魔獣の森
SIDE エリス
さて。
どうしたもんかね。
目の前には、額から一本の角を生やした青髪の少女。
その手には、血に濡れたモーニングスター。
周囲には、こちらを取り囲む魔獣の群れ。
そして俺の背後には、今しがたその少女に頭を叩き潰されかけた黒髪の少年。
「……エリス」
「あ?」
「……レム、マジで俺のこと殺そうとしたよな?」
「そうだな」
「……即答すんなよ」
「実際そうだったろ」
スバルの声は震えていた。
無理もない。あんな鉄球を頭に叩き込まれりゃ、人間なんざひとたまりもない。
ましてや、相手は昨日まで一緒に村を歩いていた少女だ。
「スバル、下がってろ」
「……え?」
「ちょっと確認したいことがある」
俺は鞭を振った。
飛びかかってきた魔獣が、乾いた破裂音とともに地面を転がる。
「……誰に?」
「ラムだ」
俺は懐へ手を伸ばした。
指先に触れる、小さな銀色の通信具。
それを取り出したところで、今朝のことを思い出した。
◇◇◇
――出発前。
「ベティー」
「……何かしら」
禁書庫の椅子に腰掛けた少女が、本から顔を上げた。
「森まで行ってくる。留守を頼んだぞ」
「……またなのかしら?」
「ああ。レムがいなくなった」
ベアトリスの手が止まる。
「……あの青い娘が?」
「多分、昨日の魔獣を片付けに行ったんだろ」
「……馬鹿なのよ」
「まったくだ」
「お前も含めて言ってるかしら」
「俺は別だろ」
「どの口が言うのよ!」
ベアトリスが本を閉じた。
「まったく、お前は少し落ち着くことを覚えるべきかしら」
「落ち着いてるだろ」
「どこがなのよ!」
俺は笑って、少女の頭に手を置いた。
「まあ、そう怒んなって。リアとラムのことも頼むぞ」
「…………」
ベアトリスは顔を背けた。
「……言われなくても、ベティーは屋敷くらい守れるのよ」
「おう。頼りにしてるぜ」
「……っ!」
何故か、少女の耳が赤くなる。
「べ、別にお前に頼られたから嬉しいわけじゃないかしら!」
「そうかよ」
「……もう!」
相変わらず、よくわからん奴だ。
俺は扉へ向かう。
「じゃあ、行ってくるわ」
「……エリス」
「あ?」
振り返ると、ベアトリスがこちらを見ていた。
「……ちゃんと帰ってくるのよ」
俺は笑った。
「当たり前だろ」
◇◇◇
「エリー!」
廊下へ出てしばらくすると、リアに呼び止められた。
「おう、リア」
「レムを探しに行くんだよね?」
「ああ。スバルと一緒にな」
「……私も行った方がいい?」
心配そうな顔だ。
「いや、お前は残ってくれ」
「……でも」
「ベティーにも屋敷を頼んである。お前はラムと一緒にいてやれ」
「……ラムと?」
「ああ。あいつ、あれで結構心配してるだろ」
リアは少し考えて、頷いた。
「……うん。わかった」
「それに、何かあったら【月】で連絡できるしな」
俺は彼女の首元を指差した。
銀色の鎖に吊るされた、小さな月の飾り。
以前、俺が渡したものだ。
「ラムにも通信具を渡しておく。何かあったら、そいつを通して連絡してくれ」
「……うん!」
リアは首飾りをそっと握った。
「気をつけてね、エリー」
「おう。行ってくる」
◇◇◇
――現在。
「……さて」
俺は通信具へマナを流し込んだ。
中央の石が淡く光る。
「ラム、聞こえるか?」
『……エリス様?』
「おう。俺だ」
『何かございましたか?』
「レムを見つけた」
『……! レムは無事なのですか?』
「生きてる。ただ、ちょっと厄介なことになっててな」
『……厄介なこと?』
俺は前方へ視線を向けた。
荒い息を吐きながら、こちらを睨みつける青髪の鬼。
「お前の妹、角を出して暴走してんだよ」
通信具の向こうで、ラムが息を呑んだ。
『……角を、出しているのですか?』
「ああ。意識はあるみたいだが、話が通じねえ」
『……バルスは?』
「隣にいる。どうも魔女の臭いがするとかで、こいつを敵だと思ってるらしい」
『…………』
「で、どうすりゃいい?」
『……まず、レムを魔獣から引き離してください。角からマナを取り込み続ければ、身体への負担が大きくなります』
「なるほどな」
