そして。

 

 いつも通りの、不敵な笑み。

 

「……エリス……?」

 

「おう」

 

 エリスは笑った。

 

「迎えに来たぜ、馬鹿野郎」

 

 その姿を見た瞬間。

 

 スバルは、思わず笑ってしまった。

 

「……ははっ」

 

 なんだよ。

 

 結局。

 

 最後は、こいつか。

 

 まるで。

 

 どんなに暗い場所にいても、必ず迎えに来てくれる。

 

 そんな、頼れる兄貴のような男。

 

「……遅えよ、エリス」

 

「あ? 文句あんのか?」

 

「……大ありだっつーの」

 

 スバルは笑った。

 

 そして。

 

 張り詰めていた糸が切れたように、その場へ崩れ落ちた。

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