SIDE スバル
王都の大通り。
人々の喧騒が、耳に飛び込んでくる。
行き交う竜車。
威勢よく客を呼び込む商人。
楽しそうに笑い合う子供たち。
……平和だ。
少なくとも、俺の目に映る王都は、どこまでも平和だった。
「……さて、と」
俺は、軽く伸びをした。
王城は、相変わらず遠くに見えている。
あそこまで行けば、エミリアたんに会える。
……いや。
会えるかどうかは、わからない。
そもそも、俺みたいな一般人が簡単に入れる場所じゃないだろう。
それでも。
「……行くだけ行ってみるか」
そう呟き、歩き出した。
……別に。
何か大それたことをするつもりはない。
ただ、少しだけ。
エミリアたんの近くにいたかった。
それだけだ。
◇◇◇
「……ん?」
しばらく歩いたところで、俺は足を止めた。
……おかしい。
非常に、おかしい。
「……なあ、王城ってあっちだよな?」
誰にともなく問いかける。
当然、返事はない。
目の前には、細い路地。
左右には、背の高い建物。
そして、遠くに見えていたはずの王城は。
……見えなくなっていた。
「……おいおい」
俺は、額を押さえた。
「嘘だろ……」
迷った。
見事に迷った。
いや、待て。
落ち着け、ナツキ・スバル。
王都は広い。
道が入り組んでいるのも、仕方がない。
そう。
これは、決して俺の方向音痴が原因ではない。
……はずだ。
「……エリスなら」
そこまで言って、口を閉じた。
……まただ。
最近、何かあるたびにあいつの名前が浮かぶ。
エリスならどうする。
エリスならできる。
エリスなら。
「……はは」
小さく笑った。
……ほんと。
すげえ奴だよな。
俺が何度も死んで、ようやく掴み取った結果を。
あいつは、当たり前みたいに手に入れていく。
……いや。
違う。
あいつだって、何もしてないわけじゃない。
むしろ、誰よりも動いている。
誰かが困っていれば、文句を言いながら助ける。
面倒だと言いながら、結局は最後まで付き合う。
そうやって。
少しずつ。
周りの人間から、信頼されてきた。
……それは。
あいつ自身が、積み上げてきたものだ。
「……俺も」
ぽつりと呟く。
俺も、積み上げてきた。
……はずなんだ。
なのに。
どうして。
こんなにも、遠いんだろうな。
「……っと」
そのときだった。
路地の奥から、声が聞こえた。
「おいおい、姉ちゃん。ちょっと待てって」
「いい服着てんじゃねえか」
「俺らと少し遊んでいこうぜ?」
「…………」
俺は、足を止めた。
……なんだ?
この。
妙に聞き覚えのあるやり取り。
「……まさかな」
嫌な予感がした。
そっと、路地の奥を覗き込む。
そこには。
三人の男がいた。
「…………」
……おい。
嘘だろ。
見覚えのある顔。
見覚えのある体格。
そして。
見覚えのある、いかにもな小悪党っぷり。
「……トンチンカンじゃねえか」
思わず呟いた。
そう。
俺がこの世界に召喚された初日。
散々な目に遭わされた、あの三人組だ。
……なんでまた、こんなところにいるんだよ。
いや。
それよりも。
あいつらが囲んでいる相手。
そこにいたのは、一人の少女だった。
燃えるような橙色の髪。
透き通るような白い肌。
そして、思わず目を奪われるほど整った顔立ち。
……美人だ。
それも、とびきりの。
ただ。
「……妾の行く手を遮るとは、随分と無礼な下郎どもじゃな」
「…………」
……あれ?
なんだろう。
この既視感。
少女は、三人の男を前にしても、一切怯んでいなかった。
それどころか。
まるで、道端の石ころでも見るような目で、三人を見下ろしている。
「おい、姉ちゃん。状況わかってんのか?」
「わかっておるとも」
少女は、当然とばかりに答えた。
「妾の行く手に、身の程知らずな愚か者が三匹。実に不愉快な状況じゃ」
「……あ?」
「聞こえなかったか? 耳まで悪いとは、救いようがないのう」
「てめえ……!」
……すげえ。
俺は、思わず感心してしまった。
いや、感心してる場合じゃない。
明らかに、状況が悪化している。
しかし。
あの少女。
なんというか。
「……エリスみてえだな」
ぽつりと呟く。
口が悪い。
態度がデカい。
相手が誰だろうと、一歩も引かない。
……いや。
エリスは、あそこまで自分を高貴な存在だとは思っていない。
ただ、あいつも。
相手の立場なんて、基本的に気にしない。
貴族だろうが、騎士だろうが。
気に入らなければ、平然と文句を言う。
……まあ。
あいつの場合、それを通せるだけの実力があるんだけど。
「……おい!」
男の一人が、少女へ手を伸ばした。
その瞬間。
「――触れるな」
少女の声が、冷たく響いた。
……ぞくり。
思わず、背筋が震えた。
なんだ?
今の。
ただの一言。
それだけなのに。
まるで、周囲の空気が変わったような。
「……くそっ!」
男が、怒りに任せて腕を振り上げる。
……まずい。
俺は、反射的に一歩踏み出した。
しかし。
足が止まる。
「…………」
三人。
相手は三人だ。
俺一人でどうにかなる相手じゃない。
それは、嫌というほど知っている。
……それでも。
「……くそ」
俺は、拳を握った。
何のために、ここまで来た?
エミリアたんの力になりたい。
あの人を守れる男になりたい。
そう思って、宿を抜け出してきたんじゃないのか。
なのに。
目の前で女の子が危険な目に遭っているのを見て。
何もせずに、逃げるのか?
