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SIDE エリス
ルグニカ王国、王城。
歴史ある石造りの城壁に囲まれたその場所は、王国の権威を象徴するに相応しい威容を誇っていた。
磨き上げられた大理石の床。壁に飾られた歴代の王族の肖像画。天井から吊り下げられた豪奢な燭台。
そして、そんな格式高い場所に、およそ似つかわしくない男が一人。
「……帰りてえ」
俺である。
「エリー!」
隣から、すかさず叱責が飛んできた。
振り向けば、銀髪の少女が頬を膨らませている。
エミリア。
今回の王選における五人の候補者の一人であり、俺が仕える主君でもある。
「なんだよ、リア。まだ始まってもねえだろ」
「始まってないからって、帰っていいわけじゃないでしょ!」
「別に俺がいなくたって王様は決められるだろ」
「そういう問題じゃないの!」
まったく、真面目な奴だ。
俺は肩を竦め、周囲へ視線を向けた。
広間には既に多くの人間が集まっている。
貴族、文官、騎士。
どいつもこいつも堅苦しい顔をして、まるで葬式にでも参列しているかのようだ。
これから王様を決めるってんだから、もう少し楽しそうにしてもいいと思うんだがな。
「エリー、ちゃんと聞いてる?」
「ああ、聞いてる聞いてる」
「絶対聞いてないでしょ!」
「聞いてるって。今日はお前が王様になりたいって話をする日だろ?」
「……それは、そうだけど」
「だったら堂々としてろよ。俺のことなんざ気にすんな」
そう言って、軽く頭を撫でる。
リアは一瞬驚いたように目を瞬かせたが、やがて小さく微笑んだ。
「……うん。ありがとう、エリー」
「おう」
俺は満足げに頷いた。
まあ、少しは緊張も解れただろう。
そう思ったところで。
「――エリス!」
聞き慣れた声が背後から響いた。
振り向くと、黒髪の少年がこちらへ駆け寄ってくる。
ナツキ・スバル。
出自不明の、少々変わった少年だ。
その後ろには、青髪のメイドが控えている。
「おう、スバル。来たか」
「来たか、じゃねえよ! なんだよこの城! 広すぎだろ! トイレ探すだけで冒険始まるぞ!」
「知らねえよ。城に文句言え」
「いや、だからその城に文句言ってんだろ!」
相変わらず騒がしい奴だ。
俺は鼻を鳴らした。
「で、レム。こいつ、道中で問題起こさなかったか?」
「はい。エリス様。スバルくんは少々はしゃいでおられましたが、問題はありませんでした」
「おいレム! その報告、完全に保護者目線じゃねえか!」
「事実を申し上げただけです」
「ぐぬぬ……!」
レムは涼しい顔で答える。
俺は思わず笑った。
どうやら、道中は平和だったらしい。
「……スバル」
リアが一歩前へ出る。
「ちゃんとレムと一緒に来てくれたんだね」
「おう! もちろんだぜ、エミリアたん!」
スバルは胸を張った。
「今日はエミリアたんの晴れ舞台だからな! このナツキ・スバル、全力で応援させてもらいますとも!」
「……ありがとう」
リアは嬉しそうに微笑んだ。
だが、すぐに少しだけ真剣な表情になる。
「でも、スバル。お願いがあるの」
「ん?」
「今日は大切な会議だから、勝手なことはしないでほしいの。私のために何かしようとしてくれるのは嬉しいけど……」
「わかってるって!」
スバルは勢いよく頷いた。
「大丈夫大丈夫! 俺だって空気ぐらい読める男だからな!」
「……本当に?」
「信用ねえな!?」
俺はそのやり取りを眺めながら、口元を歪めた。
「まあ、スバル」
「なんだよ、エリス」
「今日はリアの舞台だ。お前が主役じゃねえ。それだけ忘れんなよ」
スバルは一瞬、きょとんとした。
だが、すぐに笑顔を浮かべる。
「わーってるよ! 俺はエミリアたんの応援団長だからな!」
「ならいい」
俺は肩を竦めた。
……この時は、本当にそう思っていた。
◇◇◇
王選会議が始まった。
広間の中央に並ぶ五人の候補者。
クルシュ・カルステン。
アナスタシア・ホーシン。
プリシラ・バーリエル。
エミリア。
そして、フェルト。
いずれも一癖も二癖もありそうな連中だ。
俺はリアの少し後ろに立ち、腕を組んでその様子を眺めていた。
