月光る夜   作:案院運

14 / 23
むずいねぇ


魔獣の森2

SIDE エリス

「……遅えよ、エリス」

 

「あ? 文句あんのか?」

 

「……大ありだっつーの」

 

 そう言って笑ったスバルの身体が、ぐらりと傾いた。

 

「おっと」

 

 地面に倒れるより早く、その襟首を掴む。

 

 力の抜けた身体を引き寄せ、肩を貸してやると、スバルは抵抗することなく俺に体重を預けてきた。

 

「……おい、スバル」

 

「…………」

 

「寝るなら帰ってからにしろよ」

 

 返事はない。

 

 目を閉じたまま、浅い呼吸を繰り返している。

 

 額には脂汗。

 

 顔色も悪い。

 

 どうやら、相当無理をしたらしい。

 

「……ったく」

 

 俺は小さく息を吐いた。

 

「本当に世話の焼ける野郎だな」

 

「エリス様!」

 

 レムが駆け寄ってきた。

 

 その表情には、珍しく焦りが浮かんでいる。

 

「スバルくんは……!」

 

「気絶してるだけだ。呼吸も脈もある」

 

「……よかった」

 

「ただ、随分と消耗してやがるな。何があった?」

 

「それは……」

 

 レムが言葉を詰まらせる。

 

 俺はスバルを抱え直し、近くの木の根元へ移動させた。

 

 その間にも、周囲からは魔獣の唸り声が聞こえている。

 

 シャマクの黒い靄が薄れ始めていた。

 

「説明は手短にな」

 

「……はい」

 

 レムは頷いた。

 

「スバルくんが、子供を庇って魔獣に噛まれました。その後、魔獣に囲まれたため、シャマクを使用して……」

 

「なるほどな」

 

 俺はスバルの身体を見下ろした。

 

 破れた袖。

 

 血の滲む肩。

 

 脚にも、いくつか傷がある。

 

「……何匹に噛まれた?」

 

「正確には……わかりません」

 

「一匹じゃねえんだな?」

 

「……はい」

 

「ふーん」

 

 厄介だ。

 

 ベティーが言っていた呪い。

 

 噛みついた魔獣が術者なら、こいつには複数の呪いが刻まれている可能性がある。

 

 しかも、どの魔獣が噛んだのか特定できない。

 

「……レム」

 

「はい」

 

「こいつを噛んだ魔獣は、全部殺したか?」

 

「……いえ」

 

 レムの表情が曇る。

 

「申し訳ありません。スバルくんと子供たちを守ることで精一杯で……」

 

「謝る必要はねえよ」

 

「……ですが」

 

「守れたんだろ?」

 

 俺は顎で、レムの背後を示した。

 

 そこには、小さな子供が三人。

 

 互いに身を寄せ合い、怯えた目でこちらを見つめている。

 

「だったら上出来だ」

 

「…………」

 

「それより、残りの二人は?」

 

「……まだ、見つかっていません」

 

「なら、そっちが先だな」

 

 俺は立ち上がった。

 

 鞭を右手に持ち替える。

 

「レム、スバルとガキどもを頼む」

 

「エリス様は……?」

 

「残りを探してくる」

 

「ですが、魔獣が……!」

 

「あ?」

 

 俺は首を傾げた。

 

「魔獣がどうした?」

 

「……いえ」

 

 レムは口を閉じた。

 

 何か言いたそうだったが、結局は頭を下げる。

 

「……お気をつけて」

 

「おう」

 

 俺は軽く手を振った。

 

 そして、森の奥へ向き直る。

 

 黒い靄の向こう。

 

 赤い瞳が、いくつも浮かんでいた。

 

「……さて」

 

 俺は笑った。

 

「ガキどもの居場所、知ってる奴はいるか?」

 

 当然、返事はない。

 

 代わりに、一匹の魔獣が飛びかかってきた。

 

「……そうかよ」

 

 鞭を振るう。

 

 乾いた破裂音。

 

 魔獣が地面へ叩きつけられる。

 