「…………」
俺は、ゆっくりと息を吐いた。
……エリスなら。
きっと、迷わない。
いや。
あいつなら、そもそも。
こんなことを考える前に、動いている。
「……はは」
小さく笑った。
……ほんと。
敵わねえな。
でも。
だからって。
俺が何もしなくていい理由には、ならねえだろ。
「――おいおいおい!!」
俺は、路地裏へ飛び出した。
「ちょーっと待ったぁ!!」
三人の男が、一斉に振り返る。
少女もまた、こちらへ視線を向けた。
「……何だ、てめえ?」
「いやぁ、どうもどうも! 通りすがりの正義の味方、ナツキ・スバルと申します!」
両手を広げる。
いつもの調子。
いつもの笑顔。
……心臓は、馬鹿みたいに鳴っている。
「何の用だ?」
「いやいや! 三人がかりで女の子を囲むなんて、ちょーっと格好悪くねえか?」
「……あ?」
「せめて一対一で口説けよ! いや、そもそも口説き方から間違ってる気がするけど!」
「てめえ、喧嘩売ってんのか!」
「売ってません! むしろ絶賛平和交渉中です!」
……うん。
駄目だ。
全然、通じねえ。
俺は、内心で頭を抱えた。
そのとき。
「……ほう」
少女が、声を漏らした。
視線を向ける。
少女は、俺を見ていた。
面白いものを見つけた。
そんな、実に楽しそうな目で。
「貴様」
「……ん?」
「妾を助けに来たつもりか?」
「……まあ、そんな感じ?」
俺は、頬を掻いた。
「いや、別に格好つけるつもりはねえんだけどさ。女の子が困ってたら、助けるのが男ってもんだろ?」
「……ふむ」
少女は、扇子を広げた。
そして。
「――不要じゃ」
「…………へ?」
思わず、間抜けな声が漏れた。
「妾が、この程度の下郎どもに困るとでも思うたか?」
「……いや、でも」
「妾は、妾の望むように生きる。誰かに助けを求めた覚えなどないわ」
「…………」
……なんだ、この人。
すげえ。
めちゃくちゃ偉そう。
しかも。
その態度に、一切の迷いがない。
「……あんた、すげえな」
思わず、呟いた。
少女が、片眉を上げる。
「当然じゃ」
即答だった。
……うん。
やっぱり。
エリスに似てる。
そんなことを考えた、その瞬間。
「――おい、てめえら!」
男の一人が、怒鳴った。
「さっきから無視してんじゃねえぞ!」
「……あ」
忘れてた。
完全に。
俺は、ゆっくりと振り返る。
三人の男。
全員、怒っている。
……あー。
これは。
「……やっべ」
俺は、乾いた笑いを浮かべた。
そして。
「――兄弟、何やってんだ?」
背後から。
気の抜けた男の声が、響いた。
◇◇◇
「……あ?」
間の抜けた声が出た。
振り返ると、そこには奇妙な男が立っていた。
全身を覆うような黒っぽい装備。
顔を隠す兜。
そして、何より目を引くのは。
「……片腕?」
男の左腕が、なかった。
いや、そこをじろじろ見るのは失礼だろう。
俺が慌てて視線を戻すと、男は気にした様子もなく片手を上げた。
「おう、兄弟。何か揉めてんのか?」
「……えっと」
俺は、三人組を見る。
三人組も、俺を見る。
そして、男を見る。
「……まあ、見ての通り?」
「なるほどなぁ。そいつは災難だったな」
「いや、もうちょっと助ける方向で話を進めてもらえると嬉しいんですけど!?」
「はっはっは! 面白ぇな、兄弟!」
笑っている。
この状況で。
……何だ、この人。
「……アル」
少女が、男を呼んだ。
「おう、姫さん。ようやく見つけたぜ」
「遅い」
「いやいや、姫さんが勝手にどっか行っちまったんだろ?」
「妾の行動に口を挟むでない」
「へいへい。そいつは失礼しましたっと」
……なんというか。
すげえ雑なやり取りだな。
護衛と主人、なんだろうか。
少なくとも、男の方には緊張感が欠片もない。
……いや。
よく見ると、少女の立ち位置を自然に庇うように移動している。
口では適当なことを言っているが、やることはやっているらしい。
「おい! てめえら!」
忘れかけていた三人組が怒鳴った。
「さっきから俺らを無視してんじゃねえ!」
「あー、悪い悪い」
アルと呼ばれた男が、面倒くさそうに頭を掻いた。
「んで、お前ら。何がしたいんだ?」
「見りゃわかんだろうが!」
「いやぁ、わかんねえなぁ。こんな路地裏で女一人囲んで、男が三人。しかも、揃いも揃って弱そうときた」
「何だと!?」
「おっと、怒るなって。別に喧嘩売ってるわけじゃねえよ」
アルは、軽く肩をすくめた。
「ただまあ、相手が悪かったな」
「……あ?」
「その姫さんに手ぇ出すのは、やめといた方がいいぜ」
男の声は、相変わらず軽かった。
しかし。
腰に下げた剣。
その柄に、右手が添えられる。
「……っ」
三人組の表情が変わった。
俺には、何が起きたのかわからなかった。
ただ。
アルが一歩踏み出した瞬間、三人が揃って後退したのだ。
「……ちっ!」
「お、おい! 行くぞ!」
「覚えてろよ!」
そして。
逃げた。
あっさりと。
「…………」
俺は、その背中を見送った。
……え?
終わり?