隣にはロズワール。
その少し離れた位置に、スバルとレムがいる。
ロズワールは相変わらず、人を食ったような笑みを浮かべていた。
「いやはや、エリスくん。随分と退屈そうだねぇ」
「実際退屈だからな」
「もう少し緊張感を持ってもらいたいものだよ」
「お前に言われたくねえよ」
「おやおや」
ロズワールは楽しそうに肩を揺らした。
まったく、こいつも相変わらずだ。
やがて、賢人会の代表であるマイクロトフが進行を始める。
王族の断絶。
神龍との盟約。
そして、新たな王を選ぶ必要性。
厳かな声が広間に響き渡る。
俺は半分ほど聞き流しながら、周囲を観察していた。
近衛騎士団の面々。
王国の貴族たち。
そして、それぞれの候補者を支持する者たち。
……なるほど。
こりゃ、面倒臭いことになりそうだ。
候補者たちは、それぞれ異なる思想を持っている。
当然、その支持者たちも一枚岩ではない。
王様を決めるというより、国を五つに割って喧嘩させる準備でもしているように見えた。
「……エリス」
小さな声が聞こえた。
横を見ると、スバルがこちらを見ている。
「なんだ?」
「……お前、緊張しねえの?」
「何が?」
「何がって……この空気だよ! 王城だぞ!? 偉い人だらけだぞ!?」
「偉いからって剣が強いわけじゃねえだろ」
「そういう問題じゃねえ!」
スバルは小声で叫んだ。
器用な奴だ。
「……はぁ。やっぱエリスはすげえな」
「あ?」
「いや、なんつーかさ。こういう場所でも、いつも通りじゃん」
「いつも通りじゃなきゃ困るだろ」
「……そういうとこだよ」
スバルは苦笑した。
その顔には、純粋な感心が浮かんでいる。
俺は不思議に思いながらも、それ以上は何も聞かなかった。
◇◇◇
最初に大きな騒ぎを起こしたのは、金髪の少女だった。
「――ふざけんな! 誰が王様なんかになるかよ!」
フェルトである。
ラインハルトに連れられて現れた彼女は、豪奢な衣装を身に纏いながらも、相変わらずの口の悪さを発揮していた。
俺は思わず吹き出した。
「ぶっ……ははは!」
「……あ?」
フェルトがこちらを向く。
目が合った。
「おい、エリス!」
「いやあ、似合ってんじゃねえか! お姫様!」
「ぶっ殺すぞ!」
「ははは! その格好で言われても怖くねえよ!」
「てめえ……!」
フェルトが歯を剥く。
隣でラインハルトが困ったように微笑んでいた。
「フェルト様、どうか落ち着いてください」
「うっせえ! あいつが先に喧嘩売ってきたんだろ!」
「エリー!」
リアが俺の袖を引いた。
「お願いだから、静かにして!」
「悪い悪い」
「もう……!」
俺は笑いを噛み殺した。
だが、フェルトの姿を見ていると、どうにも笑いが込み上げてくる。
あの貧民街で盗みを働いていた小娘が、今や王選候補者だ。
人生、何があるかわからない。
その後、ラインハルトの説得もあり、フェルトは正式に王選への参加を表明した。
もっとも、その理由は随分と彼女らしいものだったが。
俺は小さく笑った。
……面白くなってきたじゃねえか。
◇◇◇
候補者たちが、それぞれの考えを述べていく。
クルシュは王国の自立を。
アナスタシアは繁栄を。
プリシラは自らが王となることの当然性を。
フェルトは、腐りきった仕組みを変えることを。
そして。
リアの番が訪れた。
銀髪の少女が一歩前へ出る。
その瞬間、広間の空気が変わった。
先ほどまでの好奇の視線が、警戒と嫌悪を帯びる。
嫉妬の魔女と同じ容姿を持つハーフエルフ。
その存在が、人々の心にどれほど根深い恐怖を植え付けているのか。
俺は、これまで何度も目にしてきた。
「…………」
リアの肩が、僅かに強張る。
俺はその背中を見つめた。
……大丈夫だ。
お前ならできる。
そう思いながら、黙って見守る。
リアはゆっくりと息を吸い込んだ。
そして、自分の言葉で語り始める。
種族や生まれによって差別されることのない国。
誰もが平等に扱われ、自分の意思で生きられる国。
その理想を、彼女は真っ直ぐに語った。
最初こそ緊張していたものの、次第にその声には芯が通っていく。
俺は腕を組み、静かに頷いた。
