月光る夜   作:案院運

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王選5

SIDE スバル

 

 ――朝。

 

 窓の外から聞こえる鳥の鳴き声に、俺は目を覚ました。

 

「……んあ」

 

 見知らぬ天井。

 

 ……いや、見知らぬってほどでもないか。

 

 昨日から世話になっている王都の滞在先だ。

 

 寝台の上で身体を起こすと、窓から差し込む朝日が眩しかった。

 

「……いい天気だな」

 

 思わず呟く。

 

 そして。

 

 思い出した。

 

 ――今日は、王選の日だ。

 

「…………」

 

 俺は、しばらく天井を見上げた。

 

 王選。

 

 エミリアたんが、王様になるための第一歩。

 

 その大事な日。

 

 ……なのに。

 

「……俺は留守番、か」

 

 口にしてみると、思っていた以上に情けない響きだった。

 

 いや。

 

 わかってる。

 

 俺は怪我人だ。

 

 フェリスにも、エリスにも、レムにも。

 

 散々、無茶するなって言われた。

 

 それに。

 

 王選なんて、俺みたいな一般人が気軽に顔を出せる場所じゃない。

 

 ……わかってるんだよ。

 

 わかってる。

 

 それでも。

 

「……はぁ」

 

 ため息が漏れた。

 

     ◇◇◇

 

「スバルくん、おはようございます」

 

 部屋の扉が開き、レムが顔を覗かせた。

 

「おっす、レム!」

 

「よく眠れましたか?」

 

「ばっちり! 絶好調だぜ!」

 

「それはよかったです」

 

 レムが微笑む。

 

 手には朝食の乗った盆。

 

 ……ああ。

 

 なんて素晴らしい朝なんだ。

 

「……ところで、レム」

 

「はい?」

 

「今日って、エミリアたんたちは何時に出るんだ?」

 

「もうすぐだと思います」

 

「……そっか」

 

 俺は頷いた。

 

「……見送りくらい、してもいいよな?」

 

「もちろんです」

 

 レムが微笑んだ。

 

「ただし、見送った後はお部屋で安静にしてくださいね」

 

「……へーい」

 

「スバルくん?」

 

「はいっ!」

 

 ……くそ。

 

 最近、レムの笑顔が怖い。

 

     ◇◇◇

 

 滞在先の玄関前。

 

 そこには、すでに一台の竜車が用意されていた。

 

 御者が手綱を握り、荷物を確認している。

 

 そして、その傍らには。

 

「……おお」

 

 俺は思わず声を漏らした。

 

 エミリアたんがいた。

 

 いつもとは少し違う、格式を感じさせる装い。

 

 銀色の髪が朝日に輝き、紫紺の瞳がどこか緊張したように揺れている。

 

 ……綺麗だ。

 

 いや、普段から綺麗なんだけど。

 

 今日は、なんというか。

 

 いつも以上に。

 

「エミリアたあああん!!」

 

「ひゃっ!?」

 

 エミリアたんが肩を跳ねさせた。

 

「す、スバル!?」

 

「おはようございます! 本日も大変お美しゅうございます!」

 

「も、もう! 朝から大げさなんだから!」

 

 エミリアたんが頬を赤くする。

 

 ……よし。

 

 今日もいい反応だ。

 

「……朝からうるせえな」

 

 聞き慣れた声。

 

 振り返る。

 

 そこには、エリスがいた。

 

 ……そして。

 

「…………」

 

 俺は、思わず言葉を失った。

 

 いつもの気崩した服装ではない。

 

 白を基調とした、近衛騎士の正装。

 

 丁寧に整えられた銀青色の髪。

 

 腰には、見慣れた武器。

 

 普段の自由奔放な雰囲気はそのままなのに、纏っている空気だけが違って見えた。

 

 ……なんだよ。

 

 めちゃくちゃ似合ってんじゃねえか。

 

「……お前」

 

「あ?」

 

「……今日、やけに格好いいな」

 

「は?」

 

 エリスが眉を上げた。

 

「何だよ、急に」

 

「いや、なんか……騎士っぽい」

 

「騎士だからな」

 

「知ってるけど!」

 

 エリスが笑った。

 

「お前も着てみるか?」

 

「……え?」

 

「まあ、似合わねえだろうけどな!」

 

「おい!!」

 

 俺は抗議した。

 

 エリスは楽しそうに笑っている。

 

 ……くそ。

 