「……何だったんだ、あいつら」
「さあなぁ。ま、面倒がなくてよかったじゃねえか」
アルは、何事もなかったかのように笑った。
……すげえ。
俺が必死になって割り込んだ相手を。
この男は、ほとんど何もせずに追い払ってしまった。
……いや。
それは違うか。
何もしていないように見えただけで、あいつらには何かが伝わったんだろう。
俺には、わからなかった何かが。
「……兄弟?」
「……ん?」
「どうした? ぼーっとして」
「……いや」
俺は笑った。
「助かった! マジでありがとな!」
「おう、気にすんなって」
アルも笑った。
そして。
「それにしても兄弟、あの状況によく首突っ込んだな」
「……まあ」
俺は、頬を掻いた。
「女の子が絡まれてたら、放っとけねえだろ?」
「はっはっは! そいつは立派だ!」
「……いや、結果的には何もできなかったけどな」
「何言ってんだ。助けようとしたんだろ?」
「…………」
……あ。
俺は、思わず男を見た。
アルは、相変わらず気楽そうに笑っていた。
「できるかどうかなんて、やってみなきゃわかんねえだろ。まあ、無茶は褒められねえけどな」
「……はは」
思わず笑ってしまった。
……何だよ。
この人。
いい奴じゃねえか。
「……ふん」
少女が、扇子を閉じた。
「随分とくだらぬ話をしておるのう」
「おっと、姫さん。悪かったな」
「妾を待たせるとは、いい度胸じゃ」
「へいへい。そんじゃ行くか」
アルは、俺へ向き直った。
「んじゃな、兄弟。また縁がありゃ会うだろ」
「おう! ありがとな!」
俺は、手を振った。
……そのとき。
「待て」
少女が、足を止めた。
「……ん?」
俺は、首を傾げた。
少女は、ゆっくりと振り返る。
その赤い瞳が、真っ直ぐ俺を捉えた。
「貴様」
「……俺?」
「他に誰がおる」
「……ですよね」
少女は、扇子で口元を隠した。
「名を聞いておらなんだな」
「……ああ、そういや」
俺は、軽く胸を叩いた。
「ナツキ・スバル! スバルでいいぜ!」
「……スバル、か」
少女は、小さく笑った。
「妾はプリシラじゃ」
「プリシラさんね。よろしく!」
「ふん。妾の名を知れたこと、光栄に思うがよい」
「……すげえな、その自信」
「当然じゃ」
即答。
……うん。
やっぱり。
エリスに似てる。
いや。
あいつは、ここまで偉そうじゃないか?
……いやいや。
あいつも大概だろ。
「……何を笑っておる?」
「いや、ちょっと知り合いを思い出してさ」
「ほう?」
プリシラさんが、興味深そうに目を細めた。
「妾を前にして、他の者を思い浮かべるとはな」
「……あ」
しまった。
これ、怒らせたか?
しかし。
「まあよい」
プリシラさんは、愉快そうに笑った。
「貴様のような道化も、たまには悪くない」
「……道化って」
俺は、苦笑した。
……ほんと。
変わった人だ。
◇◇◇
「……ところで、兄弟」
アルが、ふと思い出したように声をかけてきた。
「お前、こんなとこで何してたんだ?」
「……あー」
俺は、頭を掻いた。
……そうだった。
忘れてた。
俺、王城に向かってたんだった。
「実は、ちょっと道に迷っちまってさ」
「道?」
「ああ。王城に行きたいんだけど、どうにも道がわかんなくて」
「……王城?」
アルが、少しだけ声を上げた。
「お前、王城に用があんのか?」
「まあ、ちょっとな」
「へえ……」
アルは、何やら考え込んだ。
そして。
「……姫さん」
「何じゃ」
「こいつ、王城に行きたいんだとよ」
「それがどうした」
「いや、俺らもそっち方面だろ?」
「……ふむ」
プリシラさんが、俺を見る。
上から下まで。
まるで、品定めでもするように。
「……貴様」
「……はい?」
「妾の竜車に乗ることを許す」
「…………」
……え?
「……え?」
「二度は言わぬ」
「……いや、ちょっと待って」
俺は、慌てて両手を振った。
「え? いいの? マジで?」
「妾がよいと言うておる」
「……いや、でも」
「くどい」
「……はい!」
思わず、背筋を伸ばした。
……何だろう。
この人。
めちゃくちゃ強引だ。
でも。
悪い人じゃない。
……多分。
「よかったな、兄弟!」
アルが、笑った。
「姫さんの気まぐれに感謝しとけよ!」
「……おう!」
俺は、笑った。
……助かった。
これで、王城まで行ける。
エミリアたんのところへ。
……エリスのいる場所へ。
「……よし」
小さく、拳を握る。
そのとき。
「――スバルくん」
「…………」
背後から。
聞き覚えのある声がした。
……いや。
聞き覚えがあるなんてもんじゃない。
毎日、聞いている声。
優しくて。
柔らかくて。
そして。
今だけは、何より恐ろしい声。
「……スバルくん?」
「…………」
俺は、ゆっくりと振り返った。
そこには。
青髪のメイドが、立っていた。
「……レ、レム?」
「はい」
レムは、微笑んだ。
それはもう。
実に、美しい笑顔だった。
「……お迎えに参りました」
「…………」
……あ。
終わった。
俺の冒険。
ここで、終了のお知らせ。
「……スバルくん」
「……はい」
「レムは、少しお話がございます」
「……はい」
「よろしいですね?」
「……はいっ!」
俺は、直立不動になった。
……助けて。
誰か。
……エリス。
今だけは。
マジで、助けてくれ。
◇◇◇
「……さて、スバルくん」
「……はい」
王都の路地裏。
俺は現在、人生最大級の危機に直面していた。
目の前には、青髪のメイド。
いつも優しく。
いつも献身的で。
そして、誰よりも俺のことを心配してくれる少女。
レム。
そんな彼女が。
……笑っている。
「……スバルくん?」
「はいっ!」
