月光る夜   作:案院運

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王選4

SIDE スバル

 

「――というわけで、連れてきたぞ」

 

 翌朝。

 

 王都の滞在先にある一室で、エリスはそう言って扉を開けた。

 

「おーっす! 待ってたぜ、エリス!」

 

 寝台に腰掛けていた俺は、勢いよく片手を上げる。

 

 隣ではレムが、丁寧に頭を下げていた。

 

「おはようございます、エリス様」

 

「おう。具合はどうだ、スバル」

 

「絶好調! 今なら王都一周くらい余裕だぜ!」

 

「じゃあ、あとで十周な」

 

「鬼かよ!」

 

「鬼はそっちにいるだろ」

 

「レムを巻き込むな!」

 

 レムがくすりと笑った。

 

 そんな俺たちのやり取りを眺めながら、エリスは部屋の外へ声をかける。

 

「おい、フェリス。入ってこい」

 

「はぁ〜い!」

 

 ……ん?

 

 なんか、妙に可愛らしい声が聞こえた。

 

「お邪魔するにゃ〜!」

 

 扉の向こうから姿を現したのは、一人の少女――

 

 いや。

 

 猫耳の生えた、可愛らしい女の子だった。

 

 大きな瞳。

 

 華奢な身体。

 

 愛嬌たっぷりの笑顔。

 

 そして、頭の上でぴこぴこと動く猫耳。

 

「…………」

 

 俺は固まった。

 

 ……え?

 

 なにこの子。

 

 めっちゃ可愛くない?

 

「紹介する。こいつがフェリックス・アーガイルだ」

 

「…………」

 

「おい、スバル」

 

「…………」

 

「聞いてんのか?」

 

「……エリス」

 

「あ?」

 

「……お前」

 

 俺は、震える指で猫耳少女を指差した。

 

「……こんな可愛い子と知り合いだったのかよ!?」

 

「……は?」

 

「ずりぃぞ!!」

 

「何がだよ!」

 

 エリスが呆れた顔をした。

 

 だが、そんなことはどうでもいい。

 

 俺は勢いよく立ち上がる。

 

「初めまして! ナツキ・スバルです! 趣味はエミリアたんを愛でること! 特技は空気を読まないことです!」

 

「にゃははっ!」

 

 猫耳少女が楽しそうに笑った。

 

「元気な子だにゃ〜!」

 

「いやぁ、それほどでも!」

 

「褒めてないと思うぞ」

 

 エリスが横から口を挟む。

 

 うるさい。

 

 今いいところなんだ。

 

「フェリちゃんはフェリックス・アーガイル! フェリスって呼んでほしいにゃ!」

 

「フェリスちゃん!」

 

「うんうん!」

 

 フェリスちゃんが満足そうに頷く。

 

 ……ああ。

 

 癒やされる。

 

 異世界って素晴らしい。

 

「……ちなみに」

 

 エリスが、面倒くさそうに口を開いた。

 

「そいつ、男だからな」

 

「…………」

 

 ……ん?

 

「……え?」

 

「男だ」

 

「…………」

 

 俺は、フェリスちゃんを見た。

 

 フェリスちゃんは、にっこり笑った。

 

「男の子だにゃ〜♡」

 

「――ええええええええ!?」

 

「うるせえ!!」

 

 頭を小突かれた。

 

「いってぇ!?」

 

「朝から何回叫ぶんだ、お前は!」

 

「いや、だって! え!? 男!? マジで!?」

 

「マジだよぉ?」

 

 フェリスがくるりと回る。

 

「がっかりしちゃったかにゃ?」

 

「……いや」

 

 俺は、真剣な顔で答えた。

 

「……これはこれで」

 

「何を納得してんだ、お前」

 

 エリスが心底嫌そうな顔をした。

 

 レムが困ったように微笑んでいる。

 

 ……うん。

 

 世の中、広いな。

 

     ◇◇◇

 

「さて、と」

 

 ひとしきり騒いだところで、フェリスが手を叩いた。

 

「それじゃあ、診察を始めるにゃ」

 

「おっ、よろしくお願いします!」

 

「まずはそこに座ってほしいにゃ」

 

「了解!」

 

 俺は素直に寝台へ腰掛けた。

 

 フェリスが近づいてくる。

 

 さっきまでのふざけた雰囲気が、少しだけ薄れた。

 

「……エリスきゅんから話は聞いてるけど、魔法を無理に使ったんだって?」

 

「あー、まあ……そんな感じ」

 

「どんな魔法を使ったの?」

 

「シャマク」

 

「……何回くらい?」

 

「……えーっと」

 

 俺は指を折って考えた。

 

 ……何回だ?

