月光る夜   作:案院運

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いいかんじ


魔獣の森4

魔獣の森

 

 

SIDE エリス

 

 さて。

 

 どうしたもんかね。

 

 目の前には、額から一本の角を生やした青髪の少女。

 

 その手には、血に濡れたモーニングスター。

 

 周囲には、こちらを取り囲む魔獣の群れ。

 

 そして俺の背後には、今しがたその少女に頭を叩き潰されかけた黒髪の少年。

 

「……エリス」

 

「あ?」

 

「……レム、マジで俺のこと殺そうとしたよな?」

 

「そうだな」

 

「……即答すんなよ」

 

「実際そうだったろ」

 

 スバルの声は震えていた。

 

 無理もない。あんな鉄球を頭に叩き込まれりゃ、人間なんざひとたまりもない。

 

 ましてや、相手は昨日まで一緒に村を歩いていた少女だ。

 

「スバル、下がってろ」

 

「……え?」

 

「ちょっと確認したいことがある」

 

 俺は鞭を振った。

 

 飛びかかってきた魔獣が、乾いた破裂音とともに地面を転がる。

 

「……誰に?」

 

「ラムだ」

 

 俺は懐へ手を伸ばした。

 

 指先に触れる、小さな銀色の通信具。

 

 それを取り出したところで、今朝のことを思い出した。

 

     ◇◇◇

 

 ――出発前。

 

「ベティー」

 

「……何かしら」

 

 禁書庫の椅子に腰掛けた少女が、本から顔を上げた。

 

「森まで行ってくる。留守を頼んだぞ」

 

「……またなのかしら?」

 

「ああ。レムがいなくなった」

 

 ベアトリスの手が止まる。

 

「……あの青い娘が?」

 

「多分、昨日の魔獣を片付けに行ったんだろ」

 

「……馬鹿なのよ」

 

「まったくだ」

 

「お前も含めて言ってるかしら」

 

「俺は別だろ」

 

「どの口が言うのよ!」

 

 ベアトリスが本を閉じた。

 

「まったく、お前は少し落ち着くことを覚えるべきかしら」

 

「落ち着いてるだろ」

 

「どこがなのよ!」

 

 俺は笑って、少女の頭に手を置いた。

 

「まあ、そう怒んなって。リアとラムのことも頼むぞ」

 

「…………」

 

 ベアトリスは顔を背けた。

 

「……言われなくても、ベティーは屋敷くらい守れるのよ」

 

「おう。頼りにしてるぜ」

 

「……っ!」

 

 何故か、少女の耳が赤くなる。

 

「べ、別にお前に頼られたから嬉しいわけじゃないかしら!」

 

「そうかよ」

 

「……もう!」

 

 相変わらず、よくわからん奴だ。

 

 俺は扉へ向かう。

 

「じゃあ、行ってくるわ」

 

「……エリス」

 

「あ?」

 

 振り返ると、ベアトリスがこちらを見ていた。

 

「……ちゃんと帰ってくるのよ」

 

 俺は笑った。

 

「当たり前だろ」

 

     ◇◇◇

 

「エリー!」

 

 廊下へ出てしばらくすると、リアに呼び止められた。

 

「おう、リア」

 

「レムを探しに行くんだよね?」

 

「ああ。スバルと一緒にな」

 

「……私も行った方がいい?」

 

 心配そうな顔だ。

 

「いや、お前は残ってくれ」

 

「……でも」

 

「ベティーにも屋敷を頼んである。お前はラムと一緒にいてやれ」

 

「……ラムと?」

 

「ああ。あいつ、あれで結構心配してるだろ」

 

 リアは少し考えて、頷いた。

 

「……うん。わかった」

 

「それに、何かあったら【月】で連絡できるしな」

 

 俺は彼女の首元を指差した。

 

 銀色の鎖に吊るされた、小さな月の飾り。

 

 以前、俺が渡したものだ。

 

「ラムにも通信具を渡しておく。何かあったら、そいつを通して連絡してくれ」

 

「……うん!」

 

 リアは首飾りをそっと握った。

 

「気をつけてね、エリー」

 