「レムは、何と申し上げましたか?」
「……えっと」
俺は、必死に記憶を辿った。
確か。
朝。
エミリアたんを見送って。
部屋に戻って。
庭に出て。
それから。
……逃げた。
「……大人しくしてろ、と」
「はい」
レムが頷く。
「それで、スバルくんは何をなさいましたか?」
「……お散歩?」
「…………」
「……すみませんでした」
即座に頭を下げた。
いや、だって。
怖いんだもん。
レムの笑顔。
今なら、魔獣の群れに飛び込む方がまだマシかもしれない。
「……まったく」
レムが、小さくため息を吐いた。
「どれだけ心配したと思っているんですか」
「……ごめん」
「お怪我は?」
「……ない、と思う」
「本当ですか?」
「ほんとほんと!」
俺は、両手を広げた。
「ほら! この通り! 元気いっぱいナツキ・スバル!」
「……そうですか」
レムは、少しだけ表情を緩めた。
……よかった。
どうやら、最悪の事態は回避できたらしい。
「……ですが」
「……はい」
「お説教は、帰ってからです」
「……ですよね」
……逃げられない。
人生とは、かくも厳しいものなのか。
「……おいおい、兄弟」
そのとき。
横から、アルが声をかけてきた。
「何だよ。お前、女の子に怒られてんのか?」
「……見ての通りっす」
「はっはっは! そりゃ大変だな!」
「笑い事じゃねえよ!」
俺は、思わず突っ込んだ。
アルは、楽しそうに笑っている。
……くそ。
こいつ、絶対に面白がってるだろ。
「……スバルくん」
レムが、俺の袖を軽く引いた。
「こちらの方々は?」
「ああ、そうだった」
俺は、慌てて二人を紹介した。
「こっちがアル! で、こっちがプリシラさん!」
「……プリシラ様、ですか」
レムが、小さく目を見開いた。
……ん?
何だ?
今の反応。
「……レム?」
「……いえ」
レムは、すぐに表情を整えた。
そして、丁寧に頭を下げる。
「初めまして。レムと申します」
「ふむ」
プリシラさんは、扇子を広げた。
「随分と礼儀正しい娘じゃな」
「恐れ入ります」
「……その男とは、どういう関係じゃ?」
「スバルくんは、レムがお世話を任されている方です」
「……ほう」
プリシラさんが、俺を見る。
そして。
「……なるほどのう」
「……何だよ」
「いや、何でもない」
口元を隠して笑う。
……なんか。
すげえ嫌な予感がする。
「……随分と手のかかる男のようじゃな」
「……ぐっ」
否定できない。
悔しい。
非常に悔しい。
「……姫さん」
アルが、口を挟んだ。
「そろそろ行かねえと、時間やべえんじゃねえか?」
「……ふむ」
プリシラさんは、空を見上げた。
「そうじゃな」
そして、俺へ視線を戻す。
「スバル」
「……ん?」
「貴様も来るのであろう?」
「……え?」
「王城じゃ」
「あ、ああ!」
俺は、慌てて頷いた。
「もちろん!」
「……スバルくん?」
レムが、俺を見る。
……あ。
やべ。
そうだった。
俺、今。
レムに連れ戻されるところだった。
「……えっと」
俺は、頬を掻いた。
「実は、その……」
「……王城へ、行くおつもりだったのですか?」
「……はい」
レムが、静かに目を閉じた。
……怖い。
めちゃくちゃ怖い。
「……スバルくん」
「……はい」
「エミリア様とのお約束は?」
「……覚えてます」
「では、どうして?」
「…………」
……答えられなかった。
いや。
理由はある。
エミリアたんの力になりたい。
あの人の隣に立ちたい。
エリスと同じ場所に。
……俺も。
でも。
そんなことを言ったところで。
レムを困らせるだけだ。
「……ごめん」
俺は、小さく呟いた。
「……どうしても、行きたくてさ」
「…………」
レムは、俺を見つめた。
その青い瞳が、わずかに揺れる。
「……スバルくん」
「……わかってる」
俺は、笑った。
「無茶だってことくらい」
……わかってる。
わかってるんだよ。
でも。
それでも。
「……頼む、レム」
俺は、頭を下げた。
「ちょっとだけでいいんだ」
「…………」
「……エミリアたんの近くに、行かせてくれ」
沈黙。
レムは、何も言わなかった。
ただ。
しばらく、俺を見つめていた。
そして。
「……スバルくん」
「……ん?」
「レムは、スバルくんの味方です」
「…………」
「ですが」
レムは、少しだけ悲しそうに微笑んだ。
「エミリア様とのお約束を破ることが、正しいとは思えません」
「……ああ」
「それでも、行かれるのですね?」
「…………」
俺は、頷いた。
「……うん」
レムは、目を伏せた。
そして。
「……わかりました」
「……え?」
「レムも、ご一緒します」
「……レム?」
「スバルくんを、お一人にはできませんから」
そう言って。
レムは、微笑んだ。
……ああ。
ほんと。
この子には、敵わねえな。
「……ありがとな」
「はい」
レムが、嬉しそうに笑った。
……ただ。
その笑顔を見て。
胸の奥が、少しだけ痛んだ。
……俺は。
また。
誰かの優しさに、甘えている。
◇◇◇
竜車の中。
俺は、窓の外を眺めていた。
王都の街並みが、ゆっくりと流れていく。
石畳の道。
行き交う人々。
遠くに見える、巨大な王城。
……近づいている。
少しずつ。
あの場所へ。
「……兄弟」
向かいに座るアルが、声をかけてきた。
「ん?」
「お前、王城に何の用があんだ?」
「……あー」
俺は、頬を掻いた。
「知り合いが、そこにいるんだよ」
「知り合い?」
「ああ」
俺は、頷いた。
「……大事な人がな」
「……ほう」
アルが、少しだけ目を細めた。
「女か?」
「……おう!」
即答。
「めちゃくちゃ可愛い女の子!」
「はっはっは! そりゃいいな!」