……悪くねえ。
以前なら、これほど大勢の人間を前にして、自分の考えを堂々と伝えることなどできなかっただろう。
だが、今は違う。
他人の視線を恐れながらも、前を向いている。
自分が何を望み、何を成し遂げたいのか。
それを、他人任せにせず伝えようとしている。
立派なもんだ。
しかし。
「――笑わせるな!」
不意に、貴族の一人が声を上げた。
「半魔が王位を望むなど、あってはならぬことだ! あの嫉妬の魔女と同じ姿をした者を、我らが王として迎え入れろというのか!」
会場にざわめきが広がる。
リアの言葉が止まった。
その肩が、僅かに震える。
「…………」
俺は小さく息を吐いた。
そして、一歩前に出る。
「……おい」
低い声が響いた。
貴族の男がこちらを向く。
「なんだ、貴様は!」
「今、なんつった?」
「なに?」
「聞こえなかったのか? 今、なんつったって聞いてんだよ」
男の顔が赤く染まる。
「無礼者! この場をどこだと心得ている!」
「ああ、知ってるよ。王様を決める場所だろ?」
俺は肩を竦めた。
「だったら、王様になろうとしてる奴の話ぐらい最後まで聞けや」
「なっ……!」
「気に入らねえなら反論すりゃいい。政策が甘いってんなら指摘すりゃいい。けどよ」
そこで、一度言葉を切る。
「生まれがどうだの、見た目がどうだの。それしか言えねえなら、黙って座ってろ」
静寂。
大広間が、しんと静まり返った。
貴族の男は口を開閉させている。
どうやら、言い返す言葉が見つからないらしい。
「……エリー」
背後から、リアの声がした。
俺は振り返らずに片手を上げる。
「気にすんな。続けろ」
「でも……」
「お前の話だろ。俺の顔色なんざ窺ってんじゃねえよ」
しばしの沈黙。
そして。
「……うん!」
力強い返事が聞こえた。
それでいい。
俺ができるのは、せいぜい邪魔な奴を黙らせることぐらいだ。
王になるのはリアであって、俺じゃない。
だったら、最後まで自分の足で立ってもらわなければ困る。
◇◇◇
――そして、問題はそのあとに起こった。
「ちょっと待ったぁ!!」
突然、大広間に響き渡った声。
俺は反射的に顔を顰めた。
……ああ。
嫌な予感がする。
振り向けば、そこには見慣れた黒髪の少年が立っていた。
ナツキ・スバル。
先ほどまでレムの隣に立っていた少年が、何故か会場の中央へと進み出ようとしている。
「……おい、スバル」
呼び掛ける。
だが、返事はない。
スバルは真っ直ぐに前を見据え、声を張り上げた。
「さっきから聞いてりゃ、好き勝手言いやがって! エミリアたんが何したってんだよ!」
会場がざわつく。
リアが驚いたように目を見開いた。
「スバル……?」
「見た目が似てるからなんだってんだ! 魔女と同じ銀髪だから? ハーフエルフだから? そんな理由で人を決めつけてんじゃねえよ!」
……言ってることは、間違ってねえ。
俺は腕を組み、スバルを見つめた。
少なくとも、リアを庇おうとしていることはわかる。
その気持ちも理解できる。
だが。
「……馬鹿野郎」
思わず呟いた。
スバルは止まらない。
「エミリアたんは優しいんだ! 誰よりも人のことを考えて、自分のことなんか後回しにして! そんな奴が王様になっちゃいけねえ理由がどこにある!」
声が響く。
必死だった。
少なくとも、スバル自身は本気なのだろう。
だが、周囲の反応は冷ややかだった。
先ほど俺が貴族に言い返した時とは、明らかに空気が違う。
それも当然だ。
スバルは、この場の誰にも知られていない。
どこの誰ともわからない少年が、突然王選の会議に割り込み、感情のままに叫んでいる。
言葉の内容以前に、発言する立場そのものが認められていないのだ。
「……何者だ、あの少年は」
「王選候補者の関係者か?」
「無礼にも程がある……」
囁き声が広がる。
スバルの表情が強張った。
だが、引き下がろうとはしない。
むしろ、周囲の反応に反発するように声を大きくしていく。
「俺は! エミリアたんの騎士だ!」
その瞬間。
会場の空気が、凍りついた。
「…………あ?」
俺は思わず間の抜けた声を漏らした。
……今、なんつった?