「なら、道を開けてもらおうか」

 

     ◇◇◇

 

 森の中は、随分と騒がしかった。

 

 魔獣が多い。

 

 それも、尋常ではない数だ。

 

 こいつらがどこから湧いてくるのか知らないが、放っておけば村にも被害が出かねない。

 

「……面倒なこった」

 

 俺は木の枝を蹴り、別の木へ飛び移った。

 

 眼下には、黒い獣たち。

 

 十匹近い群れが、森の奥へ向かって移動している。

 

 その先から、微かな泣き声が聞こえた。

 

「……いたな」

 

 俺は枝を蹴った。

 

 身体が宙へ浮く。

 

 真下にいた魔獣が顔を上げる。

 

 遅い。

 

「――どけ」

 

 鞭が唸った。

 

 先頭の魔獣の首へ巻きつき、その身体を横へ引き倒す。

 

 着地と同時に踏み込む。

 

 左手を掲げた。

 

 陽のマナが収束する。

 

「――吹っ飛べ」

 

 閃光。

 

 轟音。

 

 魔獣の群れが、まとめて吹き飛んだ。

 

 土煙が上がる。

 

 折れた枝が降り注ぐ。

 

 俺はその中を歩き抜けた。

 

「……おーい」

 

 声を張り上げる。

 

「誰かいるかー?」

 

 返事はない。

 

 だが、微かな物音がした。

 

 茂みの奥。

 

 倒木の陰。

 

 そこに、小さな影が二つ見えた。

 

「……お?」

 

 近づくと、子供たちが身を寄せ合って震えていた。

 

 一人は男の子。

 

 もう一人は女の子。

 

 どちらも泥だらけだ。

 

「……エリス、兄ちゃん……?」

 

 男の子が顔を上げる。

 

 その瞳に、じわりと涙が浮かんだ。

 

「おう」

 

 俺は笑った。

 

「迎えに来たぜ」

 

「……っ!」

 

 次の瞬間。

 

 二人が、勢いよく飛びついてきた。

 

「うおっ」

 

 思わず受け止める。

 

「おいおい、元気じゃねえか」

 

「こ、怖かった……!」

 

「魔獣が……いっぱい……!」

 

「そうかそうか」

 

 俺は二人の頭を軽く撫でた。

 

「もう大丈夫だ」

 

「……ほんと?」

 

「ああ」

 

 俺は笑った。

 

「俺がいるだろ」

 

 それだけで。

 

 子供たちは、少しだけ安心したようだった。

 

「……さて」

 

 俺は周囲を見渡す。

 

 まだ魔獣の気配はある。

 

 だが、先ほどの群れは片付けた。

 

 この辺りに留まる理由もない。

 

「帰るぞ。歩けるか?」

 

「……うん」

 

「よし」

 

 俺は二人の手を取った。

 

 そして、来た道を戻り始める。

 

     ◇◇◇

 

 レムたちと合流した頃には、森はすっかり暗くなっていた。

 

「エリス様!」

 

「おう」

 

 俺は手を上げた。

 

「残りの二人、見つけたぞ」

 

「……!」

 

 レムの表情が明るくなる。

 

「よかった……!」

 

 子供たちも、互いの姿を見つけて駆け寄った。

 

 泣きながら抱き合っている。

 

 やれやれ。

 

 これで五人全員だ。

 

「……さて」

 

 俺はスバルへ視線を向けた。

 

 相変わらず、意識は戻っていない。

 

「こいつは?」

 

「……まだ、お目覚めになりません」

 

「だろうな」

 

 俺はしゃがみ込み、スバルの顔を覗き込んだ。

 

 呼吸は安定している。

 

 だが、マナの消耗が激しい。

 

 無理に起こす必要はないだろう。

 

「レム、ガキどもを連れて先に村へ戻れ」

 

「……エリス様は?」

 

「こいつを運ぶ」

 

「ですが……」

 

「俺の方が速え」

 

 俺はスバルを背負った。

 

 軽い。

 