「だろ!?」
俺は、思わず身を乗り出した。
「銀髪で! 紫紺の瞳で! 性格も優しくて! もう天使みたいな子なんだよ!」
「……銀髪?」
アルが、少しだけ首を傾げた。
「……へえ」
何かを考えるような声。
しかし。
「ま、兄弟にも色々あんだな」
すぐに、いつもの調子へ戻った。
「……おう」
俺は、笑った。
……色々。
ある。
そりゃもう。
色々と。
……でも。
それを、誰かに話すことはできない。
「……ふん」
プリシラさんが、扇子を閉じた。
「随分とくだらぬ話をしておるのう」
「……え?」
「女一人のために、約束を破り、わざわざ王城へ向かうとは」
「……いや」
俺は、少しだけ眉を寄せた。
「くだらなくなんかねえよ」
「……ほう?」
プリシラさんが、目を細める。
俺は、真っ直ぐ彼女を見た。
「俺にとっては、大事なことなんだ」
「…………」
沈黙。
プリシラさんは、しばらく俺を見つめた。
そして。
「……くく」
小さく笑った。
「よい」
「……え?」
「その愚かさ、嫌いではないぞ」
「……褒めてんのか?」
「当然じゃ」
……いや。
絶対、褒めてねえだろ。
「……まあ」
俺は、苦笑した。
「ありがとよ」
プリシラさんは、満足げに笑った。
◇◇◇
やがて。
竜車が、ゆっくりと速度を落とした。
「……お?」
窓の外を見る。
そこには。
巨大な城門。
高くそびえる城壁。
そして、整然と並ぶ衛兵たち。
「……うおお」
思わず、声が漏れた。
「……すげえ」
王城。
ついに。
辿り着いた。
「……兄弟」
アルが、笑った。
「着いたぜ」
「……おう」
俺は、ゆっくりと頷いた。
……ここに。
エミリアたんがいる。
エリスがいる。
ベア子がいる。
……俺の。
大事な人たちが。
「……よし」
小さく、拳を握った。
……行こう。
俺も。
あの場所へ。
◇◇◇
王城の門前。
俺とレムは、竜車を降りた。
プリシラさんとアルは、先に進んでいく。
「……スバル」
プリシラさんが、振り返った。
「……ん?」
「妾に会えた幸運、忘れるでないぞ」
「……はは」
俺は、笑った。
「忘れねえよ、プリシラさん!」
「ふん」
プリシラさんは、満足げに鼻を鳴らした。
そして。
アルが、軽く手を振る。
「じゃあな、兄弟!」
「おう! またな!」
二人の背中が、遠ざかっていく。
……さて。
「……レム」
「はい」
「……行くか」
「……はい」
俺たちは、王城の門へ向かった。
目の前にそびえる巨大な城門。
見上げるほど高い城壁。
その向こうには、王都のどこからでも見えていた白亜の城が広がっている。
「……うおお」
思わず、感嘆の声が漏れた。
「……すげえな、マジで」
いや、わかってる。
語彙力が死んでることくらい、わかってる。
でも仕方ないだろ。
日本にいた頃、城なんて修学旅行かテレビの中でしか見たことがないんだ。
それが今、目の前にある。
しかも、中には。
エミリアたんがいる。
エリスがいる。
ベア子もいる。
「……よっしゃ」
俺は、小さく拳を握った。
「ここまで来たぜ」
「……スバルくん」
隣から、レムの声がした。
「……ん?」
「何度も申し上げますが、エミリア様とのお約束は忘れないでくださいね」
「……はい」
即答だった。
いや、だって。
レムの目が、笑ってないんだもん。
「……ふふ」
レムは、小さく微笑んだ。
……ああ。
ほんと。
この子には、敵わねえな。
「――スバル」
そのとき。
先を歩いていたプリシラさんが、振り返った。
「……ん?」
「妾に会えた幸運、忘れるでないぞ」
「……はは」
俺は、笑った。
「忘れねえよ、プリシラさん!」
「ふん」
プリシラさんは、満足げに鼻を鳴らした。
そして、再び歩き出す。
「じゃあな、兄弟!」
アルが、軽く手を振った。
「おう! またな!」
俺も、手を振り返す。
……いやぁ。
変わった二人だったな。
特にプリシラさん。
あの傍若無人っぷり。
どっかの誰かを思い出すぜ。
……まあ。
エリスは、あそこまで自分を偉いとは思ってないだろうけど。
「……さて」
俺は、城門へ向き直った。
「行くか、レム」
「……はい」
俺たちは、並んで歩き出した。
……しかし。
「――お待ちください」
城門の前。
衛兵が、俺たちの行く手を遮った。
そして、衛兵へ視線を向ける。
「彼らの身元を、エミリア様の陣営へ確認していただけるかな」
「承知いたしました」
衛兵が、一礼して城内へ向かう。
「……おお!」
俺は、思わず声を上げた。
「助かるぜ、ユリウス!」
「礼には及ばないよ。確認が取れるまでは、ここで待ってもらうことになるが」
「全然オッケー!」
俺は、親指を立てた。
「エリスの友達ってだけあるな!」
「……ふふ」
ユリウスが、小さく笑った。
「彼と同列に扱われるのは、光栄だね」
……うん。
やっぱり。
いい奴だ。
◇◇◇
確認を待つ間。
俺たちは、城門の脇で話をしていた。
「……なあ、ユリウス」
「何だい?」
「エリスって、騎士団でもあんな感じなの?」
「エリスって、昔から強かったのか?」
「……強かった、か」
ユリウスは、少しだけ考え込んだ。
「少なくとも、私が彼を知った頃には、既に相当な実力を持っていたよ」
「……へえ」
「ただ、彼の評価は強さだけによるものではない。あの性格でありながら、任された仕事は最後までやり遂げるからね」
「……あー」
俺は、思わず頷いた。
……そうなんだよな。
あいつ。
口では面倒くせえとか言うくせに。
結局、誰よりも動くんだ。
「……すげえな、あいつ」
気づけば、そんな言葉が漏れていた。
「……そうだね」
ユリウスは、静かに頷いた。