騎士?
誰が?
スバルが?
「……おいおい」
頭が痛くなってきた。
横を見る。
ユリウスの表情から、先ほどまでの穏やかな笑みが消えていた。
ラインハルトもまた、僅かに眉を寄せている。
当然だろう。
騎士というのは、名乗ればなれるものではない。
剣を握れば騎士なのか。
誰かを守りたいと思えば騎士なのか。
そんな簡単な話ではない。
少なくとも、この国において騎士を名乗るということは、それ相応の責任と覚悟を背負うということだ。
そして何より。
スバルは、リアに騎士として認められていない。
「スバル!」
リアが声を上げた。
「やめて! お願いだから、もうやめて!」
だが、スバルは止まらなかった。
「なんでだよ、エミリアたん! 俺はエミリアたんのために――!」
「私は、そんなこと頼んでない!」
その言葉に、スバルが息を呑んだ。
俺もまた、僅かに目を細める。
リアの声は震えていた。
怒っている。
いや、怒っているだけではない。
悲しんでいるのだ。
自分のためだと言って、勝手に行動する少年に。
そして、自分の意思を無視して守ろうとする、その姿勢に。
「……スバル」
俺は静かに声を掛けた。
少年がこちらを向く。
「もうやめとけ」
「……エリス?」
「お前の言いたいことはわかった。だから、もう下がれ」
「でも……!」
「いいから」
少しだけ声を低くする。
スバルの肩が跳ねた。
だが、その瞳には納得の色がなかった。
「……なんでだよ」
「あ?」
「なんで、エリスはよくて……俺はダメなんだよ」
……ああ。
そういうことか。
俺は小さく息を吐いた。
確かに、俺もさっき貴族に喧嘩を売った。
礼儀なんざ知ったことではないとばかりに、好き勝手言った。
それなのに、俺は咎められず、スバルだけが非難される。
納得できないのだろう。
気持ちはわかる。
だがな、スバル。
「……お前、勘違いしてるぞ」
「何をだよ……!」
「俺が何も言われねえのは、別に俺が正しいからじゃねえよ」
スバルが目を見開く。
「俺だって無礼なことは言ってる。気に入らねえ奴も山ほどいるだろうよ」
「だったら……!」
「けどな」
俺はスバルの目を真っ直ぐに見据えた。
「俺は、俺の言葉に責任を持ってる」
「…………」
「俺がここで好き勝手言えるのは、今までそうしてきた結果だ。俺が何をできる人間なのか、知ってる奴がいる。俺が何を背負ってるのか、わかってる奴がいる」
ユリウス。
ラインハルト。
そして、リア。
俺を知る人間たちは、俺がどんな男なのかを理解している。
その上で、俺の振る舞いを許容しているのだ。
決して、誰もが無条件に認めているわけではない。
「お前はどうだ?」
「……え?」
「リアの騎士だって言ったな。だったら、リアはお前を騎士として認めたのか?」
「そ、それは……!」
「お前がここで騒いで、リアが困ってることに気付いてんのか?」
スバルの顔が歪んだ。
……言い過ぎか。
いや。
ここで甘やかしても仕方がない。
スバルは悪い奴じゃない。
むしろ、馬鹿がつくほどお人好しだ。
誰かのために無茶をするし、自分のことを後回しにしてでも他人を助けようとする。
そういうところは、嫌いじゃない。
だからこそ。
こんな場所で、くだらない意地を張ってほしくなかった。
「……スバル」
俺は一度、言葉を切った。
「お前のそれは本当に騎士としての行動か?」
広間が静まり返った。
スバルの瞳が、大きく見開かれる。
「……え?」
「騎士ってのは、主君を守るもんだ。そいつの意思を尊重して、そいつが進もうとする道を支えるもんだろ」
「…………」
「なのに、お前はどうだ?」
俺はリアへ視線を向けた。
彼女は悲しそうな顔で、スバルを見つめている。