「おう。行ってくる」

 

     ◇◇◇

 

 ――現在。

 

「……さて」

 

 俺は通信具へマナを流し込んだ。

 

 中央の石が淡く光る。

 

「ラム、聞こえるか?」

 

『……エリス様?』

 

「おう。俺だ」

 

『何かございましたか?』

 

「レムを見つけた」

 

『……! レムは無事なのですか?』

 

「生きてる。ただ、ちょっと厄介なことになっててな」

 

『……厄介なこと?』

 

 俺は前方へ視線を向けた。

 

 荒い息を吐きながら、こちらを睨みつける青髪の鬼。

 

「お前の妹、角を出して暴走してんだよ」

 

 通信具の向こうで、ラムが息を呑んだ。

 

『……角を、出しているのですか?』

 

「ああ。意識はあるみたいだが、話が通じねえ」

 

『……バルスは?』

 

「隣にいる。どうも魔女の臭いがするとかで、こいつを敵だと思ってるらしい」

 

『…………』

 

「で、どうすりゃいい?」

 

『……まず、レムを魔獣から引き離してください。角からマナを取り込み続ければ、身体への負担が大きくなります』

 

「なるほどな」

 

『それから、角に衝撃を与えてください』

 

「……角に?」

 

『はい。強い衝撃は必要ありません。角に適切な衝撃を与えれば、鬼化を解除できます』

 

「ふーん」

 

 俺は自分の手を見た。

 

 それから、スバルを見る。

 

「……なるほどな」

 

『ただし、角を傷つけないようにしてください。力を加えすぎれば危険です』

 

「了解。こっちで何とかする」

 

『……エリス様』

 

「あ?」

 

『……レムを、お願いいたします』

 

 いつもより少しだけ弱い声だった。

 

 俺は笑った。

 

「任せとけ」

 

 通信を切る。

 

     ◇◇◇

 

「……で?」

 

 スバルがこちらを見た。

 

「どうすんだ?」

 

「角を叩けばいいらしい」

 

「……角?」

 

「ああ。強くやりすぎると駄目らしいがな」

 

 俺は腰に差した予備の剣を抜いた。

 

 そして、スバルへ差し出す。

 

「ほら」

 

「……へ?」

 

「お前の出番だ」

 

「……は?」

 

 スバルが固まった。

 

「いやいやいや! 待て待て待て!」

 

「あ?」

 

「なんで俺!?」

 

「俺がやると角までぶっ壊しかねねえ」

 

「……いや、加減しろよ!」

 

「できなくはねえが、暴れてる相手の角を正確に小突くんだぞ。余計な危険を増やす必要ねえだろ」

 

「…………」

 

「お前ならちょうどいい」

 

「……それ、俺が非力ってこと?」

 

「そうだな」

 

「否定しろよ!」

 

 俺は笑った。

 

「剣の平で軽く叩け。刃を当てるなよ」

 

「……マジで?」

 

「大マジ」

 

 スバルは剣を受け取った。

 

 その手が、僅かに震えている。

 

 視線の先には、鬼化したレム。

 

 彼女は今も、赤い瞳でこちらを睨みつけていた。

 

「……エリス」

 

「あ?」

 

「……俺さ」

 

 スバルが俯いた。

 

「……正直、怖えんだよ」

 

「…………」

 

「さっき、マジで死ぬかと思った」

 

 剣を握る指に、力が入る。

 

「助けたいとは思ってる。思ってるんだけど……」

 

 その声が震えた。

 

「……また、あれが飛んできたらって考えると、足が動かねえ」

 

 俺はスバルを見た。

 

 傷だらけの身体。

 

 青ざめた顔。

 

 震える手。

 

 それでも。

 

 その目は、レムから離れていなかった。

 

「……スバル」

 

「……なんだよ」

 

 俺は笑った。

 

 いつも通りに。

 

 何でもないことのように。

 

「黙って俺についてこい。そうすりゃ全て上手くいく」

 

「…………」

 

 スバルが目を見開いた。

 

「……お前、それ……」

 

「あ?」

 

「……失敗したらどうすんだよ」

 