『それから、角に衝撃を与えてください』
「……角に?」
『はい。強い衝撃は必要ありません。角に適切な衝撃を与えれば、鬼化を解除できます』
「ふーん」
俺は自分の手を見た。
それから、スバルを見る。
「……なるほどな」
『ただし、角を傷つけないようにしてください。力を加えすぎれば危険です』
「了解。こっちで何とかする」
『……エリス様』
「あ?」
『……レムを、お願いいたします』
いつもより少しだけ弱い声だった。
俺は笑った。
「任せとけ」
通信を切る。
◇◇◇
「……で?」
スバルがこちらを見た。
「どうすんだ?」
「角を叩けばいいらしい」
「……角?」
「ああ。強くやりすぎると駄目らしいがな」
俺は腰に差した予備の剣を抜いた。
そして、スバルへ差し出す。
「ほら」
「……へ?」
「お前の出番だ」
「……は?」
スバルが固まった。
「いやいやいや! 待て待て待て!」
「あ?」
「なんで俺!?」
「俺がやると角までぶっ壊しかねねえ」
「……いや、加減しろよ!」
「できなくはねえが、暴れてる相手の角を正確に小突くんだぞ。余計な危険を増やす必要ねえだろ」
「…………」
「お前ならちょうどいい」
「……それ、俺が非力ってこと?」
「そうだな」
「否定しろよ!」
俺は笑った。
「剣の平で軽く叩け。刃を当てるなよ」
「……マジで?」
「大マジ」
スバルは剣を受け取った。
その手が、僅かに震えている。
視線の先には、鬼化したレム。
彼女は今も、赤い瞳でこちらを睨みつけていた。
「……エリス」
「あ?」
「……俺さ」
スバルが俯いた。
「……正直、怖えんだよ」
「…………」
「さっき、マジで死ぬかと思った」
剣を握る指に、力が入る。
「助けたいとは思ってる。思ってるんだけど……」
その声が震えた。
「……また、あれが飛んできたらって考えると、足が動かねえ」
俺はスバルを見た。
傷だらけの身体。
青ざめた顔。
震える手。
それでも。
その目は、レムから離れていなかった。
「……スバル」
「……なんだよ」
俺は笑った。
いつも通りに。
何でもないことのように。
「黙って俺についてこい。そうすりゃ全て上手くいく」
「…………」
スバルが目を見開いた。
「……お前、それ……」
「あ?」
「……失敗したらどうすんだよ」
「失敗しねえよ」
即答した。
「……なんで、そんなこと言い切れんだよ」
「俺がいるからだろ」
「…………」
スバルは呆れたように笑った。
「……なんだよ、それ」
「文句あんのか?」
「……ねえよ」
震えていた拳を、ゆっくりと開く。
「……ねえよ、バカ野郎」
そして、顔を上げた。
「……頼むぜ、エリス」
「おう」
俺は鞭を構えた。
「行くぞ、スバル」
◇◇◇
――パァンッ!!
乾いた破裂音が森に響いた。
飛びかかってきた魔獣の頭部を鞭が打ち抜く。
続けざまに、二匹。
三匹。
地面を蹴り、レムとの距離を詰める。
「――ッ!」
レムが吠えた。
巨大な鉄球が唸りを上げる。
――ガァンッ!!
鞭が鉄球を絡め取り、その軌道を逸らした。
「おいおい」
俺は笑った。
「そいつは味方だぞ?」
「……魔女……!」
「違う違う」
レムが再び鉄球を振るう。
俺は一歩踏み込み、その腕を掴んだ。
凄まじい膂力。
鬼族の力というのは、なかなか大したものだ。
「……っと」
腕を捻り、勢いを殺す。
同時に、足元へ陰魔法を展開した。
黒い影が地面を這い、レムの足首を絡め取る。
「――ッ!」
レムが暴れる。
だが、そう簡単には抜け出せない。
「スバル!」
「……お、おう!」
「今だ!」
俺の背後から、黒髪の少年が飛び出した。
その手には、剣。
レムの赤い瞳が、スバルを捉える。
「……魔女ッ!!」
自由な腕が振り上げられた。
「……っ!」
スバルの足が止まりかける。
俺は鞭を引いた。
レムの身体が僅かに傾き、拳が空を切る。
「止まるな!」
「――おう!!」
スバルが歯を食いしばった。
そして。
「――悪いな、レム!」
大きく踏み込む。
「ちょっとだけ、我慢してくれよ!」
剣を振り上げた。
刃ではなく、平を向けて。
――カンッ!