 なんでこいつ、何でも似合うんだよ。

 

「……エリス」

 

 小さな声がした。

 

 見ると、ベア子がエリスの隣に立っていた。

 

 いつものフリルだらけの服。

 

 縦ロールの金髪。

 

 そして、どこか不機嫌そうな顔。

 

「……襟が曲がっているかしら」

 

「あ?」

 

「……じっとしているのよ」

 

 ベア子が背伸びして、エリスの襟元を直す。

 

 エリスは大人しくされるがままだ。

 

「……これでいいかしら」

 

「おう。ありがとな、ベティー」

 

「……ふん」

 

 ベア子が、少しだけ嬉しそうに顔を背けた。

 

 ……ほんと、仲いいな。

 

「……あれ?」

 

 俺は首を傾げた。

 

「ベア子も行くの?」

 

「……当然かしら」

 

「王選に?」

 

「ベティーはエリスの契約精霊なのよ。同行するのは不思議でも何でもないかしら」

 

「……ああ、そうだったな」

 

 ……そうか。

 

 ベア子も行くのか。

 

 エミリアたん。

 

 エリス。

 

 ベア子。

 

 ……三人とも。

 

「……スバル?」

 

 エミリアたんが、俺の顔を覗き込んだ。

 

「……どうかした?」

 

「……ん?」

 

 俺は慌てて笑った。

 

「いやいや! 何でもないって!」

 

「……そう?」

 

「おう!」

 

 エミリアたんは、少しだけ心配そうな顔をした。

 

「……スバル」

 

「……ん?」

 

「今日は、ちゃんと休んでてね」

 

「……ああ」

 

「フェリスにも、無理しちゃだめって言われたんでしょ?」

 

「……そうだけど」

 

「だから、お願い」

 

 エミリアたんが、真っ直ぐ俺を見る。

 

「……無茶しないで」

 

「…………」

 

 ……ああ。

 

 そんな顔、しないでくれよ。

 

 心配してくれてる。

 

 わかってる。

 

 俺のために言ってくれてるんだ。

 

 ……なのに。

 

 なんでだろうな。

 

 胸の奥が、少しだけ苦しくなった。

 

「……任せとけ!」

 

 俺は、親指を立てた。

 

「このナツキ・スバル! 今日は大人しく寝ておりますとも!」

 

「……ほんと?」

 

「ほんとほんと!」

 

 エミリアたんが、ほっとしたように微笑んだ。

 

「……よかった」

 

 ……ああ。

 

 その笑顔。

 

 やっぱり、守りたいな。

 

「……おい、スバル」

 

 エリスが声をかけてきた。

 

「あ?」

 

「レムの言うこと、ちゃんと聞けよ」

 

「わかってるって!」

 

「ほんとかぁ?」

 

「信用ねえな!」

 

「日頃の行いだろ」

 

 エリスが笑った。

 

 そして。

 

 俺の肩を、軽く叩いた。

 

「まあ、心配すんな」

 

「……え?」

 

「リアのことは、俺に任せとけ」

 

「…………」

 

 ……ああ。

 

 そうだよな。

 

 お前がいるんだ。

 

 エリスがいるなら、エミリアたんは大丈夫だ。

 

 誰より強くて。

 

 誰より頼りになって。

 

 誰より、エミリアたんのことを知っている。

 

 ……だから。

 

 俺なんかが、心配する必要はない。

 

「……おう」

 

 俺は笑った。

 

「頼んだぜ」

 

「ああ」

 

 エリスも笑った。

 

 何の迷いもない笑顔だった。

 

     ◇◇◇

 

 竜車が動き出した。

 

 エミリアたんが窓から手を振る。

 

「スバル! 行ってくるね!」

 

「おう! 頑張れよ、エミリアたん!」

 

 俺は大きく手を振り返した。

 

「エリス! ベア子! エミリアたんを頼んだぞ!」

 

「おう!」

 

「……言われなくてもわかっているかしら」

 

 竜車が遠ざかっていく。

 

 車輪の音が、小さくなる。

 

 そして。

 

 角を曲がり、見えなくなった。

 

「…………」

 

 俺は、しばらくその場に立っていた。

 

「……スバルくん」

 

 レムが、隣から声をかけてくる。

 

「……戻りましょうか」

 

「……ああ」

 

 俺は頷いた。

 

 ……戻る。

 

 部屋に。

 

 寝台に。

 

 俺の居場所に。

 

「……はは」

 