「失敗しねえよ」

 

 即答した。

 

「……なんで、そんなこと言い切れんだよ」

 

「俺がいるからだろ」

 

「…………」

 

 スバルは呆れたように笑った。

 

「……なんだよ、それ」

 

「文句あんのか?」

 

「……ねえよ」

 

 震えていた拳を、ゆっくりと開く。

 

「……ねえよ、バカ野郎」

 

 そして、顔を上げた。

 

「……頼むぜ、エリス」

 

「おう」

 

 俺は鞭を構えた。

 

「行くぞ、スバル」

 

     ◇◇◇

 

 ――パァンッ!!

 

 乾いた破裂音が森に響いた。

 

 飛びかかってきた魔獣の頭部を鞭が打ち抜く。

 

 続けざまに、二匹。

 

 三匹。

 

 地面を蹴り、レムとの距離を詰める。

 

「――ッ!」

 

 レムが吠えた。

 

 巨大な鉄球が唸りを上げる。

 

 ――ガァンッ!!

 

 鞭が鉄球を絡め取り、その軌道を逸らした。

 

「おいおい」

 

 俺は笑った。

 

「そいつは味方だぞ?」

 

「……魔女……!」

 

「違う違う」

 

 レムが再び鉄球を振るう。

 

 俺は一歩踏み込み、その腕を掴んだ。

 

 凄まじい膂力。

 

 鬼族の力というのは、なかなか大したものだ。

 

「……っと」

 

 腕を捻り、勢いを殺す。

 

 同時に、足元へ陰魔法を展開した。

 

 黒い影が地面を這い、レムの足首を絡め取る。

 

「――ッ!」

 

 レムが暴れる。

 

 だが、そう簡単には抜け出せない。

 

「スバル!」

 

「……お、おう!」

 

「今だ!」

 

 俺の背後から、黒髪の少年が飛び出した。

 

 その手には、剣。

 

 レムの赤い瞳が、スバルを捉える。

 

「……魔女ッ!!」

 

 自由な腕が振り上げられた。

 

「……っ!」

 

 スバルの足が止まりかける。

 

 俺は鞭を引いた。

 

 レムの身体が僅かに傾き、拳が空を切る。

 

「止まるな!」

 

「――おう!!」

 

 スバルが歯を食いしばった。

 

 そして。

 

「――悪いな、レム!」

 

 大きく踏み込む。

 

「ちょっとだけ、我慢してくれよ!」

 

 剣を振り上げた。

 

 刃ではなく、平を向けて。

 

 ――カンッ!

 

 乾いた音が響いた。

 

 剣の平が、レムの角を軽く叩く。

 

「――あ……」

 

 レムの赤い瞳が揺れた。

 

 次の瞬間。

 

 額の角から光が失われる。

 

 身体から、力が抜けた。

 

「……っと!」

 

 倒れかけたレムを、スバルが慌てて抱き留める。

 

「……レム?」

 

 返事はない。

 

 静かに目を閉じたまま、動かない。

 

「……お、おい」

 

 スバルの顔が青ざめる。

 

「……エリス!」

 

「あ?」

 

「……レム、動かねえんだけど!?」

 

「落ち着け」

 

 俺はレムの呼吸を確認した。

 

 脈もある。

 

 角は完全に消えていた。

 

「……大丈夫だ。気絶してるだけだな」

 

「……マジ?」

 

「ああ」

 

 スバルは、大きく息を吐いた。

 

「……よかったぁ……」

 

 そのまま、地面に座り込む。

 

 俺は笑った。

 

「お疲れさん」

 

「……おう」

 

「よくやったな」

 

「…………」

 

 スバルが顔を上げた。

 

「……俺、ちゃんと助けられたよな?」

 

「ああ」

 

「……そっか」

 

「お前が角を叩いたんだろ。俺じゃねえ」

 

「…………」

 

「胸張っとけよ、スバル」

 

 スバルは、少しだけ笑った。

 

「……おう」

 

     ◇◇◇

 

 それから、十五分ほど。

 

 俺たちは、少し開けた場所で休息を取っていた。

 