「彼は、信頼に値する友人だよ」
「…………」
……ああ。
そうだよな。
俺も、そう思う。
だからこそ。
ちょっとだけ。
胸の奥が、ちくりとした。
……あいつには。
ここにも、居場所がある。
騎士団にも。
王城にも。
……俺が、知らない場所にも。
それが。
少しだけ。
羨ましかった。
◇◇◇
「――ユリウス様」
しばらくして、一人の衛兵が戻ってきた。
「エミリア様の陣営に確認が取れました。ナツキ・スバル殿、レム殿ともに、ロズワール・L・メイザース辺境伯の屋敷に滞在している者で間違いないとのことです」
「……おっ!」
俺は、顔を上げた。
「マジで!?」
「はい。ただし、本日の王選に関わる会合への参加については、別途確認が必要となります」
「……あー」
なるほど。
城に入るのと、会議に出るのは別ってことか。
「……では」
ユリウスが、穏やかに口を開いた。
「エミリア様の控え室まで、ご案内しよう」
「……え?」
俺は、目を瞬かせた。
「……いいの?」
「ええ。ご本人に確認していただくのが、一番確実だからね」
「……マジか!」
俺は、思わず笑った。
「ありがとな、ユリウス!」
「礼には及ばないよ」
ユリウスは、微笑んだ。
「それでは、こちらへ」
……よっしゃ。
ついに。
エミリアたんに会える。
俺は、胸を躍らせながら、ユリウスの後を追った。
◇◇◇
王城の内部。
そこは、想像していた以上に豪華な場所だった。
磨き上げられた大理石の床。
壁に飾られた絵画。
天井から吊るされた巨大な装飾灯。
そして、行き交う人々。
「……うおお」
思わず、声が漏れた。
「……すげえ」
「初めて王城へ?」
ユリウスが、振り返った。
◇◇◇
やがて。
ユリウスが、一つの扉の前で足を止めた。
「……こちらだ」
「……お?」
俺は、扉を見た。
重厚な木製の扉。
その前には、二人の衛兵が立っている。
……ここに。
エミリアたんがいる。
「……エミリア様」
ユリウスが、扉を軽く叩いた。
「失礼いたします。お客様をお連れしました」
「……お客様?」
扉の向こうから、聞き慣れた声がした。
……あ。
エミリアたんだ。
間違いない。
「……どなた?」
「ナツキ・スバル殿と、レム殿です」
「…………え?」
……あ。
今の声。
絶対、驚いてる。
「……スバル!?」
そして。
扉が、開いた。
「……エミリアたん!」
俺は、思わず笑った。
「やっほー! 会いに来ちゃったぜ!」
「…………」
エミリアたんは、固まっていた。
銀色の髪。
紫紺の瞳。
そして、いつもより少しだけ華やかな衣装。
……ああ。
やっぱり。
めちゃくちゃ可愛い。
「……スバル」
エミリアたんが、ゆっくりと口を開いた。
「……どうして、ここにいるの?」
「……えっと」
俺は、頬を掻いた。
「……サプライズ?」
「…………」
沈黙。
……あ。
やべ。
これは。
非常に、やべえ。
「……スバル!」
エミリアたんが、眉を寄せた。
「ちゃんと休んでてって、言ったでしょう!?」
「……はい」
「怪我だって、まだ治ってないのに!」
「……はい」
「それなのに、こんなところまで来て……!」
「……すみませんでした」
俺は、即座に頭を下げた。
……うん。
今日、何回目だろう。
この謝罪。
「……まったく」
エミリアたんが、ため息を吐いた。
……そのとき。
「……おいおい」
部屋の奥から、聞き慣れた声がした。
「……あ?」
俺は、顔を上げた。
「……それにしても、どうやって入ってきたんだ?」
「……ああ!」
俺は、顔を上げた。
「ユリウスって奴に助けてもらったんだよ!」
「……ユリウス?」
エリスが、片眉を上げた。
そして、俺の後ろへ視線を向ける。
「……お前か」
「久しぶりだね、エリス」
ユリウスが、微笑んだ。
「……はは」
エリスが、笑った。
「相変わらず、お人好しだな」
「君に言われるとは思わなかったよ」
「……あ?」
「ふふ。冗談だ」
……おお。
なんか。
いいな。
この二人。
すげえ自然に話してる。
……友達なんだな。
本当に。
「……それで?」
エリスが、俺を見る。
「ユリウスに迷惑かけてねえだろうな?」
「かけてねえよ!」
俺は、胸を張った。
「むしろ、めっちゃ仲良くなったぜ!」
「……ほう?」
エリスが、ユリウスを見る。
「……そうなのか?」
「ええ。なかなか愉快な方だね」
「……ははっ!」
エリスが、笑った。
「だろ?」
……ああ。
なんか。
嬉しいな。
エリスが。
俺のことを、普通に紹介してくれてる。
……いや。
当たり前か。
俺たち、友達なんだし。
……でも。
ちょっとだけ。
誇らしかった。
「……まったく」
そのとき。
別の声が、響いた。
「……あ?」
視線を向ける。
そこには。
金髪の少女が、一人。
豪華な椅子に腰かけていた。
「……ベア子!」
「ベア子じゃないかしら!」
ベアトリスが、頬を膨らませた。
「お前、本当に馬鹿なのよ!」
「……うぐっ」
「せっかくリアが心配して、休ませてやったというのに!」
「……はい」
「……まったく」
ベアトリスが、ため息を吐いた。
そして。
エリスの袖を、軽く引いた。
「……エリス」
「……ん?」
「こいつ、本当に大丈夫なのかしら」
「……さあな」
エリスが、笑った。
「まあ、元気そうではあるけどな」
「……元気だからといって、怪我が治ったわけではないのよ」
「……それもそうだな」
……おいおい。
俺を挟んで、何を話してんだよ。
「……ちょっと待て!」
俺は、思わず声を上げた。
「本人の前で、そんな話すんな!」
「……うるさいかしら」
「……はい」
即座に黙った。
……くそ。
この部屋。
俺の味方、少なくね?