 いや、実際にはそれなりの体重があるのだろうが、今の俺には大した負担ではなかった。

 

「……ったく」

 

 背中の男に向かって呟く。

 

「お前、ほんと無茶するよな」

 

 返事はない。

 

 当然だ。

 

 俺は小さく笑った。

 

「……まあ」

 

 子供たちへ視線を向ける。

 

 五人とも無事。

 

 それは、こいつが無茶をした結果でもある。

 

「……悪くねえけどな」

 

     ◇◇◇

 

 屋敷へ戻った頃には、夜も深くなっていた。

 

 玄関で出迎えたラムが、俺の背中を見るなり眉を寄せた。

 

「……エリス様」

 

「おう」

 

「バルスは、どうしたのですか?」

 

「ちょっと頑張りすぎたらしい」

 

「……またですか」

 

 ラムがため息をつく。

 

 だが、その視線はスバルの傷へ向けられていた。

 

「……随分と、派手にやられていますね」

 

「魔獣に噛まれた」

 

「……呪い、ですか」

 

「多分な」

 

 俺は頷いた。

 

「ベティーに診てもらう。起こしてくれ」

 

「承知いたしました」

 

 ラムが踵を返す。

 

 その背中を見送りながら、俺はスバルを客室へ運んだ。

 

 ベッドへ寝かせる。

 

 布団を掛ける。

 

 そして。

 

「……さて」

 

 俺は椅子に腰を下ろした。

 

 面倒なことになった。

 

 スバルには、複数の呪いが刻まれている可能性がある。

 

 術者は魔獣。

 

 しかも、どれが術者なのかわからない。

 

 なら。

 

 どうするか。

 

「……全部殺しゃいいんだがな」

 

 俺は小さく呟いた。

 

 だが、森は広い。

 

 魔獣の数も多い。

 

 闇雲に探し回るのは、効率が悪い。

 

 何か、まとめて集める方法でもあれば――。

 

「……エリス」

 

 声がした。

 

 振り返る。

 

 そこには、ベティーが立っていた。

 

「……おう、ベティー」

 

「まったく……」

 

 ベティーはスバルを見るなり、顔をしかめた。

 

「また面倒事を持ち込んだのかしら」

 

「悪いな」

 

「エリスが謝ることじゃないのよ」

 

 そう言いながら、ベティーはベッドへ近づいた。

 

 スバルの腕を取る。

 

 目を閉じる。

 

 しばらくの沈黙。

 

 そして。

 

「……最悪なのよ」

 

 小さく呟いた。

 

「……どうした?」

 

「呪いが、いくつも重なっているかしら」

 

「……やっぱりか」

 

「しかも、術者が複数なのよ。全部を安全に解呪するには、時間も条件も足りないかしら」

 

「ふーん」

 

 俺は顎に手を当てた。

 

「なら、術者を殺すしかねえな」

 

「……そういうことになるのよ」

 

「了解」

 

 俺は頷いた。

 

「明日、森へ行く」

 

「……エリス」

 

「あ?」

 

「……気をつけるのよ」

 

 ベティーが、こちらを見上げていた。

 

 俺は笑った。

 

「心配すんな」

 

 その頭を軽く撫でる。

 

「すぐ帰ってくる」

 

「……ふん」

 

 ベティーは顔を背けた。

 

「別に、心配なんかしてないかしら」

 

「そうかよ」

 

 俺は笑った。

 

 そして、立ち上がる。

 

 明日の準備をしなければ。

 

     ◇◇◇

 

 廊下へ出ると、レムが立っていた。

 

「……エリス様」

 

「おう」

 

「スバルくんの容態は……?」

 

「今すぐどうこうってわけじゃねえ。ただ、呪いが残ってる」

 

「……っ」

 

 レムの表情が曇った。

 

「……そう、ですか」

 

「明日、森へ行って魔獣を片付ける」

 

「……エリス様が?」

 

「ああ」

 

「…………」

 

 レムは俯いた。

 

 何かを考えているようだった。

 