 周囲の魔獣は、近づいてきた端から片付けてある。

 

 レムは木の根元に寝かせ、スバルがその隣に座っていた。

 

「……なあ、エリス」

 

「あ?」

 

「……レム、起きるよな?」

 

「起きるだろ」

 

「……ほんとか?」

 

「呼吸も脈も安定してる。今んところ心配するような状態じゃねえよ」

 

「……そっか」

 

 スバルは、レムの顔を見た。

 

 眠っている少女。

 

 先ほどまで鬼の形相で暴れていたとは思えないほど、穏やかな顔だった。

 

「……俺さ」

 

「……ん?」

 

「……あいつに、嫌われてんのかな」

 

 俺は眉を上げた。

 

「……なんで?」

 

「……いや」

 

 スバルは困ったように笑った。

 

「……なんとなく」

 

 俺は肩をすくめた。

 

「知らねえよ」

 

「……おい」

 

「本人に聞け」

 

「……簡単に言うなぁ」

 

「簡単だろ」

 

 俺は笑った。

 

「起きたら聞けばいい」

 

「…………」

 

 スバルは、少しだけ黙った。

 

 そして。

 

「……そうだな」

 

 小さく頷いた。

 

     ◇◇◇

 

「……ん……」

 

 小さな声が聞こえた。

 

 スバルが顔を上げる。

 

「……レム?」

 

 青髪の少女が、ゆっくりと瞼を開いた。

 

「……ここ、は……?」

 

「……お!」

 

 スバルが身を乗り出した。

 

「起きた! エリス、起きたぞ!」

 

「見りゃわかる」

 

「もっと喜べよ!」

 

「喜んでるだろ」

 

「どこがだよ!」

 

 俺は笑った。

 

 レムは、そんな二人をぼんやりと見つめていた。

 

「……エリス様……?」

 

「おう」

 

「……スバル、くん……?」

 

「……おう!」

 

 スバルが笑った。

 

「……おかえり、レム」

 

「…………」

 

 レムの瞳が揺れた。

 

 そして。

 

 ゆっくりと、周囲を見渡す。

 

 倒れた魔獣。

 

 荒れた地面。

 

 血に濡れたモーニングスター。

 

 その表情が、強張った。

 

「……レムは……」

 

 掠れた声。

 

「……何を……」

 

「ちょっと暴れてた」

 

 俺は肩をすくめた。

 

「まあ、無事で何よりだ」

 

「…………」

 

 レムは俯いた。

 

 そして。

 

「……申し訳、ありません……」

 

 その声が震える。

 

「……レムは……また……」

 

「おい」

 

 俺は言った。

 

「謝るのは後にしろ」

 

「……え?」

 

「まだ終わってねえんだからな」

 

 レムが顔を上げた。

 

 俺は森の奥を見た。

 

 まだ、魔獣の気配が残っている。

 

「……さて」

 

 俺は鞭を握り直した。

 

「そろそろ、全部片付けるか」

 

 スバルが顔を上げる。

 

「……エリス」

 

「あ?」

 

「……その前に、ちょっといいか?」

 

 スバルは、レムを見た。

 

「……話しておきたいことがあるんだ」

 

 レムの瞳が、僅かに揺れた。

 

「……スバルくん……?」

 

 スバルは、困ったように笑った。

 

「……俺の、魔女の臭いのこと」

 

 森に、静かな風が吹いた。

 

 レムの表情が、ゆっくりと強張る。

 

 そして。

 

 俺は、二人を見た。

 

 どうやら。

 

 今度は、俺の出番じゃなさそうだ。

 

 俺は鞭を肩に担ぎ、周囲へ視線を向けた。

 

「……話してろ」

 

 スバルがこちらを見る。

 

「……エリス?」

 

「周りは俺が見とく」

 

 俺は笑った。

 

「好きなだけ話せ」

 

 そう言って。

 

 二人に背を向けた。

 

 森の奥から、魔獣の唸り声が聞こえる。

 

「……ったく」

 

 俺は鞭を握り直した。

 

「空気の読めねえ連中だな」

 

 乾いた破裂音が、森に響いた。

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