 

 正直、よく覚えていない。

 

 いや。

 

 覚えていないというより。

 

 思い出したくないことが、少しだけ混ざっている。

 

「……結構、使ったかな」

 

「ふぅん」

 

 フェリスはそれ以上追及せず、俺の胸元へ手をかざした。

 

「ちょっとじっとしててにゃ」

 

「おう」

 

 淡い光が、フェリスの手から広がった。

 

 温かい。

 

 身体の奥へ、ゆっくりと染み込んでいくような感覚。

 

「……おお」

 

 思わず声が漏れる。

 

「すげえ……」

 

「静かにしててにゃ」

 

「はい」

 

 フェリスの表情は、真剣だった。

 

 先ほどまでの愛嬌たっぷりの笑顔はない。

 

 細められた瞳が、何かを探るように俺を見つめている。

 

 しばらくして。

 

「……んー」

 

 フェリスが手を離した。

 

「どうだ?」

 

 エリスが尋ねる。

 

「……あんまりよくないにゃ」

 

「……マジ?」

 

 俺は思わず聞き返した。

 

 フェリスが頷く。

 

「ゲートにかなり負担がかかってる。傷んだところが、まだ落ち着いてないみたい」

 

「……それって、やばい?」

 

「やばいにゃ」

 

 即答だった。

 

「……え」

 

「この状態で無理に魔法を使ったら、今度こそ取り返しがつかなくなるかもしれないにゃ」

 

「…………」

 

 ……マジか。

 

 俺は、自分の手を見下ろした。

 

 シャマク。

 

 俺が、この世界で初めて使えるようになった魔法。

 

 大した威力はない。

 

 エリスみたいに派手な魔法を使えるわけでもない。

 

 それでも。

 

 俺にとっては、数少ない武器だった。

 

「……治るんだよな?」

 

 俺が尋ねると、フェリスは少しだけ考えた。

 

「治療はできるにゃ。でも、すぐ元通りになるとは約束できない」

 

「……そっか」

 

「しばらくは安静にして、様子を見ながら治療する必要があるにゃ」

 

「……どんくらい?」

 

「それは経過次第だにゃ」

 

 フェリスが、俺の額を指でつついた。

 

「だから、無茶は絶対禁止!」

 

「……お、おう」

 

「魔法も禁止! 激しい運動も禁止! 勝手に危ないところへ行くのも禁止!」

 

「……禁止多くね?」

 

「当たり前だにゃ!」

 

 フェリスが腰に手を当てる。

 

「治したいなら、ちゃんと言うこと聞く!」

 

「……はい」

 

 ……なんか。

 

 可愛い顔して、めっちゃ怖いな。

 

「聞いたな、スバル」

 

 エリスが笑った。

 

「お前、しばらく大人しくしてろよ」

 

「……へーい」

 

「返事が軽い」

 

「はいっ!」

 

「よろしい」

 

 ……くそ。

 

 なんでこいつ、こんなに偉そうなんだ。

 

 いや、実際偉いんだけどさ。

 

「レム」

 

「はい、エリス様」

 

「こいつが逃げ出そうとしたら、首根っこ掴んで連れ戻せ」

 

「承知しました」

 

「承知しちゃった!?」

 

 レムが微笑んだ。

 

「スバルくんのお身体のためですから」

 

「レム! 俺たちの信頼関係は!?」

 

「もちろん、信頼しておりますよ」

 

「じゃあ!」

 

「ですので、スバルくんもレムのお願いを聞いてくださいますよね?」

 

「…………」

 

 ……勝てねえ。

 

 絶対勝てねえ。

 

 フェリスが楽しそうに笑った。

 

「にゃははっ! 面白い子たちだにゃ!」

 

     ◇◇◇

 

SIDE エリス

 

「……じゃあ、俺は行くぞ」

 

 診察が終わり、俺は椅子から立ち上がった。

 

「え? もう行くのか?」

 

 スバルが顔を上げる。

 

「ああ。王選の打ち合わせがある」

 

「……王選」

 

「明日の本番に向けて、色々決めることがあるらしい」

 

「……らしい?」

 

「俺もよく知らねえ」

 

「お前、それで大丈夫なの!?」

 

「大丈夫だろ」

 

「適当すぎる!!」

 

 俺は笑った。

 

 ……いや。

 

 実際、面倒なんだよな。

 

 立ち位置だの、入場の順番だの、護衛の配置だの。

 

 そんなもん、必要なときに必要な場所にいりゃいいだろ。

 

 ……とは思うが。

 

 リアの立場もある。

 

 さすがに全部放り出すわけにもいかねえ。

 

「スバル」

 

「あ?」

 

「お前は休んでろよ」

 

「……わかってるって」

 

「ほんとか?」

 

「ほんとほんと!」

 