「……スバルくん」
レムが、隣で微笑んだ。
「……レム?」
「レムは、スバルくんの味方ですよ」
「……レム!」
俺は、思わず感動した。
……天使だ。
ここに、天使がいる。
「ですが」
「……はい」
「今回のことは、反省してくださいね」
「……ですよね」
……逃げ場がない。
◇◇◇
それから。
俺たちは、しばらく控え室で話をした。
ユリウスは、持ち場へ戻るために先に退出した。
エミリアたんは、まだ少し怒っていたけど。
それでも、俺の怪我を心配してくれた。
レムは、そんなエミリアたんに頭を下げていた。
ベア子は、相変わらずエリスの近くから離れない。
そして。
エリスは。
いつものように、椅子へ腰を下ろしていた。
「……なあ、エリス」
「……あ?」
「お前、緊張とかしねえの?」
「……何が?」
「いや、今日の王選だよ!」
俺は、思わず身を乗り出した。
「すげえ大事な日なんだろ?」
「……ああ」
エリスは、頷いた。
「まあ、そうだな」
「……なのに」
俺は、少しだけ笑った。
「……全然、緊張してねえじゃん」
「……は?」
エリスが、眉を上げた。
「緊張したところで、何か変わんのか?」
「……いや」
俺は、言葉に詰まった。
……それは。
まあ。
そうなんだけど。
「……やれることやるだけだろ」
エリスは、あっさりと言った。
「……それだけだ」
「…………」
……ああ。
そうだよな。
お前は、そういう奴だ。
いつだって。
自分のやるべきことを、迷わずやる。
……俺とは。
違う。
「……エリー」
エミリアたんが、エリスを見る。
「……ん?」
「……ありがとう」
「……あ?」
「……今日、一緒にいてくれて」
「……は?」
エリスが、呆れたように笑った。
「今さら何言ってんだよ」
「……でも」
「……リア」
エリスは、少しだけ真面目な顔になった。
「……お前は、お前のやることやれ」
「…………」
「……面倒なことは、俺が何とかしてやる」
……ああ。
その言葉。
今朝も、聞いたな。
エミリアたんが、嬉しそうに笑う。
「……うん!」
……よかった。
エミリアたんが、安心してる。
……本当に。
よかった。
……なのに。
なんでだろうな。
胸の奥が。
ちょっとだけ。
苦しかった。
「……スバル?」
エミリアたんが、俺を見る。
「……ん?」
「……どうしたの?」
「……いや!」
俺は、慌てて笑った。
「何でもねえよ!」
「……そう?」
「おう!」
……大丈夫。
俺は、大丈夫だ。
……だって。
エミリアたんが笑ってるんだから。
それで。
いいはずなんだ。
◇◇◇
「――失礼いたします」
そのとき。
控え室の扉が、静かに叩かれた。
「……ん?」
エリスが、顔を上げる。
扉が開き、一人の使用人が入ってきた。
「エミリア様」
「……はい」
「王選に関する会合のお時間でございます」
「……あ」
エミリアたんが、顔を上げた。
「……もう、そんな時間?」
「はい。間もなく、皆様がお集まりになります」
「……そっか」
エミリアたんは、小さく頷いた。
そして。
俺を見た。
「……スバル」
「……ん?」
「……どうしよう」
「……え?」
俺は、目を瞬かせた。
「……何が?」
「……もう、戻る時間がないの」
「…………」
……あ。
そういうことか。
王選が始まる。
エミリアたちは、会場へ向かわなければならない。
そして、俺は。
……今から宿へ戻ろうとしても。
間に合わない。
「……あー」
俺は、頬を掻いた。
「……どうする?」
「……それを、私が聞きたいの!」
エミリアたんが、困ったように眉を寄せた。
「……もう!」
……あ。
怒ってる。
また怒ってる。
「……ったく」
エリスが、ため息を吐いた。
「……仕方ねえな」
「……エリー?」
エミリアたんが、エリスを見る。
エリスは、俺へ視線を向けた。
「……おい、スバル」
「……ん?」
「……お前、どうせ帰る気ねえだろ」
「……え?」
俺は、目を瞬かせた。
……いや。
そんなこと。
……ない、とは。
言い切れない。
「……まあ」
俺は、頬を掻いた。
「……ちょっとだけ?」
「……はは」
エリスが、笑った。
「……正直でよろしい」
「……おい!」
俺は、思わず突っ込んだ。
「何だよ、その上から目線!」
「……事実だろ」
「……ぐっ」
……否定できない。
「……リア」
エリスが、エミリアたんを見る。
「……もう時間ねえんだろ?」
「……うん」
「……だったら、こいつも連れてきゃいいじゃねえか」
「……え?」
エミリアたんが、目を丸くした。
「……でも」
「……今から追い返したところで、間に合わねえだろ」
「……それは、そうだけど……」
「……それに」
エリスが、俺を見る。
そして。
いつものように、笑った。
「……こいつも、馬鹿じゃねえんだから」
「……お?」
俺は、顔を上げた。
……おお。
エリス。
お前。
俺のこと、信じてくれてんのか?