「……レム?」

 

「……いえ」

 

 顔を上げる。

 

 いつもの、柔らかな笑顔。

 

「承知いたしました」

 

「おう」

 

 俺は頷いた。

 

「今日はもう休め。お前も疲れただろ」

 

「……はい」

 

「よくやったな」

 

「……え?」

 

「ガキども守ったんだろ。十分だ」

 

「…………」

 

 レムが目を見開いた。

 

 そして。

 

「……ありがとうございます」

 

 深く頭を下げた。

 

 俺は軽く手を振り、その場を後にした。

 

 明日は忙しくなる。

 

 今夜くらいは、ゆっくり休んでおきたい。

 

 そう思っていた。

 

 ――そのときは、まだ。

 

     ◇◇◇

 

 深夜。

 

 屋敷は静まり返っていた。

 

 窓から差し込む月明かりが、廊下を淡く照らしている。

 

 レムは一人、自室に立っていた。

 

 手には、愛用のモーニングスター。

 

 その鎖を、静かに握り締める。

 

「…………」

 

 思い出す。

 

 森での出来事。

 

 魔獣の群れ。

 

 子供を庇って傷ついたスバル。

 

 そして。

 

 当然のように現れ、全てを片付けてしまったエリス。

 

「……エリス様は、すごい方です」

 

 小さく呟いた。

 

 その言葉に、嘘はない。

 

 尊敬している。

 

 心から。

 

 だが。

 

「……レムは」

 

 視線を落とす。

 

 自分の手。

 

 魔獣を倒すことはできた。

 

 子供たちを守ることもできた。

 

 けれど。

 

 スバルは傷ついた。

 

 呪いを受けた。

 

 そして、意識を失った。

 

「……また、守れなかった」

 

 声が震える。

 

 姉様なら。

 

 きっと、もっと上手くできた。

 

 エリス様なら。

 

 誰一人傷つけずに、全てを終わらせられた。

 

 それなのに。

 

 自分は。

 

「…………」

 

 レムは目を閉じた。

 

 胸の奥に、古い痛みが蘇る。

 

 かつて。

 

 何もできなかった自分。

 

 姉の背中ばかり追いかけていた自分。

 

 そして。

 

 今もなお。

 

 何も変わっていないのではないかという恐怖。

 

「……これ以上」

 

 レムは呟いた。

 

「……エリス様に、ご迷惑をおかけするわけにはいきません」

 

 スバルには、まだ疑念が残っている。

 

 魔女の残り香。

 

 不可解な行動。

 

 説明のつかない執着。

 

 けれど。

 

 子供を庇ったあの姿も、確かに見た。

 

 あの傷は、本物だった。

 

 だからこそ。

 

 余計に、胸が苦しかった。

 

「……レムが、やらなければ」

 

 モーニングスターを握り直す。

 

 扉へ向かう。

 

 足音を殺す。

 

 誰にも気づかれないように。

 

 屋敷の廊下を進む。

 

 玄関を抜ける。

 

 冷たい夜風が、頬を撫でた。

 

 遠くには、暗い森が広がっている。

 

 その奥には。

 

 まだ、多くの魔獣が残っている。

 

「…………」

 

 レムは一度だけ、屋敷を振り返った。

 

 灯りの消えた窓。

 

 静かな建物。

 

 大切な人たちが眠る場所。

 

「……姉様」

 

 小さく呟く。

 

「……エリス様」

 

 そして。

 

「……スバルくん」

 

 その名を口にした瞬間。

 

 レムは、僅かに唇を噛んだ。

 

 まだ、信用できない。

 

 けれど。

 

 あの少年が、命を懸けて子供を守ったことだけは。

 

 否定できなかった。

 

「……レムが、何とかします」

 

 誰に聞かせるでもなく、そう告げる。

 

 そして。

 

 レムは、一人で森へ向かって歩き出した。

 

 月明かりの下。

 

 その小さな背中は、やがて闇の中へ消えていった。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定
▲ページの一番上に飛ぶ  X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。