 ……怪しい。

 

 非常に怪しい。

 

 俺はレムを見た。

 

「頼んだぞ」

 

「はい。お任せください」

 

「よし」

 

 これなら大丈夫だろ。

 

 俺は扉へ向かった。

 

「……エリス」

 

「あ?」

 

 振り返る。

 

 スバルが、こちらを見ていた。

 

「……エミリアたんも、打ち合わせに行くのか?」

 

「ああ。リアも出る」

 

「……そっか」

 

 スバルは、小さく頷いた。

 

「……頑張れよ」

 

「おう」

 

 俺は笑った。

 

「任せとけ」

 

 そう言って、部屋を出た。

 

     ◇◇◇

 

 王城の一室。

 

 長机。

 

 書類。

 

 騎士。

 

 貴族。

 

 そして。

 

「……エリス卿」

 

「あ?」

 

「お聞きになっていますか?」

 

「聞いてる聞いてる」

 

「では、明日の入場順についてですが――」

 

「さっき聞いた」

 

「……まだ説明しておりません」

 

「……そうだったか?」

 

 向かいの文官が、額を押さえた。

 

 ……面倒くせえ。

 

 俺は椅子に深く腰掛ける。

 

 隣ではユリウスが、呆れたような顔をしていた。

 

「エリス」

 

「あ?」

 

「少しは真面目に聞いたらどうだい?」

 

「聞いてるって」

 

「君は先ほどから、三度同じ質問をしているよ」

 

「……そうか?」

 

「そうだよ」

 

 ……うるせえな。

 

 俺は頬杖をついた。

 

「大体、入場順なんてどうでもいいだろ」

 

「どうでもよくない」

 

「リアが入って、俺がついてく。それで終わりじゃねえか」

 

「そう単純な話ではないんだよ」

 

「面倒くせえな」

 

 ユリウスがため息をついた。

 

 ……まったく。

 

 王都に戻ってきた途端、これか。

 

 戦う方がよっぽど楽だ。

 

「……エリス卿」

 

 文官が、おずおずと口を開いた。

 

「明日は、くれぐれも問題を起こされませんよう……」

 

「おい」

 

「は、はい!」

 

「俺がいつ問題起こしたよ」

 

「…………」

 

 文官が黙った。

 

 ユリウスも黙った。

 

 ……おい。

 

 何だ、その沈黙。

 

「……エリス」

 

 ユリウスが静かに口を開いた。

 

「本当に、心当たりがないのかい?」

 

「ねえよ」

 

「……そうか」

 

 深いため息。

 

 ……失礼な奴らだな。

 

     ◇◇◇

 

SIDE エミリア

 

 王都の滞在先。

 

 窓から差し込む午後の日差しが、部屋を明るく照らしていた。

 

 私は、机の上に広げた書類を見つめていた。

 

 王選。

 

 明日、いよいよ始まる。

 

 ……緊張する。

 

「……はぁ」

 

 小さくため息をつく。

 

「……何をため息ついているのかしら」

 

 声がした。

 

 振り返る。

 

 そこには、ベアトリスがいた。

 

 椅子に腰掛け、本を読んでいる。

 

「……ベアトリス」

 

「……まったく」

 

 ベアトリスは本から目を上げた。

 

「そんな顔をしていたら、エリスに心配されるのよ」

 

「……え?」

 

「……あいつは、お前のことになると妙に世話を焼くかしら」

 

 私は、少しだけ笑った。

 

「……うん」

 

 エリーは、昔からそうだった。

 

 私が困っていると、いつの間にか隣にいて。

 

 私が怖がっていると、何でもないように笑って。

 

 いつだって。

 

 当たり前みたいに、助けてくれる。

 

「……エリーって、すごいよね」

 

「……当然かしら」

 

 ベアトリスが、即答した。

 

「エリスは、そこらの騎士とは違うのよ」

 

「……ふふっ」

 

 私は笑った。

 

「ベアトリスは、エリーのことが大好きなんだね」

 

「――っ!?」

 

 ベアトリスの顔が、真っ赤になった。

 

「な、何を言っているのかしら!?」

 

「……え?」

 

「ベ、ベティーは別に、そんな……!」

 

 ベアトリスが慌てて本で顔を隠した。

 

 ……あれ?