乾いた音が響いた。
剣の平が、レムの角を軽く叩く。
「――あ……」
レムの赤い瞳が揺れた。
次の瞬間。
額の角から光が失われる。
身体から、力が抜けた。
「……っと!」
倒れかけたレムを、スバルが慌てて抱き留める。
「……レム?」
返事はない。
静かに目を閉じたまま、動かない。
「……お、おい」
スバルの顔が青ざめる。
「……エリス!」
「あ?」
「……レム、動かねえんだけど!?」
「落ち着け」
俺はレムの呼吸を確認した。
脈もある。
角は完全に消えていた。
「……大丈夫だ。気絶してるだけだな」
「……マジ?」
「ああ」
スバルは、大きく息を吐いた。
「……よかったぁ……」
そのまま、地面に座り込む。
俺は笑った。
「お疲れさん」
「……おう」
「よくやったな」
「…………」
スバルが顔を上げた。
「……俺、ちゃんと助けられたよな?」
「ああ」
「……そっか」
「お前が角を叩いたんだろ。俺じゃねえ」
「…………」
「胸張っとけよ、スバル」
スバルは、少しだけ笑った。
「……おう」
◇◇◇
それから、十五分ほど。
俺たちは、少し開けた場所で休息を取っていた。
周囲の魔獣は、近づいてきた端から片付けてある。
レムは木の根元に寝かせ、スバルがその隣に座っていた。
「……なあ、エリス」
「あ?」
「……レム、起きるよな?」
「起きるだろ」
「……ほんとか?」
「呼吸も脈も安定してる。今んところ心配するような状態じゃねえよ」
「……そっか」
スバルは、レムの顔を見た。
眠っている少女。
先ほどまで鬼の形相で暴れていたとは思えないほど、穏やかな顔だった。
「……俺さ」
「……ん?」
「……あいつに、嫌われてんのかな」
俺は眉を上げた。
「……なんで?」
「……いや」
スバルは困ったように笑った。
「……なんとなく」
俺は肩をすくめた。
「知らねえよ」
「……おい」
「本人に聞け」
「……簡単に言うなぁ」
「簡単だろ」
俺は笑った。
「起きたら聞けばいい」
「…………」
スバルは、少しだけ黙った。
そして。
「……そうだな」
小さく頷いた。
◇◇◇
「……ん……」
小さな声が聞こえた。
スバルが顔を上げる。
「……レム?」
青髪の少女が、ゆっくりと瞼を開いた。
「……ここ、は……?」
「……お!」
スバルが身を乗り出した。
「起きた! エリス、起きたぞ!」
「見りゃわかる」
「もっと喜べよ!」
「喜んでるだろ」
「どこがだよ!」
俺は笑った。
レムは、そんな二人をぼんやりと見つめていた。
「……エリス様……?」
「おう」
「……スバル、くん……?」
「……おう!」
スバルが笑った。
「……おかえり、レム」
「…………」
レムの瞳が揺れた。
そして。
ゆっくりと、周囲を見渡す。
倒れた魔獣。
荒れた地面。
血に濡れたモーニングスター。
その表情が、強張った。
「……レムは……」
掠れた声。
「……何を……」
「ちょっと暴れてた」
俺は肩をすくめた。
「まあ、無事で何よりだ」
「…………」
レムは俯いた。
そして。
「……申し訳、ありません……」
その声が震える。
「……レムは……また……」
「おい」
俺は言った。
「謝るのは後にしろ」
「……え?」
「まだ終わってねえんだからな」
レムが顔を上げた。
俺は森の奥を見た。
まだ、魔獣の気配が残っている。
「……さて」
俺は鞭を握り直した。
「そろそろ、全部片付けるか」
スバルが顔を上げる。
「……エリス」
「あ?」
「……その前に、ちょっといいか?」
スバルは、レムを見た。
「……話しておきたいことがあるんだ」
レムの瞳が、僅かに揺れた。
「……スバルくん……?」
スバルは、困ったように笑った。
「……俺の、魔女の臭いのこと」
森に、静かな風が吹いた。
レムの表情が、ゆっくりと強張る。
そして。
俺は、二人を見た。
どうやら。
今度は、俺の出番じゃなさそうだ。
俺は鞭を肩に担ぎ、周囲へ視線を向けた。
「……話してろ」
スバルがこちらを見る。
「……エリス?」
「周りは俺が見とく」
俺は笑った。
「好きなだけ話せ」
そう言って。
二人に背を向けた。
森の奥から、魔獣の唸り声が聞こえる。
「……ったく」
俺は鞭を握り直した。
「空気の読めねえ連中だな」
乾いた破裂音が、森に響いた。