「……場くらい、弁えるだろ」
「……おい!」
俺は、思わず声を上げた。
「何だよ、その言い方!」
「……ははっ!」
エリスが、笑った。
「……違うのか?」
「……いや」
俺は、頬を掻いた。
「……違わねえけど」
「……なら、いいだろ」
……くそ。
こいつ。
ほんと。
調子狂うぜ。
「……エリー」
エミリアたんが、少しだけ困ったように笑った。
「……本当に、大丈夫かな?」
「……大丈夫だって」
エリスは、肩をすくめた。
「……俺が見といてやるよ」
「…………」
エミリアたんは、しばらく考え込んでいた。
そして。
「……わかった」
小さく頷いた。
「……スバル」
「……はい!」
俺は、背筋を伸ばした。
「……一緒に来てもいいけど」
「……おお!」
「……絶対に、勝手なことしないでね」
「……はい!」
「……それから」
エミリアたんが、俺を真っ直ぐ見た。
「……約束を破ったこと、忘れないでね」
「…………」
……あ。
俺は、少しだけ言葉に詰まった。
……そうだよな。
俺は。
約束を破った。
……それは。
消えない。
「……わかった」
俺は、頷いた。
「……ごめんな、エミリアたん」
「……うん」
エミリアたんは、小さく微笑んだ。
「……帰ったら、ちゃんとお話ししようね」
「……はい」
……うん。
お説教、確定。
……でも。
それでも。
俺は、嬉しかった。
……だって。
エミリアたんの近くにいられるんだから。
◇◇◇
「……さて」
エリスが、立ち上がった。
「……行くか」
「……うん」
エミリアたんが、頷く。
ベアトリスも、椅子から降りた。
「……エリス」
「……あ?」
「……襟が曲がっているかしら」
「……ん?」
エリスが、首を傾げる。
ベアトリスは、小さくため息を吐いた。
「……まったく」
そして。
エリスの襟元を、丁寧に整え始めた。
「……お前、こういうところが雑なのよ」
「……別にいいだろ」
「よくないかしら!」
「……はいはい」
エリスが、笑う。
……ああ。
いつもの光景だ。
ベア子が、エリスの世話を焼いて。
エリスは、それを当たり前のように受け入れている。
……ほんと。
仲いいよな、こいつら。
「……スバルくん」
レムが、隣から声をかけてきた。
「……ん?」
「……よろしいですか?」
「……何が?」
「……エミリア様とのお約束です」
「……ああ」
俺は、頷いた。
「……わかってる」
レムは、少しだけ微笑んだ。
「……それなら、よかったです」
……ああ。
わかってる。
わかってるんだ。
……でも。
どうしても。
胸の奥が、騒いでいた。
……ついに。
俺も。
あの場所へ、行ける。
エミリアたんの隣に。
エリスと、同じ場所に。
……立てる。
◇◇◇
王城の廊下。
俺たちは、並んで歩いていた。
先頭には、エミリアたん。
その隣には、エリス。
そして、ベアトリス。
俺とレムは、その少し後ろを歩く。
……なんだろうな。
こうして見ると。
エリスって、本当に騎士なんだな。
白い騎士服。
堂々とした歩き方。
すれ違う騎士たちが、自然に道を開ける。
……誰も。
あいつが、そこにいることを疑わない。
それが。
当たり前のように、受け入れられている。
「……スバル」
エリスが、振り返った。
「……ん?」
「……何ぼーっとしてんだよ」
「……いや」
俺は、笑った。
「……なんでもねえよ」
「……そうか?」
「ああ!」
俺は、親指を立てた。
「……大丈夫だ!」
「……はは」
エリスが、笑った。
「……なら、いいけどよ」
そして。
再び、前を向く。
……ああ。
ほんと。
すげえ奴だ。
俺が。
心の底から、尊敬している男。
……いつか。
俺も。
あいつみたいに。
誰かに、頼られる人間になれるんだろうか。
……いや。
なるんだ。
絶対に。
俺は、小さく拳を握った。
……そのためにも。
今日。
俺は。
エミリアたんの隣に、立つ。
……そう。
決めたんだ。
◇◇◇
――騎士とは、何か。
主君に仕え。
剣を捧げ。
その名誉を背負う者。
だが。
ナツキ・スバルにとって、騎士とは。
ただ一人の少女を、守りたいと願う心だった。
そして。
エリスにとって、騎士とは。
守ると決めた者を、守り抜くための立場に過ぎなかった。
その違いを。
スバルは、まだ知らない。
ただ。
確かなことが、一つだけあった。
――二人は、同じ場所に立とうとしていた。
しかし。
その場所が、どれほど重い意味を持つのか。
スバルは、まだ知らなかった。