 思わず、小さく笑ってしまった。

 

 ……なんだよ、それ。

 

     ◇◇◇

 

SIDE エリス

 

「……ふぅ」

 

 竜車の中。

 

 俺は、窓の外を眺めながら欠伸を噛み殺した。

 

「……エリー」

 

「あ?」

 

「……眠いの?」

 

「まあな」

 

「昨日、ちゃんと寝た?」

 

「寝た寝た」

 

「……ほんと?」

 

「ほんとだって」

 

 リアが、少しだけ眉を寄せた。

 

 ……まったく。

 

 スバルのことを心配していたと思ったら、今度は俺か。

 

「……エリス」

 

 膝の上から声がした。

 

「あ?」

 

「……王城では、ちゃんとするのよ」

 

「何を?」

 

「……態度かしら」

 

「俺の態度がどうした?」

 

「……はぁ」

 

 ベティーがため息をついた。

 

「……お前は、もう少し自覚を持つべきなのよ」

 

「何の?」

 

「……もういいかしら」

 

 ……なんだよ。

 

 変な奴だな。

 

「……ふふっ」

 

 リアが笑った。

 

「エリーとベアトリスって、ほんとに仲良しだね」

 

「そうか?」

 

「うん」

 

 リアが微笑んだ。

 

「見てると、なんだか安心する」

 

「……そりゃよかった」

 

 俺は笑った。

 

 ……さて。

 

 王選。

 

 ようやく始まるわけだ。

 

 面倒な貴族。

 

 面倒な会議。

 

 面倒な儀礼。

 

 ……ああ。

 

 考えるだけで、うんざりする。

 

「……エリー」

 

 リアが、小さく声をかけた。

 

「あ?」

 

「……私、ちゃんとできるかな」

 

「……何が?」

 

「……王選」

 

 俺は、リアを見た。

 

 少しだけ俯いた顔。

 

 握りしめられた手。

 

 ……ああ。

 

 緊張してんのか。

 

「……リア」

 

「……うん?」

 

「お前、何のために王様になりたいんだ?」

 

「……え?」

 

「自分のやりたいことがあるんだろ?」

 

「……うん」

 

「じゃあ、それを言えばいい」

 

 俺は肩をすくめた。

 

「難しく考えんなよ」

 

「……でも」

 

「誰に何言われようが、お前の願いはお前のもんだ」

 

「…………」

 

「胸張ってろ」

 

 俺は笑った。

 

「俺が隣にいるんだからな」

 

 リアが、目を丸くした。

 

 そして。

 

「……うん!」

 

 嬉しそうに笑った。

 

 ……よし。

 

 それでいい。

 

「……まったく」

 

 ベティーが、小さく呟いた。

 

「……エリスは、いつもそうなのよ」

 

「あ?」

 

「……何でもないかしら」

 

 ベティーは、俺の服をきゅっと掴んだ。

 

 ……なんだ?

 

 まあ、いいか。

 

     ◇◇◇

 

SIDE スバル

 

「……暇だ」

 

 部屋に戻ってから、どれくらい経っただろう。

 

 俺は、寝台の上で天井を見上げていた。

 

 ……暇。

 

 とにかく暇。

 

 暇すぎる。

 

「……スバルくん」

 

 レムが、椅子に座りながら声をかけてくる。

 

「何か、お飲み物でもお持ちしましょうか?」

 

「……いや、大丈夫」

 

「そうですか」

 

 レムが微笑んだ。

 

 ……優しい。

 

 ほんと、優しい子だ。

 

 俺なんかのために、ずっと付き添ってくれている。

 

 ……なのに。

 

 俺は、何を考えているんだろうな。

 

「……レム」

 

「はい?」

 

「……エリスってさ」

 

「……エリス様ですか?」

 

「ああ」

 

 俺は、少しだけ考えた。

 

「……すげえよな」

 

「……はい」

 

 レムが頷いた。

 

「とてもお強くて、頼りになる方です」

 

「……だよな」

 

「エミリア様も、エリス様がいらっしゃると安心されているようですし」

 

「……ああ」

 

 ……そうだよな。

 

 そりゃ、そうだ。

 

「……スバルくん?」

 

「……ん?」

 

「……どうかなさいましたか?」

 

「……いや」

 

 俺は笑った。

 

「何でもねえよ」

 

 ……ほんと。

 

 何でもねえ。

 

 ただ。

 

 ちょっとだけ。

 