「リアはお前にやめてくれって言った。なのに、お前は止まらねえ」
「それは……!」
「リアのためだって言いながら、リアの言葉を聞こうともしねえ」
俺は静かに続けた。
「それは本当に、リアのためなのか?」
スバルは何も答えなかった。
ただ、拳を握り締めている。
俺はそれ以上、追い詰めるつもりはなかった。
これで、少しでも考えてくれればいい。
そう思っていた。
だが。
「……わかってるよ」
スバルが呟いた。
「……あ?」
「そんなこと……わかってるんだよ……!」
顔を上げる。
その瞳には、悔しさが滲んでいた。
「エリスがすげえ奴だってことぐらい……俺だって知ってる!」
「…………」
「強くて! 誰からも頼りにされて! エミリアたんにも信頼されて! 騎士の人たちだって、エリスのこと認めてて!」
声が震える。
「俺だって……エリスみたいになりたいって思ってるんだよ……!」
……参ったな。
俺は思わず頭を掻いた。
そんなことを言われても困る。
俺は別に、誰かの目標になるために生きてきたわけじゃない。
好き勝手にやってきただけだ。
ただ、それだけなのだ。
「だったら……!」
スバルが叫ぶ。
「だったら俺だって、エミリアたんの隣に立ちたいって思ったっていいだろ!」
……ああ。
もちろん、いいさ。
誰かに憧れることも。
誰かの隣に立ちたいと思うことも。
それ自体は、何も間違っていない。
だが。
その場所に立つためには、相応のものが必要なのだ。
俺はそれを、長い時間を掛けて積み上げてきた。
失敗もした。
怪我もした。
時には、命を落としかけたことだってある。
そうして積み上げたものが、今の俺を形作っている。
スバルには、それがない。
少なくとも、この場の人間たちが知る限りでは。
「……スバル」
俺は静かに口を開いた。
「隣に立ちてえなら、立てばいい」
「……え?」
「誰も止めやしねえよ。俺だって止めるつもりはねえ」
そこで、僅かに笑う。
「ただし、そこに立つ資格があるってことを、行動で示せ」
スバルは何も言わなかった。
ただ、呆然と俺を見つめている。
その瞳に浮かぶ感情を、俺は読み取ることができなかった。
◇◇◇
「――失礼」
静寂を破ったのは、ユリウスだった。
紫色の髪を揺らし、一歩前へ進み出る。
その表情は、先ほどまでの穏やかなものとは違っていた。
騎士としての矜持。
そして、明確な怒り。
それらを内包した、厳格な顔つきだった。
「ナツキ・スバル殿、と仰いましたね」
「……なんだよ」
「貴方は先ほど、ご自身をエミリア様の騎士だと名乗られた」
「……ああ」
「では、お尋ねしましょう」
ユリウスは静かに言葉を続けた。
「貴方は、騎士というものを何だとお考えですか?」
スバルの眉が寄る。
「……大切な人を守る奴、だろ」
「なるほど」
ユリウスは頷いた。
「では、大切な人を守りたいと願えば、誰もが騎士を名乗れると?」
「……何が言いたいんだよ」
「騎士とは、単なる願望によって得られる称号ではありません」
淡々とした声。
だが、その言葉には確かな重みがあった。
「己を鍛え、忠誠を誓い、主君のために剣を振るう。そして、その責任を背負う。それが我々の誇りです」
「…………」
「貴方のように、何の覚悟も示さず、その名を軽々しく口にされては困るのですよ」
スバルの顔が赤く染まった。
「……なんだと?」
……あーあ。
俺は天井を仰いだ。
こりゃ、まずい。
ユリウスの言っていることは正しい。
少なくとも、この国の騎士としては。
だが、今のスバルにそれを言ったところで、素直に受け入れるとは思えない。
案の定。
「だったら、エリスはどうなんだよ!」
スバルが叫んだ。
……おい。
なんで俺が出てくる。