 

 何か、変なこと言っちゃったかな。

 

「……でも」

 

 私は、少しだけ視線を落とした。

 

「……エリーには、いつも助けてもらってばっかり」

 

「……?」

 

「私、ちゃんと返せてるのかなって」

 

 ベアトリスが、本を下ろした。

 

「……何を言っているのよ」

 

「……え?」

 

「エリスは、誰かに何かを返してもらうために動くような男じゃないかしら」

 

「……うん」

 

「それに」

 

 ベアトリスは、少しだけ胸を張った。

 

「エリスがそうしたいから、そうしているだけなのよ」

 

「……そう、なのかな」

 

「そうに決まっているかしら」

 

 その言い方が、あまりにも自信満々で。

 

 私は、思わず笑ってしまった。

 

「……ふふっ」

 

「……何がおかしいのよ」

 

「ううん。何でもない」

 

 ……そっか。

 

 エリーは、エリーの意思で。

 

 私の隣にいてくれるんだ。

 

 そう思うと、少しだけ胸が温かくなった。

 

「……ねえ、ベアトリス」

 

「……何かしら」

 

「……スバルのこと、どう思う?」

 

「……あの男?」

 

 ベアトリスが眉を寄せた。

 

「騒がしくて、無鉄砲で、面倒な男かしら」

 

「……ふふっ」

 

 私は笑った。

 

「……でも」

 

 ベアトリスが、少しだけ視線を逸らした。

 

「……悪い男ではないのよ」

 

「……うん」

 

 私は頷いた。

 

「……私も、そう思う」

 

 スバルは、いつだって一生懸命だ。

 

 私のために。

 

 誰かのために。

 

 自分が傷つくことも気にせず、飛び込んでいく。

 

 ……でも。

 

「……ちょっと、心配なんだ」

 

「……何がかしら」

 

「スバル、また無茶しちゃうんじゃないかなって」

 

 ベアトリスは、少しだけ考えた。

 

「……あの男なら、やりかねないかしら」

 

「……だよね」

 

 私は苦笑した。

 

「……ちゃんと休んでくれるといいんだけど」

 

「レムが見ているのよ。大丈夫かしら」

 

「……うん」

 

 私は頷いた。

 

 ……そうだよね。

 

 レムがついている。

 

 フェリスも診てくれた。

 

 エリーだって、気にかけてくれている。

 

 だから。

 

 きっと、大丈夫。

 

     ◇◇◇

 

SIDE スバル

 

 夕方。

 

 俺は、窓辺に立っていた。

 

 王都の空が、ゆっくりと赤く染まっていく。

 

 ……綺麗だな。

 

「……スバルくん」

 

 レムが声をかけてきた。

 

「そろそろ、お休みになりませんか?」

 

「……ん?」

 

「今日は診察もありましたし、疲れていらっしゃるでしょう」

 

「……ああ」

 

 俺は頷いた。

 

「……そうだな」

 

 ……わかってる。

 

 休まなきゃいけない。

 

 無茶しちゃいけない。

 

 魔法も使っちゃいけない。

 

 ……全部、わかってる。

 

 だけど。

 

 窓の外。

 

 王城の方角へ、視線を向ける。

 

 あそこでは、今頃。

 

 エリスが。

 

 エミリアたんが。

 

 王選のために、色々準備している。

 

 ……俺は?

 

 俺は、何をしてる?

 

 ベッドで寝て。

 

 治療を受けて。

 

 大人しくして。

 

 ……それだけだ。

 

「……スバルくん?」

 

「……ああ」

 

 俺は、笑った。

 

「何でもねえよ」

 

 レムが、少しだけ心配そうな顔をした。

 

「……無理は、なさらないでくださいね」

 

「……わかってるって」

 

 俺は頷いた。

 

 ……わかってる。

 

 わかってるんだよ。

 

 エリスは、すごい。

 

 強くて。

 

 頼りになって。

 

 誰からも認められて。

 

 エミリアたんの隣に立つことが、当たり前みたいになっている。

 

 ……俺は?

 

 俺だって。

 

 俺だって、頑張った。

 

 何度も。

 

 何度も。

 

 何度も。

 

 ……でも。

 

 そのほとんどは、誰も知らない。

 

 誰にも、覚えてもらえない。

 

 ……いや。

 

 違う。

 

 そんなこと、考えちゃだめだ。

 

 エリスは、俺のことを認めてくれてる。

 

 エミリアたんだって。

 

 レムだって。

 

 ……それで、十分なはずだ。

 

 十分な、はずなのに。

 

「……くそ」

 

 小さく呟く。

 

「……スバルくん?」

 

「……いや」

 

 俺は、慌てて笑った。

 

「何でもねえ!」

 

 レムが、少しだけ首を傾げる。

 

 ……ごめんな。

 

 心配かけたくないんだ。

 

 でも。

 

 どうしても。

 

 胸の奥が、ざわつく。

 

 ……俺だって。

 

 俺だって。

 

 エミリアたんの隣に、立ちたいんだ。

 

「……俺だって、エミリアたんの力になりてえんだよ」

 

 その呟きは。

 

 誰にも届かないまま。

 

 夕暮れの空へ、溶けていった。

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