 羨ましいだけだ。

 

「……レム」

 

「はい?」

 

「……俺、ちょっと外の空気吸ってきていい?」

 

「……外、ですか?」

 

「ああ。ほら、ずっと寝てるのも身体に悪いだろ?」

 

 レムが、少しだけ考えた。

 

「……お庭でしたら、少しだけ」

 

「……マジ!?」

 

「ただし、レムもご一緒します」

 

「……あー」

 

 ……ですよね。

 

 俺は苦笑した。

 

「……了解」

 

 レムが微笑んだ。

 

 ……さて。

 

 どうしたもんかね。

 

     ◇◇◇

 

 しばらくして。

 

 俺は、滞在先の庭に出ていた。

 

 レムは、少し離れた場所で使用人と話をしている。

 

 ……今だ。

 

 そんな考えが、頭をよぎった。

 

「…………」

 

 ……いや。

 

 何考えてんだ、俺。

 

 約束しただろ。

 

 エミリアたんに。

 

 エリスに。

 

 レムに。

 

 ……無茶しないって。

 

 俺は、拳を握った。

 

 ……わかってる。

 

 わかってるんだ。

 

 でも。

 

 王城の方角を見上げる。

 

 あそこには。

 

 エミリアたんがいる。

 

 エリスがいる。

 

 ベア子がいる。

 

 ……俺だけ、いない。

 

「…………」

 

 胸の奥が、ざわつく。

 

 ……なんでだよ。

 

 俺だって。

 

 俺だって、頑張ったじゃねえか。

 

 エミリアたんを助けた。

 

 村の子供たちを助けた。

 

 レムだって。

 

 ……助けた。

 

 何度も。

 

 何度も。

 

 何度も。

 

 ……でも。

 

 誰も知らない。

 

 誰も、覚えていない。

 

 俺が、どれだけ必死だったか。

 

 どれだけ怖かったか。

 

 どれだけ、痛かったか。

 

 ……いや。

 

 違う。

 

 エリスは、俺のことを認めてくれてる。

 

 レムだって。

 

 エミリアたんだって。

 

 ……わかってる。

 

 わかってるんだよ。

 

 でも。

 

「……くそ」

 

 小さく呟く。

 

 ……俺だって。

 

 俺だって、エミリアたんの隣に立ちたい。

 

 ただ、それだけなんだ。

 

 俺は、ゆっくりと足を踏み出した。

 

 庭の端。

 

 人目につきにくい通路。

 

 そこを抜ければ、裏手の門へ出られる。

 

「……ちょっとだけ」

 

 誰にともなく呟いた。

 

「……様子を見るだけだ」

 

 そうだ。

 

 別に、無茶するわけじゃない。

 

 王城の近くまで行って。

 

 様子を見て。

 

 それで、帰ってくればいい。

 

 ……何も問題ない。

 

 俺は、歩き出した。

 

 後ろを振り返らずに。

 

     ◇◇◇

 

SIDE レム

 

「……スバルくん?」

 

 使用人との話を終え、レムは振り返った。

 

 そこにいるはずの少年の姿が、なかった。

 

「……スバルくん?」

 

 もう一度、呼ぶ。

 

 返事はない。

 

 庭を見渡す。

 

 誰もいない。

 

「…………」

 

 レムは、しばらく立ち尽くした。

 

 そして。

 

「……スバルくん」

 

 小さく呟いた。

 

 ……まさか。

 

 嫌な予感が、胸をよぎる。

 

 レムは、急いで庭の外へ向かった。

 

     ◇◇◇

 

SIDE スバル

 

 王都の大通り。

 

 俺は、人混みの中を歩いていた。

 

「……よし」

 

 思わず、小さく拳を握る。

 

 ……出てきちまった。

 

 いや。

 

 まあ。

 

 ちょっと散歩してるだけだ。

 

 うん。

 

 散歩。

 

 そういうことにしておこう。

 

「……さて」

 

 俺は、王城の方角を見上げた。

 

 遠くに見える、巨大な建物。

 

 あそこに、エミリアたんがいる。

 

 ……エリスも。

 

 俺は、ゆっくりと歩き出した。

 

 ……何をするかなんて、決めていない。

 

 ただ。

 

 行かなきゃいけない気がした。

 

 あそこへ。

 

 エミリアたんのいる場所へ。

 

 俺だって。

 

 俺だって、あの人の力になれるんだって。

 

 ……証明したかった。

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