「エリスだって、騎士らしいことなんかしてねえじゃねえか! 礼儀も知らねえし、好き勝手言ってるし!」
……お前な。
本人を目の前にして、随分な言い草じゃねえか。
まあ、間違ってはいないが。
「それなのに、なんでエリスは認められてんだよ!」
その問いに、ユリウスは僅かに目を細めた。
そして。
「――それは、彼が積み重ねてきたものがあるからです」
静かに答えた。
「……え?」
「エリス殿の振る舞いが、騎士として模範的であるとは申しません。むしろ、改めていただきたい点は多々あります」
「おい」
「ですが」
俺の抗議を無視して、ユリウスは続ける。
「彼は、その言葉に見合うだけの行動を示してきた。幾度となく困難に立ち向かい、他者を守り、己の責任を果たしてきた」
会場の騎士たちが、静かに耳を傾けている。
「だからこそ、我々は彼を認めているのです」
スバルの表情が、凍りついた。
「……実績、ってことかよ」
「ええ」
「……そんなの」
スバルは拳を握り締めた。
「そんなの……俺だって……!」
その先の言葉は、続かなかった。
何かを言おうとしている。
何かを訴えようとしている。
だが、それを言葉にすることができない。
俺は、そんなスバルを見つめていた。
……何かあるのか?
こいつは時折、妙な顔をする。
まるで、誰にも理解されない何かを抱えているような。
そんな顔を。
「……スバル?」
声を掛ける。
だが、少年は答えなかった。
ただ、俯いたまま拳を握り締めている。
その姿が、妙に気になった。
けれど。
今の俺には、その理由がわからなかった。
◇◇◇
やがて、マイクロトフの厳しい一声が会場に響き、騒動は収められた。
スバルはそれ以上の発言を許されず、エミリアもまた、沈痛な面持ちで元の位置へと戻る。
俺は腕を組み、静かにその様子を眺めていた。
……まったく。
どうして、こうなっちまったんだろうな。
スバルは悪い奴じゃない。
それは、誰よりもよく知っているつもりだ。
あいつは馬鹿みたいに真っ直ぐで、馬鹿みたいにお人好しで、馬鹿みたいに誰かのために必死になれる。
だからこそ、俺はあいつを気に入っていた。
だが。
その真っ直ぐさが、時として周囲を傷つけることもある。
今日のように。
「……エリー」
隣から、小さな声が聞こえた。
振り向けば、リアが俯いている。
「……私、どうしたらよかったのかな」
「……さあな」
俺は正直に答えた。
「俺にもわかんねえよ」
「……エリーでも?」
「ああ」
そう言って、軽く頭を撫でる。
「けどまあ、今すぐ答え出す必要もねえだろ」
「……うん」
「スバルだって、少し頭冷やしゃ何か考えるさ」
リアは小さく頷いた。
俺はその頭から手を離し、再び会場へと視線を向ける。
そこには、俯いたまま立ち尽くす黒髪の少年の姿があった。
……スバル。
お前、何をそんなに焦ってんだ。
強くなりたいなら、強くなればいい。
認められたいなら、認められるように頑張ればいい。
別に、今すぐ全部できる必要なんざないだろうに。
俺だって、最初から何でもできたわけじゃない。
少しずつ。
一つずつ。
積み上げてきただけだ。
――そう。
積み上げてきた。
だからこそ、俺は知らなかった。
積み上げたものが、ある日突然なくなってしまうことの恐ろしさを。
誰かを救った記憶が、自分にしか残らないことの苦しさを。
必死に掴み取った信頼が、何事もなかったかのように消えてしまう絶望を。
俺は知らない。
知るはずもない。
ナツキ・スバルという少年が、どれほどのものを失ってきたのか。
そして。
俺が何気なく口にした「積み上げればいい」という言葉が、あいつにとってどれほど残酷なものだったのか。
――この時の俺には、まだわからなかった。